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出発

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「なに……? これを、カロリーナが?」

 カロリーナとの約束通り、カロラインは侍女に用意してもらった白薔薇のブーケを教皇に手渡す。

「はい、彼女は幼い頃の約束を果たしたいと申しておりました」

「……そうか、彼女も覚えていてくれたのか」

 どうやら教皇もその約束を覚えていたようだ。
 彼は大切そうにブーケを胸に抱え、はらはらと涙を流した。

「それと“ご武運をお祈りしております”とも申しておりました」

「彼女がそんなことを……。そうか、うん、嬉しいな……」

 心の底から嬉しそうな顔をする教皇を見ていると、彼は本当にカロリーナを愛していたのだと分かる。

「お嬢さんとカロリーナの為にも死力を尽くそう。吉報を届けるからお嬢さんはここで儂らの帰りを待っていてくれ」

「はい、ありがとうございます猊下。あの……それともう一つ、彼女が言っていたのですが、今あの獣の力は弱まっているそうです」

「そうなのか? 奴の身にいったい何が……」

「以前あの獣が夢の中に現れた時、わたくしは無意識にある物を投げたのです。どうやらそれが効いたようでして」

「ほう? ある物とは何だね?」

 カロラインは教皇に肌身離さず持っていた透明な水晶を見せた。
 綺麗な箱の納められたそれは清らかな輝きを放っている。

「ははあ……これは純度の高い水晶だ。魔を払う効果があるといわれているこれが効いたということは、あいつはやはり神ではないのだろう」

「確かにそうですね……。神ならばこれで力が弱まるわけがないですもの」

 この水晶をカロラインは一旦ジョエルに戻すつもりでいた。
 身代わりとなる彼の身をこれが守ってくれるようにと。

「いや、それはジョエルではなくお嬢さんが持っていなさい」

「え!? どうしてでしょうか?」

 カロラインは彼等の帰りをこの教会で待つつもりだ。
 主神の加護がある教会内であれば、あの獣は手出しが出来ないと聞いた。
 ならばその間は水晶を持っていなくとも問題ないはずだ。

「万が一に備えてだ。何らかの急用が入ってこの教会を出ないとも限らん。そんな隙をついてあの獣が君を攫う可能性だって十分ある。そうなった時、この水晶が君を守ってくれるだろう。だから持っていなさい。なに、ジョエルは儂が守るから心配いらんよ」

「それはそうですが……でも……」

 大切な人が危険な目に遭うかもしれない。
 それを考えるとカロラインは素直に「分かりました」と頷くことが出来なかった。

「僕なら大丈夫ですよ、カロライン。だからそれは君が持っていてください」

「でも、ジョエル様……、え……?」

 先ほどまで出発の準備として別室にいたジョエルの声に反応し、そちらの方に顔をやったカロラインは絶句した。

彼が、とんでもない恰好をしていたからだ。

「ジョ、ジョエル様……? そのお姿はいったい……」

「ああ……これは猊下の指示です。獣をおびき寄せる囮として、ね……」

 どこか遠い目をしたジョエルはなんと花嫁が着る純白のドレスを身に纏っていた。
 好きな男性の予想外の女装姿にカロラインは呆気に取られてしまう。

「色々考えた結果、これが一番時間稼ぎになるだろうと判断した。ジョエルのこの姿を見た獣はこいつをお嬢さんと見紛うことだろう。花嫁衣裳を身に纏い、花嫁がやってきた、とな」

「え……? そ、そうですか……?」

 まじまじとジョエルの姿を見るが、どこからどう見ても女装した男といった印象が拭えない。
 細身だが筋肉もあり、上背もある彼を女性と見紛うことは難しいと思う。

「ベールを被って顔が見えないようにするから大丈夫だ。あいつの意識を少しでも引き付けてくれたのならそれで充分。それにあまり完璧に女装させてしまうと、間違って巣に連れて行かれる恐れもあるからな」

「な、なるほど……確かにそうですね」

 なかなかぶっ飛んだ思考回路のように思えるが、理にかなっているといえばそうかもしれない。

「それではジョエルの準備も済んだところだし、そろそろあの場所へと向かうとするか」

 教皇は配下の者にそう告げ、カロラインが渡した白薔薇のブーケを手に持ったまま外へと向かう。
 その後ろに続いたジョエルはドレスの裾を踏まないようゆっくりと歩を進めた。

(なんだか……嫁入りみたいな光景ね)

 教皇と花嫁の組み合わせはまるでこれから結婚式に向かうかのよう。
 この光景を見て獣退治に向かうなど誰も思わないだろう。

「お気をつけて。ご無事のお帰りをお待ち申し上げております」

 外へ出てはいけないと教皇にきつく言いつけられている為、カロラインは教会の中で彼等を見送った。

 教皇が乗る馬車の音も消えた頃、不安な気持ちを抱えたままカロラインは部屋の中から窓の外を眺める。

(皆、ご無事でいてほしいわ……)

 あの獣に彼等が襲われ傷ついたらと思うと不安な気持ちが膨らみ、居ても立っても居られない。

「お嬢様、きっと教皇猊下も神父様もご無事でお戻りになりますよ」

「セイラ……。ええ、そうね……」

 慰めてくれる侍女にカロラインが力のない笑みを返すと、急に外が騒がしくなった。

「え? 何があったのかしら……?」

「お嬢様、私が見てまいりますのでここを動かないでください!」

 カロラインを部屋に残し、慌ただしくセイラは外へと向かっていった。
 一人残されたカロラインは緊張と恐怖で体をこわばらせる。

(まさか……あの獣が現れた……?)

 心臓がバクバクと鳴り、背中に冷や汗がつたう。
 小刻みに体を震わせながらその場に固まっていると、耳に聞き覚えのある声が響いた。

「リーナ! ここにいるんだろう? リーナ……っ!!」

 それはつい最近も聞いたことのある声。
 カロラインがその声の主を判別した途端、強張っていた体が緩んだ。

「……は? この声ってまさか……」

 声の主を確認しようとカロラインが廊下に出ると、侍女を押し切って入ってきたであろうその人物と鉢合わせる。

「あ、カロライン! リーナがここに来なかったか!?」

「……ちょっと、いきなり何なんですか……

 騒がしい乱入者の正体はなんとカロラインの元婚約者だった。
 別に会いたかったわけではないが、この何も考えていないような顔が今日は妙に落ち着くなとカロラインは脱力した。
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