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七十八話 タヌキのもとで
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織田信雄に絶対に勝ち目はないと織田家中の者どもの誰もが思っていた。
しかし、大恩ある織田家に報いるため、死を覚悟で戦うこととなった。
平秀吉の軍勢とは小牧、長久手で激突することとなった。
信雄方にとって幸運だったのは秀吉側の猛将、森可長が進軍中に馬が泥沼に足をとられ、
身動きが取れなくなっていたところを鉄砲で狙い撃ちされて死んだことだ。
森軍の大将が討ち取られ混乱しているところ、池田恒興も馬の鞍に銃弾を受けて落馬して
激高しており、味方の足並みがそろわぬまま敵に突撃し、徳川方の永井直勝隊に包囲され、
槍で突き殺された。
秀吉側の主力の将が一度に二人も討たれたことで、秀吉軍は一時撤退することになる。
秀吉は当初、織田、徳川連合軍の主力である徳川軍と正面対決しようとしていたが、
徳川軍手ごわしと見て、織田信雄の軍を標的とした。
そして、狙われたのが織田信雄軍の中でも弱いと見られていた佐久間の軍である。
佐久間信栄は蟹江城を任されていたが、おり悪く佐久間信栄は織田信雄の命令で伊勢萱生砦の修築に
向かっており、留守にしていた。
その補填として最強の前田軍団が与力として城の守りに入っていた。
前田一族は信盛の妻の出身であり、左京亮の実家の加藤家の西加藤家の妻の実家でもあった。
蟹江城の本丸は左京亮が守り、二の丸に信盛の妻の弟、長定が入っていた。
信盛の妻と信栄の妻と子供達、左京亮の妻の多紀も本丸に居た。
城の中には多紀の実家から持ってこられた油が大量にカメに入れられ置いてあった。
北畠攻めの攻城戦の時、楠木の油攻めで佐久間家は散々てこずった。
今回も城の石垣を登ってくる敵兵に油をぶっかけて撃退するのだ。
こういう時、多紀の実家の財力が役に立った。
遠くから秀吉の軍勢が城に迫ってくる。
「あ、あれは滝川一益様の軍勢でございまする」
家臣が大声を張り上げた。
「なに、おのれ一益、若い頃は多紀の実家の加藤家に散々世話になっておきながら、
利に転んで秀吉に味方したか」
左京亮は唇を噛んだ。
敵の大軍が城を取り囲む。
一益が城に使者をよこした。
使者いわく、昔のよしみで城を明け渡すなら命ばかりは助けてやるとのことであった。
「信長様の大恩を忘れた忘恩の徒に下ることはない」
左京亮はきっぱりそう言ってのけた。
すると、使者は少し顔を伏せて苦笑いしたように見えた。
何だコイツ、気分が悪い。
使者が城を退去すると、何やら城の二の丸のほうが騒がしい。
「どうした」
「調べてまいります」
家臣が急ぎ、二の丸に向かった。
そして青ざめた顔で本丸に駆けあがってきた。
「前田長定殿、謀反でござる、大手門を開けて、敵の軍勢を城の中に引き入れた。
殿、もはやこれまで、皆様ご自害のお覚悟を」
「己前田め、分かった、見事割腹して果てようぞ」
左京亮は刀を引き抜いて、佐久間信盛の妻と信栄の妻、幼い子供たちの処へむかった。
この者たちを切り殺して自分も切腹するためだ。
ガツッ、
多紀が拳で左京亮の顔を殴った。
「な、何をいたすか」
「それはこっちのセリフじゃ、むざむざ自害して城を敵に渡すか」
「しかし、城門を開けられてはどうしようもないではないか」
「何のための油瓶じゃ、者ども、この油瓶をすべて打ち壊せ」
「はっ」
家臣たちが次々と油の瓶を打ち壊す。
「まて、これは主君織田信雄様から預かった城ぞ」
「敵に取られるくらいなら燃やしてしまえ」
多紀はそう言って自らも油をかぶった。
「夫殿、そなたはこの子らを連れて落ち延びよ。ワラワは火だるまになって敵のただ中に突っ込む」
「まて、そなたを失うてワシはこれからどうすればよいのだ」
「若くて美しい後妻でももらいなされ」
「待て、多紀よ、お前ではくてはいかんのだ。ババアでもいい、ふとっていてもいい、
お前との間には長年の思い出があるではないかあああああああ」
左京亮は絶叫した。
その言葉を聞いて多紀ははっと目を見開いた。
