78 / 78
あとがき
あとがき
しおりを挟む
裴松之先生の罵詈雑言、お楽しみいただけましたでしょうか。俺はめっちゃ楽しめました。ヤバいねこのひと。ただ、先生のぶん殴りを楽しんでいたら、思いがけず陳寿と裴松之との間の歴史観の齟齬みたいな所についてうだうだ書きたくなっちゃいましたので、その辺をぶちまけておしまいにしたいと思います。
結論として、統一王朝の歴史官として、ある程度旧三国の歴史を平等に扱わねばならなかった陳寿に対して、裴松之には「我らが大いなる宋には(北魏と違って)堯舜より受け継いでいる正統王朝としての権威がある!」と主張する任務があった、と言えるでしょう。裴松之が宋の皇帝より歴史について調べさせられ、更にその皇帝が「見事な仕事だ!」と讃えたのは、つまりそういう事情があったと考えるのが自然だと思うのです。
では、宋が示さなければならなかった歴史観とは?
○
晋より簒奪し、立った帝国。それが宋。その建立者は劉裕。今更自己紹介しますが、当作作者である波間丿乀斎、劉裕についてアホみたいに調べまくっている人間です。つまり裴松之の生きている時代ガチ勢です。
そんな劉宋の建国においてよく言われるのは「何故劉姓なのに国号を漢としなかったのか?」です。漢の再興を謳って国を建てれば、それこそ後世に大英雄として名を残しただろうに、と。
ここについては検証を重ねた結果、「漢を謳ったら、むしろ正統性が損なわれるので名乗るわけにはいかなかった」と仮説しています。というのも、当時の中国は既に何回か「覇権国家の国号が変わる」を体験しています。夏、殷、周。伝統的正統観で言えば秦をスルーして、その次に、漢。つまり「天子の姓が変わるのであれば、むしろ国号は変わらねばならない」のです。
ここで劉宋にとっては、漢との間に既に魏晋を挟んでいます。この二国から帝位を継承するにあたり、「漢」を名乗ると何が起こるか。「魏晋を正統国家として認めない」、となってしまうのです。「漢の再興」ですからね。
それを認めるわけにはいかない。何故か。このとき華北では、五胡国家が散々皇帝を自称しています。皇帝とは本来地上の主という意味。ホイホイ名乗ってはならない称号でした。しかし彼らは平然と自称し、あまつさえ北魏などと言うあり得ないくらいの勢力を誇る国家を誕生させてしまった。
彼らは「正統な国家」ではありません。あくまで野蛮な武力を振るう野蛮な国家が、力自慢の結果として皇帝を僭称したに過ぎない。「正統なる支配権の継承者」は東晋であり、劉宋なのです。「本当の意味での皇帝とは、武力ではなく、先の皇帝よりその徳行が認められ、次代の主であると承認された上で即位されねばならない」。
すなわち「漢・魏(もしくは蜀)・晋が代々継承してきたものを引き受けた」ことこそが劉宋の正統性を強弁しうる根拠であり、漢の間に二国が挟まる以上、劉宋はあくまで「その次」であるべき。
ともなれば、魏晋の正統性を否定するのは「堯舜以来の権威」を否定することにもつながるのです。
小説家の田中芳樹氏は、劉裕が国号を宋としたことについて「漢の権威に頼ろうとしなかった」と評価しておられました。自分はこの説を否定しています。むしろこの上なく漢の権威(と言うよりも、漢の正当性を担保するもっと大きいもの)に縛られているように感じられているのですね。でなければ劉裕が劉邦の同母弟である劉交、すなわち最も漢の権威に近接した血統を名乗ろうとはしないでしょう(ちなみに劉交の子孫だと劉裕は公式に宣言しています、正しいかどうかはさておき)。
漢の天命がすでに尽きている以上、漢の再興はありえない。しかし、その血統に限りなく近いところから、新たな天命が生じた。そのような物語が考えられたことでしょう。
裴松之による注の付し方は、以上のような劉宋的歴史観を大いに裏打ちするためになされた、と考えることができるのではないでしょうか。
○
陳寿と、裴松之。異なった歴史観を抱えるふたりですから、当然書きぶりも違います。陳寿が三国の皇帝及び参謀を可能な限りニュートラルな筆致で書くのに対し、裴松之はものすごい勢いで呉帝および周瑜陸遜を叩きます。魏蜀の、特に第一の参謀(つまり荀彧と諸葛亮)への気持ち悪いくらいの激賞に較べて、その温度差たるや、もう。というかご丁寧にも、周瑜陸遜によって不利益を被っている人物については称揚までしてますしね。張昭とか魯粛の扱いには笑っちゃうしかなかったです。
それはもう、そういうもんなんでしょう。そこにツッコミを入れたところで仕方ありません。
ただ、こういう疑問は提示できるかと思います。
「じゃあ、魏と蜀のどっちを正統だと考えてたの?」です。
これは、多分……
どっちでも良かったんでしょうけどね。
いきなりのちゃぶ台返し!
