69 / 109
スミス男爵の奮闘②
しおりを挟む
今から遡ること数日前、母の隠し事を目の当たりにした男爵は頭を悩ませていた。
母を切り捨てることは決断できたものの、事が大きすぎてどう対処していいものか判断が付かない。
「直接母上を問い詰めるか? いや……それは駄目だな」
王太子を守るため、秘密を知った母が自分達に危害を加えるかもしれない。
母が実の息子相手にそんなことをするはずがない……などという甘い考えを男爵は持ち合わせていなかった。何故ならあの母に対する信頼は無に等しいから。
そもそも問い詰めたところで何の意味もない。
どんな理由があろうとも、母が王太子の不貞の場として邸を提供したことは変えようのない事実なのだから。
「……父上に相談するか」
幼い頃から母親の分まで自分を慈しんでくれた父。
母とは違い信頼に値する父ならば相談に乗ってくれるだろうと男爵は考えた。
早速父だけを本邸へと呼びよせ、自分が見たことを全て包み隠さず話した。
父は息子の口から語られることの重大さに恐れ慄き絶句し、顔から血の気が引いている。
「あいつ……儂の留守中にそんなことを……」
父は妻が自分の留守中に王太子とその不貞相手を邸に招いていたことも、その間使用人に暇を取らせていたことも知らなかったようだ。おそらく父が帰る前に王太子がいた痕跡を消していたのだろう。
「父上、これは対処を誤ると俺達全員が連座で罪に問われる。慎重に事を進めたいので母上と問い詰めるような真似はしないでくれ」
「…………そうだな。こちらが勘付いたことをあいつに知られるのは悪手だ。何をするか分からん……」
自分の夫にここまで信頼されていないことをあの母は知っているだろうか。
眉根を寄せて苦悩する父を見ていると胸が痛い。
「これは……王太子殿下の婚約者であるグリフォン公爵令嬢を頼った方がいいな。あの御方ならば上手く処理してくださるやもしれん」
「は……? どうして王太子殿下の婚約者を頼るという話になるんだ……!?」
まだグリフォン公爵に頼るというのならば分かる。なのに、何故令嬢の方を頼るという話になるのか意味が分からなかった。
「婚約者が不貞を犯しているなんて知ったら傷つくに決まっているだろう!? どうしてわざわざそんな傷つけるような真似を……」
「……普通の令嬢ならばそうかもしれんが、あの御方は違う。そんなことくらいで傷つくような性格ではない。むしろ嗤って流すと思うぞ」
婚約者の不貞を嗤って流す?
どれだけ強心臓の持ち主ならばそんなことが出来るというのか……。
「とにかく一番頼れる相手がグリフォン公爵令嬢しか思いつかん。儂は一日だけだがあの御方の王妃教育に携わった。記憶力のいい方なので儂の事も覚えておられるだろう。お会いして話したいことがある、と手紙にしたためればきっと会ってくださるだろう」
父は当主を引退後に教師となった。
元々趣味で歴史学を学んでいたことが功を成し、王妃教育に携わるまでとなったのだ。そういう経緯がありグリフォン公爵令嬢と関りがあったのだろう。
しかし、年若い令嬢にこんな重大な事を相談しようとするなど正気かと疑ってしまう。それでも、その“これが最良の選択”という姿勢を崩さない様子から不思議とその通りにした方がいいとすら思ってしまう。
「この件についての詳細を詳しく手紙に書け。それを儂自らグリフォン公爵家へと届けてやる」
「父上が直接届けるだって!? どうして使用人に頼まない? それに面識のない俺が書くのか!?」
「この件についてグリフォン公爵令嬢と直接話をするのはお前なんだから、お前が書くべきだろう?」
「え!? 父上は行かないのか?」
「儂が別邸から離れてはいかんだろう? あいつがまた王太子を招くかもしれん。もうこれ以上勝手な真似はさせん。それと、使用人に頼まず儂が直接持って行くのはこの件が他所に漏れないようにだ。他人に頼まず自分で持って行った方が安心できるからな」
「それは分かるけどよ……。なら、そもそも手紙にそんな知られては困る内容を書かなきゃいいんじゃないか? グリフォン公爵令嬢が俺に会ってくれた時に口頭で説明すれば済む話だろう?」
