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絵のモデルをするお話
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※本編15話後のお話です
***
エリーズが自室で女官に淹れてもらった茶を飲んでいると、扉をノックする音が聞こえた。
どうぞ、とエリーズが返事をすると、姿を現したのはヴィオルだった。
「まあヴィオル、どうしたの?」
エリーズが駆け寄ると、彼はエリーズの手を包むように握った。
「時間ができたから会いに来たよ」
日中は政務に追われる彼が、空いた時間をエリーズと共に過ごすために使ってくれることが嬉しい。女官に彼の分のお茶を持ってきてもらおうかとエリーズが考えた矢先、ヴィオルがやや眉を下げて切り出した。
「エリーズ、君にお願いしたいことがあるんだけれど」
「ええ。わたしにできることなら何でもするわ」
エリーズの返答に、ヴィオルはぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ、僕のアトリエまで行こうか」
***
エリーズがヴィオルのアトリエに来るのは二度目だ。以前と変わらず机の上には画材が並び、壁際には布がかけられたキャンバスが置いてある。絵の具の独特な匂いもエリーズは悪い気がしなかった。
ヴィオルはエリーズのもとに一脚の椅子を持ってきた。
「ここに座ってもらえる?」
頼み事が椅子に座ることというのは不思議な感覚だったが、エリーズは素直に従った。
「楽にしていていいからね」
ヴィオルはそう言うと、エリーズを斜め前から見られる位置に別の椅子と画架、キャンバスをさっと用意した。手袋を外し上着も脱いで椅子の背にかけ、その下のシャツの腕をまくり上げる。
「見苦しくてごめんね」
「あの……わたしはどうすればいいの?」
「今から君を描くからそのまま座っていて。もし辛くなったら教えてくれる?」
「わたしのことを絵にするの?」
驚いてエリーズが問うと、ヴィオルは画材を準備していた手を止めた。
「もしかして嫌だった?」
「もちろん嫌ではないわ。でも、ヴィオルはあんまり人の絵を描かないみたいだったから」
以前、エリーズは彼の作品をいくつか見せてもらったが、どれも風景や花、動物を題材にしたものだった。自画像も一枚しか描いていなかったはずだ。
「うん。今まで描きたいって思える人がいなくてね。でも君はやっぱり特別なんだ。僕の手で君の姿を絵にしたい」
「嬉しいわ。上手にモデルができるか分からないけれど……」
彼の心境を変化させるきっかけになれたなら光栄なことだ。
ヴィオルはほっとしたような笑みを浮かべ、楽にしていてと再度エリーズに声をかけてまた手を動かし始めた。
そして彼は椅子にかけ、手にした黒いものをキャンバスに走らせ始めた。エリーズと目の前のキャンバスに視線を行ったり来たりさせながら、黙々と作業に打ち込んでいる。
静かな時間が流れていく。楽にしていて構わないと言われたものの、あまりもぞもぞと動くとヴィオルの迷惑になることは想像できたので、エリーズは手を膝の上に乗せてじっとしていた。
すっかり集中しきっているのだろう。ヴィオルは一言も発さない。画材がキャンバスをすべる音だけがかすかにエリーズの耳に届く。
エリーズは少し首を動かし、ヴィオルの方を見た。彼がいつもエリーズを見つめる時の瞳はとても甘くて優しい。しかし今の彼の表情はエリーズの姿を寸分違わず写し取ろうとする真剣なものだった。初めて見る顔つきにエリーズの胸は不意に高鳴る。今は一国の王ではなく一人の芸術家であるヴィオルの姿を独占しているのだと思うと、エリーズは少しも退屈と感じなかった。
そしてどれほど経っただろう。ヴィオルが大きく息をつき、画材を置いて黒く汚れた手を手巾で拭い、エリーズに微笑みかけた。
「お疲れ様エリーズ。協力してくれて本当にありがとう」
「もう描けたの?」
「いや、まだ完成はしていないよ。君の姿はしっかり写したから、あとは色を塗って完成だ」
「できたらわたしにも見せてくれる?」
「もちろん。楽しみにしていて」
ヴィオルはそう言って、エリーズの額に口づけを落とした。その瞳にはいつもの優しい色が宿っていた。
***
そして日が経ち、エリーズは再びヴィオルのアトリエを訪れていた。ヴィオルが嬉々とした様子で布がかかったキャンバスを抱え、エリーズの元にやって来る。
「お待たせ。さあ、見て」
キャンバスの布が取り払われる。優雅なドレスをまとい椅子に腰かける、銀色の巻き毛の女性。その姿は、確かにエリーズのものだった。しかし――
「何だか、綺麗すぎないかしら?」
エリーズの目には、その絵はエリーズと同じ特徴の別の美女を描いたものに映った。あまりにも優美で整った顔立ちをしている。
だがヴィオルは不思議そうに首を傾げた。
「綺麗すぎ? そんなことはないよ。むしろ君の美しさを完璧に表現するのに、まだまだ僕の腕は遠く及ばないことが分かった」
ヴィオルは改めてエリーズの肖像と本物の彼女を見比べ、すっと目を細めた。
「うん。やっぱり本物の君には程遠い……決めた。これからは君だけを描き続けるよ」
彼の熱意にエリーズは驚かされるばかりだ。だがヴィオルから見たエリーズの姿がこの絵と同じかそれ以上に美しく見えているのだとしたら、それはとても喜ばしいことだとエリーズは笑った。
