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閑話 ある少女の最後②
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それからしばらく経ったある日の未明、小さな家から赤ん坊の元気な産声があがった。
「おめでとうございます、男の子ですよ」
赤ん坊はぽやぽやとしたピンクブロンドの髪を生やした玉のような男児。
その髪色を見て夫人は胸をなでおろした。
「なんて可愛らしい……。旦那様もきっとお喜びになるわ」
赤ん坊を侍女に任せ、夫人は出産を終えたばかりのルルナの元へと向かう。
「ルルナ、よく頑張ったわね」
産後でぐったりとしているルルナへと夫人は優しい声をかけた。
「死ぬかと思った~……。出産ってこんなに痛いのね。ずっと叫んでいたからもう喉がカラカラよ」
「ふふ……お疲れ様。ほら、水をお飲みなさい」
甲斐甲斐しくルルナの汗を拭い、冷えた水を差しだす夫人はまるで本当の母のようだった。その心の内にある、恐ろしい目的を除けば……。
「ありがと……プハー! 生き返る! もう一杯頂戴!」
「ええ、沢山お飲みなさい……」
グラスの水を一気に飲み干し、お代わりを要求するルルナに夫人は笑顔で対応する。注がれた二杯目の水を美味しそうに飲み切り、ルルナは「そうだ!」と夫人に顔を向けた。
「ねえ、赤ちゃんはどこ? 会わせて!」
「……ビット家の色を受け継いだ元気な男の子よ。跡継ぎを産んでくれてありがとう。貴女に感謝する日がくるなんて思わなかったわ」
かみ合わない返答をする夫人にルルナは首を傾げた。
「はい? 跡継ぎって……あ! 分かったわ! 次の王太子ってことね?」
「まあ……そんなわけがないでしょう? ビット家の跡継ぎという意味よ」
「ええ!? 勝手に決めないでよ! あの子はエド様と私の子よ? おばさんに決める権利なんてあるわけないでしょう!」
「あら、貴女はビット家の娘よ? 貴女が産んだ子が跡継ぎになるのは普通の事じゃない?」
「駄目よ! エド様の子で男の子ならあの子は王子様でしょう? 王子様が男爵なんておかしいわ!」
「あら? あの子は王子様ではないわよ? だって……エドワード殿下は廃嫡されて王家から追放されたのだから」
「へっ…………?」
キョトンとするルルナに夫人はにっこりと微笑んだ。
「貴女のせいよ、ルルナ。貴女がエドワード殿下と不貞を犯したから廃嫡と追放という処罰を受けたのよ。お可哀そうな殿下……貴女が分不相応にも纏わりつかなければこんなことにならなかったでしょうに。輝かしい玉座から一変して辺境の地で一生を過ごすなんて耐えられないでしょうね」
「は? え? え……ちょ、ちょっと待って! エド様が廃嫡!? なんでそんなことになるの!!?」
「馬鹿ね、だから言ったでしょう? 婚約者以外の殿方と親しくしてはいけません、と。公爵家の姫を婚約者にしておきながら貴女と乳繰り合うような王太子は次代の王として不適合だという決断が下されたのよ。貴女が弁えて身を引いていればこんなことにはならなかったのよ?」
「な、なにそれ……意味分かんない! だって私とエド様は愛し合っているのよ? 愛し合っている者同士が一緒にいて何が悪いっていうの!?」
「悪いからこうなっているのでしょう? 貴女って本当に救いようがないほど馬鹿ね。貴女達がいくら愛し合っていると叫んでも、周囲から見ればそれはただの不貞よ」
「不貞じゃないわ! その証拠に私達の愛の結晶が産まれたのよ!」
「あの子は愛の証拠ではなく、王命を破ったという証拠よ。エドワード殿下に会っては駄目だと旦那様から言いつけられていたでしょう? 忘れたの?」
「そんなの今はどうだっていいでしょう!? それより、私はこれからどうすればいいのよ! 私の子はどうなるの!?」
自分のせいで愛する人が罰を受けたというのに反省する素振りすら見せない。
つくづくこの子は自分勝手なのだと改めて思った。
「産まれた子のことは心配しなくていいわ。あの子はわたくしと旦那様で立派な跡取りとして育ててみせるから。貴女は憂いなく神の御許へと旅立ちなさい」
