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二章 騎士団と自警団

24話 貴族か騎士か

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「はっ……!」

 吹っ飛ばされたテオドールは演習場の床にうつ伏せに倒れこみ、声にならない叫び声を漏らした。剣が手から離れ傍に落ちる。その周りを囲むのは三人の騎士たちだ。

「何だよ、もう終わりか?」
「そんなんじゃ、戦地に出たってあっという間に首を飛ばされるのがオチだぜ」

 騎士たちはけらけらと笑いながらテオドールを見下ろした。稽古をつけてやると連れ出され実戦に近い形でと三人まとめて相手をするように言われたが、騎士団に入って一年も経たない見習いに課すようなことではない。手加減のない攻撃に、テオドールは一方的に追い詰められるばかりだった。

「飽きてきたな。もう行こうぜ」
「そうだな。おい、さっさと起きて鎧の手入れしておけよ、見習い」

 去り際に騎士の一人がテオドールの手を踏みつけていく。ここに来るまで受けたことがなかったとんでもない屈辱だ。
 彼らの姿が見えなくなってから、テオドールは荒く息をしながらよろよろと立ち上がり演習場を後にした。

***

 騎士がまとう鎧など、武具の手入れをするのも見習いの仕事のうちだ。武具の保管庫で、テオドールは黙々とその作業と向き合っていた。油をしみ込ませた布で鎧を磨いていく。
 先ほど踏みつけられた手がまだ痛む。更に油が手にもつき、独特な臭気を放つ。今までのテオドールの人生では汚れ仕事や肉体労働はすべて使用人がこなしていた。
 騎士団では見習いが使用人の立場にあたるというのはまだ理解できる。だが問題はその扱いだ。
 作業部屋の扉が勢いよく開けられた。

「おい見習い、これもやっとけ」
「さぼるんじゃないぞ」

 先ほどテオドールを散々に打ちのめした騎士たちが顔を覗かせ、追加の武具を部屋に投げ込む。テオドールの体にその一部がぶつかったが、彼らは謝罪の一つもなしに扉を開け放したまま去って行った。

「あの見習い、ロンバルト家の出身らしいがお前何か知ってるか?」
「いや、聞いたこともないね。領地なんてろくに持ってない没落寸前の家なんじゃないか?」
「あーあ、俺も前線に出たいぜ。竜人族だかなんだか知らんが、調子乗ったトカゲもどきをぶっ倒せばあっという間に出世できるってのに」

 聞こえてきた会話に、テオドールは唇を噛み締めた。
 これが現実だ。彼らも騎士団に入って一年か二年ほどしか経っていないためまだ見習い期間だが、自分たちよりも弱い立場の者が現れると、雑用はすべて押し付けられる。特に家名が知られていない弱小貴族は格好の的だ。テオドールと同じような境遇の者が何人もこの仕打ちに耐えかねて、たった数か月で騎士団を去った。
 仮にテオドールが剣の才能に溢れていれば、これほどひどい仕打ちは受けなかったかもしれない。生家で受けていた稽古など子供の遊びに思えるほど、騎士団での訓練は厳しいものだった。
 王国に忠誠を誓う者、弱きを助けるという使命感に燃える者。そういった人間は騎士団にはいない。他人を蹴落としてでも成り上りたいと思う者、代々続く騎士の家系出身だからただ何となく同じ道を行く者――かくいうテオドールも同じようなものだ。悔しいが、騎士たちの言うことは正しい。テオドールは貴族ではあっても決して名のある家の生まれではない。更に長子でない自分は、騎士団に入って武勲をたてるなどしなければ明るい未来など望めない。
 そう思ってじっと我慢を貫いてきた。しかし、それももう限界だ。どうせ惨めな思いをするならば、生まれ育った家の隅での方がまだましに感じられる。
 テオドールは懐に持っていた、退団の意思を表した書面を取り出した。

