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二章 騎士団と自警団

38話 動き出したもの

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 イルバニア王国の王城――ジルヴェスタン・エルトマイン公爵の執務室にノックの音が響く。

「入れ」

 促すと、長身の男が姿を現した。既に四十代の半ばを迎えているが、亜麻色の髪と整った目鼻立ちからは彼がかつて多くの令嬢たちの視線を独占してきたことがうかがえる。長い外套がいとうが全身を覆っており、その隙間から剣の鞘がのぞいていた。

「首尾は順調か、グレイルよ」

 エルトマイン公爵の問いに、グレイルと呼ばれた男は頷いた。

「……ですが、一つ気がかりなことが。『自警団』を名乗る者たちのことです」

 公爵は白いものが混じる顎髭あごひげを撫で、ふむ、と呟いた。

「お前が以前、地下水路で見かけたという奴らだな?」
「はい。そこで飼っていた駒は彼らに倒されました……王都の民も少なからず信頼を置いています。決して無下にはできない連中かと」

 公爵はしばし思案にふけった後、机の上で指を組んだ。

「所詮は根無し草と騎士ごっこの集まりだ。我らの存在に気づくことなどあるまい。まだ泳がせておけ。実験や失敗作の後始末に騎士を投入しなくて済む」
「しかし……」
「いざとなれば始末する手段などいくらでもある。危険だと判断すればお前の手で葬っても構わん」
「……承知」

 一礼し、退出しようとするグレイルの背中にエルトマイン公爵は呼びかけた。

「安心しろ、計画はもう終盤に差し掛かっている。直にお前の望むものも手に入ろう」

 その言葉にグレイルは振り向いて再び礼をし、執務室を出て行った。

***

 廊下を歩く城仕えの使用人たちは皆、グレイルの姿を見つけると立ち止まって深々と礼をし、彼が自分の前を通り過ぎるまで絶対に頭を上げない。
 使用人たちにどのような態度をとられようともグレイル自身はどうでも良かった。病床の国王に代わり政を仕切る王弟のエルトマイン公爵の右腕を務める理由は権力を求めてではない。たった一つの願いを叶えるためだ。
 人気のなくなった廊下に、グレイルのものではない別の足音がややあって響いた。グレイルの向かいから現れたのは、イルバニア王国騎士団の剣士隊の長、ベルモンド・ヴァンゲントだ。三つある騎士隊の隊長は、王国の重鎮へ戦況の報告や今後の方針の協議を行うため、交代で戦地と王都を行き来している。
 挨拶も会釈も交わさず、グレイルとベルモンドがすれ違う。その瞬間ベルモンドは足を止めた。

「……今までで一体、何人の騎士が未来を絶たれたことか」

 彼から発せられる低い声には、獅子のような威厳ある姿からは縁遠い哀愁が滲んでいた。

「発展には犠牲がつきものだ。彼らは皆、その命をもって王国のいしずえとなる。名誉なことだろう」

 グレイルはベルモンドの顔を見ることなく静かに言った。背後に感じる彼の気配がわずかに殺気立つ。

「戦人の名誉は死のみではない。我が物顔で陛下の執務室に居座るあの男の目は我らの忠義を映してはいない」
「……これは価値のある戦争だ」

 きっぱりと告げ、グレイルは再び歩き出す。ベルモンドがその後を追ってくることはなかった。

***

 牙が幾重にも並んだ口を大きく開け、四つ足の魔物が咆哮ほうこうする。
 肥えた牡牛よりも二回りは大きい魔物が王都の近隣に出没したという知らせを受け、ニールたちはその場へと向かった。魔物を見つけ人気のない林の中へ追い立てたものの、相手は自警団全員の力をもってしても苦戦する相手だった。アロンの放った矢が何本もその体に突き刺さっているが動きは衰えず、イオが作った毒も魔物の体力を大きく削るには至らない。魔法による足止めや攻撃を担うエンディとゼレーナ、負傷した者を癒すルメリオも魔力が尽きるのは時間の問題だ。そうなれば一気に分が悪くなる。ギーランが自慢の怪力で何度も魔物に食らいついたが、それでもなおその巨体は己の足でしっかりと立っていた。

「ニール、どうしよう……」

 ニールの隣でフランシエルはグレイブを構えた姿勢を崩さないままだったが、その声や表情から焦りと恐怖がうかがえる。

「少しずつでも攻撃して弱らせないと……! ここで俺たちが取り逃したら大変なことになる」

 魔物は巨大な上、ニールたちとの戦いで興奮している。この状態で村などに入り込んでしまえば甚大な被害は免れない。

「交代で奴を叩こう! きついと思ったら下がってくれ!」

 ニールは仲間たちに呼びかけ、走って魔物の死角に回った。勢いをつけて地面を蹴って飛び、同時に剣を振り上げる。ニールの一撃が魔物の皮膚を浅く裂き、血走った目がニールの姿をとらえた。魔物の丸太のように太い前足が持ち上がり、突き出た爪が鈍く光る。
 ニールは素早く地面を転がり、魔物の前足にぶつかることから逃れた。持久戦に持ち込まれ苛立った魔物が唸る。体勢を立て直したそれの視界に移ったのは、懸命にクロスボウに矢をつがえるアロン――