「は……? 何を言って…………ぐっ、かはっ……!」
会話の途中でルルナはいきなり血を吐いた。
口許を押さえた片手が真っ赤な血に染まるのを見て、ルルナは顔を青褪めさせる。
「な、なに……なんなの? ぐっ、うう……く、苦しい……医者、医者を呼んで! 早く!」
慌てた様子のルルナとは反対に夫人は微動だにしない。
顔色すら変えず、ただじっとルルナを見つめていた。
「医者なんて呼ぶはずないでしょう? 苦しいのはわたくしが毒を盛ったからよ。それも致死性の高いものをね」
「は……? 毒!? なに? どういうことっ!!」
「先ほど美味しそうに飲んでいたあの水、あれに毒を混ぜたの。貴女ったら警戒もせずお代わりまで……ああ、おかしい!」
高笑いをあげる夫人にルルナは初めて恐怖を覚えた。
口煩いだけで何も出来ない女、そう思っていた夫人が何の躊躇いもなく人に毒を盛る人間だと分かりショックで言葉が出ない。
「かはっ……! ふ、ふざけ……ないで! 赤ちゃんから……母親を奪うつもり……!?」
「貴女のような阿婆擦れの猿女、母親として不適格よ。というより害悪ね。何度説明しても理解しない馬鹿に言っても仕方ないけど、貴女とエドワード殿下の間の子だと知られたらあの子は始末されてしまうの。廃嫡した王子の血を引く子、しかも男児。そんな禍根しか残らない子が無事に生きられると思って? だからわたくしと旦那様の子として届け出を出し、貴女とエドワード殿下の痕跡など欠片も残さないようにするの。そうしなければ、あの子は生きられないの。分かるかしら?」
「な……なに言ってんの? そんなの、エド様が守ってくれるわよ……!」
「……救いようのない馬鹿ね。廃嫡されて平民になった王子がどう守るというの? まあ、もういいわ。貴女に理解を求めるなんて無駄なことよ。せいぜい後悔しながら逝けばいいわ」
「ひ、ひど……い……。こんなこと……パパが許さない……わ、よ……」
「その旦那様からの指示よ。貴女のような害悪は子供を産んだらもう用済み、始末して子供は自分達の子として育てようとおっしゃったわ」
「え…………? パパが……うそ……そんな……」
「むしろあれだけ好き放題やらかしておいて、どうして見捨てられないと思うの? 貴女は貴族を舐めすぎよ。言ったでしょう? 貴族社会の常識や礼儀を学ばないと命取りになる、と。だから今まさに命を取られようとしているのよ? よかったわね、最後に身をもって知れて」
「そ……そん……な、いや……いやよ……エド様……たすけ……」
カハッと大量の血を吐き、そのまま事切れた。
夫人は目を見開いたまま倒れ伏す義理の娘を目にしても動揺一つしない。
平民育ちのルルナにとって生粋のお嬢様である夫人は恐れなど感じない相手だった。口喧嘩や取っ組み合いをしたって負けるような相手ではないから。
でも、そうではない。貴族の恐ろしさはそんな表面上のものではない。
動揺など一切せず、躊躇なく人を殺められる。それが貴族本来の恐ろしさだ。
生粋の貴族はその恐ろしさを十分理解しているからこそ、毒見はかかさないし、信用できない相手からの飲食物は簡単に口をつけない。
きちんと淑女教育を受けていればルルナも理解しただろう。教育とは自分の身を守るためのものでもあるのだから。
それを知ろうともしない割には貴族として生きようとしていた。
そして国王に次ぐ身分である王太子の妻になろうとしていた。
どう考えても自殺行為だと知らないまま、ルルナはこの世を去って行った。
未練だけを残して…………。
「遅くなってすまない。おお、もう済んでおったか」
出産の知らせを受け、早馬でやってきた男爵が部屋へと入って来た。
ベッドから転げ落ち、床に倒れ伏している娘を目にし、背後に控える使用人に「片づけておけ」と命じる。
「後処理は儂の方でやっておく。お前は息子のところへ行ってやりなさい」
「はい、お願いします旦那様。ところで葬儀はどうしますか?」
「必要ない。そこまでしてやる義理はないからな」
「さようでございますか」
家門にとって益をもたらす者であれば丁重に扱い、害になる者に関してはとことん冷徹に扱う。それこそ貴族としての在り方だ。ルルナがそれを理解していれば、始末されないように立ち振る舞ったのかもしれない。