***

 その日、滞りなく街の見回りを終えたニールは仲間たちと他愛ない話をしながら、宿屋へ戻るところだった。

「……ん?」

 道を行く人々に紛れ前から歩いてくる姿を見て、ニールは思わずその名をつぶやいた。

「テオドール……」

 向こうもニールの存在に気付いたらしい。だが、以前のように強気な態度を見せることはなかった。ニールたちを一瞥いちべつだけして、脇をすり抜けて去ろうとする。

「この間はバカにしてきたのに、今度は無視だなんてほんとに感じわるーい」

 フランシエルは彼がかつてニールにした言動を根に持っているようだ。

「フラン、もういいんだ。俺は気にしてないから……」

 フランシエルをなだめつつ、ニールはふと思いとどまった。剣こそ腰に下げているものの、テオドールの胸にあるはずの騎士の証がなかった。

「テオドール! 騎士章をどこへやったんだ?」

 呼び止めるとテオドールは振り返ったが、その顔には表情がなかった。

「辞めた。僕はもう騎士ではない」
「えっ!? 何でだよ!」
「クビになったの間違いではなく?」

 ゼレーナの言葉にテオドールは一瞬面食らったが、すぐに言い返してきた。

「辞めたんだ!」
「どうして……まだ一年も経ってないだろ、そんな簡単に辞めるなんて」

 ニールは彼に詰め寄った。騎士という立場に執着していたのは過去のことだが、自分が手に入れられなかったものを簡単に得て、すぐに手放すという行動が理解できない。

「うるさい!」

 テオドールが声を張り上げた。周囲がちらちらとその様子を見ながら通り過ぎていく。

「綺麗ごとだけでは生きていけないんだ! お前が思い描くような高潔な騎士なんてものは、いないんだよ! 騎士なんて皆、所詮はいいように使われるだけ、王国の犬だ!」

 彼は顔を歪め一度言葉を切り、また続けた。

「……笑うがいいさ。僕は何にもなれない、自分ひとりの力では何ひとつ成し遂げられない落ちこぼれだ。誰に認められることもない」

 呆気にとられるニールをよそに、吐き捨てるようにテオドールは言い去っていった。
 その後ろ姿を見送りながら、フランシエルが眉をひそめた。

「前に会ったときと全然違う人みたいになってるね」
「……何となく事情は分かりました」

 一部始終を黙って見ていたルメリオが口を開いた。

「彼、貴族としては下流に位置する家の生まれなのでしょうね。しかも、長子ではないといったところですか」

 ルメリオの言うことがすぐに飲み込めず、ニールは首を傾げた。

「どういうことだ?」
「上流階級の男というのは、長男が優先される傾向が強いものです。特段の理由がない限り家督を継ぐのは長男で、その弟たちは長男に何かあった際の代わりとして扱われる……かなり裕福な家であれば長男以外にもそれなりの地位は約束されますが、そうでなければ己の力で身を立てていく必要があります」

 ルメリオはテオドールが去っていった方向を見やった。

「彼は騎士になって名をたてるつもりだったのかもしれないですが、続けられない理由があったのでしょう。それが何かまでは分かりませんけれど」
「騎士に高潔な人がいないなんて嘘だよ。父さんも兄さんも頑張ってる」

 エンディが不満そうにつぶやいた。

「……皆、先に帰っててくれ」

 ニールは仲間たちに声をかけ、もと来た道を走りだした。今から急げばテオドールに追いつける。

「あーあ、すぐ余計なことに首を突っ込みたがるんですから……」

 呆れた様子のゼレーナの声が聞こえてきたが、ニールは構わず走り続けた。

***

「テオドール!」

 ニールは追いつきかけた背中に向かって名前を呼んだが、本人は何の反応も返さず早足で歩き続ける。
 更に速度を上げて腕をがしっと掴むとようやくテオドールは振り返った。

「触るな!」

 自分の腕をとらえる手をほどこうとしたが、ニールはそれを許さなかった。

「本当にこれでいいのか」
「放っておいてくれ。笑えばいいだろう、お前の大嫌いな貴族さまが尻尾を巻いて逃げようとしているんだぞ」
「笑わない。俺はただお前の本心が知りたいんだ。騎士になることを諦めてまで行きたい道があるのか」

 真剣な眼差しでニールは問うた。テオドールは歯噛みしたものの、少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。

