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第2話: 揺れる心の影
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タイプだった。
会議室を後にし、廊下を歩きながら、上原は白木の笑顔を思い出していた。自分の中でどこか動揺しているのを感じるが、それを振り払うように歩調を速める。これが仕事上の、あくまで期待できる若者に対しての...好感であると思い込もうとしていた。
だが、心の奥底では分かっている。あの微笑み、柔らかな声の響き、まっすぐに自分を見上げてくる目。それらが、過去のどんな瞬間とも重なるように、自分を深い記憶の中へと引きずり込んでいることを。
昔から、上原は童顔でさわやかな笑顔の若年男性に惹かれる傾向があった。大学時代のアルバイト先でも、後輩の男の子に妙な親近感を抱いていたことを思い出す。「気になる女性を誘いたくて」とありきたりな文句を口にして、男二人には不釣り合いな、小綺麗なカフェに連れ立ったりしたものだった。
今年の春、上原は結婚した。妻は穏やかで思いやりのある女性だ。二人で新居を構え、休日にはインテリアショップを巡りながら新生活を楽しむ日々。家族としての安定感は確かにそこにあった。だが、それでも、どこかで心が完全に満たされない感覚があったのは否定できない。普通の幸せを掴もうと、43になって結婚に踏み切った。その決意には、自分にとっての幸せに対する裏切りがあったことを、今更になって思い出した。
「上原さん、お疲れ様です!」
廊下の向こうから明るい声が響く。購買部の坂本だ。若く、元気な女性社員で、いつも親しみやすい笑顔を向けてくる。目元には軽いメイクが施され、その表情はどこか無邪気だ。
「ああ、坂本さん、お疲れ様。」
軽く会釈を返しながらも、上原の心は目前の坂本には向かない。白木の存在だ。会議中に見せた真剣な表情、質問を投げかける際の控えめな口調、そして最後に見せた無邪気な笑顔。どれもが、彼の心に小さな刺のように残っていた。
坂本は「今日の会議、大変そうでしたね」と何気なく話題を振ってきたが、上原は曖昧に頷くだけだった。「大変」という言葉の響きが、彼を少し現実に引き戻したように感じられた。
「まあ、これからが本番だからね。」短く答えると、坂本はそれ以上何も言わず、廊下の先へと去っていった。その後ろ姿を見送りながら、上原は軽く息をついた。
自分のデスクに戻り、パソコンを開いた上原は、目の前の画面に集中しようとする。しかし、キーボードを叩く指が、いつものようには動かない。
「君の視点での補足が加われば、次の会議でさらに説得力が増すだろう。」
そう言ったときの自分の声を思い出す。あのとき、白木が見せた嬉しそうな表情。それが、どうしてこんなに記憶に残っているのか。自分でも説明がつかない。
白木の顔が浮かぶ。ふと首を傾けながら笑う仕草や、熱心にメモを取る姿。無意識にその描写を思い出し、上原は額に手を当てた。
「これはまずいな。」
ため息をつき、椅子に深くもたれかかる。こんな感情を抱いてしまう自分に、嫌悪感すら湧いてくる。結婚した今、自分はもっと成熟した大人であるべきだ。それなのに、なぜこんな些細なことで心が揺れるのだろう。
目を閉じ、深呼吸をして気持ちを整えようとする。しかし、目を閉じれば閉じるほど、白木の顔が鮮やかに浮かび上がる。無防備で、それでいて純粋なその表情。仕事に没頭しようとしても、その記憶が頭を離れない。
「おかしいな。」
ぽつりとつぶやいた声は、周囲の人間には正面のモニターに映る問題に見えただろう。実際には、上原自身に問いかけたものだった。
会議室を後にし、廊下を歩きながら、上原は白木の笑顔を思い出していた。自分の中でどこか動揺しているのを感じるが、それを振り払うように歩調を速める。これが仕事上の、あくまで期待できる若者に対しての...好感であると思い込もうとしていた。
だが、心の奥底では分かっている。あの微笑み、柔らかな声の響き、まっすぐに自分を見上げてくる目。それらが、過去のどんな瞬間とも重なるように、自分を深い記憶の中へと引きずり込んでいることを。
昔から、上原は童顔でさわやかな笑顔の若年男性に惹かれる傾向があった。大学時代のアルバイト先でも、後輩の男の子に妙な親近感を抱いていたことを思い出す。「気になる女性を誘いたくて」とありきたりな文句を口にして、男二人には不釣り合いな、小綺麗なカフェに連れ立ったりしたものだった。
今年の春、上原は結婚した。妻は穏やかで思いやりのある女性だ。二人で新居を構え、休日にはインテリアショップを巡りながら新生活を楽しむ日々。家族としての安定感は確かにそこにあった。だが、それでも、どこかで心が完全に満たされない感覚があったのは否定できない。普通の幸せを掴もうと、43になって結婚に踏み切った。その決意には、自分にとっての幸せに対する裏切りがあったことを、今更になって思い出した。
「上原さん、お疲れ様です!」
廊下の向こうから明るい声が響く。購買部の坂本だ。若く、元気な女性社員で、いつも親しみやすい笑顔を向けてくる。目元には軽いメイクが施され、その表情はどこか無邪気だ。
「ああ、坂本さん、お疲れ様。」
軽く会釈を返しながらも、上原の心は目前の坂本には向かない。白木の存在だ。会議中に見せた真剣な表情、質問を投げかける際の控えめな口調、そして最後に見せた無邪気な笑顔。どれもが、彼の心に小さな刺のように残っていた。
坂本は「今日の会議、大変そうでしたね」と何気なく話題を振ってきたが、上原は曖昧に頷くだけだった。「大変」という言葉の響きが、彼を少し現実に引き戻したように感じられた。
「まあ、これからが本番だからね。」短く答えると、坂本はそれ以上何も言わず、廊下の先へと去っていった。その後ろ姿を見送りながら、上原は軽く息をついた。
自分のデスクに戻り、パソコンを開いた上原は、目の前の画面に集中しようとする。しかし、キーボードを叩く指が、いつものようには動かない。
「君の視点での補足が加われば、次の会議でさらに説得力が増すだろう。」
そう言ったときの自分の声を思い出す。あのとき、白木が見せた嬉しそうな表情。それが、どうしてこんなに記憶に残っているのか。自分でも説明がつかない。
白木の顔が浮かぶ。ふと首を傾けながら笑う仕草や、熱心にメモを取る姿。無意識にその描写を思い出し、上原は額に手を当てた。
「これはまずいな。」
ため息をつき、椅子に深くもたれかかる。こんな感情を抱いてしまう自分に、嫌悪感すら湧いてくる。結婚した今、自分はもっと成熟した大人であるべきだ。それなのに、なぜこんな些細なことで心が揺れるのだろう。
目を閉じ、深呼吸をして気持ちを整えようとする。しかし、目を閉じれば閉じるほど、白木の顔が鮮やかに浮かび上がる。無防備で、それでいて純粋なその表情。仕事に没頭しようとしても、その記憶が頭を離れない。
「おかしいな。」
ぽつりとつぶやいた声は、周囲の人間には正面のモニターに映る問題に見えただろう。実際には、上原自身に問いかけたものだった。
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