「うむ、ならば共に来い」
「わかった」
左居亮も油をかぶる。
「火のついたタイマツをもて」
多紀が叫ぶ。
「はっつ」
家臣が手際よく火のついたタイマツを多紀に渡す。
「下にも油をぶちまけよ」
「はっ」
家臣たちは本丸への登り口へありったけの油をぶちまけた。
「うわっ、油だぞ」
下で敵兵のざわめきが聞こえる。
多紀はざわめきがする方に進む。
「それものども、ワラワとともに火炎地獄に落ちたい者は攻めかかってくるがよいぞ」
多紀は大声で怒鳴った。
「うわっ、ちょっと待て、この城は無傷で押さえるよう御大将から言い使ってござる。
しばし待たれよ、しばらく、しばらく」
侍大将らしき者が必死で多紀をなだめた。
しばらくして城の中に滝川一益が走り込んできた。
「なにしとるだにい、相変わらず加藤の妹子は頭おかしいにい」
「黙れ裏切者、ともに紅蓮の炎に沈め」
「まて、まて、お前らのくっさい命などいらん、助けてやるからさっさと退居するにい」
一益は必死に怒鳴った。
「わかった、だが、人質の前田長定の子供は一緒に連れていくぞ。我らが無事に逃げ伸びたら
後に返してやろう」
「わかった、わかったから早くうせろ」
滝川一益が必死の形相でいった。
多紀は本丸に戻り、タイマツは水につけて火は消し、
人質の前田長定の子供を中心に囲んで、左京亮と家臣と一緒に槍衾をつくった。
「それでは各々方、わらわと共に死出の旅路の共をいたせ」
「おう」
左居亮が晴れやかな表情で叫んだ。
槍衾をつくったまま二の丸に降り、そこから城の外に退去した。
「あほう、あほう、二度と戻ってくるな~」
遠くから滝川一益が吼えている。
多紀のおかげで左京亮は無事、城の外に退去することができた。
この戦、明らかに織田、徳川連合軍のほうが優位であると思えた。
しかし、織田信雄は秀吉の威光を恐れて単独で秀吉と和睦してしまう。
戦いの大義を失った徳川は撤退。
これで事態は落ち着いたかと思われたが、後に信雄は関白となった秀吉から言いがかりをつけられ
追放される。
左京亮はまた無職になってしまった。
だが、この蟹江城の戦いの評判を聞いた徳川家が左京亮を呼び出した。
左京亮は徳川家康の家臣、榊原康政の家中の者に連れられ、家康が転封になった江戸までやってきた。
家康に拝謁する左京亮と多紀。
「おお、よう参られた。よくもこのように足場の悪い湿地に来てくだされたのお。
このような貧しい荒れ野の主である我でよければ、仕えてはもらえぬか。我はそなたのような
実直な家臣がほしい。
信長公は生前言っておられた。人は能でみてはならぬ。誠実であること、ウソをつかぬこと、
実直であること、人が見ておらぬでの不正をせぬこと。これこそ武辺道であると。
その教えを守ってきたからこそ、この家康、家臣にも後ろから切られもせず、生きてこられた」
家康は多紀のほうに目をやる。
「のお奥方殿、このような貧しい国の国主が主人では不服ではないかの」
多紀を顔をそむける。
「別に」
いいやがった、こいつ、またいいやがった。
おわった、完全におわった。
左京亮は絶望した。
徳川家康が眉間に深いシワをよせて唇を噛むと左居亮に近づいた。
家康はガシッと左京亮の肩を掴む。
左京亮はビクッととびあがった。
「我が妻も、このように無遠慮な鬼嫁であった。そのため信長公に疎まれ、切らねばならなくなった。
我は……家臣と民を守るため、我が妻は切った。一生添い遂げるつもりであった妻を我は切ったのだ。
お家と家臣と領民のために、そなたは……せめてそなたは、この鬼嫁を大事にしてやれ」
驚いて左京亮は頭を上げた。
家康の目に涙が浮かんでいた。
左京亮は慌てて平伏した。
「たれか、この者を抱えたい者はおるか」
「おそれながら、この榊原康政、頂戴しとうございまする」
家康の重臣、榊原康政が声をあげた。
「おお、そうか榊原は目が高いの、こやつは律義者じゃ、大事に使うてやれよ」
「ははっ」
左京亮は榊原康政の家臣となった。
それだけではなく、榊原康政は左京亮を信用し、己の城の留守居役にまでした。
「ああ、兄上、兄上……」
左京亮はふと目を覚ました。
そうだ、我ら佐久間一族は織田信雄の殿が改易されたことで露頭に迷うたのだ。