「……さあな。何もしなくたって食べるには困らない。肩身は狭いだろうがな」

 淡々と彼は答えた。
 テオドールのことは好きではない。だが夢も目的もなく打ちひしがれた様子がどうしてもかつての自分の姿と重なってしまい、ニールに見て見ぬ振りはできなかった。

「そんなの、空しすぎる」
「お前に僕の気持ちなんて分からないさ。僕が望んで、貴族の家に生まれたと思うか? ……お前のように泥まみれで家畜を追いかけてる方が、きっと何倍も幸せだ」
「テオドール……」

 かけるべき言葉を見つけられないでいると突如、背後から声をかけられた。

「すまない、あんた自警団のニールだよな?」

 まだ若い男だった。焦っているようで、息を切らしている。

「そうだ。何かあったのか?」
「あっちの通りで魔物が出たんだ、すまないが退治してくれないか」
「分かった、すぐに行くよ」

 仲間たちを呼んでいる時間はなさそうだ。ニールはテオドールの方を振り返った。

「テオドール、手伝ってくれ」
「はあ!? どうして僕が」
「俺ひとりじゃ対処しきれるか分からない。剣があるんだから戦えるだろ?」

 なおも頷かないテオドールに、ニールは畳みかけるように言った。

「頼む、今はお前だけが頼りなんだ」
「……ああもう、分かった! 二度目はないぞ!」
「ありがとう!」

 男に案内され、ニールとテオドールは魔物のもとへ向かった。

***

 幸い魔物は強さも数も共に、ニールとテオドールで対処ができる程度だった。住民も避難しており怪我人は出ていないようだ。
 ニールがほっと一息つき剣を鞘に戻すと、人々がわっと周りに集まってきた。

「ありがとうニール、やっぱり頼りになるな!」
「はは、それほどでもないよ」
「お仲間も強い方なのね!」
「仲間……」

 褒められたテオドールは、戸惑いを浮かべつつ剣をしまった。

「……その、お怪我がなく何よりです」

 礼儀正しく頭を下げるその姿は、やはり貴族だ。ニールの仲間だと思われるのは心外だろうが、彼はそれを表には出さないでいた。
 口々に住民たちが礼を述べて去った後、残ったニールとテオドールのもとに仲間たちがやって来た。

「ニール、大丈夫ですか? 魔物が出たと聞きましたが」

 ゼレーナの問いに、ニールは笑顔で頷いた。

「ああ、テオドールが手伝ってくれたからもう片付いたよ」
「ちっ、遅かったか。横取りされちまった」

 ギーランが不満を零す。フランシエルがいぶかし気にテオドールの顔を見た。

「えー、そうなの? 本当に?」
「まあ、無理やり俺が連れてきたんだけど……でも、テオドールもなかなかやるよ。さすがは騎士だ」

 魔物相手にしり込みすることなくテオドールは戦ってくれた。剣術も、決して遊びや生半可な気持ちで覚えたものではないのが分かる。なおのこと、ニールには彼は騎士を辞めるべきでないように思えた。

「なあ、テオドール」
「黙れ」

 テオドールはぴしゃりと言い、つけていた手袋を片方外した。そしてそれをニールの足元に投げつける。

「決闘!?」

 エンディとルメリオが同時に声を上げる。ニールは足元に落ちた手袋とテオドールの顔を交互に見た。

「え、決闘? どういうことだ?」
「僕と戦え、ニール」
「俺が? 何で?」

 彼の意図がまったく読み取れない。なぜ急に勝負を申し込まれてしまったのだろう。

「口答えするな。お前の頼みを聞いて手伝ってやったんだ。お前が僕の頼みを断れると思うな」
「それは、確かにそうだけどさ……」

 テオドールのことを傷つけたいわけではない。しかし半ば強引に魔物退治に付き合わせてしまった以上、彼が望むことに応えるのが道理だろう。
 ニールはもう一度手袋に視線を落とし、仲間たちの方を見た。

「……こういう時ってどうすればいいんだ?」
「手袋を拾って。それが合意の意思を示すんだ」

 エンディの教えの通りに、ニールは手袋を拾い上げた。

「分かった。受けるよ」
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