上 下
91 / 109

エドワードの出生

しおりを挟む
 数時間程の会合の後、国王は心労でそのまま寝込んでしまった。
 そういった話し合いや議論の場には慣れていたはずだが、相手はこの世で最も苦手とするグリフォン公爵。しかも王位を奪われる結果に終わったのだ。流石の国王も精神的なストレスが限界に達してしまった。

 国王が寝込んでいると聞いても見舞いに訪れるのは宰相のみ。
 実の息子であるエドワードさえ自分の様子を見に来ないという現実に国王は自虐的な笑みを浮かべた。

「……余は哀れな王だな。息子でさえも見舞いに訪れないとは……」

 業務の報告も兼ねて見舞いに訪れた宰相に国王はそう呟いた。
 その寂しげな呟きに宰相は「……ええ、全く」と返す。

「陛下があれだけ庇い、守ってきたというのに……薄情な御方だ」

 彼の声には憤りが混じっていた。息子を王位に就けるためにと、方向性は間違っていたものの奮闘してくれた父親に対する情はないのかと。

「見舞いに来る者が少ないというのは中々に堪えるな……。ミラージュ嬢もこのような寂しさを感じていたのだろうか……」

「ミラージュ嬢が?」

 何故ここで王太子の元婚約者の名が出てくるのだろう、と宰相は驚いた顔を向けた。

「ミラージュ嬢が療養中、見舞いに訪れたのはアンゼリカ嬢だけだったそうだ。彼女以外の親しくしていた令嬢は誰一人として来なかったと聞く。その事実はきっと堪えただろうなと、この状態になって初めて実感したよ」

「そうだったのですか……。あんなに取り巻きの令嬢が沢山いたのに、薄情者ばかりですね」

「ああ。彼女を追いこんだ元凶の父親である余が言う資格はないかもしれんが、所詮は未来の王妃という権力に群がるハイエナだったということだ。……上に立とうとする者こそ、孤独なのかもしれんな」

「そうでもないですよ。アンゼリカ様という友が一人いれば、百人の友にも勝りますので」

「はは、そうだな……。結果としてミラージュ嬢を傷つけた者は全員罰を受けた。元凶であるエドワードも、取り巻きの令嬢たちも、そして余も。全てをアンゼリカ嬢が成し得たわけではないが……彼女が一役買っていたのは確かだな」

 考えれば考えるほど末恐ろしい少女だ。まだ十代でそこまで暗躍できるのなら、年を重ねればどこまでいくのか……。

「余は……其方の助言にもっと耳を傾けるべきであった。アンゼリカ嬢が婚約者のままならばエドワードは間違いなく王位に就けた。そしてその治世に憂いは無かったはずだ……」

 まず間違いなく傀儡の王とはなるだろうが、国は平和に保たれることは間違いなかった。そう考えると後悔は尽きない。

「ええ、更に言うのなら、ミラージュ嬢が妃となれば献身的にエドワード殿下をお支えしたでしょう」

「ああ、そうだな……。あの時に件の男爵令嬢をしておけばよかった……。そうすればミラージュ嬢が追い詰められることもなかったし、余も王位を手放さなくて済んだ。つくづく選択を間違えてばかりだな……」

 そう自嘲する国王を宰相はじっと眺め、しばしの沈黙の後再び口を開いた。

「陛下……一つお聞きしたいことがございます」

「うん……? 申してみよ」

「ありがとうございます。エドワード殿下のことなのですが……」

 言い辛そうに視線を彷徨わせた後、やがて決心したかのように宰相は国王の方に真っすぐ視線を向けた。

「ずっと気になっておりましたが、殿下は……亡き王妃様の御子ではないですよね?」

 宰相の言葉に国王の顔は見る見るうちに強張った。
 ハクハクと口を開閉させ、震えるような声で「何故それを……」と漏らす。

「やはりそうでしたか……」

「宰相……何故其方は?」

「いえ、確信はありませんでした。そう考えたのは陛下があまりにもエドワード殿下にからです。失礼ながら生前の王妃様とは……そこまで仲が良くなかったように見えましたので、その御子であるエドワード殿下に甘いのは何故なのかと不思議に思っていたのですよ。まるで、であるかのように……」

 顔を青褪めさせて目を逸らす国王に、宰相は自分の予想が当たっていたことを確信する。

「それに生前の王妃様はあまりにも殿下に構わなすぎました。いくら忙しいとはいえ、世話係に任せっぱなしでろくに顔すら見にこなかったではありませんか? そのせいかどうかは分かりませぬが、王妃様の生家であるサラマンドラ家ともそれほど交流はなかったですし……。何より、殿下は王妃様に全く似ておりません」