平民から貴族になり、王子との恋に身を焦がした少女。
彼女の最後を悲しむ者はこの場には誰もいなかった────。
「おめでとうございます、男の子ですよ」
赤ん坊はぽやぽやとしたピンクブロンドの髪を生やした玉のような男児。
その髪色を見て夫人は胸をなでおろした。
「なんて可愛らしい……。旦那様もきっとお喜びになるわ」
赤ん坊を侍女に任せ、夫人は出産を終えたばかりのルルナの元へと向かう。
「ルルナ、よく頑張ったわね」
産後でぐったりとしているルルナへと夫人は優しい声をかけた。
「死ぬかと思った~……。出産ってこんなに痛いのね。ずっと叫んでいたからもう喉がカラカラよ」
「ふふ……お疲れ様。ほら、水をお飲みなさい」
甲斐甲斐しくルルナの汗を拭い、冷えた水を差しだす夫人はまるで本当の母のようだった。その心の内にある、恐ろしい目的を除けば……。
「ありがと……プハー! 生き返る! もう一杯頂戴!」
「ええ、沢山お飲みなさい……」
グラスの水を一気に飲み干し、お代わりを要求するルルナに夫人は笑顔で対応する。注がれた二杯目の水を美味しそうに飲み切り、ルルナは「そうだ!」と夫人に顔を向けた。
「ねえ、赤ちゃんはどこ? 会わせて!」
「……ビット家の色を受け継いだ元気な男の子よ。跡継ぎを産んでくれてありがとう。貴女に感謝する日がくるなんて思わなかったわ」
かみ合わない返答をする夫人にルルナは首を傾げた。
「はい? 跡継ぎって……あ! 分かったわ! 次の王太子ってことね?」
「まあ……そんなわけがないでしょう? ビット家の跡継ぎという意味よ」
「ええ!? 勝手に決めないでよ! あの子はエド様と私の子よ? おばさんに決める権利なんてあるわけないでしょう!」
「あら、貴女はビット家の娘よ? 貴女が産んだ子が跡継ぎになるのは普通の事じゃない?」
「駄目よ! エド様の子で男の子ならあの子は王子様でしょう? 王子様が男爵なんておかしいわ!」
「あら? あの子は王子様ではないわよ? だって……エドワード殿下は廃嫡されて王家から追放されたのだから」
「へっ…………?」
キョトンとするルルナに夫人はにっこりと微笑んだ。
「貴女のせいよ、ルルナ。貴女がエドワード殿下と不貞を犯したから廃嫡と追放という処罰を受けたのよ。お可哀そうな殿下……貴女が分不相応にも纏わりつかなければこんなことにならなかったでしょうに。輝かしい玉座から一変して辺境の地で一生を過ごすなんて耐えられないでしょうね」
「は? え? え……ちょ、ちょっと待って! エド様が廃嫡!? なんでそんなことになるの!!?」
「馬鹿ね、だから言ったでしょう? 婚約者以外の殿方と親しくしてはいけません、と。公爵家の姫を婚約者にしておきながら貴女と乳繰り合うような王太子は次代の王として不適合だという決断が下されたのよ。貴女が弁えて身を引いていればこんなことにはならなかったのよ?」
「な、なにそれ……意味分かんない! だって私とエド様は愛し合っているのよ? 愛し合っている者同士が一緒にいて何が悪いっていうの!?」
「悪いからこうなっているのでしょう? 貴女って本当に救いようがないほど馬鹿ね。貴女達がいくら愛し合っていると叫んでも、周囲から見ればそれはただの不貞よ」
「不貞じゃないわ! その証拠に私達の愛の結晶が産まれたのよ!」
「あの子は愛の証拠ではなく、王命を破ったという証拠よ。エドワード殿下に会っては駄目だと旦那様から言いつけられていたでしょう? 忘れたの?」
「そんなの今はどうだっていいでしょう!? それより、私はこれからどうすればいいのよ! 私の子はどうなるの!?」
自分のせいで愛する人が罰を受けたというのに反省する素振りすら見せない。
つくづくこの子は自分勝手なのだと改めて思った。
「産まれた子のことは心配しなくていいわ。あの子はわたくしと旦那様で立派な跡取りとして育ててみせるから。貴女は憂いなく神の御許へと旅立ちなさい」
「は……? 何を言って…………ぐっ、かはっ……!」
会話の途中でルルナはいきなり血を吐いた。
口許を押さえた片手が真っ赤な血に染まるのを見て、ルルナは顔を青褪めさせる。
