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二章 騎士団と自警団

23話 行く道は違っても

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 自分にあてがわれている部屋の寝台の上に身を投げ出していたギーランは、扉の開く音に体を起こした。

「ギーラン、俺だ」

 ニールの顔と青い髪が隙間からのぞく。

「入ってもいいかな」
「勝手にしろ」

 つっけんどんに言うと、じゃあ、と言ってニールはゆっくり部屋の中に入ってきた。後ろ手に扉を閉め寝台の横までやって来て、備え付けの椅子にすとんと座る。

「てめえ、よく入ってこれるな」
「勝手にしろって言ったじゃないか」
「俺の気が立ってることくれぇ分かんだろ。殴られるとか思わねえのか」
「ギーランはそんなことしないだろ?」

 それに、とニールは続けた。

「ギーランは今、怒ってるんじゃなくて困ってるんだと思うんだ」

 ギーランは眉をひそめた。先ほどから腹の底で不愉快な感情がぐるぐると渦を巻いている。行き場のない苛立たしさは怒りのせいだと思っていたが、目の前にいる青年に言わせると違うらしい。

「俺はいつもギーランに助けてもらってばかりだから、たまには俺にも助けさせてくれ」
「俺がいつ何をしたってんだよ。好き勝手に暴れてるだけだぜ」
「俺はそれにいつも励まされてるんだ。情けない話だけどさ、魔物を相手にするとき俺は今でも不安になるときがある。でもギーランはいつだって怖がらずに立ち向かっていくだろ? そういう時、ギーランがいるから大丈夫だって思わせてくれるんだ」
「……ふん」

 素っ気ない相槌しかうてなかった。まっすぐな言葉は今回の騒動の発端である「彼女」を思わせる。

「あの子、ギーランのことを本当に好きみたいだな。いろいろ面倒みてあげたんだろ?」
「好きでやったわけじゃねえ。あいつが勝手に尻尾振ってまとわりついてくるだけだ」
「……でも、多分ギーランはあの子と一緒に行くべきか迷ってる。ギーランはいつも迷わないって決めてるけど、どうしたらいいか分からないから、一人で決められないから苛々してる。実際のところ、どう思ってるんだ?」

 そのように問われても、どう答えていいかギーランには分からない。記憶の中の彼女は本当に小さな子供だった。もう会えないだろうと思っていた相手がいきなり現れて、愛していると言われて、それに真摯に向き合えるほど真っ当な人生を歩んできていない。

「上手く話そうと思わなくたっていいぞ」

 ギーランが沈黙を貫いていると、ニールが小さくそうだな、と呟いた。

「こういう機会だし、違うことを話そうか……ギーランが生まれたのって、どんなところなんだ?」

 急に話題が変わったため、ギーランは彼にいぶかし気な顔を向けた。

「こうして二人で話すことって意外となかったからさ。家族のこととかも聞いてみたくて。あ、もちろん話すのが嫌なら無理しないでくれ。事情は色々だからな」
「……話したくないってことはねえが、大将が聞きてえことには答えられねえ」

 ニールが不思議そうな表情を浮かべた。

「生まれがどこなのか、親がどんな面してたのか、何ひとつまともに覚えちゃいない。ガキの頃から武器の振り方だけを叩き込まれて、気づいた時にゃ戦場に放り出されてた」

 その時のギーランに分かっていたのは、生みの親が与えてくれたのであろうギーランという名前だけだった。
 武器の扱いを教えたのは、きっとギーランの親に当たる人物ではなかった。荒々しく怒鳴られ、殴られたり蹴られたことも一度や二度ではない。

「周りにゃ同じようなガキが何人もいた。武器ひとつで戦いに出て生き残れる奴なんているわけがねえ。泣くか、震えてる間にどんどん死んでいきやがった」

 あれはおそらく傭兵の組織か盗賊の集まりだった。孤児を拾うか、あるいはどこかから子供をさらって捨て駒にしていた。
 馬車の荷台に何人も押し込まれて長い距離を移動し、到着した先でまた魔物や人間相手に戦わされる。寒さと恐怖の中で身を寄せ合い、お互いに励まし合って心の慰めとした。しかし、次の日も同じ仲間と出発できることはなかった。毎日必ず誰かが死んでいく。戦いの中で、あるいは病で。
 周りにいた大人たちは誰もそれを悲しまなかった。生き残った子供たちに雑用を押し付けるばかりだった。