 数年前に亡くなった王妃は現サラマンドラ公爵の実妹。
 それゆえエドワードとサラマンドラ公爵は伯父と甥の関係にあるが、初めて顔を合わせたのはミラージュとの婚約の際だ。母親の生家とそこまで交流がないことは珍しい。

 エドワードは父親である国王と同じ目と髪の色をしていたから間違いなく王家の血を引いてはいるはずだ。そこばかりに目が行くせいで気づかれないが、エドワードの顔つきは国王とも王妃ともあまり似ていない。

「そうだな……そこまで気づかれてしまっては黙っておくわけにもいくまい……。玉座から降りる前に、其方には真実を話しておこうか……」

 やがて観念したように顔を上げた国王は、ぽつりぽつりと過去を語り始めた。



「まず、余と亡き王妃は一切閨を共にしておらん。勿論初夜も済ませていない」

「はあ……!? ですが、それでは……」

「ああ、初夜を済ませていなければ王家の一員として認められない。だがなあ……対外的には初夜は無事済んだことになっている……」

 言っている意味が分からず宰相は困惑した。
 まさか王妃と初夜が済んでいないなどとは想像もしていない事態だ。

「あの日……結婚式が無事に終わり、初夜の準備を済ませて寝室へ向かうとそこには王妃と、彼女の護衛騎士、そして彼女の侍女がいた」

 宰相は国王の言葉に違和感を覚えた。
 初夜の床に侍女がいるのはまあ分かる。諸々の準備に同性の使用人が必要だろうと想像がつくからだ。だが、護衛騎士が室内にいるというのはおかしい。普通は扉の外で警護をするものだ、室内にいる意味がない。

「王妃の護衛騎士は男だ。初夜の寝室に夫以外の男がいるなど普通は有り得ん。男の存在に訝しむ余に王妃は事も無げに言ってのけたのだよ。『彼はわたくしの唯一無二の存在です』とな……」

「え? すみません……意味が分かりかねます」

 初夜の寝室で夫以外の男を『唯一無二の存在』と宣言して何がしたいのだろう?

 大人しい淑女に見えた王妃がそんなにも非常識な人間だったことに宰相は驚きを隠せない。

「要はその護衛騎士は王妃の恋人だったというわけだ。で、その男に操を立てるから余と床を共にすることは出来ないと。そう宣言してきたのだ。そして自分の代わりに侍女に子を孕ませろと……」

「え? あっ……もしや寝室にいた侍女がその……」

「ああ、そうだ。可哀想に……年若いその侍女は青い顔で震えていたよ。王妃の代わりに王の子を産むなどという大それたことを命じられては無理もない」

 予想を超えた事実に宰相は驚愕した。てっきりエドワードは国王の愛人が産んだ子供とかいう話だと思っていたのに、まさかの。いくら亡くなったとはいえ、とんでもない醜聞であることは間違いない。

「それで陛下はどうなさったので……?」

「余は状況を飲み込むのに精一杯だった。確かにその護衛騎士は婚約時代からずっと王妃の傍にいたものの、婚約者が不貞をしているとは思わないだろう?」

 確かにそうだ。純潔を尊ぶ王族の婚約者が不貞をしているとは考えられない。

「唖然としているうちに王妃は護衛騎士と共にさっさと寝室からいなくなってしまった。寝室にその侍女と二人残されてしまったよ。しかし妻以外の、それも初めて会った女を相手に初夜を済ませろと言われても出来るはずもなくてな……。とりあえず王妃を追いかけようとしたのだが、その侍女に泣きながら止められてしまった」

「一介の侍女が陛下を止めようとするなど不敬な……」

「まあ、そうだな。だが……余と初夜を済ませないと殺されると泣いて縋る彼女を放っておけなかった。結局、その侍女と初夜を済ませたよ」

「ええ……受け入れてしまったのですか?」

 何でそんな状況下を受け入れてしまえるのかと宰相は渋い顔を見せた。
 そんな彼に国王は照れ臭そうに答える。

「どうしてそんな状況を受け入れたか……。まあ、それはあれだ。その侍女に一目惚れしたからに他ならない」

「は……? その状況下で?」

「そんな顔をするな。そうでもなければ受け入れるわけがないと思わないか?」

「それはそうですが……。そんな状況下で一目惚れしてしまうほどその侍女は美しかったのですか?」

「ああ、目が覚めるほどの美女だった。エドワードは母親の美貌をしっかりと受け継いでおるよ」

「……ということは、その侍女との間に子が出来たと。そしてそれがエドワード殿下だというわけですか?」

 頷く国王に宰相は渋い顔でため息をついた。

「あの王妃様が王宮で堂々と愛人を囲っていたなどと気づきませんでした。陛下がそのような重い秘密をお一人で抱えていたことに気づかず申し訳ございません……」

「お前が謝ることではない。それに一人ではないぞ。先代のサラマンドラ公爵と現公爵もその秘密を知っている」

「え!? そうだったのですか……?」

「ああ。生まれたエドワードを見て一つも王妃に似ていないどころか、王妃の侍女と瓜二つだと気づいたようだ。それで彼等は王妃を問い詰め、真実を知った。そこからだな……サラマンドラ家が王家に頭が上がらなくなったのは」

