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三章 自警団と虹の石

20話 迫る危機

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 グレイルは勢いよく飛び起きた。天幕の中、傍らには鞘に入ったままの自分の剣が置いてある。王都から不眠不休で騎士隊長たちのもとへ走り、疲れのせいか意識を失くしてしまったところまでは記憶にある。拘束されることも武器を取り上げられることもなく、ここに運び込まれたようだ。
 グレイルは天幕の外に出た。周辺には他の天幕も人の姿もない。騎士の待機場所からは少し離れているらしかった。
 ベルモンドたちがグレイルの伝えたことを信じて動いてくれているのを祈り、彼は指笛を鳴らした。一瞬、風を切る音がしたかと思えばその次には黒光りする毛皮の持ち主が姿を現す。

「待たせてすまなかった。大事ないか?」

 グレイルの呼びかけに、豹の姿をした魔物は小さく喉を鳴らして答える。耳の裏をグレイルが撫でてやると、魔物は金色に光る目を細めた。

「急ごう、まだやるべきことが残っている」

 しなやかな曲線を描く魔物の背にまたがりながらグレイルは言った。エルトマイン公爵の計画は最終段階に差し掛かっているはずだ。そうなれば竜人族たちにも危険が及ぶ。かつて愛した女性の、そして今を生きている娘の故郷を守らなければならない。
 魔物が走り出した。向かう先は若き日に訪れたきりの、竜人が住む山だ。

***

 ニールたちが竜人族の住む地に逃げ延びて七日が過ぎた。
 セイレムたち反戦派の竜人を手伝い周囲の斥候せっこうなどをすることは全く苦ではないが、いつまでもこうしている訳にはいかないことは無論ニールにも分かっていた。アロンやエンディには王国に家族がいるし、ニールたちが潜んでいることを戦に積極的な竜人に知られてしまえばセイレムらにも危険が及ぶ。
 エルトマイン公爵にばれないよう、ベルモンドにこちらの居場所を伝える方法があれば良いのだが――
 ニールに先だって山道を歩いていたセイレムが足を止めた。

「セイレム?」
「……妙だな。今日はいつになく静かだ」

 天を仰ぎながら彼は呟くように言った。彼の言う通り魔物どころか、獣の気配や鳥の声すらもしない。

「嵐が来る前兆、とか?」
「だとすれば空の色や空気の匂いも変わる。だがそれはいつも通りだ」

 空は晴れて青く、空気も澄んでいる。人間より五感の優れた竜人が嵐の気配を感じ取れないのであれば、その線は薄いだろう。

「……嫌な予感がする。いちど戻った方がいいな」

 セイレムの言葉にニールは頷き、彼の後に続いて竜人族の集落を目指した。

***

 集落に戻って程なくした後、竜人の青年がひとりセイレムの元へすっ飛んできた。

「セイレム、人間の侵入者を捕まえた」
「えっ!?」
 
 ニールの頭にふたつの可能性が浮かぶ。ベルモンドの部下の騎士か、あるいはエルトマイン公爵の息のかかった誰かが、ニールたちがここにいることを知ったのか――
 その知らせを聞いてもセイレムは取り乱すことなく冷静に問うた。
 
「どんな奴だ」
「年は四十くらいで、長い髪の男だ」

 竜人の青年は一呼吸おいて続けた。

「魔物の背中に乗っていた。でかくて真っ黒い山猫みたいなやつだ。そいつはすぐに姿を消しちまった」
「あ……!」

 ニールは思わず声をあげた。セイレムの顔がニールに向く。

「お前たちの仲間か?」
「いや、仲間じゃない……どっちかっていうと……いや、でも」

 ニールたちが王都を追われた原因に一枚噛んでいる男だとこの場で言うのは悪手だろう。ニールは少し口ごもったものの、いぶかし気な表情をするセイレムの目を見てはっきりと告げた。

「とにかく、知ってる人だと思う」

 セイレムは逡巡しゅんじゅんの後、竜人の青年に言った。

「ここまで連れてきてくれ。縛って口も塞ぐんだ。親父たちに知られるわけにはいかない」

 青年が頷き、集落を飛び出していく。ニールはフランシエルら仲間を呼びに走った。

***

 ニールたちの目の前に放り出されたのは、手足を縛られ口にも縄を噛まされた魔物を操る男、グレイルだった。ニールたちの姿を見て、驚いたのか目を見開く。彼にとってはニールたちがここにいることは想定外だろう。
 父親と再び相まみえ、フランシエルは唇をきゅっと真一文字に引き結んでいた。