ただ冗談抜きで、どちらが正統でも構わなかったと思うんです。裴松之、いいえ、こう言いましょう。劉宋にしてみれば、「北魏よりもうちが正統!」さえ論証できればいいのです。
論語の公冶長13には、以下のような言葉があります。
子貢曰:「夫子之文章,可得而聞也;夫子之言性與天道,不可得而聞也。」
孔子より多くの言葉を聞くことのできる立場にあった高弟の子貢ですら、孔子から天についての話を聞くことはなかった。
天とは人智を超越するものであり、人でしかないものがおいそれと語ることなどできない。昔のえらい人もそう言っているのです。ならば裴松之が魏と蜀、どちらが真に正統かなど理解できている必要もないのです。だから、どちらが正統であってもいいよう、裴松之は双方を称揚した。
あと、ついでに呉を叩いた。正統論からすれば問題外ですしね、呉。武力で国を打ち立てるなんて、暴虐きわまりない。言ってみれば北魏みたいなもんです。というわけで、自分としては周瑜叩き、陸遜叩きは賈詡叩きや法正叩きと違い、「ポジショントークであった」と認識しています。
○
裴松之の暴言は、大雑把に二つに分けられると思うのです。上で語れるように、ポジショントークからのもの。そしてもう一つが、個人的なもの。この間ネットで拾った説に「賈詡・法正は変節漢、審配は忠烈の徒。だから評価に温度差が出た」というものがありました。なるほど、と思いました。まぁ「ありえそうですよね」以上言うことは出来ないのですが、裴松之が明確にお気持ちを表明しているわけでもありませんので。
裴松之注については、Web で論文が読めます。
裴松之『三国志注』の史料批判と劉宋貴族社会
袴田郁一、2019年
https://www.waseda.jp/flas/glas/assets/uploads/2019/04/HAKAMADA-Yuichi_1264-1249.pdf
この論文は自分が本作でやったことについて、もっと学術的に、厳密に踏み込んでおられているものであり、非常に示唆に富んでいます。ただ裴注について「劉宋の皇帝に命じられ、著したものを献上した」「その著述を皇帝が絶賛した」と言う視点が抜け落ちているのが痛い。裴松之注は、もちろん裴松之自身の気持ちも多分に盛り込まれているでしょう。けど「劉宋の段階で伝わっていた歴史観を立証する」性格のほうがよほど強いと思うのですよね。迂闊に裴松之の主張、に収斂していいものではないと思います。
そうした視点を持つと、「蜀漢正統論」というのは本当に根深い問題なんだなあ、と感じるのです。そりゃ朱子学さんが諸手を挙げて持ち出すわけですね。
○
いや、始めは単純に裴松之の暴言で楽しもうと思っていたのです。けど東晋末~劉宋黎明期ガチ勢の目から見ると、思った以上に該当時代における歴史観が強くにじみ出ていました。まぁ、自分の勇み足なだけかも知れないですけどね。
裴松之先生とのダンスにより、劉裕を取り巻く環境についての勉強も進んだ気がします。ありがたい限りです。これをうまく、現在止まっている小説終盤の空気感に取り入れられればいいな、と思います。
以上、お付き合いくださり、ありがとうございます。なお各罵詈雑言についての皆様よりのツッコミ、あるいは作中で取り上げられていなかった罵詈雑言のご紹介については随時お待ち致しております。
結論として、統一王朝の歴史官として、ある程度旧三国の歴史を平等に扱わねばならなかった陳寿に対して、裴松之には「我らが大いなる宋には(北魏と違って)堯舜より受け継いでいる正統王朝としての権威がある!」と主張する任務があった、と言えるでしょう。裴松之が宋の皇帝より歴史について調べさせられ、更にその皇帝が「見事な仕事だ!」と讃えたのは、つまりそういう事情があったと考えるのが自然だと思うのです。
では、宋が示さなければならなかった歴史観とは?