「アロンっ!」

 ニールが間に入るには距離があり過ぎた。ルメリオが咄嗟に魔物の前に張り巡らせた魔法のつる薔薇の壁は、魔物の体当たりで砕け散る。どうすべきか判断ができず立ち尽くすアロンの盾になったのは――ギーランの屈強な体だった。
 左肩に魔物の牙が食い込み、ギーランが苦し気にうめく。だが逃げようとはせず、自由がきく右腕に持っていた戦斧せんぷを地面に捨ててがっちりと魔物の首を抑え込む。

「皆、今だ!」

 ギーランが作ってくれた機会を逃すまいと、動ける者が総出で魔物に狙いを定める。斬撃や魔法が降り注ぎ、魔物がギーランから離れた。ルメリオが急いで彼の元へ駆け寄る。
 魔物はまだ生きていた。肩で荒々しく呼吸をし、半開きになった口元から血液の混じった涎を垂らしている。それでもなお闘志がみなぎっているのを感じる。

「どれだけしぶといんですか!?」

 絶望と憔悴しょうすいとでゼレーナが叫ぶ。エンディとフランシエルは体力の消耗に伴い気力も削がれつつあった。イオはまだ双剣を握りしめ、魔物を葬る術について考えを巡らせている。ニールもまだ余力は残っているが、それがもつ間にこの魔物を倒せるか確信がなかった。背後で、魔物の牙を体で受け止めたギーランに呼びかけるアロンの悲痛な声がする。
 その時、何かが風を切って飛び、魔物の目に深々と突き刺さった。矢だ。魔物が苦しみ頭を激しく振る。
 まさかアロンがやったのかとニールは振り返ったが、矢を放ったのは彼ではなかった。そうしているうちに更にもう一本の矢が飛び、魔物のもう片方の目を潰す。
 暴れる魔物の両目ともを正確に射抜けるなどただ者ではない。一体誰が――辺りを見回すニールの隣に、何かがすとんと着地した。

「えっ……!?」

 ニールはその人物を知っていた。長く真っすぐ伸びた金髪、白い外套に包まれた華奢きゃしゃな体つき、手にしているのはぴんと弦の張った弓。
 イルバニア王国騎士団、弓術士隊隊長のユーリウス・フェルトハイデは呆気にとられるニールたちをよそに、慣れた手つきで腰の矢筒から矢を出して弓につがえた。両目のみならず体にも矢が深々と突き刺さり、魔物が大きな叫びをあげる。

「おいでおいで、手の鳴る方へ!」

 前足を振り回し虚空に噛みつくそれの周りを、ユーリウスは挑発するように歌いながら鹿のように軽やかな足取りで跳ねまわり次々と矢を射た。
 魔物の動きが徐々に鈍っていく。ユーリウスは弓の弦を引き絞り、魔物の頭部に狙いを定めた。

「当たったら百点満点!」

 高らかに宣言し、彼が弦から手を離す。風を切って飛んだ矢は言葉通りに魔物の頭を捕らえた。魔物が口から泡をふき、その巨体がどうと地面に倒れた。

「やったね、百二十点だ」

 なぜ騎士隊長の一人がここに、と一瞬考えたところでニールははっとした。きびすを返し、魔物の牙を真正面から受けたギーランの元へ走る。他の仲間たちも続いた。

「ギーラン!」

 左半身を血に塗れさせ、ギーランは荒く息をしていた。傷口は未だ開いたままで、己の力でやっと座っていられる状態だ。治療にあたっているルメリオの顔が青ざめている。

「ルメリオ、どうしたんだ。ギーランの傷は……」
「……分かりません。治しても治してもすぐに傷口が開いて……このようなことは初めてです」

 ルメリオはそう言いながらギーランに杖の先をかざした。魔力がギーランの体を伝って傷は治ったかのように思えたが、彼の言う通りすぐにまた治す前の状態に戻ってしまう。その様子を見ていたイオが弾かれたように立ち上がって魔物の死体の方へ向かい、何かを調べるような素振りを見せてすぐに戻ってきた。