「な、なに……なんなの? ぐっ、うう……く、苦しい……医者、医者を呼んで! 早く!」
慌てた様子のルルナとは反対に夫人は微動だにしない。
顔色すら変えず、ただじっとルルナを見つめていた。
「医者なんて呼ぶはずないでしょう? 苦しいのはわたくしが毒を盛ったからよ。それも致死性の高いものをね」
「は……? 毒!? なに? どういうことっ!!」
「先ほど美味しそうに飲んでいたあの水、あれに毒を混ぜたの。貴女ったら警戒もせずお代わりまで……ああ、おかしい!」
高笑いをあげる夫人にルルナは初めて恐怖を覚えた。
口煩いだけで何も出来ない女、そう思っていた夫人が何の躊躇いもなく人に毒を盛る人間だと分かりショックで言葉が出ない。
「かはっ……! ふ、ふざけ……ないで! 赤ちゃんから……母親を奪うつもり……!?」
「貴女のような阿婆擦れの猿女、母親として不適格よ。というより害悪ね。何度説明しても理解しない馬鹿に言っても仕方ないけど、貴女とエドワード殿下の間の子だと知られたらあの子は始末されてしまうの。廃嫡した王子の血を引く子、しかも男児。そんな禍根しか残らない子が無事に生きられると思って? だからわたくしと旦那様の子として届け出を出し、貴女とエドワード殿下の痕跡など欠片も残さないようにするの。そうしなければ、あの子は生きられないの。分かるかしら?」
「な……なに言ってんの? そんなの、エド様が守ってくれるわよ……!」
「……救いようのない馬鹿ね。廃嫡されて平民になった王子がどう守るというの? まあ、もういいわ。貴女に理解を求めるなんて無駄なことよ。せいぜい後悔しながら逝けばいいわ」
「ひ、ひど……い……。こんなこと……パパが許さない……わ、よ……」
「その旦那様からの指示よ。貴女のような害悪は子供を産んだらもう用済み、始末して子供は自分達の子として育てようとおっしゃったわ」
「え…………? パパが……うそ……そんな……」
「むしろあれだけ好き放題やらかしておいて、どうして見捨てられないと思うの? 貴女は貴族を舐めすぎよ。言ったでしょう? 貴族社会の常識や礼儀を学ばないと命取りになる、と。だから今まさに命を取られようとしているのよ? よかったわね、最後に身をもって知れて」
「そ……そん……な、いや……いやよ……エド様……たすけ……」
カハッと大量の血を吐き、そのまま事切れた。
夫人は目を見開いたまま倒れ伏す義理の娘を目にしても動揺一つしない。
平民育ちのルルナにとって生粋のお嬢様である夫人は恐れなど感じない相手だった。口喧嘩や取っ組み合いをしたって負けるような相手ではないから。
でも、そうではない。貴族の恐ろしさはそんな表面上のものではない。
動揺など一切せず、躊躇なく人を殺められる。それが貴族本来の恐ろしさだ。
生粋の貴族はその恐ろしさを十分理解しているからこそ、毒見はかかさないし、信用できない相手からの飲食物は簡単に口をつけない。
きちんと淑女教育を受けていればルルナも理解しただろう。教育とは自分の身を守るためのものでもあるのだから。
それを知ろうともしない割には貴族として生きようとしていた。
そして国王に次ぐ身分である王太子の妻になろうとしていた。
どう考えても自殺行為だと知らないまま、ルルナはこの世を去って行った。
未練だけを残して…………。
「遅くなってすまない。おお、もう済んでおったか」
出産の知らせを受け、早馬でやってきた男爵が部屋へと入って来た。
ベッドから転げ落ち、床に倒れ伏している娘を目にし、背後に控える使用人に「片づけておけ」と命じる。
「後処理は儂の方でやっておく。お前は息子のところへ行ってやりなさい」
「はい、お願いします旦那様。ところで葬儀はどうしますか?」
「必要ない。そこまでしてやる義理はないからな」
「さようでございますか」
家門にとって益をもたらす者であれば丁重に扱い、害になる者に関してはとことん冷徹に扱う。それこそ貴族としての在り方だ。ルルナがそれを理解していれば、始末されないように立ち振る舞ったのかもしれない。
平民から貴族になり、王子との恋に身を焦がした少女。
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