上 下
3 / 30

絵のモデルをするお話

しおりを挟む
※本編15話後のお話です

***

 エリーズが自室で女官に淹れてもらった茶を飲んでいると、扉をノックする音が聞こえた。
 どうぞ、とエリーズが返事をすると、姿を現したのはヴィオルだった。

「まあヴィオル、どうしたの?」

 エリーズが駆け寄ると、彼はエリーズの手を包むように握った。

「時間ができたから会いに来たよ」

 日中は政務に追われる彼が、空いた時間をエリーズと共に過ごすために使ってくれることが嬉しい。女官に彼の分のお茶を持ってきてもらおうかとエリーズが考えた矢先、ヴィオルがやや眉を下げて切り出した。

「エリーズ、君にお願いしたいことがあるんだけれど」
「ええ。わたしにできることなら何でもするわ」

 エリーズの返答に、ヴィオルはぱっと顔を輝かせた。

「じゃあ、僕のアトリエまで行こうか」

***

 エリーズがヴィオルのアトリエに来るのは二度目だ。以前と変わらず机の上には画材が並び、壁際には布がかけられたキャンバスが置いてある。絵の具の独特な匂いもエリーズは悪い気がしなかった。
 ヴィオルはエリーズのもとに一脚の椅子を持ってきた。

「ここに座ってもらえる?」

 頼み事が椅子に座ることというのは不思議な感覚だったが、エリーズは素直に従った。

「楽にしていていいからね」

 ヴィオルはそう言うと、エリーズを斜め前から見られる位置に別の椅子と画架、キャンバスをさっと用意した。手袋を外し上着も脱いで椅子の背にかけ、その下のシャツの腕をまくり上げる。

「見苦しくてごめんね」
「あの……わたしはどうすればいいの?」
「今から君を描くからそのまま座っていて。もし辛くなったら教えてくれる?」
「わたしのことを絵にするの?」

 驚いてエリーズが問うと、ヴィオルは画材を準備していた手を止めた。

「もしかして嫌だった?」
「もちろん嫌ではないわ。でも、ヴィオルはあんまり人の絵を描かないみたいだったから」

 以前、エリーズは彼の作品をいくつか見せてもらったが、どれも風景や花、動物を題材にしたものだった。自画像も一枚しか描いていなかったはずだ。

「うん。今まで描きたいって思える人がいなくてね。でも君はやっぱり特別なんだ。僕の手で君の姿を絵にしたい」
「嬉しいわ。上手にモデルができるか分からないけれど……」
 
 彼の心境を変化させるきっかけになれたなら光栄なことだ。
 ヴィオルはほっとしたような笑みを浮かべ、楽にしていてと再度エリーズに声をかけてまた手を動かし始めた。
 そして彼は椅子にかけ、手にした黒いものをキャンバスに走らせ始めた。エリーズと目の前のキャンバスに視線を行ったり来たりさせながら、黙々と作業に打ち込んでいる。
 静かな時間が流れていく。楽にしていて構わないと言われたものの、あまりもぞもぞと動くとヴィオルの迷惑になることは想像できたので、エリーズは手を膝の上に乗せてじっとしていた。
 すっかり集中しきっているのだろう。ヴィオルは一言も発さない。画材がキャンバスをすべる音だけがかすかにエリーズの耳に届く。
 エリーズは少し首を動かし、ヴィオルの方を見た。彼がいつもエリーズを見つめる時の瞳はとても甘くて優しい。しかし今の彼の表情はエリーズの姿を寸分違わず写し取ろうとする真剣なものだった。初めて見る顔つきにエリーズの胸は不意に高鳴る。今は一国の王ではなく一人の芸術家であるヴィオルの姿を独占しているのだと思うと、エリーズは少しも退屈と感じなかった。
 そしてどれほど経っただろう。ヴィオルが大きく息をつき、画材を置いて黒く汚れた手を手巾で拭い、エリーズに微笑みかけた。

「お疲れ様エリーズ。協力してくれて本当にありがとう」
「もう描けたの?」
「いや、まだ完成はしていないよ。君の姿はしっかり写したから、あとは色を塗って完成だ」
「できたらわたしにも見せてくれる?」
「もちろん。楽しみにしていて」

 ヴィオルはそう言って、エリーズの額に口づけを落とした。その瞳にはいつもの優しい色が宿っていた。

***

 そして日が経ち、エリーズは再びヴィオルのアトリエを訪れていた。ヴィオルが嬉々とした様子で布がかかったキャンバスを抱え、エリーズの元にやって来る。

「お待たせ。さあ、見て」

 キャンバスの布が取り払われる。優雅なドレスをまとい椅子に腰かける、銀色の巻き毛の女性。その姿は、確かにエリーズのものだった。しかし――

「何だか、綺麗すぎないかしら?」

 エリーズの目には、その絵はエリーズと同じ特徴の別の美女を描いたものに映った。あまりにも優美で整った顔立ちをしている。
 だがヴィオルは不思議そうに首を傾げた。

「綺麗すぎ? そんなことはないよ。むしろ君の美しさを完璧に表現するのに、まだまだ僕の腕は遠く及ばないことが分かった」

 ヴィオルは改めてエリーズの肖像と本物の彼女を見比べ、すっと目を細めた。

「うん。やっぱり本物の君には程遠い……決めた。これからは君だけを描き続けるよ」

 彼の熱意にエリーズは驚かされるばかりだ。だがヴィオルから見たエリーズの姿がこの絵と同じかそれ以上に美しく見えているのだとしたら、それはとても喜ばしいことだとエリーズは笑った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ブス眼鏡と呼ばれても王太子に恋してる~私が本物の聖女なのに魔王の仕返しが怖いので、目立たないようにしているつもりです

古里@10/25シーモア発売『王子に婚約
恋愛
初めてなろう恋愛日間ランキングに載りました。学園に入学したエレはブス眼鏡と陰で呼ばれているほど、分厚い地味な眼鏡をしていた。エレとしては真面目なメガネっ娘を演じているつもりが、心の声が時たま漏れて、友人たちには呆れられている。実はエレは7歳の時に魔王を退治したのだが、魔王の復讐を畏れて祖母からもらった認識阻害眼鏡をかけているのだ。できるだけ目立ちたくないエレだが、やることなすこと目立ってしまって・・・・。そんな彼女だが、密かに心を寄せているのが、なんと王太子殿下なのだ。昔、人買いに売られそうになったところを王太子に助けてもらって、それ以来王太子命なのだ。 その王太子が心を寄せているのもまた、昔魔王に襲われたところを助けてもらった女の子だった。 二人の想いにニセ聖女や王女、悪役令嬢がからんで話は進んでいきます。 そんな所に魔王の影が見え隠れして、エレは果たして最後までニセ聖女の影に隠れられるのか? 魔王はどうなる? エレと王太子の恋の行方は? ハッピーエンド目指して頑張ります。 小説家になろう、カクヨムでも掲載中です。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。

海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】 クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。 しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。 失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが―― これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。 ※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました! ※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。

処理中です...