「あれの体液に傷の治りを遅くする毒が混ざっているらしい。ルメリオの力よりそれが上回っているんだろう」
「まずそれを何とかしないと! イオにできそうか?」

 イオは懐を探ったが、ギーランの傷にもう一度目をやって小さく首を振った。

「……今の手持ちでは無理だ。かなり強い解毒剤がいる」
「でも、この様子では王都に着くまできっと持ちません」

 ゼレーナの言葉を聞き、アロンがギーランにすがった。

「やだよ! おっさん死なないでくれ、お願いだから……!」

 ギーランの口から漏れるのは小さな呻き声と呼吸音だけだ。多くの血を失い毒にむしばまれ意識が混濁している。
 その時、彼の傍らに膝をつくイオに何かが差し出された。口を紐でしばった、手のひらに乗るほどの革袋だ。いつの間にかユーリウスが傍にきていた。

「これ、役に立つなら全部使っていいよ」

 イオがユーリウスから革袋を受け取ってその口を開け、手であおいで中に入っているものの匂いを確かめた。一瞬目をみはった後、彼はユーリウスに向かって頷いた。

「感謝する」

 ギーランの左肩近くに、イオが革袋の口を傾ける。中を満たしていた液体がギーランの体を濡らしていく。袋を空にし、イオはルメリオに呼びかけた。

「もう一度試してくれ」

 ルメリオがギーランに向けてもう一度治癒の魔法を使う。今度は再び傷が開くことはなかった。ギーランの体を地面に横たえ、全員がほっと息をつく。

「あの、ユーリウス様、本当にありがとうございました」

 ニールは事の成り行きをじっと見ていたユーリウスに向け、深々と頭を下げた。魔物を仕留めただけでなく解毒剤まで気前よく提供してくれたユーリウスは、ニールの顔を見てきょとんと首を傾げた。

「どこかで会ったっけ? 何で僕の名前知ってるの?」
「あ……」

 以前、確かにニールたちとユーリウスは会っている。だがその時の彼は、フランシエルが半竜人であることを知りその身柄を要求してきた。ニールたちが食い下がったため、ユーリウスは自警団一行と「会わなかった」ことにして身を引いた。

「ま、僕は騎士隊長だし名前くらい知られてたっておかしくはないよね」

 ユーリウスはそう言って、ニール一行を見渡した。前は副官と思しき男性を連れていたが、今の彼は一人だ。

「君たちは自警団だね? 噂には聞いていたけど大したものだね。たった八人で強い魔物をあそこまで追い詰めたんだから」
「いえ、ユーリウス様がいなかったら今頃は……」

 しかし本来なら竜人族との交戦地にいるはずの彼が、部下も伴わずニールたちの危機に姿を現すなど不自然だ。ニールの疑問を見透かしたかのようにユーリウスは話し続けた。

「騎士隊長ってあちこち移動しなきゃいけなくて忙しいんだよ。今日もたまたま王都に戻る用事があってついでにお散歩してたら、近くで自警団が魔物討伐をしてるって聞いてね。面白そうだったから来ちゃった」

 彼ののらりくらりとした話し方は壁を感じさせない反面、相手を煙に巻いているかのようにも思える。事実、ゼレーナは未だユーリウスに対し警戒を向けていた。
 それで、とユーリウスはニールの方を向いた。

「……内緒の話。今の王国はちょっと面白くない方向に動いていってる。今回の魔物はちょっと引きが悪すぎたけど、これからも危ない目に遭うことはいくらでもあると思う」

 新緑の色をしたユーリウスの瞳が、ニールをじっと見る。

「それでも、戦えない人のために君たちは頑張る?」

 彼は何か、ニールたちが決して知り得ないことを知っている。そして騎士隊長という立場上、それに抗うのは難しいということも。しかしユーリウスが抱いているのはニールと同じ思いなのだと、その瞳が伝えていた。
 ニールは頷いた。

「はい。俺たちにできることをこれからも続けます」

 ニールの答えを聞き、ユーリウスは無邪気な笑みを浮かべた。

「ベルモンドもエカテリーンも、君たちのことを応援してる。もちろん僕もね」

 ゼレーナのことを高く買っていた魔術師隊の長エカテリーンのみならず少し顔を合わせただけのベルモンドまで――ニールには到底信じられなかった。しかし騎士隊長たちに評価してもらえるのはとても嬉しい。ありがとうございます、とニールは再び頭を下げた。

「それでは諸君、健闘を祈る! さらばだ!」

 外套をひるがえし、ユーリウスは瞬く間に木々の中に消えて行った。以前に出会った刃の民ほどではないが、かなり素早い身のこなしだ。
 彼の姿が見えなくなった後、ゼレーナがため息をついて腕を組んだ。

「……実力があるのは認めますが、どうもあの態度が気に入らないんですよね」

 まあまあとニールはそれをなだめ、地面に横たわるギーランの方を見た。気が抜けたのか眠っている。しばらくしっかり休息をとった方がいいだろうというのがルメリオの見立てだった。
 ならば彼を運ぶための担架を即席で作ると、イオが材料探しに発つ。ニールはそれを手伝いながら、ユーリウスの語った「王国の面白くない方向」について考えずにはいられなかった。
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