長い夢を見た。徳川に仕官した夢だ。世の中、そんなうまくいくはずはない。
絶望だ、もう某にはなにもない、いや、多紀がおる、太ってババアで厚かましくとも
某には多紀がおるではないか、多紀、いずこにおる多紀、
左京亮は必死に周囲を見回すが多紀がいない。
「どこにいったのだ多紀、多紀、お前がおらねばダメなのだ」
左京亮は大語で叫んだ。
「なんでございます、旦那様」
多紀の厳しい声が聞こえた。
ふっと、そこで目が覚めた。
周囲を見回す。
ああ、ここは茶会で呼ばれた舘林城の近くにある茂林寺ではないか。
「なぜ、某はこんな処におるのだ」
「何を寝ぼけておられる。我らは榊原様に雇われ、この舘林に来たのでしょう。
本日は我らは茂林寺でもてなされる大事な賓客。それがこんなところで寝コケておってどういたします」
「ああ……長い夢を見たのだ」
「どんな夢でございまする」
左京亮は恥ずかしくて本当の事が言えなかった。
「あの~家の猫が死んだ夢」
「何とめめしい」
多紀が怒鳴った。
「どうなされました」
寺の住職が騒ぎを聞きつけて笑顔でやってきた。
「さきほどから、我が夫が訳の分からぬことばかり言うのです」
「ははは、それはたぶん、タヌキに化かされたのでしょう」
「タヌキでござるか」
左京亮はきょとんとした顔で住職を見た。
「さよう、この茂林寺には昔から茶釜に化ける狸が住んでおりましてな、時々人にイタズラを
するのです」
「おお、それは面白いお話を伺った」
「そうでしょう」
「はい」
「はははははは」
「わはははは」
「ほほほほほ」
住職がわらった。
左京亮が笑った。
多紀も笑っていた。
のどかな小春日和の午後の事であった。
しかし、大恩ある織田家に報いるため、死を覚悟で戦うこととなった。
平秀吉の軍勢とは小牧、長久手で激突することとなった。
信雄方にとって幸運だったのは秀吉側の猛将、森可長が進軍中に馬が泥沼に足をとられ、
身動きが取れなくなっていたところを鉄砲で狙い撃ちされて死んだことだ。
森軍の大将が討ち取られ混乱しているところ、池田恒興も馬の鞍に銃弾を受けて落馬して
激高しており、味方の足並みがそろわぬまま敵に突撃し、徳川方の永井直勝隊に包囲され、
槍で突き殺された。
秀吉側の主力の将が一度に二人も討たれたことで、秀吉軍は一時撤退することになる。
秀吉は当初、織田、徳川連合軍の主力である徳川軍と正面対決しようとしていたが、
徳川軍手ごわしと見て、織田信雄の軍を標的とした。
そして、狙われたのが織田信雄軍の中でも弱いと見られていた佐久間の軍である。
佐久間信栄は蟹江城を任されていたが、おり悪く佐久間信栄は織田信雄の命令で伊勢萱生砦の修築に
向かっており、留守にしていた。
その補填として最強の前田軍団が与力として城の守りに入っていた。
前田一族は信盛の妻の出身であり、左京亮の実家の加藤家の西加藤家の妻の実家でもあった。
蟹江城の本丸は左京亮が守り、二の丸に信盛の妻の弟、長定が入っていた。
信盛の妻と信栄の妻と子供達、左京亮の妻の多紀も本丸に居た。
城の中には多紀の実家から持ってこられた油が大量にカメに入れられ置いてあった。
北畠攻めの攻城戦の時、楠木の油攻めで佐久間家は散々てこずった。
今回も城の石垣を登ってくる敵兵に油をぶっかけて撃退するのだ。
こういう時、多紀の実家の財力が役に立った。
遠くから秀吉の軍勢が城に迫ってくる。
「あ、あれは滝川一益様の軍勢でございまする」
家臣が大声を張り上げた。
「なに、おのれ一益、若い頃は多紀の実家の加藤家に散々世話になっておきながら、
利に転んで秀吉に味方したか」
左京亮は唇を噛んだ。
敵の大軍が城を取り囲む。
一益が城に使者をよこした。
使者いわく、昔のよしみで城を明け渡すなら命ばかりは助けてやるとのことであった。
「信長様の大恩を忘れた忘恩の徒に下ることはない」
左京亮はきっぱりそう言ってのけた。
すると、使者は少し顔を伏せて苦笑いしたように見えた。
何だコイツ、気分が悪い。
使者が城を退去すると、何やら城の二の丸のほうが騒がしい。
「どうした」
「調べてまいります」
家臣が急ぎ、二の丸に向かった。
そして青ざめた顔で本丸に駆けあがってきた。