「まさか……ご息女があのような目に遭ってもサラマンドラ公爵が王家に強く抗議しなかったのは……」

「この件のせいだ。自分の妹が愛人つきで王家に嫁ぎ、侍女に世継ぎを産ませたことが公爵の中で負い目になっている」

「いや……それはそうでしょうね……」

 娘が王太子によってひどく傷つけられたとしても、王家に強く出られなかったのは腰抜けだからではなかった。先に実の妹が王家に対してとんでもない不敬な真似を仕出かしたからだ。

「あ……もしかして、王妃様が亡くなられたのは病が原因ではなくて……」

「事実を知った先代公爵によって護衛騎士ごと毒殺されたからだ。それでミラージュ嬢をエドワードに嫁がせると言われたよ」

「え!? お二人の婚約はそのような理由で決まったのですか?」

「表向きは資金援助と謳っているが、真実はそうだ。ミラージュ嬢は叔母の尻拭いとして王家に嫁ぐことが決まった。彼女は何も悪くないのに……申し訳ない事をした。しかし王家が資金援助を必要としていることは確かなのでその婚約はありがたかったよ」

 想像を遥かに超えた真実に宰相は言葉を失った。
 思えば違和感は沢山あったのだ。
 エドワードの外見についてはもちろんのこと、サラマンドラ家がどうしてあそこまで王家に頭が上がらないのか。公爵が甘いからだと言ってもまるで弱みを握られているかのようではあった。

「ちなみにエドワード殿下はこのことをご存じで……?」

「いや、あやつは何も知らぬ。自分は王妃の子だと疑っておらぬし、余もこれは墓場まで持って行くつもりだ。それにもう……王族ではなくなるのだから、出生など知らずともよいだろう」

「左様ですか……。それにしても、血は繋がっていないのにエドワード殿下は王妃様と同じような性格をしていらっしゃいますね」

「周囲に悟らせなかった分だけ王妃の方が賢い。エドワードがああなったのは、余がだからと甘やかして何でも許したせいだろう……」

「……ちなみに、その侍女は今どうしているので?」

「エドワードを産んですぐに遠くへと逃がしたよ。産後に無理をさせたくはなかったが、あのまま王宮にいれば王妃に口封じとして殺されかねないからな」

 しばし、二人の間に沈黙が流れる。

 国王は誰かを想うかのように遠くを見つめ、宰相はとんでもない秘密を知り茫然としている。

「……宰相、其方は余の退位と同時に職を辞するらしいな」

「ええ……その予定です」

「其方はまだ引退するには早かろうに……」

「いえ、陛下が退位なさるのでしたら私も共に。私は陛下の臣下であり、友でもありますから……」

 目尻に涙を滲ませた宰相が震えるような声でポツリと呟く。

 国王はそれを聞き、ただ静かに「ありがとう……」とだけ呟いた。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら

みおな
恋愛
 子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。 公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。  クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。  クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。 「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」 「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」 「ファンティーヌが」 「ファンティーヌが」  だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。 「私のことはお気になさらず」

もう、愛はいりませんから

さくたろう
恋愛
 ローザリア王国公爵令嬢ルクレティア・フォルセティに、ある日突然、未来の記憶が蘇った。  王子リーヴァイの愛する人を殺害しようとした罪により投獄され、兄に差し出された毒を煽り死んだ記憶だ。それが未来の出来事だと確信したルクレティアは、そんな未来に怯えるが、その記憶のおかしさに気がつき、謎を探ることにする。そうしてやがて、ある人のひたむきな愛を知ることになる。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

【完結済み】婚約破棄致しましょう

木嶋うめ香
恋愛
生徒会室で、いつものように仕事をしていた私は、婚約者であるフィリップ殿下に「私は運命の相手を見つけたのだ」と一人の令嬢を紹介されました。 運命の相手ですか、それでは邪魔者は不要ですね。 殿下、婚約破棄致しましょう。 第16回恋愛小説大賞 奨励賞頂きました。 応援して下さった皆様ありがとうございます。 リクエスト頂いたお話の更新はもうしばらくお待ち下さいませ。

処理中です...