***
エリーズが自室で女官に淹れてもらった茶を飲んでいると、扉をノックする音が聞こえた。
どうぞ、とエリーズが返事をすると、姿を現したのはヴィオルだった。
「まあヴィオル、どうしたの?」
エリーズが駆け寄ると、彼はエリーズの手を包むように握った。
「時間ができたから会いに来たよ」
日中は政務に追われる彼が、空いた時間をエリーズと共に過ごすために使ってくれることが嬉しい。女官に彼の分のお茶を持ってきてもらおうかとエリーズが考えた矢先、ヴィオルがやや眉を下げて切り出した。
「エリーズ、君にお願いしたいことがあるんだけれど」
「ええ。わたしにできることなら何でもするわ」
エリーズの返答に、ヴィオルはぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ、僕のアトリエまで行こうか」
***
エリーズがヴィオルのアトリエに来るのは二度目だ。以前と変わらず机の上には画材が並び、壁際には布がかけられたキャンバスが置いてある。絵の具の独特な匂いもエリーズは悪い気がしなかった。
ヴィオルはエリーズのもとに一脚の椅子を持ってきた。
「ここに座ってもらえる?」
頼み事が椅子に座ることというのは不思議な感覚だったが、エリーズは素直に従った。
「楽にしていていいからね」
ヴィオルはそう言うと、エリーズを斜め前から見られる位置に別の椅子と画架、キャンバスをさっと用意した。手袋を外し上着も脱いで椅子の背にかけ、その下のシャツの腕をまくり上げる。
「見苦しくてごめんね」
「あの……わたしはどうすればいいの?」
「今から君を描くからそのまま座っていて。もし辛くなったら教えてくれる?」
「わたしのことを絵にするの?」
驚いてエリーズが問うと、ヴィオルは画材を準備していた手を止めた。
「もしかして嫌だった?」
「もちろん嫌ではないわ。でも、ヴィオルはあんまり人の絵を描かないみたいだったから」
以前、エリーズは彼の作品をいくつか見せてもらったが、どれも風景や花、動物を題材にしたものだった。自画像も一枚しか描いていなかったはずだ。
「うん。今まで描きたいって思える人がいなくてね。でも君はやっぱり特別なんだ。僕の手で君の姿を絵にしたい」
「嬉しいわ。上手にモデルができるか分からないけれど……」
彼の心境を変化させるきっかけになれたなら光栄なことだ。
ヴィオルはほっとしたような笑みを浮かべ、楽にしていてと再度エリーズに声をかけてまた手を動かし始めた。
そして彼は椅子にかけ、手にした黒いものをキャンバスに走らせ始めた。エリーズと目の前のキャンバスに視線を行ったり来たりさせながら、黙々と作業に打ち込んでいる。
静かな時間が流れていく。楽にしていて構わないと言われたものの、あまりもぞもぞと動くとヴィオルの迷惑になることは想像できたので、エリーズは手を膝の上に乗せてじっとしていた。
すっかり集中しきっているのだろう。ヴィオルは一言も発さない。画材がキャンバスをすべる音だけがかすかにエリーズの耳に届く。
エリーズは少し首を動かし、ヴィオルの方を見た。彼がいつもエリーズを見つめる時の瞳はとても甘くて優しい。しかし今の彼の表情はエリーズの姿を寸分違わず写し取ろうとする真剣なものだった。初めて見る顔つきにエリーズの胸は不意に高鳴る。今は一国の王ではなく一人の芸術家であるヴィオルの姿を独占しているのだと思うと、エリーズは少しも退屈と感じなかった。
そしてどれほど経っただろう。ヴィオルが大きく息をつき、画材を置いて黒く汚れた手を手巾で拭い、エリーズに微笑みかけた。
「お疲れ様エリーズ。協力してくれて本当にありがとう」
「もう描けたの?」
「いや、まだ完成はしていないよ。君の姿はしっかり写したから、あとは色を塗って完成だ」
「できたらわたしにも見せてくれる?」
「もちろん。楽しみにしていて」
ヴィオルはそう言って、エリーズの額に口づけを落とした。その瞳にはいつもの優しい色が宿っていた。
***
そして日が経ち、エリーズは再びヴィオルのアトリエを訪れていた。ヴィオルが嬉々とした様子で布がかかったキャンバスを抱え、エリーズの元にやって来る。
「お待たせ。さあ、見て」
キャンバスの布が取り払われる。優雅なドレスをまとい椅子に腰かける、銀色の巻き毛の女性。その姿は、確かにエリーズのものだった。しかし――
「何だか、綺麗すぎないかしら?」
エリーズの目には、その絵はエリーズと同じ特徴の別の美女を描いたものに映った。あまりにも優美で整った顔立ちをしている。
だがヴィオルは不思議そうに首を傾げた。
「綺麗すぎ? そんなことはないよ。むしろ君の美しさを完璧に表現するのに、まだまだ僕の腕は遠く及ばないことが分かった」
ヴィオルは改めてエリーズの肖像と本物の彼女を見比べ、すっと目を細めた。
「うん。やっぱり本物の君には程遠い……決めた。これからは君だけを描き続けるよ」
彼の熱意にエリーズは驚かされるばかりだ。だがヴィオルから見たエリーズの姿がこの絵と同じかそれ以上に美しく見えているのだとしたら、それはとても喜ばしいことだとエリーズは笑った。
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