鬼嫁物語

楠乃小玉

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六話 熱田の姫君

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 山崎に帰ってきた左京亮は次に熱田加藤順盛の次男、弥三郎に貢ぎ物を送るよう兄、信盛より
 仰せつかった。

 加藤弥三郎は子供の頃より神童と噂された英才であり、
 尾張下半郡でもっとも頭が切れる若者と評判であった。

 信盛はその才能を見込み、是非とも仲間に引き入れようと考えているようであった。

 しかし、佐久間家には加藤家に嫁にやる娘がいなかった。
 貢ぎ物として漢文で書かれた孫子を手渡された。
 書き下し文での孫子は巷にも出回っているが、
 本当の唐物の孫子はなかなか手に入るものではない。

 羽城に向かい、加藤弥三郎に面会を求め、漢文の孫子を手渡したが
 弥三郎はうかぬ顔をしていた。

 「孫子はお気に召しませんでしたか」

 「このような本、すでに子供の頃に読んで、すべて頭に入ってござる」

 つまらなそうに弥三郎は言った。

 「しかし、これは漢文で……」

 「かように凡俗は唐物とか希少であることを尊ぶ。大事なのは中身。
 そのように唐渡りというだけで崇め、珍重する。まことに情けないことでございまするな」

  弥三郎は見下したように言った。

 「申し訳ございませぬ」

 頭をさげる左京亮

 「して、そなたは何処で学問を学ばれたか」

 「あ、はい、父と兄から学びました」

  そう言うと弥三郎は眉間に深いシワを寄せた。

 「そうではない、どこの学僧から学ばれたかと聞いておる」
 
 「おそれながら耳学問で、学僧からは習っておりませぬ」

 「はっ、情けない、だと思った。これだから教養のない人は。拙者は、
 京の五山の学僧より免許皆伝を収めておる。京の五山ですぞ。五山といわぬまでも
 比叡山か本願寺の学僧から免許皆伝をもらわぬ者は、士族としての教養を疑われまするぞ」

 「まことに申し訳次第もございませぬ」

 左京亮は顔を真っ赤にして頭をさげた。

 「まあ、お兄様、またそのように他所の人をいじめて。そんな事をしているから、
 お友達がいないのですよ」

 後ろから女性の透き通るような声が聞こえた。

 振り返ると、まるで天女のような美しい女性が立っていた。

 「おお」

 左京亮は目を見張ってその場に立ちすくんでしまった。

 「あっちに行っておれ、多紀。お前のような無学な者は下がっておれ、家の恥じゃ」

 「またそんな嫌われるような事ばかり。兄上は京の五山の学僧から習っただけで、
 兄上が五山に入れたわけではないではありませぬか、五山の僧から説法を聞くだけなら
 犬でもできまする」

 「チッ、無学者がまたそのような戯言を。拙者は五山の学僧から免許皆伝をもらったのじゃ」

 「まあ、地獄の沙汰も金次第と言いますものね」

 「黙れ、無学の減らず口め、いまいましい」

 弥三郎はコメカミに青筋を立てて歯をくいしばった。

 「このような見目麗しい妹様をお持ちとは羨ましいかぎりでございまする」

 弥三郎はそのあまりの美しさについ、口を滑らせてしまった。

 「まあ、そのような、恥ずかしい」

 多紀は顔を赤らめて両手を頬にあてた。
 その仕草が愛らしく、左京亮の胸はときめいた。

 「何がうらやましいものか、さては、そなた、妹がおらぬな」

 「左様、うちは男兄弟ばまりでございまする」

 「妹などロクなものではない。バカの癖に減らず口、天下に神童と噂される
 立派な兄にむかって、兄上きも~い、などと言いくさる。尊い者を見極めることもできぬ
 凡俗の分際で」

 「だって、自分で自分を神童などとほざくお方は世間では気持ち悪いと言われるものですよ」

 「幼い頃より背に負ぶって世話をしてやった恩も忘れて生意気三昧、そのくせ、
 他所の男の前ではクネクネと腰を振って媚びへつらいよって、
 幼児の頃は我が背中で小便をちびって、まあ、その臭いこと臭いこと、
 こいつの正体など、ただの小便くさい戯けでございまするぞ、お気をつけあれ」

 弥三郎が左京亮のほうを向きなおってそう言った。

 「兄上、ひどい」

 多紀の目から玉のような涙がポロポロとこぼれだす。

 
 「そのおおっしゃり様、あまりにひどうございまするぞ、このような美しい天女のようなお方が
 そのような非礼をするわけがございませぬ」

 「だまされている、女きょうだいがおらぬソコモトは騙されておるぞ、他人の男の目のない時の
 女がいかにガサツであるか知るまい、女とて、小便も垂れれば屁もひるのだ」

  「ううう……」

 多紀は両手で顔を覆い、泣きながらしゃがみこんでしまった。

 「なんと酷いお方じゃ、たとえ加藤の神童が相手でも、この左京亮、許しませぬぞ、このような
 か弱き女性を相手に酷いことを言われて。ああ、お可哀そうに。この左京亮は多紀殿の味方でござるぞ」

 左京亮は優しく多紀に声をかけた。

 「ああああああああああ!また被害者ぶって、男をたぶらかしておる。そうやって、いつも
 この弥三郎を悪者にするがゆえ、この心清きお人よしの兄が人に嫌われるのではないか!
 この策略家のメギツネめ!いつも兄をハメこみよってからに」

 弥三郎は顔を真っ赤にしてその場でピョンピョンと跳ねた。

 「いったいどうしたのだ騒がしい」

 屋敷の奥から気だるそうな若者が出てきた。

 「おお、佐久間様か、某、加藤家の長男、加藤順政よりまさでございまする」

 「兄上、また、このクソメスが拙者を陥れたのじゃ、これで何回目じゃ、人の好い裏表のない
 ワシは、いつもこいつにはめ込まれる、卑怯ではないか」

 弥三郎が感情的になって話に割って入る。

 「そなたは裏表がなさすぎる。裏表の差額で儲けるのが商人。今のお前では商売ができぬ」

 「そのような事を言っておるのではない、今はこの汚き妹の策謀をだな……」

 弥三郎を無視して順政は左京亮のほうを見る。

 「して、佐久間様から見て悪いのはどちらに見えますかな」

 左京亮は躊躇なく弥三郎を指さした。

 「はい、お前のまけー」

 加藤順政は弥三郎のクビに太い腕っぷしを巻き付け、ズルズルと奥にひっぱっていった。


 「うえぷあう、ふじこ……」

 弥三郎は順政の腕に口をふさがれ、何か叫びながら屋敷の中に引きずりこまれていった。

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