鬼嫁物語

楠乃小玉

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二十話 ウツケの主従

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 織田信長は軍略の師匠である橋本一巴の思想的影響を強く受けていたため、
 天皇を崇敬し、主君に忠誠を誓うことを美徳だと考えていた。

 この乱世の時代、それは極めて愚かで、時代遅れの考えと捉えられていた。

 室町幕府の要職にある土岐頼遠が光厳上皇の牛車に対して「院と言うか。犬というか。犬ならば射ておけ」
 と言って矢を射かける時代である。

 およそ天皇を尊重する者などいない世の中である。

 世は下剋上の時代、有能な者は無能な主君を討っても許されるという風潮があった。


 そんな中、信長は主君である斯波義統しばよしむねを尊び、
 度々茶会を開いてもてなした。

 信長は必ず斯波義統を上座に座らせ、恭しく接した。

 このため、斯波義統も信長を大変気に入っていた。

 世間の人はこの茶の湯好きの主従をうつけの主従と嘲笑していた。

 尾張言葉でタワケとはふざけた奴、不良、ろくでなしといった意味があったが、
 ウツケは空け、つまり、頭の中が空っぽ、バカという意味でつかわれていた。

 それだけ、当時、斯波の殿様も信長も世間からは頭が悪いと思われていた。

 岩室長門守や織田秀敏などごく一部の者は信長を高く評価していたが、
 それも世間の人は、ただのヘツライだと言っていた。

 世間の人らは、信長が愚かなので斯波義統に忠義を尽くしていると思っていたが、
 清州の尾張下半郡守護代織田信友はそうは思っていないようであった。

 信長はウツケのふりをして、斯波義統をおだて上げ、尾張下半郡守護代の地位を自分から
 奪おうと画策しているのではないかと邪推しているようであった。

 このため、織田信友は又守護代坂井大善、織田三位、川尻左馬助らと語らい、斯波家の家臣たちの大半が
 息子の斯波義銀よしかねの川遊びに同行している隙を衝いて斯波義統を襲い、
 一族三十人ともども殺害してしまった。

 これに激怒した信長はその後わずか六日で軍勢を整え、清州に攻め寄せた。
 織田信友は城を出て迎撃に向かい、安食村あじきむらで両軍は激突した。

 天文二十三年七月十八日の事である。

 この戦いで信友軍は散々に打ち負かされ、主力軍の大将であった織田三位、川尻左馬助らが打ち取られた。

 坂井大善は命からがら逃げ伸びたが、織田信長の伯父、織田信光を懐柔し、
 信長を挟撃する計画を立てた。

 しかし、一旦は坂井大善の申し入れを承諾した織田信光は、
 清州城に軍勢を入れると、突如として決起し、織田信友を切腹させた。
 坂井大善は織田信光が軍を起こすと、戦わずに一人で逃げた。
 その後、坂井大善は行方知れずとなった。

 坂井大善が姿を消すと、信長は坂井一族の束ねを一族の赤川景弘に任せ、
 その後も道の建設を積極的に行った。
 この事に赤川景弘はいたく感動し、織田信長に忠節を誓った。

 それ以降、左京亮は兄の信盛とともに赤川景弘と共同で仕事をすることが多くなり、
 勘定方の村井貞勝、島田秀満と連名で書状を書くことも増えた。

 建築を主業とする神社神道の一派の中には裏切者と陰口をたたくものもあり、
 左京亮としては心苦しかった。

 
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