「前田長定殿、謀反でござる、大手門を開けて、敵の軍勢を城の中に引き入れた。
殿、もはやこれまで、皆様ご自害のお覚悟を」
「己前田め、分かった、見事割腹して果てようぞ」
左京亮は刀を引き抜いて、佐久間信盛の妻と信栄の妻、幼い子供たちの処へむかった。
この者たちを切り殺して自分も切腹するためだ。
ガツッ、
多紀が拳で左京亮の顔を殴った。
「な、何をいたすか」
「それはこっちのセリフじゃ、むざむざ自害して城を敵に渡すか」
「しかし、城門を開けられてはどうしようもないではないか」
「何のための油瓶じゃ、者ども、この油瓶をすべて打ち壊せ」
「はっ」
家臣たちが次々と油の瓶を打ち壊す。
「まて、これは主君織田信雄様から預かった城ぞ」
「敵に取られるくらいなら燃やしてしまえ」
多紀はそう言って自らも油をかぶった。
「夫殿、そなたはこの子らを連れて落ち延びよ。ワラワは火だるまになって敵のただ中に突っ込む」
「まて、そなたを失うてワシはこれからどうすればよいのだ」
「若くて美しい後妻でももらいなされ」
「待て、多紀よ、お前ではくてはいかんのだ。ババアでもいい、ふとっていてもいい、
お前との間には長年の思い出があるではないかあああああああ」
左京亮は絶叫した。
その言葉を聞いて多紀ははっと目を見開いた。
「うむ、ならば共に来い」
「わかった」
左居亮も油をかぶる。
「火のついたタイマツをもて」
多紀が叫ぶ。
「はっつ」
家臣が手際よく火のついたタイマツを多紀に渡す。
「下にも油をぶちまけよ」
「はっ」
家臣たちは本丸への登り口へありったけの油をぶちまけた。
「うわっ、油だぞ」
下で敵兵のざわめきが聞こえる。
多紀はざわめきがする方に進む。
「それものども、ワラワとともに火炎地獄に落ちたい者は攻めかかってくるがよいぞ」
多紀は大声で怒鳴った。
「うわっ、ちょっと待て、この城は無傷で押さえるよう御大将から言い使ってござる。
しばし待たれよ、しばらく、しばらく」
侍大将らしき者が必死で多紀をなだめた。
しばらくして城の中に滝川一益が走り込んできた。
「なにしとるだにい、相変わらず加藤の妹子は頭おかしいにい」
「黙れ裏切者、ともに紅蓮の炎に沈め」
「まて、まて、お前らのくっさい命などいらん、助けてやるからさっさと退居するにい」
一益は必死に怒鳴った。
「わかった、だが、人質の前田長定の子供は一緒に連れていくぞ。我らが無事に逃げ伸びたら
後に返してやろう」
「わかった、わかったから早くうせろ」
滝川一益が必死の形相でいった。
多紀は本丸に戻り、タイマツは水につけて火は消し、
人質の前田長定の子供を中心に囲んで、左京亮と家臣と一緒に槍衾をつくった。
「それでは各々方、わらわと共に死出の旅路の共をいたせ」
「おう」
左居亮が晴れやかな表情で叫んだ。
槍衾をつくったまま二の丸に降り、そこから城の外に退去した。
「あほう、あほう、二度と戻ってくるな~」
遠くから滝川一益が吼えている。
多紀のおかげで左京亮は無事、城の外に退去することができた。
この戦、明らかに織田、徳川連合軍のほうが優位であると思えた。
しかし、織田信雄は秀吉の威光を恐れて単独で秀吉と和睦してしまう。
戦いの大義を失った徳川は撤退。
これで事態は落ち着いたかと思われたが、後に信雄は関白となった秀吉から言いがかりをつけられ
追放される。
左京亮はまた無職になってしまった。
だが、この蟹江城の戦いの評判を聞いた徳川家が左京亮を呼び出した。
左京亮は徳川家康の家臣、榊原康政の家中の者に連れられ、家康が転封になった江戸までやってきた。
家康に拝謁する左京亮と多紀。
「おお、よう参られた。よくもこのように足場の悪い湿地に来てくだされたのお。
このような貧しい荒れ野の主である我でよければ、仕えてはもらえぬか。我はそなたのような
実直な家臣がほしい。
信長公は生前言っておられた。人は能でみてはならぬ。誠実であること、ウソをつかぬこと、
実直であること、人が見ておらぬでの不正をせぬこと。これこそ武辺道であると。
その教えを守ってきたからこそ、この家康、家臣にも後ろから切られもせず、生きてこられた」
家康は多紀のほうに目をやる。