「駄目だ。あの御方は貴族にしては珍しく合理主義な思考の持ち主だからな。必要な情報を先に伝えておけばその場で判断を下してくれる。お前だって『追って沙汰を下す』みたいことを言われては気になって無駄に動揺してしまうだろう? それではあいつに勘付かれてしまうかもしれない」
つまりは、先に情報を伝えておけば会った時に今後どうすべきかを教えてくれるが、それがないと後で結果を伝えると言われてしまい、その待っている間悶々と過ごすことになるということか。そしてその様子を母に見られでもすれば勘付かれてしまうということ。
そんな先に書類を送って次の面接にてその場で合否を発表してもらうという、まるで使用人を雇用するみたいなやり方……と男爵は渋い顔をした。
「いや……それならそもそも、父上がグリフォン公爵令嬢に手紙を届けた時にでも直接言えばいいじゃないか……」
「高位貴族は直接手紙を受け取るような真似はしない。例え王族が直接持参していきたとしても、それを受け取るのは使用人だ。なので、当然儂が手紙を持って行っても会えることはないだろうよ」
「え……その時に会わせてくれってお願いしたら会わせてくれるんじゃ……」
「下位貴族ではありがちだが、高位貴族でそれはマナー違反だ。急な要件とはいえ礼を欠くわけにはいかんだろう?」
「まあ……それもそうか……」
父の言う通りにすると、あれよという間にグリフォン公爵令嬢から邸への招待状が届いた。何かと焦らす傾向にある高位貴族とは思えないほどの迅速な対応に、父が言っていた通り合理性のある方なのだなと納得する。
こうして、スミス男爵はグリフォン公爵家へと赴いたのである。
母を切り捨てることは決断できたものの、事が大きすぎてどう対処していいものか判断が付かない。
「直接母上を問い詰めるか? いや……それは駄目だな」
王太子を守るため、秘密を知った母が自分達に危害を加えるかもしれない。
母が実の息子相手にそんなことをするはずがない……などという甘い考えを男爵は持ち合わせていなかった。何故ならあの母に対する信頼は無に等しいから。
そもそも問い詰めたところで何の意味もない。
どんな理由があろうとも、母が王太子の不貞の場として邸を提供したことは変えようのない事実なのだから。
「……父上に相談するか」
幼い頃から母親の分まで自分を慈しんでくれた父。
母とは違い信頼に値する父ならば相談に乗ってくれるだろうと男爵は考えた。
早速父だけを本邸へと呼びよせ、自分が見たことを全て包み隠さず話した。
父は息子の口から語られることの重大さに恐れ慄き絶句し、顔から血の気が引いている。
「あいつ……儂の留守中にそんなことを……」
父は妻が自分の留守中に王太子とその不貞相手を邸に招いていたことも、その間使用人に暇を取らせていたことも知らなかったようだ。おそらく父が帰る前に王太子がいた痕跡を消していたのだろう。
「父上、これは対処を誤ると俺達全員が連座で罪に問われる。慎重に事を進めたいので母上と問い詰めるような真似はしないでくれ」
「…………そうだな。こちらが勘付いたことをあいつに知られるのは悪手だ。何をするか分からん……」
自分の夫にここまで信頼されていないことをあの母は知っているだろうか。
眉根を寄せて苦悩する父を見ていると胸が痛い。
「これは……王太子殿下の婚約者であるグリフォン公爵令嬢を頼った方がいいな。あの御方ならば上手く処理してくださるやもしれん」
「は……? どうして王太子殿下の婚約者を頼るという話になるんだ……!?」
まだグリフォン公爵に頼るというのならば分かる。なのに、何故令嬢の方を頼るという話になるのか意味が分からなかった。
「婚約者が不貞を犯しているなんて知ったら傷つくに決まっているだろう!? どうしてわざわざそんな傷つけるような真似を……」
「……普通の令嬢ならばそうかもしれんが、あの御方は違う。そんなことくらいで傷つくような性格ではない。むしろ嗤って流すと思うぞ」
婚約者の不貞を嗤って流す?