「俺はどういうわけか生き延びた。そこからはとにかく戦い続けた」

 初めて人を殺めたのが、いつ頃だったのかもう覚えていない。そのうち、戦場に立つと血が沸き立つようになった。強いものを相手にするとき、心臓が跳ねて躍るようになった。

「んで、何があったのかは分からねえが、ある時から一人で生きにゃならなくなった。そこから俺はずっと傭兵だ」

 文字はろくに読めない。勘定は簡単なものがやっとできる程度だ。戦う術と馬の扱いくらいしか知らない身では、そうして生きる以外になかった。

「特に面白くもねえ話だろ」
「……いや、その、なんていうか」

 今まで黙って話に耳を傾けていたニールの目が宙を泳ぐ。

「まさかそんなことがあったなんて考えもしなかった。ごめん、辛いことを思い出させたな」
「辛いなんて思ったことはねえよ。死んだ奴らがいて、俺は生き残った。ただそれだけだ。明日には俺が同じ目に遭うかもしれねえ」

 声に出してみて、ギーランは少しずつ気分がすっきりしていくのを感じた。迷う必要なんて最初からなかった。答えはもう決まっているのだ。

「……ああそうか、そうだな」

 つぶやくように言うと、ニールが様子をうかがうようにこちらを見てきた。
 ギーランは寝台から降りると、伸びをして肩をぐるぐると回した。

「……あのガキ、いつまでここにいるとか言ってたか」
「明日には王都を船で出発するって」
「おう」

 ならば問題はない。落ち込むのは終わりだ。ギーランはニールの隣を突っ切り、部屋を出た。

***

 翌日。多くの船が停泊する王都の港にギーランは来ていた。忙しく行き来する人々に交じって立つ令嬢の姿は、遠目からでもすぐに分かった。
 人の波を縫い、ギーランは彼女の方へ近づいた。

「おい」

 呼びかけられたヴィヴィアンナはギーランの顔を見て驚いたようで、口元に手をやった。

「ギー……?」
「昨日は悪かったな」
「……いいえ、わたくしの方こそ」

 その瞳に少しだけ期待の色が浮かぶ。

「ただ、それとこれとは別だ。俺はお前とは行けねえ」

 淡々とギーランは告げた。

「俺はずっと戦場で生きてきた。今さら別の生き方はできねえ。俺はそんなに器用な奴じゃない」
「ギー、貴方は」
「俺にお前の命は背負えねえ。俺は他の奴がどうなろうと構わんが、お前のことだけはそう思えねえんだ。明日には首が飛ぶかもしれない生き方を、お前にはさせられない」

 子供の頃からずっと、使い捨てのように扱われてきた。傭兵の命など軽いものだ。死んだところで誰も悲しんではくれない。ギーランにとってはそれが当たり前だった。
 だがヴィヴィアンナは違った。ギーランを信じ、すべてを懸けて愛してくれた。
 そんな彼女の目を、心を血で汚したくなかった。幼い彼女の前で人殺しができなかったあの時から、ずっと同じ気持ちでいる。

「……そう」

 ヴィヴィアンナはぽつりと答え、少しの沈黙の後、穏やかな笑顔をギーランに向けてきた。

「最初から思っていましたの。貴方ならきっとそう仰ると。わたくしは本当にわがままね」

 ため息を一つつき、彼女は真顔になった。

「わたくし、結婚が決まっておりますの。これから行くのは嫁ぎ先ですわ」
「は……?」
「とても豊かな国の、位の高い方に見初めて頂きました。この結婚で、父の面目も領民の生活もすべて守られますわ」

 でもね、と彼女は続けた。

「もしも貴方がわたくしと一緒にいると仰ってくださったなら、すべてを捨てて貴方について行こうと思っていました。けれど、これできっぱり諦められますわ。ありがとう、ギー」

 大国の貴族に嫁ぐなら、ヴィヴィアンナの立場はそれこそ天上の人間になる。海の向こうの国だというならもうギーランと会えることはないに等しい。

「ごめんなさい、貴方のお仲間の皆さまを振り回してしまいました。とても親切にしてくださって、嬉しかったですわ」
「……ああ、あいつらはそんなことで怒ったりなんかしねえだろうよ」

 寂しげに微笑む彼女は、不安を抱えているようだった。ギーランには想像できない世界だが、彼女はまだ若い身で多くのことを背負わなければならないのだろう。
 少しだけでも、その荷を代わりに持っていきたい。不器用な傭兵にもそのくらいのことはできる。

