翼の島の勇者たち

花乃 なたね

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35章 戻り行く日常

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 それから数刻後、ルイゼルは祭殿と城の間を行ったり来たりしていた。
 避難していた民たちは、戻れる者から自分たちの家に帰っている。脅威は完全に去った。
 しかし、ルイゼルは焦っていた。持っていたはずの首飾りが、いつの間にか無くなっていたのだ。
 13年間、大事にしていた白い石の首飾り。落としたとすればこの辺りのはずだが、ここになければ島中をしらみつぶしに探す必要がある。
 あれは愛する人の魂がこもった、ルイゼルにとって何よりも美しいものだ。

「探し物?」

 声をかけられ、ルイゼルははっと振り向いた。
 すぐ後ろに立っていたのは、首飾りを作った職人、ライラだった。

「ライラ……」
「これなら、さっき拾ったけど」

 ライラはそう言って、顔の高さまで手を上げ、何かをぶら下げて見せた。
 それはルイゼルが落とした、白い石の首飾りだった。

「ああ! それです!」

 ルイゼルは手を伸ばし、それを受取ろうとした。まさかライラに拾われているとは思わなかったが、見つかってほっとした。張りつめていた緊張の糸が緩む。
 しかし、ライラは首飾りをルイゼルに返そうとはしなかった。

「……何でこれを今も持ってるのさ」
「これのことを、覚えていますか?」
「覚えてるよ。でもこんなのはがらくたと同じだ。今の方が、綺麗なものも、凝ったものだって作れる。なのに、なんで……」
「ライラ」

 ルイゼルは、首飾りが握られたライラの手を両手で包み込んだ。

「確かに今の貴女の方が、遥かに腕が上がっています。ですが、この首飾りも、わたしはとても美しいと思っています。初めてこれを見たとき、心がとても揺さぶられました。貴女の夢が、情熱が、魂が感じられたのです」

 多くの精巧な商品の中に紛れていた首飾りは、内なる輝きを放っていた。辛い時でも、その輝きがルイゼルを励ましてくれた。

「この際ですから隠すのはやめます。ライラ、わたしは初めて貴女に会ったあの日から、ずっと貴女を愛しています。職人として、人間として、そして一人の女性として」
「え……え!?」

 突然の告白に、ライラは唖然としている。

「無理をしてわたしの気持ちに応える必要はありません。どうかこれだけ知っておいてください。貴女は世界で一番美しい人です」
「え、えっと……その……」

 ルイゼルが手を放した後も、ライラはその場に固まっていたが、やがてその手が動き、白い石をルイゼルの首にかけた。

「……まぁ、あたしもあんたがいてくれなかったら職人やめてたかもしれないし……感謝はしてる……それに……だから……あの……」

 ライラの顔は、夕焼けのように赤く染まっている。何かをもごもごとつぶやいた後、頬を軽く叩き、小さく息を吸い込んだ。

「ルイゼル、あんたにあたしを丸ごとくれてやる。その代わり、一生大事にしてくれないと許さないよ!」
「ライラ……!」

 ずっと願っていたことがようやく叶った。ルイゼルはきつくライラの体を抱きしめた。

「勿論です。何があっても離れません」
「……大事なことを言ってなかった。ルイゼル、島のために、あたしたちのために命をかけてくれてありがとう」
「光栄です。……褒賞を期待しても?」

