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二話 関口親永

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 寺の前まで行くと、門前で関口親永殿が待ちわびておられた。

 親永殿は弁舌爽やかで、よくお知恵が回られるため、
 君主今川氏親公よりお褒めの言葉を頂き、
 恐れ多くもその御名の一時を賜り親永と名乗るようになった。

 うらやましい事である。

 「これはしたり、お先に中に入っておられればよかったものを、
 何故そのような場所で待っておいでなのですか」

 左兵衛は慌てて親永殿に駆け寄った。

 「されば某が先に入れば一宮殿が遅参いたしたことになる。
 某が勝手に先に来たために、一宮殿にご迷惑はおかけできませぬ」

 「何を仰せか恐れ多い、仮にも足利家のお血筋の貴公が
 なんぞ小笠原の末枝の一宮などにお気を遣われることがありましょうや」

 「いや、今は関口の家に養子に参った次男坊」

 「いやいや、関口家こそ今川家の主筋に近いお家柄、
 ひいては足利家ご一門ではございませぬか、
 以後はこのようなお心使いは無きよう御願いいたしまする」

 「いやあ、これはとんだやぶ蛇になってしもうた」
 門前の話し声を聞きつけて寺から僧侶がゆっくりと出てくる。

 「何事でございまするか」

 左兵衛と親永殿は目を見合わせて含み笑いをした。

「されば、梅岳承芳様をお待たせしても何ですので、中に入りましょう」

 親永殿が笑顔でそう行った。
「いかにも」
 左兵衛が頷く。

 寺に入ってからも、梅岳承芳様は教授を受けたる学僧に
 しきりに質問をされておられるご様子で、
 しばしの時が過ぎた。

 ほどなくして梅岳承芳様が寺の奥座敷からお出ましになられる。

 「待たせたな」

 「いいえ滅相もございませぬ」 

 左兵衛と親永殿は深々と頭をさげた。

 稚児が素早く梅岳承芳様の下駄を用意する。

 「下駄などと贅沢なものはいらぬ。草鞋を持ってまいれ」

 梅岳承芳様がのたまう。

 「本日は日中溶けた雪がぬかるみになっておりますので、
 草履では足に氷水が染みて皹になりまする」

 「それがどうした。武家が皹ごときを恐れてなんとしよう」
 
 「されど……」

 左兵衛は言葉につまった。
 大切な梅岳承芳様の足を皹などにしては、
 己らお付きの者が不調法として叱責を受けることになる。

 「さりとて、たまには下駄もお履きくださらねば下々の者どもが困りまする」

 親永殿が笑顔で言うた。

 「ほう、それはいかなる事か、子細申してみよ」

 「草鞋は下人が手慰みに編むものでございまするが、
 下駄は木工職人が作りまする。
 やんごとなきお方が下駄をうとまれたとなれば、
 下々ことごとくそれに倣いましょう。
 さすれば、下駄を作る職人は職を失いまする」

 「なるほど、それも道理よ、分かった下駄を履こう」

 梅岳承芳様は納得して素直に下駄を履かれた。

 左兵衛は胸をなで下ろす。が、その暇もなく、
 梅岳承芳様は眉間に微かなシワを寄せて左兵衛の足下を見る。

 「左兵衛、そちの履きたる下駄の狭間にある雪は何ぞ。
 見苦しいであろう。そのまま寺の土間に下駄を脱ぎ捨て、
 時を経て雪が溶けて寺の土間を汚したらなんとするぞ。不心得である」

 「これは申し訳ございませぬ」
 左兵衛は恐縮して視線を下に落す。

 「まあまあ、梅岳承芳様、左様に下駄の雪を邪険にされまするな。
 我ら譜代の家臣はすべからく下駄の雪のようなもの」

 「親永、また頓智か、我に問答を挑みたるか」

 「いえいえ、そのような大層なものではございませぬ。
 ただ、我らはどこまでも、ついて行きます下駄の雪、
 今川のお家がいかに苦境にある時も栄える時も
 何代にもわたって今川家にお仕えしてきた臣下でございまする。
 左兵衛も譜代の家柄故、
 下駄の雪を哀れに思い、あえて、
 下駄の雪を払わいでおいたのでしょう」

 「真か、左兵衛」
 「は、はい」
 左兵衛は居心地が悪く生返事をした。

 「はいとはっきり言え、そのほう武家であろう」

 「はい」

  背筋を伸ばしてもう一度はっきり答える。

 「そのような深慮をもって下駄に雪を付けていたとすれば
 我が浅はかであった。許してくれ」

 梅岳承芳様は深々と頭をさられる。

 「そのような恐れ多い」

 左兵衛は慌てた。 
 元々はといえばふざけて凍った霜柱を踏みつけていただけなのだ。

 梅岳承芳様は真にお心が実直にあらせられる。
 左兵衛としても、誇らしきかぎりであった。
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