上 下
67 / 76

六十七話 子も殺せぬようでは天下は取れぬ

しおりを挟む
 大高城に入場すると傷ついた三河衆が廊下に幾人も横たわっていた。

 中には死んで蝿がたかっている者もある。

 その死体を飛び越え、元実は奥に向かった。

 そこには松平元康の他、瀬名氏俊、関口親永が居た。

 「至急、御屋形様救援に向かわれたし。先導はそれがしがする」

 「まあ落ち着かれよ」

 平静に元康が言った。

 「早う」

 「行かぬ」

 元康が言い切った。

 「なにを、見れば瀬名など着物に塵一つ付いておらぬではないか、なぜ戦わぬ」

 「これは異な事を申される。某は桶狭間山の陣立てを申し使ったもの。
 すでに役目は終わりもうした」

 不快そうに氏俊が言った。

 「ならば、仕事でござる。各々方、早う御屋形様をお助けにまいられよ」

 「当方には当方のお勤めがあるゆえ行けぬ」

 言い切る元康。

 「おのれ、裏切るか」

 元実は刀を抜き放ち、振り上げる。

 「元実殿を取り押さえよ」

 関口親永が叫んだ。

 後ろから関口の郎党が飛びかかり、元実は押さえつけられ、縄で縛られる。

 「おのれ、織田に寝返ったか、殺せ、いっそ殺せい」

 元実は暴れ回り大声で怒鳴った。

 「落ち着かれよ元実殿、これは御屋形様のお言いつけである」

 元康が冷静に言ってのけた。

 「何」

 「今より出ていっても、敵の波に吞まれ、犬死にするばかりじゃ」

 「臣下ならば主君と共に死ぬことこそ誉れなり」

 「だから言うておろう、御屋形様はそれを望まれぬ」

 「なぜそう言えるか」

 「それがし、元康は事前に田原雪斎様より言づてを承っていた」

 元康の言葉に元実の古き記憶が蘇る。

 たしかに田原雪斎様は亡くなる前、
 元実と竹千代(松平元康)に言づてをしたと仰せであった。

 「ならばそなた、御屋形様に御嫡子氏真様を見殺しにし、
 天下をおとりあそばすよう諫言したのか」

 「たしかに、諫言いたした。子も殺せぬようでは天下は取れぬと」

 「して、御屋形様はなんとのたまった」

 「可愛い子供を殺してまで天下はいらぬと仰せであった」

 「さもありなん。だが、その事と、今出兵して御屋形様を助けぬのと何の関わりがある」

 「御屋形様は天下を御嫡子、
 今川氏真公にお譲りあるおつもりじゃ。
 この戦勝てばよいが、織田信長は天魔鬼神のごとき輩。
 されば、義元公が討たれし事もあるであろうとお考えであった。
 その時は、無理に義元公をお助けしようとして無駄に諸将の命を失わせず、
 すぐさま撤退して、氏真公を御大将として、
 義元奥の仇討ちをせよと仰せであった。
 かつて、今川義忠公が敵の不意打ちに討たれし時も、
 今川家臣は御嫡子氏親殿を押し立てて仇を討った。
 それが今川の流儀だと仰せであった。
 よって今討って出て死ぬる事も将兵を減らすこともまかりならん」

 「ならば、某だけで帰って討ち死にする。縄を解け」

 そこに松平の斥候が走り込んできた。

 「今川義元公お討ち死に」

 「ああああああああっっっっ」

 元実は大声をあげて泣いた。

 「気をしっかり持たれよ元実殿、
 織田は御屋形様を討ち取るだけで手いっぱい。
 今なれば必ず信長を討てる。
 義元公はご自身が討たれたおりの兵力差もすべて
 計算に入れて陣立てをされていた。
 最初から絶対に織田の勝ちは無かったのじゃ」

 元康は淡々と語るように言った。

 「おのれ信長、この仇必ず取る」

 怒りを露わに元実が怒鳴った。

 元康が郎党に目配せして元実の縄を解く。

 「それでは各々方、すぐさま駿河の今川館に立ち戻り、兵を集めましょうぞ」

 元実がいきり立って言うが、元康は静かに首を横に振る。

 「ならぬ。もう外は薄暗くなってきた。
 今動けば場所も分からず、敵に捕まるか、
 野伏の落ち武者狩りにやられるだけじゃ。
 夜になり月が出るまでまたれよ」

 どこまでも冷静な元康であった。

 「無念、無念」

 実元は拳で何度も床を叩いた。
しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

鬼嫁物語

楠乃小玉
歴史・時代
織田信長家臣筆頭である佐久間信盛の弟、佐久間左京亮(さきょうのすけ)。 自由奔放な兄に加え、きっつい嫁に振り回され、 フラフラになりながらも必死に生き延びようとする彼にはたして 未来はあるのか?

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

敵は家康

早川隆
歴史・時代
旧題:礫-つぶて- 【第六回アルファポリス歴史・時代小説大賞 特別賞受賞作品】 俺は石ころじゃない、礫(つぶて)だ!桶狭間前夜を駆ける無名戦士達の物語。永禄3年5月19日の早朝。桶狭間の戦いが起こるほんの数時間ほど前の話。出撃に際し戦勝祈願に立ち寄った熱田神宮の拝殿で、織田信長の眼に、彼方の空にあがる二条の黒い煙が映った。重要拠点の敵を抑止する付け城として築かれた、鷲津砦と丸根砦とが、相前後して炎上、陥落したことを示す煙だった。敵は、餌に食いついた。ひとりほくそ笑む信長。しかし、引き続く歴史的大逆転の影には、この両砦に籠って戦い、玉砕した、名もなき雑兵どもの人生と、夢があったのである・・・ 本編は「信長公記」にも記された、このプロローグからわずかに時間を巻き戻し、弥七という、矢作川の流域に棲む河原者(被差別民)の子供が、ある理不尽な事件に巻き込まれたところからはじまります。逃亡者となった彼は、やがて国境を越え、風雲急を告げる東尾張へ。そして、戦地を駆ける黒鍬衆の一人となって、底知れぬ謀略と争乱の渦中に巻き込まれていきます。そして、最後に行き着いた先は? ストーリーはフィクションですが、周辺の歴史事件など、なるべく史実を踏みリアリティを追求しました。戦場を駆ける河原者二人の眼で、戦国時代を体感しに行きましょう!

淡き河、流るるままに

糸冬
歴史・時代
天正八年(一五八〇年)、播磨国三木城において、二年近くに及んだ羽柴秀吉率いる織田勢の厳重な包囲の末、別所家は当主・別所長治の自刃により滅んだ。 その家臣と家族の多くが居場所を失い、他国へと流浪した。 時は流れて慶長五年(一六〇〇年)。 徳川家康が会津の上杉征伐に乗り出す不穏な情勢の中、淡河次郎は、讃岐国坂出にて、小さな寺の食客として逼塞していた。 彼の父は、淡河定範。かつて別所の重臣として、淡河城にて織田の軍勢を雌馬をけしかける奇策で退けて一矢報いた武勇の士である。 肩身の狭い暮らしを余儀なくされている次郎のもとに、「別所長治の遺児」を称する僧形の若者・別所源兵衛が姿を見せる。 福島正則の元に馳せ参じるという源兵衛に説かれ、次郎は武士として世に出る覚悟を固める。 別所家、そして淡河家の再興を賭けた、世に知られざる男たちの物語が動き出す。

大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった――― 関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった ―――鎖国前夜の1631年 坂本龍馬に先駆けること200年以上前 東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン 『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです ※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

処理中です...