「お前はガキの頃からずっと肝のすわった奴だ。俺が知ってる。迷うんじゃねえ。前向いて進み続けろ」
「ギー……」
「生きろよ、ヴィヴィアンナ」

 その時ほんの一瞬だけ、ヴィヴィアンナの目じりに涙が浮かんだ。

「……もう、貴方って本当にずるい人ですわ」

 そう言って彼女は一歩、ギーランの方へ踏み出した。

「最後のわがままを、どうか許して」

 ヴィヴィアンナがぐっと背伸びをし、ギーランの肩に両手を回す。
 口づけの時間は、ほんのわずかだった。けれど彼女は心から幸せそうに笑った。

「さようなら、ギーラン。わたくしの騎士さま」

 ドレスの裾をつまんで、ヴィヴィアンナは優雅に礼をした。そしてギーランの言葉を待たずくるりと体の向きを変え、自分が乗る予定の船に小走りで向かっていく。
 ギーランが立ち尽くしていると、ほどなくして彼女を乗せた船がゆっくりと動き出した。その姿がどんどん遠ざかっていく。

「……あばよ」

 誰かのために祈ることは無意味だとギーランはずっと思っていた。そうしたところで、人の運命は簡単には変わりはしない。
 けれどもし、目には見えない何かが祈りを聞き入れてくれるのならば――どうか彼女から笑顔が消えることのないように。
 船が水平線の彼方に消えてしまうまで、ギーランはただ海の向こうを見つめていた。

***

 その夜、いつもなら金の許す限り豪快に酒を飲み干すギーランは、テーブルに一人でつき、ちびちびと舐めるように味わうだけだった。
 ニールたちは別のテーブルから、その様子を見ていた。

「おっさん、だいじょうぶかな?」

 そばに寄ろうとするアロンをルメリオが優しく制した。

「大丈夫です。死ぬようなことはありませんよ」
「……これで、良かったんだよね?」

 フランシエルの問いかけに、ゼレーナがええ、と答えた。

「これが最良の選択でしょう。お互いのためにも、周りのためにも」
「皆、もう少ししたら席を外してくれないか。俺とルメリオで話を聞くよ」

 ニールはそう言って、アロンに笑いかけた。

「明日からは、ギーランのことはまたアロンに頼むからな」
「今夜は頼れる大人にお任せあれ」
「ん、明日からだな。わかったぞ!」

***

 そしてしばらく経った後、ニールとルメリオは未だ一人で酒杯を傾けるギーランの両隣にそれぞれ座った。

「ギーラン、大丈夫か?」
「おう」

 いつもと比べると声には覇気がないが、ひどく落ち込んでいるようには見えない。ただ、静かに物思いにふけっているだけだろう。

「……面倒かけたな。すまねえ」
「貴方から謝罪の言葉が出るなんて、明日は矢が降るかもしれませんね」

 冗談めかしてルメリオが言うと、ギーランはじろりと彼の方を睨んだ。

「うるせえ。そんくらい俺だって知ってらあ」
「……ギーラン、後悔してないか?」
「ああ。これでよかったと思ってる」

 だけどな、ギーランは持っていた酒杯をテーブルの上に置いた。

「こんなに振り回されて迷っちまうくらいなら、あいつと最初から出会わなけりゃ良かったって思いそうなもんなのによ……どういうわけだか、そうはならねえんだ」
「それはあの方との思い出を、貴方が美しく心に残せたという証ですよ。たとえ今が辛くても、時が経てばその思い出は必ず貴方の支えになります」
「……そういうもんか」

 酒杯をぼんやりと眺めながら、ギーランは呟くように言った。

「あんまり励ましにはならないかもしれないけどさ、俺はギーランが残ってくれて嬉しいよ」
「……何だかんだで、俺はお前らのことも気に入っちまったみてえだからな」

 ニールとルメリオは揃って目を丸くした。彼がそのように言うなんて初めてのことだ。

「これはこれは……明日は矢どころか槍が降りますよ」
「なんだ、てめえはさっきから……好き勝手に暴れ回れんのが気分いいってだけだ」
「ははは、ギーランってやっぱり面白いな。これからも頼りにさせてもらうよ」

 ニールが言うと、ほんの少しだがギーランは口の端を吊り上げて笑った。そして再び酒杯を取り、一気に中身を飲み干す。

「まだ飲み足りねえ。大将、赤いの、お前らも付き合え」
「俺、あんまり酒は得意じゃないんだけどなぁ……」
「前々から思っていたのですけれど、もう少しましな呼び方はないものですか」

 ぼやくニールたちをよそに、ギーランはいつものよく響く声で酒のお代わりを注文する。
 この様子だと、明日にはすっかり元の彼に戻っていることだろう。
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