鬼嫁物語

楠乃小玉

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七十四話 武田滅亡

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 各地で騒乱が起こる中でも、佐久間信盛はよく商人を集めて茶会を開くようになった。
 そんな中っで商人からもらった扇を的にあてて遊ぶ道具をいたく気に入り、それを信長と
 遊ぼうと思ってか、京に戻っていた信長の処に持って行ったが、それどころではないと
 一喝されて、しょげ返って帰ってきていた。

 尾張に居た時代はよく夜中まで油を焚いて部屋を明るくして双六で遊んでいた。
 信盛はまだその時の信長の残像を追っているようであったが、
 状況はそれどころではなかった。

 ただ、信長も悪いと思ってか、近江に在住のさい、信盛を食事に誘った。
 近江の親しくする豪農の家に宿泊し、信盛にうどんをふるまったのだ。

 「運に対しては機敏でなければならぬ、時をイタズラにすごし、運を逃すことがあっては
 ならぬのだ。運に鈍な者はこのうどんのように人に食べられてしまうのだぞ」

 信長はそのように洒落を言った。

 信盛はそれを聞いて、ゲラゲラと笑っていたが、これは信盛に対する警告にも思えると
 左京亮は思って気が気ではなかった。

 信長はそのまま岐阜に戻ろうとしたが、信盛は急いで家臣に命じて鯉をとってこさせ、
 急ごしらえ故、太い竹を切って、そこに味噌と薄切りにした鯉と出汁を入れて、
 その中に焼けた石を入れて汁として信長に出した。

 道中、棚田が広がる坂道で、棚田に写る月が何百にも見えて美しい風景であった。
 その風景を見ながら、信長と信盛は笑談をした。

 信長としては忙しい中、信盛に対して、最大限の心遣いをしていることが左京亮にもわかった。

 「信長様は変わってはおられなかった」
 信盛はそう言って満足気であったが、これだけの事をしてもらったからには、
 それに対する返礼が必要だと左居亮は思った。

 信長にとって今、一番大事なのは時なのだ。
 諸国を切り取って資金は十分にある。

 今、信長にとって一番惜しいのは時だ。その時を信盛のために割いたのだ。

 左京亮が信盛にその話をすると、信盛は「策はある」

 と言ってニンマリと笑った。

 信盛は山岡景隆ら甲賀衆を使って、信盛が京で信長から叱責された事を針小棒大に流布させた。
 この頃になると、武田信玄の死は織田家の知る処となり、
 武田勝頼が武田家当主となっていることも知れ渡っていた。


 その状況下で、信盛は武田勝頼に文を送った。

 その中で信盛は信長には愛想がつきた。
 武田の精強な軍団の前では織田信長は易々と敗退するだろうと書き送り、ぜひ、武田に寝返りたいとの
 書面を送った。

 それと同じ者は直接信長にも渡した。
 その文を読んで信長は満足げに笑っていた。

 佐久間信盛の寝返りの約束を取り付けた武田勝頼は、軍を動かして徳川領内に侵入した。

 武田勝頼は怒涛の勢いで高天神城を攻めてこれを攻略した。

 つづいて、長篠城に迫る。

 これに対して、織田、徳川連合軍は長篠城への後詰の軍を発進した。

 織田信長は、佐久間信盛から聞いて武田勝頼の進軍路を把握しており、
 長篠い大量の馬防柵を築き、武田勝頼の侵攻に備えた。

 これに対して武田勝頼も織田信長と徳川家康連合軍の前まで侵攻すると、
 そこに馬防柵を築き、大量の鉄砲をかまえて織田、徳川連合軍と対峙した。
 そして、佐久間信盛の裏切りを待った。

 しかし、佐久間信盛は裏切らない。

 この待ちの時間が武田勝頼の命取りとなった。

 織田信長は内密に徳川軍の酒井忠次を呼びつけ、
 武田勝頼の背後に回り、鳶ヶ巣山砦を奪い、武田軍の補給路を遮断するよう命令した。

 酒井は織田軍から金森長近と鉄砲500丁の与力を得て、武田軍の背後に回り、武田軍の
 補給路を遮断した。

 こうなっては、後退することはできない。
 目前に敵がいる状態で撤退を開始すれば、かつての朝倉軍のように総崩れになる。
 この場合、相手の本隊に総攻撃をかけて中央突破をするしかない。

 織田信長も桶狭間で同じことをした。

 今回は信長が今川義元と同じ立場となっている。

 それが分かっている信長は幾重にも本陣の周囲に馬防柵をはりめぐらし、鉄砲で武装した。

 ここに武田軍は突っ込んできた。

 防衛陣地は堅固で、移動している武田軍は鉄砲の射撃を有効的に使えず、
 武田軍が鉄砲を射撃してくると織田軍は土塁の下に身を隠した。
 武田軍が進むと織田、徳川軍が鉄砲を射撃してくる。