○
晋より簒奪し、立った帝国。それが宋。その建立者は劉裕。今更自己紹介しますが、当作作者である波間丿乀斎、劉裕についてアホみたいに調べまくっている人間です。つまり裴松之の生きている時代ガチ勢です。
そんな劉宋の建国においてよく言われるのは「何故劉姓なのに国号を漢としなかったのか?」です。漢の再興を謳って国を建てれば、それこそ後世に大英雄として名を残しただろうに、と。
ここについては検証を重ねた結果、「漢を謳ったら、むしろ正統性が損なわれるので名乗るわけにはいかなかった」と仮説しています。というのも、当時の中国は既に何回か「覇権国家の国号が変わる」を体験しています。夏、殷、周。伝統的正統観で言えば秦をスルーして、その次に、漢。つまり「天子の姓が変わるのであれば、むしろ国号は変わらねばならない」のです。
ここで劉宋にとっては、漢との間に既に魏晋を挟んでいます。この二国から帝位を継承するにあたり、「漢」を名乗ると何が起こるか。「魏晋を正統国家として認めない」、となってしまうのです。「漢の再興」ですからね。
それを認めるわけにはいかない。何故か。このとき華北では、五胡国家が散々皇帝を自称しています。皇帝とは本来地上の主という意味。ホイホイ名乗ってはならない称号でした。しかし彼らは平然と自称し、あまつさえ北魏などと言うあり得ないくらいの勢力を誇る国家を誕生させてしまった。
彼らは「正統な国家」ではありません。あくまで野蛮な武力を振るう野蛮な国家が、力自慢の結果として皇帝を僭称したに過ぎない。「正統なる支配権の継承者」は東晋であり、劉宋なのです。「本当の意味での皇帝とは、武力ではなく、先の皇帝よりその徳行が認められ、次代の主であると承認された上で即位されねばならない」。
すなわち「漢・魏(もしくは蜀)・晋が代々継承してきたものを引き受けた」ことこそが劉宋の正統性を強弁しうる根拠であり、漢の間に二国が挟まる以上、劉宋はあくまで「その次」であるべき。
ともなれば、魏晋の正統性を否定するのは「堯舜以来の権威」を否定することにもつながるのです。
小説家の田中芳樹氏は、劉裕が国号を宋としたことについて「漢の権威に頼ろうとしなかった」と評価しておられました。自分はこの説を否定しています。むしろこの上なく漢の権威(と言うよりも、漢の正当性を担保するもっと大きいもの)に縛られているように感じられているのですね。でなければ劉裕が劉邦の同母弟である劉交、すなわち最も漢の権威に近接した血統を名乗ろうとはしないでしょう(ちなみに劉交の子孫だと劉裕は公式に宣言しています、正しいかどうかはさておき)。
漢の天命がすでに尽きている以上、漢の再興はありえない。しかし、その血統に限りなく近いところから、新たな天命が生じた。そのような物語が考えられたことでしょう。
裴松之による注の付し方は、以上のような劉宋的歴史観を大いに裏打ちするためになされた、と考えることができるのではないでしょうか。
○
陳寿と、裴松之。異なった歴史観を抱えるふたりですから、当然書きぶりも違います。陳寿が三国の皇帝及び参謀を可能な限りニュートラルな筆致で書くのに対し、裴松之はものすごい勢いで呉帝および周瑜陸遜を叩きます。魏蜀の、特に第一の参謀(つまり荀彧と諸葛亮)への気持ち悪いくらいの激賞に較べて、その温度差たるや、もう。というかご丁寧にも、周瑜陸遜によって不利益を被っている人物については称揚までしてますしね。張昭とか魯粛の扱いには笑っちゃうしかなかったです。
それはもう、そういうもんなんでしょう。そこにツッコミを入れたところで仕方ありません。
ただ、こういう疑問は提示できるかと思います。
「じゃあ、魏と蜀のどっちを正統だと考えてたの?」です。
これは、多分……
どっちでも良かったんでしょうけどね。
いきなりのちゃぶ台返し!