 ルイゼルの腕の中で、ライラは笑った。

「そうだね、特別に勲章でも作ろうか。何色の石がいい?」
「いえ、それよりもっと欲しいものがありまして」
「ん? なにを……」

 言いかけたライラの唇を、ルイゼルは自分のそれで塞いだ。

「ありがとうございます。ライラ」

 口づけを終え、ルイゼルは愛しい恋人に向かって囁いた。
 ライラはしばしの放心の後、ふらりとルイゼルの方に体を寄せ、胸に顔をうずめた。

「ばか……」
「嫌でしたか?」
「べつに……。あたしはもうあんたのものなんだから、好きにすればいいよ……」
「ふふ。可愛いひとですね」

 照れるライラの顔を見たかったのだが、ルイゼルがいくら頼んでも、彼女は嫌だと顔をルイゼルの胸に押し付けたままだった。

***

 数日後。
 アルフィオンは、墓地を訪れていた。目の前にあるのは、母の墓。その隣に、新しく置いた石がある。父の墓だ。
 実の父について考えたことはあった。もしかすると、どこかで生きているのかもしれないというわずかな望みも持っていた。その希望は失われたが、父がどんな人物であったのか知ることはできた。
 復讐と歪んだ野望に取りつかれた男の支配から逃れ、妻と赤子を連れて、彼が目指そうとした場所はどこなのだろう。
 母と同じく、父の名前も顔も知る術はないが、命をかけて家族を守った、誇り高い人間だったのだ。それが分かっただけでもアルフィオンには十分に思えた。
 今、長い時を経て、故郷であった島に戻ってくることができた。島の民として神鳥かみどりに許され、翼を取り戻すことができた。
 アルフィオンを連れ、悪しき者から逃げることを選んだ両親、嵐の中、赤子の自分を助けてくれたキルシェ、家族として受け入れてくれた育ての親とラッシュ、ひたむきに慕ってくれるセシェル、そして、自分を守るため、敵と刺し違えたローク王。
 多くの人々の力で、アルフィオンはここまで生きてこられた。
 今までのアルフィオンは、島のために、いつでも死ぬ覚悟を持っていた。しかし、本当に持つべきは、命をつないでくれた人のため、そして未来のために生きる覚悟だと気づいた。生きて幸せをつかむ、それが亡き両親への手向けとなるだろう。

「それはお母さんと、お父さん?」

 物思いにふけっていたところに話しかけられ、アルフィオンは振り返った。
 声の主はティーナだった。神鳥の魂の欠片として生まれ、今、新たな人生を得た少女だ。

「……ああ」

 ティーナはアルフィオンの隣まで進み出て、二つの石をじっと見つめた。彼女の首元や腕に浮かんでいた不思議な模様はすっかり消えている。

「ティーナ」

 アルフィオンが呼ぶと、ティーナは顔を上げた。

「……すまなかった」

 彼女には、今まで冷たくあたってばかりで、傷つけてしまった。

「最初は、ティーナが何者か分からなかったから、警戒していた。神鳥の魂の欠片だと分かってからは……神鳥を目覚めさせるために、非情な手段をとる必要があるなら、俺が引き受けるつもりでいた」

 いずれ、ティーナの命を奪わなければならない時が来るならば、余計な情は抱かないでおきたかった。
 しかし、だからといってティーナを苦しめたことが許されるわけではない。先日、セシェルにもこっぴどく叱られたばかりだ。

「許してもらえるとは思っていない。俺ともう関わりたくなければそれでいい。ただ、謝っておきたかった」
「……アルフィオン、本当に真面目だね」

 ティーナはくすくすと笑っていた。

「怒ってないよ。アルフィオンも、自分なりにこの島のことを考えていたのは分かるから」

 ティーナはそう言って、アルフィオンのほうへ手を差し伸べた。

「わたしたち、良い友達になれると思うんだけど、アルフィオンはどう?」
「……そう、だな」

 アルフィオンは、ティーナの手を取った。

「今からでも遅くないなら」
「アルって呼んでもいい?」
「勿論だ。よろしく、ティーナ」

 かつて翼のなかった二人の若者は、しっかりと握手を交わした。
 嵐が過ぎた後の空のように、すっきりと心が晴れていくのをアルフィオンは感じていた。

***

 窓の外を見ながら、キルシェは寝台の上で大きくため息をついた。
 島中を巻き込んだ戦いからはや20日ほど経つ。すべてが元通りとはいかないが、それでも穏やかな日常へ、皆が少しづつ歩みを進めている。
 キルシェの容態は快方に向かっていた。しかし、まだ完治とまでは至らず、基本的には寝台の上での生活を強いられている。自室とその周辺を少し歩き回ることが許されているだけだ。
 これがキルシェには何よりも辛かった。退屈に押しつぶされそうな今より、痛みと戦っている時の方がまだましに思えるくらいだ。
 友人やセシェルがたびたび見舞いには来てくれるものの、自由に空を飛んだり走り回れないと気が狂いそうになる。
 いっそのことこっそり抜け出してやろうか、という目論見もくろみは、聞こえてきたノックの音で断念せざるを得なかった。