 このため、武田軍は次々と将兵を失い、壊滅的打撃を受けた。

 これで事実上、武田軍は瓦解したといってもいい状態となった。

 武田勝頼は武田方が捕虜にしていた織田信長の息子の坊丸を返還した上で、
 和議を結びたいと懇願してきたが信長はこれを拒否した。

 長篠で武田勝頼が大敗したのが5月である。

 武田が大敗すると、信盛は長年の遺恨がある水野元信について
 山岡景隆配下の甲賀衆に調べさせた。
 このさい、水野が武田方に物資を横流ししている事が発覚したので、
 信盛はこれを信長に報告した。

 信長は徳川家康にこの事を告げ、家康は武田戦勝の祝いと称して三河大樹寺に信元を呼び出し、
 そこで水野元信を殺害した。

 これで信盛も左京亮も桶狭間以来の留飲をさげることとなった。
 水野の所領のうち多くが信長から佐久間信盛に譲られた。

 ただ、信長より多くの水野家臣を抱えるようにも書状が添えられていた。

 それらの顔ぶれを見ると、真面目ではあるが、さして才覚のない者たちばかりであった。

 「戦国の世は才覚こそ大事、能無き者は去れ」

 信盛はそう言って信長から雇用するよう依頼された者たちを解雇して追放した。

 この者たちは徳川家康に召し抱えられ、代々徳川家の屋台骨をささえることとなる。

 この兄、信盛の所業に左京亮は不安をおぼえた。

 「信長公は前々より、人の才覚にこだわるな。才覚はほどほどでいいから善良な者、誠実なものを 
 用いよ。ウソをつかぬ者こそ至高である。と仰せでした。そのような者を解雇してよろしいのでしょうか」

 「なにを言うか、戦国の世は才覚の世。能ある者が出世し、無能な者は殺される。それが戦国の世の
 習わしではないか。信長様は建前でいい格好を言っているのだ。それを察してあげねばならぬ。
 無能な正直者などいらぬ」

 信盛はそうきっぱり言い切った。

 8月になると信長は越前に向けて軍を発進した。

 信長が武田にかかりっきりになっている隙をついて、越前国に一向宗が攻め込み、
 越前を奪っていたのだ。

 だが、信長が越前に迫ると、越前の農民たちが、一向宗の圧制に耐え兼ねて各地で蜂起したため、
 一向宗はろくに戦うこともできず、越前一向宗の指揮をとっていた下間頼照は迫害していた
 越前の民衆によって討たれた。

 これで、信長包囲網はほぼ壊滅したといってよい。

 この勢いに乗って信長は一向宗の立てこもる本願寺に進軍した。

 総大将は塙直政ばんなおまさである。

 織田の大軍の前に一向宗徒は総崩れになり、四天王寺の戦いで一向宗徒はろくに戦わずに撤退した。
 これを追って塙直政は進軍したが、ここで雑賀衆の配下になっていた楠木正具の鉄砲の一斉射撃をうけて
 戦死してしまう。

 総大将を失った織田軍は大混乱に陥り、砦に籠る明智光秀が孤立した。

 「ここは某が守りますゆえ、殿は退却してください」

 佐久間信盛が進言するも、信長はそれを無視して明智光秀救援に向かった。

 信長は一向宗徒の真っただ中に突っ込んで切り結び、敵の射撃で足を負傷するも、
 明智光秀を救出して帰ってきた。

 この信長の命がけの救援に、明智光秀は涙を流して感謝し、信長の前で平伏した。

 そのあと、塙直政の身内の者で一向宗徒に内通していた者がいたことが発覚し、
 信長は激怒して塙直政の一族を追放した。

 そして、佐久間信盛に一向宗掃討軍の指揮を任せた。

 信頼してもらっていることをを理解した佐久間信盛は大喜びした。
 本願寺攻めは、塙直政の身内筋にも一向宗徒の内通者がいただめ、
 信長は警戒して大量のキリシタンの将兵を投入した。

 だが、すぐにそのキリシタンの軍の大軍団を率いる三箇頼照さんがよしてる
 の切腹を信長が命じたのだ。

 信盛は驚いた。
 一向宗の坊主を殺すことは、仏教徒であれば恐れて及び腰になることが多い。
 キリシタンは貴重な戦力になる。

 
 河内の事情に精通した信長の家臣、多羅尾綱知が、三箇頼照が四天王寺で悪逆非道の
 行いをしたと訴え出たのだ。

 信盛をはじめ、左京亮もそのような事、一切聞いていない。
 宣教師に聞いても、三箇頼照もその軍も素晴らしい行いをしていたと証言した。

 このため信盛は、そのような讒言はすべて嘘であると信長に訴え、三箇頼照を守った。

 
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