「のお奥方殿、このような貧しい国の国主が主人では不服ではないかの」
多紀を顔をそむける。
「別に」
いいやがった、こいつ、またいいやがった。
おわった、完全におわった。
左京亮は絶望した。
徳川家康が眉間に深いシワをよせて唇を噛むと左居亮に近づいた。
家康はガシッと左京亮の肩を掴む。
左京亮はビクッととびあがった。
「我が妻も、このように無遠慮な鬼嫁であった。そのため信長公に疎まれ、切らねばならなくなった。
我は……家臣と民を守るため、我が妻は切った。一生添い遂げるつもりであった妻を我は切ったのだ。
お家と家臣と領民のために、そなたは……せめてそなたは、この鬼嫁を大事にしてやれ」
驚いて左京亮は頭を上げた。
家康の目に涙が浮かんでいた。
左京亮は慌てて平伏した。
「たれか、この者を抱えたい者はおるか」
「おそれながら、この榊原康政、頂戴しとうございまする」
家康の重臣、榊原康政が声をあげた。
「おお、そうか榊原は目が高いの、こやつは律義者じゃ、大事に使うてやれよ」
「ははっ」
左京亮は榊原康政の家臣となった。
それだけではなく、榊原康政は左京亮を信用し、己の城の留守居役にまでした。
「ああ、兄上、兄上……」
左京亮はふと目を覚ました。
そうだ、我ら佐久間一族は織田信雄の殿が改易されたことで露頭に迷うたのだ。
長い夢を見た。徳川に仕官した夢だ。世の中、そんなうまくいくはずはない。
絶望だ、もう某にはなにもない、いや、多紀がおる、太ってババアで厚かましくとも
某には多紀がおるではないか、多紀、いずこにおる多紀、
左京亮は必死に周囲を見回すが多紀がいない。
「どこにいったのだ多紀、多紀、お前がおらねばダメなのだ」
左京亮は大語で叫んだ。
「なんでございます、旦那様」
多紀の厳しい声が聞こえた。
ふっと、そこで目が覚めた。
周囲を見回す。
ああ、ここは茶会で呼ばれた舘林城の近くにある茂林寺ではないか。
「なぜ、某はこんな処におるのだ」
「何を寝ぼけておられる。我らは榊原様に雇われ、この舘林に来たのでしょう。
本日は我らは茂林寺でもてなされる大事な賓客。それがこんなところで寝コケておってどういたします」
「ああ……長い夢を見たのだ」
「どんな夢でございまする」
左京亮は恥ずかしくて本当の事が言えなかった。
「あの~家の猫が死んだ夢」
「何とめめしい」
多紀が怒鳴った。
「どうなされました」
寺の住職が騒ぎを聞きつけて笑顔でやってきた。
「さきほどから、我が夫が訳の分からぬことばかり言うのです」
「ははは、それはたぶん、タヌキに化かされたのでしょう」
「タヌキでござるか」
左京亮はきょとんとした顔で住職を見た。
「さよう、この茂林寺には昔から茶釜に化ける狸が住んでおりましてな、時々人にイタズラを
するのです」
「おお、それは面白いお話を伺った」
「そうでしょう」
「はい」
「はははははは」
「わはははは」
「ほほほほほ」
住職がわらった。
左京亮が笑った。
多紀も笑っていた。
のどかな小春日和の午後の事であった。
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まさか、多紀が……。と思いましたが、多紀は多紀でしたね。左京亮も美貌だけが取り得だと言いつつ多紀を見捨てなかったのは感動しました。
人間は年をかさねるごとに情がうつってくるものですからね。
左居亮も最終的に人間にとって何が大切なのかというものが理解できるようになり、成長したのだと思います。
いつも素敵な感想ありがとうございます!
多紀は本当にすごいですね。肝が据わっていますね。
城がせめられても家康の前でも動じることがないんですから。
多紀がいなかったら左京亮は生き残れていないかもしれませんね。
そうですね、多紀のおかげで生き残れたと思います。
「鬼嫁物語」
無事完成してなによりです。
いままで支えてくださってありがとうございます。
世の中、何があるか分かりませんね。もし、多紀が腹を立てていなければ、死んでいたでしょうし……。不思議ですね。
そうですね、禍福は糾える縄の如しっていいますからねえ。
不思議ですねえ。
いつも、元気がでるコメントありがとうございます!