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それは花ではなかった
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「ところでお嬢さん、貴女があの獣に会ったという場所はこの辺だろうか?」
ジョエルの淹れたハーブティーを飲みながら、教皇は机の上に地図を広げた。
彼は地図のある一点を指し、羽ペンでそこに丸を描く。
「申し訳ございません……。明確な場所は分からないのです。でも確かここ……この一本道を馬車で走っていたらあの青年に会いました。会ったといっても、わたくし自身はずっと馬車の中にいたはずなのです」
ここ、とカロラインは教皇が記した丸の付近にある一本道を指し示した。
「ふむ……。ということは意識だけがそこに向かったということだろう。ちなみに今儂が丸を付けた場所はカロリーナの遺体があった場所。そしてこの辺りに件の朽ち果てた神殿があったはずだ。おそらくこの道を通過した際にお嬢さんはあの獣に目をつけられたと考えられる」
教皇はじっと地図を見つめ、何かを考えているようだった。
カロラインは優美な仕草でお茶のカップを口に運び、黙ってその様子を眺める。
しばらくして教皇は顔を上げ、後ろに控えるジョエルの方へと向ける。
「ジョエル、例の花をここへ」
例の花とはあの奇妙な山百合のことだろう。
ジョエルはすぐに別部屋で保管していたそれを取りに向かった。
「お待たせいたしました」
ジョエルは精緻な細工が施された箱を教皇の前に置き、蓋を開ける。
「……ははあ、これは随分と珍妙な物体だな」
箱に敷き詰められた布の上に置かれた山百合を目にし、教皇は眉をひそめた。
「時にジョエル、お前にはこれがどう見える?」
「どう……ですか? 僕には水もないのに未だ瑞々しさを保った奇妙な花に見えますが……」
「そうか……。お嬢さんはどうだ?」
「え? はい……わたくしもジョエル様と同じですわ」
茎から切り取られ、水に漬けていないにも関わらず少しも萎れることのなく甘い芳香を放つ山百合。自然の摂理に反したそれは見るだけで恐怖を感じる代物だ。
「ふむ……お前達にはそう見えるのか。事前情報で“花”だと聞いていたから、ジョエルが持ってくる箱を間違えたのかと思ったよ」
「猊下……それは、どういう意味です? 猊下にはこれが花以外の物に見えるとでも?」
ジョエルの質問に教皇は深く息を吐き、まるで汚物に触れるかのように山百合の花を指先で摘まんだ。
「その通りだ。儂にはコレが全く別の物に見える。花などという美しい物ではなく、汚らしい獣の毛束にな」
それを聞いた途端、ジョエルとカロラインは冷や水をかけられたかのように全身に寒気が走った。
「……獣の毛束? そんな馬鹿な……! だって手触りだってこんな……」
教皇が摘まんでいる花にジョエルは手を伸ばし、感触を確かめた。
瑞々しく滑らかな手触りは間違いなく花特有のもの。それにちゃんと甘い芳香も漂っている。獣の毛束はこんな感触ではないし、香りだって違う。目の前のソレはどう見ても触っても、花以外の何物でもなかった。
「そう見えるよう幻惑がかけられているのだろう。だが儂の目は誤魔化せん。大方、自分の体の一部をお嬢さんが確実に受け取る為にこんな小細工を施したのだろうよ。獣のくせにそんな悪知恵は働くらしいな」
「体の一部を……? 何のためにそんなことを……」
「目印だよ。己の花嫁を逃がさない為のな。成程、カロリーナがお嬢さんに夢で“花を返せ”と警告したのはこういうことか……」
教皇は全てを理解し納得した様子で花に見えるナニカを箱に仕舞った。
落ち着いた姿の彼に対し、カロラインは悍ましさで顔面蒼白となり、小刻みに体を震わせた。
ジョエルの淹れたハーブティーを飲みながら、教皇は机の上に地図を広げた。
彼は地図のある一点を指し、羽ペンでそこに丸を描く。
「申し訳ございません……。明確な場所は分からないのです。でも確かここ……この一本道を馬車で走っていたらあの青年に会いました。会ったといっても、わたくし自身はずっと馬車の中にいたはずなのです」
ここ、とカロラインは教皇が記した丸の付近にある一本道を指し示した。
「ふむ……。ということは意識だけがそこに向かったということだろう。ちなみに今儂が丸を付けた場所はカロリーナの遺体があった場所。そしてこの辺りに件の朽ち果てた神殿があったはずだ。おそらくこの道を通過した際にお嬢さんはあの獣に目をつけられたと考えられる」
教皇はじっと地図を見つめ、何かを考えているようだった。
カロラインは優美な仕草でお茶のカップを口に運び、黙ってその様子を眺める。
しばらくして教皇は顔を上げ、後ろに控えるジョエルの方へと向ける。
「ジョエル、例の花をここへ」
例の花とはあの奇妙な山百合のことだろう。
ジョエルはすぐに別部屋で保管していたそれを取りに向かった。
「お待たせいたしました」
ジョエルは精緻な細工が施された箱を教皇の前に置き、蓋を開ける。
「……ははあ、これは随分と珍妙な物体だな」
箱に敷き詰められた布の上に置かれた山百合を目にし、教皇は眉をひそめた。
「時にジョエル、お前にはこれがどう見える?」
「どう……ですか? 僕には水もないのに未だ瑞々しさを保った奇妙な花に見えますが……」
「そうか……。お嬢さんはどうだ?」
「え? はい……わたくしもジョエル様と同じですわ」
茎から切り取られ、水に漬けていないにも関わらず少しも萎れることのなく甘い芳香を放つ山百合。自然の摂理に反したそれは見るだけで恐怖を感じる代物だ。
「ふむ……お前達にはそう見えるのか。事前情報で“花”だと聞いていたから、ジョエルが持ってくる箱を間違えたのかと思ったよ」
「猊下……それは、どういう意味です? 猊下にはこれが花以外の物に見えるとでも?」
ジョエルの質問に教皇は深く息を吐き、まるで汚物に触れるかのように山百合の花を指先で摘まんだ。
「その通りだ。儂にはコレが全く別の物に見える。花などという美しい物ではなく、汚らしい獣の毛束にな」
それを聞いた途端、ジョエルとカロラインは冷や水をかけられたかのように全身に寒気が走った。
「……獣の毛束? そんな馬鹿な……! だって手触りだってこんな……」
教皇が摘まんでいる花にジョエルは手を伸ばし、感触を確かめた。
瑞々しく滑らかな手触りは間違いなく花特有のもの。それにちゃんと甘い芳香も漂っている。獣の毛束はこんな感触ではないし、香りだって違う。目の前のソレはどう見ても触っても、花以外の何物でもなかった。
「そう見えるよう幻惑がかけられているのだろう。だが儂の目は誤魔化せん。大方、自分の体の一部をお嬢さんが確実に受け取る為にこんな小細工を施したのだろうよ。獣のくせにそんな悪知恵は働くらしいな」
「体の一部を……? 何のためにそんなことを……」
「目印だよ。己の花嫁を逃がさない為のな。成程、カロリーナがお嬢さんに夢で“花を返せ”と警告したのはこういうことか……」
教皇は全てを理解し納得した様子で花に見えるナニカを箱に仕舞った。
落ち着いた姿の彼に対し、カロラインは悍ましさで顔面蒼白となり、小刻みに体を震わせた。
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