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三十二話 無益な戦い
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桶狭間の合戦で今川義元を討ち取ったあと、
鳴海砦に立てこもった岡部信元に今川義元の首を渡して撤退させ、此度の戦は戦勝に終わった。
いったい、何が何だかわからない合戦であった。
合戦が終わったあと、熱田神社に戦勝報告に行き、左京亮は加藤順盛の家に寄った。
嫁の多紀の実家である。
玄関の鉢に葉っぱが植えてあった。
そこいらへんにはえていそうな葉っぱであった。
「興味がおありかな」
左京亮がそれを見ていると加藤順盛が話しかけてきた。
「あ、いや、何故あれほど大事にされておられるのかと、あの、なんといいますか」
「ああ、あれはオモトといいます」
「おもとですか」
「はい、日陰でも青々としているのが縁起がよいと言って三河では珍重されているとか。
三河の人質であった竹千代という者の家臣が、三河に帰るとき、お礼にと置いていきました」
「ああ、あの水野の親戚とかいう子供ですか」
「それも昔のこと。今は大した偉丈夫になっておることでしょう」
「いや、あれだけの負け戦、おそらくは織田方に討たれておるでしょう」
「生きているというのは聞いていますよ」
「そうなのですか、しかし、今川が負けた今となっては先はないでしょうな」
「それはわかりませぬぞ、ひょっとして出世して天下をとるかも」
「ははは、天地がひっくりかえっても、あの無骨で不器用で直情径行の三河藻のが天下を取るなど
ありえませぬ。まず知恵がありません」
「まあ、それはそうですが、天下に名をとどろかせた今川義元があのような死に方をするのですから、
世の中何があるかわからぬということですよ」
「そういうものですか」
「まったく、あの岩室という者、失礼にもほどがあります」
部屋の奥のほうで老婆の怒鳴り声が聞こえた。
「失礼、北の方の腰元頭の各務野殿がいらしているのです」
「ああ、西加藤家の隼人殿の奥方が前田の出で、前田家が斎藤家と縁続きでしたな」
「みな、親戚同士、漏れ聞こえたことは御内密に」
「それは心得ておりまする。各務野殿は岩室殿がお嫌いか」
「鷺山殿に御子が生まれぬというて、信長公に側室をお勧めになられました。
あれ以来、各務野殿は岩室殿をよく思っておられぬのです。鷺山殿の周囲の明智勢も
よく思っておられぬご様子」
「それは、色々と大変ですなあ」
「お世継ぎは大事。致し方なきことでございまする」
「まことに」
左京亮はひとしきり加藤家で雑談をしたあと、家路についた。
最大の敵、今川義元は討ち取ったとはいえ、予断を許さぬ状況であった。
信長は一旦は今川に寝返った水野を不問にふした上に、松平元康を今川方から味方に引き入れた。
松平元康といえば、加藤家に人質としてやってきた竹千代が元服したものである。
松平といえば市場を開き、座を壊して一向宗に自由に売買を刺せるようになって以来、
国内の衰亡著しく、勢力としては水野の与力のような状況であった。
しかし、信長は水野を信用しておらず、積極的に松平を支援し、水野に対するけん制手段とした。
結果、弱小であった松平家は見る間に巨大化し、三河で権勢をふるったのである。
東の事は松平に任せ、北の斎藤義龍と対峙しようとしたさなか、
信長のイトコである織田信清が斎藤側に寝返った。
今川義元が存命のうちの寝返りなら分かるが、なぜ、義元が敗死し、
織田がこれから発展しようとしている時に裏切るのか、
まったく先の見えぬ者であった。
普通に考えて、勢いを得た織田信長に勝てるわけもないが、
どうやら、伊賀、甲賀の素っ破衆が信清を支援しているようであった。
信清の家老である黒田城主和田新助は甲賀衆である。
おそらく、その縁で伊賀、甲賀の者たちを
大量に雇っているのであろう。