ただ冗談抜きで、どちらが正統でも構わなかったと思うんです。裴松之、いいえ、こう言いましょう。劉宋にしてみれば、「北魏よりもうちが正統!」さえ論証できればいいのです。
論語の公冶長13には、以下のような言葉があります。
子貢曰:「夫子之文章,可得而聞也;夫子之言性與天道,不可得而聞也。」
孔子より多くの言葉を聞くことのできる立場にあった高弟の子貢ですら、孔子から天についての話を聞くことはなかった。
天とは人智を超越するものであり、人でしかないものがおいそれと語ることなどできない。昔のえらい人もそう言っているのです。ならば裴松之が魏と蜀、どちらが真に正統かなど理解できている必要もないのです。だから、どちらが正統であってもいいよう、裴松之は双方を称揚した。
あと、ついでに呉を叩いた。正統論からすれば問題外ですしね、呉。武力で国を打ち立てるなんて、暴虐きわまりない。言ってみれば北魏みたいなもんです。というわけで、自分としては周瑜叩き、陸遜叩きは賈詡叩きや法正叩きと違い、「ポジショントークであった」と認識しています。
○
裴松之の暴言は、大雑把に二つに分けられると思うのです。上で語れるように、ポジショントークからのもの。そしてもう一つが、個人的なもの。この間ネットで拾った説に「賈詡・法正は変節漢、審配は忠烈の徒。だから評価に温度差が出た」というものがありました。なるほど、と思いました。まぁ「ありえそうですよね」以上言うことは出来ないのですが、裴松之が明確にお気持ちを表明しているわけでもありませんので。
裴松之注については、Web で論文が読めます。
裴松之『三国志注』の史料批判と劉宋貴族社会
袴田郁一、2019年
https://www.waseda.jp/flas/glas/assets/uploads/2019/04/HAKAMADA-Yuichi_1264-1249.pdf
この論文は自分が本作でやったことについて、もっと学術的に、厳密に踏み込んでおられているものであり、非常に示唆に富んでいます。ただ裴注について「劉宋の皇帝に命じられ、著したものを献上した」「その著述を皇帝が絶賛した」と言う視点が抜け落ちているのが痛い。裴松之注は、もちろん裴松之自身の気持ちも多分に盛り込まれているでしょう。けど「劉宋の段階で伝わっていた歴史観を立証する」性格のほうがよほど強いと思うのですよね。迂闊に裴松之の主張、に収斂していいものではないと思います。
そうした視点を持つと、「蜀漢正統論」というのは本当に根深い問題なんだなあ、と感じるのです。そりゃ朱子学さんが諸手を挙げて持ち出すわけですね。
○
いや、始めは単純に裴松之の暴言で楽しもうと思っていたのです。けど東晋末~劉宋黎明期ガチ勢の目から見ると、思った以上に該当時代における歴史観が強くにじみ出ていました。まぁ、自分の勇み足なだけかも知れないですけどね。
裴松之先生とのダンスにより、劉裕を取り巻く環境についての勉強も進んだ気がします。ありがたい限りです。これをうまく、現在止まっている小説終盤の空気感に取り入れられればいいな、と思います。
以上、お付き合いくださり、ありがとうございます。なお各罵詈雑言についての皆様よりのツッコミ、あるいは作中で取り上げられていなかった罵詈雑言のご紹介については随時お待ち致しております。
0
お気に入りに追加
3
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
孫皓様か、確かにいい人だよな、責任者だから、苦労を理解してくれる人だし、面倒見もいいしな、放っておくのが普通なのにな、庶民を困らせるのはよくないと思ったんだな。