鬼嫁物語

楠乃小玉

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二六話 和睦

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 信長に逆らっていた弟の信勝が討たれたことで、尾張にはひと時の平安が訪れた。

 この機を逃さず、信長は今川方と和平の交渉に動いた。
 あくまでも低姿勢に熱田衆からも何度も今川の御用商人でる友野殿に貢ぎ物を送り折衝した。

 結果、石橋義忠の仲介日本語より、建前上は尾張の君主である斯波義銀と
 建前上三河の領主である吉良義昭が和解することになり、そこに織田信長と今川義元が
 同行する形となった。

 事実上、織田と今川の和睦でる。

 その後の宴席のために、佐久間左京亮も宴席の食材集めに奔走した。

 織田信長はアワビの醤油漬けを好むため、信長の妻の鷺山殿は戦勝のさいは
 よくアワビの醤油漬けを所望した。

 アワビは生の刺身で食べるためには大江の浜のほうまで行かねばならぬ。
 もし、熱田や清州でアワビの刺身を食べようとすればアワビが取れてすぐ
 早馬を全速力で走らせねばならぬ。
 下手をすれば馬を潰すこととなる。

 そこまでして内陸で刺身を食べさえることを馬を走らせて調達すること、
 つまり、馳走する。御馳走と言った。
 斯波、織田、吉良、今川の大人数に馳走することは不可能である。
 よって、保存のきく醤油漬けということになる。

 熱田では材木座を仕切る小嶋御前の弟、織田彦八郎が戦死して以降、
 作事方が低調であった。

 作事方は建物を建築する部門、
 普請方とは道路や橋を建築する部門である。

 今では坂井氏の一派である赤川景弘率いる普請方が大きな力を持っていた。

 そんな中、今回の宴席は熱田にとって久しぶりに景気のよい出来事であった。

 信長の妻、鷺山殿が直々に食材調達に熱田まで出向き、左京亮の妻である多紀も
 鷺山殿に同行した。

 多紀と鷺山殿は気性が合うようで、なにやら笑談をしていた。

 左京亮は信長と同行し、和睦の場所の清掃や陣幕の調達に奔走していた。

 信長が鷺山殿の様子を見に行くというので、左京亮も同行することとなった。

 鷺山殿を見るなり、信長の顔はパッと明るくなった。

 「おお、綺麗な髪飾りではないか、似合っておるぞ」

 そう言って信長は鷺山殿に駆け寄る。

 「贅沢をしてしまって申し訳ございません。どうしてもと多紀が言うものですから」

 「よいぞ、美しい花には美しい花瓶が似合う。そなたの美しさを彩るために気をつかって
  くださったのであろう、多紀殿礼を言うぞ」

 そう言って信長は多紀に頭をさげた。

 「いえ、何を仰せですか、出過ぎた事、申し訳のう思っております」

 「いやいや感謝する」

  そう言うと信長は鷺山殿に再び向き合う。

 「この信長を楽しませるために、その装飾を買ったのであろう。ありがとう、良くたのしめたぞ」

 そう言って信長は鷺山殿を抱き寄せた。
 鷺山殿の頬がほんのりと赤くなるのが遠目にもわかった。

 信長に褒められた多紀は上機嫌で、左居亮を見つけると、足早に近づいてきた。

 「ふふふ、左京亮殿」

 そうやって、左京亮の前を右往左往する。

 左京亮は何でこんな事をしているのかわからず、ボーっと多紀を見ている。

 多紀の髪に刺した髪飾りがチャラチャラと揺れる。

 「なんじゃ」

 左京亮が問う。

 「さあ、なんでしょう」

 まだ多紀の機嫌はいい。

 「用が無いならどけ、いそがしいのだ」

 左京亮がそういうと、多紀はキッと目をつりあげたかと思うと、
 左京亮の小指を思いっきりカカトで踏んだ。

 「うがっ!いたたたたたた」

 左京亮は痛みのあまり、その場にしゃがみこんでしまった。

 「な、な、な、何もしていないのに、いきなり何をするか、この鬼嫁め!」

 左京亮は怒鳴る。

 「ふん、なにもしないからです」

 そう言って多紀は鷺山殿のところへ走り去ってしまった。

 「まことに分けがわからぬ、何で何もしていないのに、酷い事をするのだ、まことに鬼嫁め、 
  顔がキレイな事を鼻にかけておるのか……」


 そんな事も言ってはおれぬので、陣幕など必要なものを調達して、石橋義忠の屋敷に向かった。

 ところがである。

 当日、斯波義銀と吉良義昭が、どちらが上座に座るかで延々とケンカをして、ついには
 双方遠方に離れて口頭だけで和睦を告げる次第となってしまった。

 まことに器が小さき御仁であると左京亮は思った。

 そんな有様であるから、和睦後の宴席も開かれることなく、双方、和睦が済むと 
 そのまま引き上げていった。

 宴席の料理も無駄になってしまった。


 それでも、一時だけでも今川の脅威が遠のいた事はめでたいことであった。



 
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