それだけではない。
伊賀は大和国から鈴鹿峠を通って油や酒を伊勢、岐阜、北尾張に運ぶ交通の要所である。
しかし、峠を馬や人手で荷を運ぶのには費用がかさむ。
もし、信長が美濃を攻め取り、伊賀、甲賀の道先案内人を無視して、
整備された道を使い、大量の物資を岐阜に運び込み、そこから、長良川を使って
水路で物資を大量輸送すれば、鈴鹿峠の物流業者は死活問題である。
伊賀、甲賀が総出で織田信清を支援するのも理解できることだ。
そういう裏でもなければこの謀反は無謀すぎる。
伊賀、甲賀の支援を受けた信清側は小城である小口城ですら容易に落ちなかった。
それだけではない。攻城戦の総大将であった岩室長門守が討ち死にしてしまった。
桶狭間の合戦で三百で数倍の敵に突撃して生きて帰ってきた男である。
信長の落胆は激しく、嘆き悲しみ、憔悴しきってしまった。
信長の悲しみを見て、妻である鷺山殿も激しく憔悴してしまったようだ。
どうやら、自分が岩室の事を疎ましく思ったために、このような事になったと
思っているらしく、周囲の者が慰めるのが大変のようであった。
左京亮の妻である多紀も鷺山殿を慰めるために鷺山殿の御殿に佐脇藤八の姉とともに
行っていたようだった。
数日間、信長は憔悴のあまり嘆き悲しみ、平常心を保てない様子であったようだが、
岩室の小者である猫の目という者が岩室の遺書を渡し、伊賀、甲賀と一戦するからには
死も覚悟の上であるとしたためてあったようだ。
岩室の死を覚悟した書状を呼んだ信長は心機一転し、近江の浅井長政とよしみを通じ、
甲賀衆の道先案内と物流の仕事の安堵と、今後近江から鉄砲弾薬などの物資を
常時購入する旨、伝えて懐柔した。
このため、甲賀方は手を引き、甲賀が手を引いたのを見て伊賀も手を引いた。
そうなると、信清に勝ち目はない。
信長は外交手段だけではなく、小牧に巨大な山城を建設し、
信清方を威圧した。
このため、小口城の中島豊後守は降伏し、次いで和田新助も降伏したため、
織田信清は犬山城を捨てて逃亡した。
誰も得をしない。
無益な戦いであった。
鳴海砦に立てこもった岡部信元に今川義元の首を渡して撤退させ、此度の戦は戦勝に終わった。
いったい、何が何だかわからない合戦であった。
合戦が終わったあと、熱田神社に戦勝報告に行き、左京亮は加藤順盛の家に寄った。
嫁の多紀の実家である。
玄関の鉢に葉っぱが植えてあった。
そこいらへんにはえていそうな葉っぱであった。
「興味がおありかな」
左京亮がそれを見ていると加藤順盛が話しかけてきた。
「あ、いや、何故あれほど大事にされておられるのかと、あの、なんといいますか」
「ああ、あれはオモトといいます」
「おもとですか」
「はい、日陰でも青々としているのが縁起がよいと言って三河では珍重されているとか。
三河の人質であった竹千代という者の家臣が、三河に帰るとき、お礼にと置いていきました」
「ああ、あの水野の親戚とかいう子供ですか」
「それも昔のこと。今は大した偉丈夫になっておることでしょう」
「いや、あれだけの負け戦、おそらくは織田方に討たれておるでしょう」
「生きているというのは聞いていますよ」
「そうなのですか、しかし、今川が負けた今となっては先はないでしょうな」
「それはわかりませぬぞ、ひょっとして出世して天下をとるかも」
「ははは、天地がひっくりかえっても、あの無骨で不器用で直情径行の三河藻のが天下を取るなど
ありえませぬ。まず知恵がありません」
「まあ、それはそうですが、天下に名をとどろかせた今川義元があのような死に方をするのですから、
世の中何があるかわからぬということですよ」
「そういうものですか」
「まったく、あの岩室という者、失礼にもほどがあります」
部屋の奥のほうで老婆の怒鳴り声が聞こえた。
「失礼、北の方の腰元頭の各務野殿がいらしているのです」
「ああ、西加藤家の隼人殿の奥方が前田の出で、前田家が斎藤家と縁続きでしたな」