「入ってくれ」

 扉が開き、顔を見せたのは幼馴染のエレアスだった。片手に何かが入った袋を抱え、もう片方の手に皿を持っている。
 エレアスは器用に扉を閉め、キルシェの方にやって来た。

「顔色は良くなってきたわね。気分はどう?」

 エレアスは問いながら、寝台の横に備え付けのテーブルに荷物を置いた。皿の上には、布にくるまれたカトラリーが乗っている。

「最悪だ。なぁ、もうそろそろいいだろ? ずっと閉じ込められてたら体が腐っちまう」

 寝台の上に胡坐あぐらをかき、キルシェは抗議したが、それが聞き入れられることはなかった。

「これくらいでは腐らないわ。お医者様に言われたことを忘れたのかしら?」
「もう治ってる。やることだってたくさんあるんだぞ」
「今のあなたがするべきなのはきちんと体を休めること。他のことは心配しないで。ディオネスさまにお任せしなさい」

 本来の王の仕事は、今はディオネスと彼の部下が代わりに行っている。
 戦いで傷を負った戦士たちも、重症の者は治療を受け続けている。
 自分の要望が通らず、子供のようにむくれたキルシェを見かねてか、エレアスが持ってきた袋の中から何かを取り出した。

「食欲があるなら、食べない?」
「お、キロルの実!」

 キルシェはエレアスの手から丸い果物を取り、かぶりついた。

「ちょっと、切ろうと思って用意してきたのに」
「いいよ。このままで食うのが一番美味い」

 キロルの実を返そうとしないキルシェに観念したようで、エレアスはそれ以上咎めることはしなかった。近くに置いてあった椅子を引き寄せ、そこに腰掛けた。
 そのまま黙って、果物を食べ進めるキルシェを見つめている。その瞳が、何か言いたげに揺れている。

「どうした、何かあったか?」
「あ、ええと……」

 キルシェは果物をかじるのを止め、エレアスの顔をじっと見つめた。彼女は昔からいつも、キルシェにははっきりものを言う。それがキルシェには当たり前のことだったし、そうであって欲しいと今も思っている。
 しばしの間の後、エレアスが口を開いた。

「貴方に謝らないといけないことがあるわ。ローク様が亡くなられたとき、貴方のことを叩いてしまった。ごめんなさい、キルシェ」
「……ああ、あれか」

 島が襲撃され、ローク王が討たれた時のことだ。王になることはできないと拒むキルシェの頬を、エレアスが張った。

「気にしてねえよ。もともとは俺が情けなかったのが悪いんだ」
「……でも、皆も見ている前だったわ。人前であなたに恥をかかせるべきではなかった」

 あそこでエレアスが目を覚まさせてくれなければ、きっと自分は戦う覚悟を持てず、島は邪悪な男の手に渡っていただろう。人の目があるか否かはキルシェにとっては大した問題ではない。
 エレアスはかなり自分を責めているようだ。この一件まで、彼女はキルシェにも、他の誰にも一切手を上げたことがない。それだけ気持ちの優しいエレアスだから、なおさら気にしているのだろう。
 しかし、彼女の落ち込んだ姿はもう見たくない。

「エレアス」

 顔を上げたエレアスの口に、キルシェは持っていた果物を押し付けた。

「んっ!?」

 反射的に果物をくわえたエレアスがくぐもった声を発し、目を白黒させる。その様子を見て、キルシェは笑い声をあげた。

「どういうつもり?」

 キロルの実を口から放し、エレアスがじとりと睨んでくる。
 キルシェはひとしきり笑った後、彼女の手から果物をまた取った。

「これでお相子ってことで。な?」

 そう言って片目をつぶってみせると、エレアスの顔にやっと笑みが戻って来た。

「もう……。驚かせないで」
「はは。悪かった」
「その様子なら、きっともうすぐ外に出るお許しが出るわね」
「お前が許してくれよ」
「それは駄目よ。わたしは医者ではないもの」
「ちぇ」

 二人で過ごす時間は、穏やかに流れていく。
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