「口の縄だけ取ってくれないか、話がしたいんだ」

 ニールがセイレムに頼むと、彼はグレイルを担いで連れて来た竜人の顔を見て頷いた。彼の手によってグレイルに噛まされていた縄が取り払われる。

「君たちはどうしてここに……」

 開口一番、グレイルが問う。ニールはまともに動けず地面に縮こまる彼に向かい片膝をついた。

「事情があって、王国にいられなくなった。今はここで竜人の皆に助けてもらってる」
「まさか、エルトマイン公爵に追われたのか……!?」
「あ、ああ」
 
 ニールが頷くと、グレイルは必死で身をよじって起こした。

「じきにここも危険な状態になる……! 私はそれを知らせに来た」
「落ち着いて話してくれ。一体なにが起こっているんだ?」
「エルトマイン公爵は王国を乗っ取り、竜人族も支配下に置くつもりだ……」

 周りで聞いていた竜人族たちが動揺を見せる。セイレムは口を開かず険しい顔をしてグレイルの次の言葉を待っていた。

虹石こうせきという石を加工して魔物の体に埋め込むことで、体の機能を強化させた上に人の言うことに従うように仕立て上げた。戦争を始めたのも、竜人たちを疲弊させて支配を容易にするためだ。ここからそう遠くない場所に多くの魔物が繋がれている。そこから奴らが解き放たれれば危険だ!」
「その場所はどこだ」

 すかさずセイレムが問う。

「竜骨の塔だ」
「セイレム、知ってるのか?」

 ニールが尋ねるとセイレムは頷いた。

「かなり古い遺跡だ。今となっては俺たちの誰も寄り付かない。飛んでいけばそう時間はかからない」
「分かった。そこまで俺を連れていってくれないか」

 それを聞きセイレムがニールを凝視する。

「本気か?」
「このままじゃ竜人の皆が危ない。魔物がここまでたどり着く前に止めないと」
「なぜお前がそこまでする、人間のお前が」
「人間だとか竜人だとか、そんなことは関係ない」

 ニールはきっぱりと言った。

「セイレムたちを放って逃げるなんてできないし、エルトマイン公爵の思い通りになってしまったらいずれもっと多くの人が苦しむはずだ」

 ニールの心はもう決まっている。だが、その決断に仲間たちを無理やりに巻き込むことはできない。ニールは傍らで成り行きを見ている彼らを振り返った。

「皆……俺は今からセイレムに竜骨の塔へ連れて行ってもらって、そこにいる魔物を止める。だけど多分、今までで一番危ない戦いになると思う」

 グレイルの言うことが本当なら、竜骨の塔に待ち構えているのは今までとは比べ物にならないほど強い魔物だ。命を失うことは十分に考えられる。

「皆に一緒に来てくれとは言えない。だから」

 ニールの言葉を遮るように、ギーランがいら立たし気に舌打ちをした。

「ったく、いちいち面倒くせぇ奴だな大将は」
「ギーラン……」
「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと俺もその竜なんとかってところに連れていけ。てめえ一人に全部横取りされてたまるかよ」

 次にぴょんと前に飛び出したのはアロンだ。

「ニール! おれもいっしょに行く!」
「僕も行くよ、ニール。駄目だなんて言わないよね?」

 エンディが微笑みながら言った。その様子を見て、やれやれとルメリオが呟く。

「危険だというなら、なおさら私の力が必要ということでしょう? ……こうなれば最後までお供しますよ」

 続いてイオも一歩前に進み出た。

「ここでじっとしていても、何も変わらないだろう。やれるだけのことをやるしかない」
「……もう。ここで行きませんなんて言ったら、白い目で見られるじゃないですか」

 ゼレーナがため息混じりに言い、グレイルの方へ目をやった。

「そいつがあの腐れ貴族とグルで、わたしたちを騙そうとしているのかもしれませんよ」

 違うと言いかけたグレイルを遮り、彼女は続ける。

「……ですが、ニールはもう一度だけそいつを信じると言いましたからね。自分の言ったことには責任を持ってもらわないと困ります。わたしはこの男を信じるニールのことを信じます」
「皆……」

 ニールの感じていた心細さが、霧が晴れるように消えていく。危険な戦いであることには変わりないが、仲間たちが傍にいてくれればどんなことでも成し遂げられる、そう思えてくる。

「……ニール、あたしも行くよ」

 ずっと黙っていたフランシエルが口を開いた。

「行かなくちゃ。ここはあたしの家で、竜人みんなの家だから……守りたい」
「ありがとう、フラン。皆で全力を尽くそう」
「……フランシエル、ミィミィを呼べ」

 セイレムが言い、懐から竜を呼ぶ笛を取り出した。

「俺とお前でニールたちを竜骨の塔まで運ぶぞ」
「待ってくれ!」

 拘束されたまま地面に突っ伏すような姿勢のグレイルが声を上げた。

「私も力になりたい。共に行かせてくれないか」

 どうするんだとセイレムが目でニールに問う。ニールは頷いた。

「ああ、分かった。一緒に行こう」

 それを聞き、セイレムが仲間の竜人にグレイルの拘束を解くよう命じる。縄を切られたグレイルはゆっくり立ち上がった。彼の視線がフランシエルをとらえ、それからすぐにニールに移った。

「……ありがとう」

 セイレムとフランシエルが笛を吹く。程なくして、二頭の竜の鳴き声が響き渡った。
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