「みな、親戚同士、漏れ聞こえたことは御内密に」
「それは心得ておりまする。各務野殿は岩室殿がお嫌いか」
「鷺山殿に御子が生まれぬというて、信長公に側室をお勧めになられました。
あれ以来、各務野殿は岩室殿をよく思っておられぬのです。鷺山殿の周囲の明智勢も
よく思っておられぬご様子」
「それは、色々と大変ですなあ」
「お世継ぎは大事。致し方なきことでございまする」
「まことに」
左京亮はひとしきり加藤家で雑談をしたあと、家路についた。
最大の敵、今川義元は討ち取ったとはいえ、予断を許さぬ状況であった。
信長は一旦は今川に寝返った水野を不問にふした上に、松平元康を今川方から味方に引き入れた。
松平元康といえば、加藤家に人質としてやってきた竹千代が元服したものである。
松平といえば市場を開き、座を壊して一向宗に自由に売買を刺せるようになって以来、
国内の衰亡著しく、勢力としては水野の与力のような状況であった。
しかし、信長は水野を信用しておらず、積極的に松平を支援し、水野に対するけん制手段とした。
結果、弱小であった松平家は見る間に巨大化し、三河で権勢をふるったのである。
東の事は松平に任せ、北の斎藤義龍と対峙しようとしたさなか、
信長のイトコである織田信清が斎藤側に寝返った。
今川義元が存命のうちの寝返りなら分かるが、なぜ、義元が敗死し、
織田がこれから発展しようとしている時に裏切るのか、
まったく先の見えぬ者であった。
普通に考えて、勢いを得た織田信長に勝てるわけもないが、
どうやら、伊賀、甲賀の素っ破衆が信清を支援しているようであった。
信清の家老である黒田城主和田新助は甲賀衆である。
おそらく、その縁で伊賀、甲賀の者たちを
大量に雇っているのであろう。
それだけではない。
伊賀は大和国から鈴鹿峠を通って油や酒を伊勢、岐阜、北尾張に運ぶ交通の要所である。
しかし、峠を馬や人手で荷を運ぶのには費用がかさむ。
もし、信長が美濃を攻め取り、伊賀、甲賀の道先案内人を無視して、
整備された道を使い、大量の物資を岐阜に運び込み、そこから、長良川を使って
水路で物資を大量輸送すれば、鈴鹿峠の物流業者は死活問題である。
伊賀、甲賀が総出で織田信清を支援するのも理解できることだ。
そういう裏でもなければこの謀反は無謀すぎる。
伊賀、甲賀の支援を受けた信清側は小城である小口城ですら容易に落ちなかった。
それだけではない。攻城戦の総大将であった岩室長門守が討ち死にしてしまった。
桶狭間の合戦で三百で数倍の敵に突撃して生きて帰ってきた男である。
信長の落胆は激しく、嘆き悲しみ、憔悴しきってしまった。
信長の悲しみを見て、妻である鷺山殿も激しく憔悴してしまったようだ。
どうやら、自分が岩室の事を疎ましく思ったために、このような事になったと
思っているらしく、周囲の者が慰めるのが大変のようであった。
左京亮の妻である多紀も鷺山殿を慰めるために鷺山殿の御殿に佐脇藤八の姉とともに
行っていたようだった。
数日間、信長は憔悴のあまり嘆き悲しみ、平常心を保てない様子であったようだが、
岩室の小者である猫の目という者が岩室の遺書を渡し、伊賀、甲賀と一戦するからには
死も覚悟の上であるとしたためてあったようだ。
岩室の死を覚悟した書状を呼んだ信長は心機一転し、近江の浅井長政とよしみを通じ、
甲賀衆の道先案内と物流の仕事の安堵と、今後近江から鉄砲弾薬などの物資を
常時購入する旨、伝えて懐柔した。
このため、甲賀方は手を引き、甲賀が手を引いたのを見て伊賀も手を引いた。
そうなると、信清に勝ち目はない。
信長は外交手段だけではなく、小牧に巨大な山城を建設し、
信清方を威圧した。
このため、小口城の中島豊後守は降伏し、次いで和田新助も降伏したため、
織田信清は犬山城を捨てて逃亡した。
誰も得をしない。
無益な戦いであった。
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