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第二章 夫妻の贈り物
11、小さな嵐 中編
しおりを挟むむ、難しい。
私は昼食後、テーブルに広げたノートの上でベタッと顔を伏せて唸った。
いずれ公爵夫人となって屋敷や領地の管理をしないといけないから、数字に強くなってくださいね、と先生に言われて様々な計算の本を渡されたのだけど内容が頭に入ってこない。
いつもならテオ様が教えてくれるのだけど、今日はダメだ。忙しいし、お客様も来ている。
・・・あれ? よく考えたら、私は彼が優しいのをいいことに、頼りすぎているのでは?
よし、今日は、いや、これからは一人でやり抜こう。テオ様に教わってばかりではダメだ。
そう決意してバッと身体を起こしてノートのしわをのばし、本をじっと見る。
ええっと、ここをこうして、この数字がこれで・・・お、出来たかも?!
「やった、一人で出来ました! この調子で続けて練習問題もやりますよ」
「ふーん、本当に勉強してるんだ」
耳慣れぬ声が聞こえて、私は扉の方へ顔を向けた。そこには先程まで下ろしていた肩までの黒髪を後ろで一つに括ったカミーユ様が腕を組んで仁王立ちしていた。
「カミーユ様。お茶ですか?」
「うんまあ、テオドールが厳しいから奴が自分のことに集中している間に逃げて来たんだ。せっかくだからお茶頂戴。・・・君、淹れられるの?」
「もちろんです。テオ様はいつも美味しいと言ってくれます」
「そりゃ、あいつは君が泥水を出したってそう言うだろうよ」
泥水なんて出しませんとむくれながらお湯を沸かし、真剣に茶葉を量ってお茶を入れる。ついでに自分の分とテオ様の分も。フリッツさんは自分の部屋で昼寝をすると言っていたのでいらないだろう。
どうだ、という勢いでテーブルで待っているカミーユ様の前にカップを置いた。彼は品定めするような目付きでそれを手にとってゆっくりと飲む。
「ああ、確かに美味い。ま、最高級の茶葉だもんな。」
言外に誰が淹れても美味いだろ、と言われたようで私の眉がはねた。そこに真面目な顔で畳み掛けられた。
「君達の結婚はさ、テオドールは君を求めたけど、君は、あいつじゃなくても自分を助けてくれるなら誰でも良かったんじゃないのか?」
その言葉に、私の心臓がグシャッと潰れる。
だけど彼の言うことは正しい。否定のしようがない。
だから、私は不本意だけど頷いた。
「そうですね。それは、そうです」
「だよな。あの時、俺が君を助けていたら、君は俺の妻になっていたわけだ。まあでも、今の君はテオドールのことが好きなんだろう?」
「はい、大好きです」
それは間違いないと、私は勢い良く首を縦に振った。それに対して目の前の彼は皮肉げに口を歪めた。
「それって本当の気持ちだと思うか? 君のような状況で助けてくれた相手を好くのは必然で、雛の刷り込みみたいなもんだろ?」
そう笑ってお茶を飲み干すカミーユ様を見ながら、私は聞こえた言葉を頭の中でゆっくりと反芻した。
・・・今、言われたのはどういう意味? もしかして、私のこの気持ちを疑われたの?
カッとなった私は、自分でもよくわからない衝動に駆られて彼に向かって震えながら言葉を投げつけた。
「そんなこと言われても、どうしようもないじゃないですか」
カップを置いた彼が目を見開く。私はもう自分を止められなくなっていた。
私のテオ様への気持ちを偽物だと決めつけられたようで、たまらなく悔しかった。
「今まで私がケガをしていようと、文字が読めず困っていようと、誰も気に留めませんでした。皆に馬鹿にされるばっかりで、隅っこで立ち竦んでいた私に気がついて、手を差し伸べてくれたのはテオドール様だけです」
一気に言って酸素が足りなくなった私は、大きく息を吸い込んで続けた。
「それだけじゃなくて、テオドール様は私をあの家からすくい上げてくれました。結婚してからも、とっても優しくて大事にしてくれます。そんな相手を好きにならないほうがおかしくないですか?!」
「だから、それが仕組まれた感じがするっていうか。いやそれよりも、大声を出すなって。テオドールにバレるだろ?!」
狼狽えているカミーユ様の言葉を無視して、私は更に喰って掛かった。
「知ってますか? 新聞のお悩みコーナーって、恋愛相談が多いんですよ。皆さん『笑顔が可愛くて』とか『ちょっと親切にしてもらって』恋に落ちているのに、その人達と私と、一体どこが違うっていうんですか? どうして私の『テオドール様が好き』って気持ちだけ紛い物みたいに言われなきゃいけないんですか?!」
「いや、そんなつもりで言ったわけじゃなかったんだって。ちょっとほら、テオドールは頭いい分、計算高いし誘導された恋みたいだなって思っただけでさ」
「・・・テオ様は、生きるだけでいっぱいいっぱいだった私にそういう想いを持つ余裕をくれた方なんですよ? 刷り込みだろうが誘導だろうが、構わないです。テオ様よりも好きになる人なんてこの先絶対に現れません」
遂に私の目から涙があふれてこぼれ落ちてきた。それを見てカミーユ様が激しく動揺した。
「ちょっと待て、本当にそんなつもりじゃなかったんだって。気に障る言い方して悪かった、今直ぐ泣き止め。さもないと」
「さもないと、何? シルフィアを泣かせて無事に帰れると思ってないよね? 自分から助けてくれと泣きついてきたくせに逃げ出して、僕の大切な妻を傷つけて。君はここに何をしに来たの?」
慌てるカミーユ様の背後でテオ様の低い声がした。
ヒエッと口の中だけで悲鳴をあげたカミーユ様はそのまま硬直している。私はテオ様に泣き顔を見せたくなくて急いで顔を拭いた。
袖で顔を擦っただけの酷い顔の私へ、テオ様は両手を広げて微笑みかけてきた。
「フィーア、おいで」
「でも、」
情けないけどまだ頭の中が怒りと悔しさと悲しみでぐちゃぐちゃで、少しでも動いたらまた涙がこぼれそうだ。
躊躇する私を見たテオ様が、一歩踏み出してふわっと抱きしめてきた。私は泣くのを抑えようとぎゅっと唇を噛んで突っ立っていた。
「フィーア、僕は君の感情の全てを受け止めるよ。だから我慢しなくていい」
「・・・っ」
抱き上げられ、耳元で優しく言われて耐えられるほど私の涙腺は強くなかった。
さっきよりずっと多く流れ出した涙をテオ様の服に染み込ませながら、私はこれだけは言わなきゃ、と嗚咽混じりに訴えた。
「私が、テオ様を好きな気持ちは、偽物なんかじゃないです。私の本物の気持ちです」
「うん。ありがとう、嬉しいよ」
ポンポンと背中を撫でてあやされて、私は安心して彼の首にぎゅっとしがみついた。
「・・・で? カミーユは本当に何しに来たの? こちらが目的だったなら許さないけど」
私を抱き上げたままの彼に低い低い声で詰問されたカミーユ様は必死で否定した。
「いや、本当に課題のためにきたんだって! でもなんか、テオドールの為に一生懸命なシルフィアちゃんを見てたら羨ましくて、つい意地悪を言っちゃったんだよ、すまん」
テオ様が大きなため息をついた。
「カミーユ、シルフィアはもう一生分以上の意地悪を受けてるんだ。君は軽い気持ちだったかもしれないけど、彼女に対して二度とそういう気をおこさないでくれ」
「分かった! 一生言わない、気をつける。だから、俺を見捨てないでくれ、テオドール!」
縋りつかんばかりのカミーユ様の声に、私は頭を上げて目の前にあるテオ様の顔を窺った。テオ様は私へ困ったような笑みを浮かべて首を傾げてから、カミーユ様へ重々しく告げた。
「仕方がないな。彼とは家の関係で子供の時からの付き合いなんだ。カミーユ、お前の課題に必要な資料と書き方は教えるからあとは自分でやれ」
「なんだと?! お前、俺を見捨てるのか?! 最後まで付き合ってくれよぉ」
「残念だったね、カミーユ。僕は傷ついた妻を慰めるから君に割く時間がなくなっちゃったんだ。自業自得ってヤツだね。」
ぐっと詰ったカミーユ様が、恨めしげに私を見そうになって慌てて顔を背けた。
「テオ様、私はもう大丈夫です」
だから、カミーユ様を、と言い掛けた私にサッとキスして黙らせたテオ様が真剣な顔で言った。
「大丈夫なんかじゃない。君が泣いたのは結婚して初めてだよ? それに僕はこの先ずっと何よりも君を優先する」
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