どれだけ強心臓の持ち主ならばそんなことが出来るというのか……。
「とにかく一番頼れる相手がグリフォン公爵令嬢しか思いつかん。儂は一日だけだがあの御方の王妃教育に携わった。記憶力のいい方なので儂の事も覚えておられるだろう。お会いして話したいことがある、と手紙にしたためればきっと会ってくださるだろう」
父は当主を引退後に教師となった。
元々趣味で歴史学を学んでいたことが功を成し、王妃教育に携わるまでとなったのだ。そういう経緯がありグリフォン公爵令嬢と関りがあったのだろう。
しかし、年若い令嬢にこんな重大な事を相談しようとするなど正気かと疑ってしまう。それでも、その“これが最良の選択”という姿勢を崩さない様子から不思議とその通りにした方がいいとすら思ってしまう。
「この件についての詳細を詳しく手紙に書け。それを儂自らグリフォン公爵家へと届けてやる」
「父上が直接届けるだって!? どうして使用人に頼まない? それに面識のない俺が書くのか!?」
「この件についてグリフォン公爵令嬢と直接話をするのはお前なんだから、お前が書くべきだろう?」
「え!? 父上は行かないのか?」
「儂が別邸から離れてはいかんだろう? あいつがまた王太子を招くかもしれん。もうこれ以上勝手な真似はさせん。それと、使用人に頼まず儂が直接持って行くのはこの件が他所に漏れないようにだ。他人に頼まず自分で持って行った方が安心できるからな」
「それは分かるけどよ……。なら、そもそも手紙にそんな知られては困る内容を書かなきゃいいんじゃないか? グリフォン公爵令嬢が俺に会ってくれた時に口頭で説明すれば済む話だろう?」
「駄目だ。あの御方は貴族にしては珍しく合理主義な思考の持ち主だからな。必要な情報を先に伝えておけばその場で判断を下してくれる。お前だって『追って沙汰を下す』みたいことを言われては気になって無駄に動揺してしまうだろう? それではあいつに勘付かれてしまうかもしれない」
つまりは、先に情報を伝えておけば会った時に今後どうすべきかを教えてくれるが、それがないと後で結果を伝えると言われてしまい、その待っている間悶々と過ごすことになるということか。そしてその様子を母に見られでもすれば勘付かれてしまうということ。
そんな先に書類を送って次の面接にてその場で合否を発表してもらうという、まるで使用人を雇用するみたいなやり方……と男爵は渋い顔をした。
「いや……それならそもそも、父上がグリフォン公爵令嬢に手紙を届けた時にでも直接言えばいいじゃないか……」
「高位貴族は直接手紙を受け取るような真似はしない。例え王族が直接持参していきたとしても、それを受け取るのは使用人だ。なので、当然儂が手紙を持って行っても会えることはないだろうよ」
「え……その時に会わせてくれってお願いしたら会わせてくれるんじゃ……」
「下位貴族ではありがちだが、高位貴族でそれはマナー違反だ。急な要件とはいえ礼を欠くわけにはいかんだろう?」
「まあ……それもそうか……」
父の言う通りにすると、あれよという間にグリフォン公爵令嬢から邸への招待状が届いた。何かと焦らす傾向にある高位貴族とは思えないほどの迅速な対応に、父が言っていた通り合理性のある方なのだなと納得する。
こうして、スミス男爵はグリフォン公爵家へと赴いたのである。
4,550
お気に入りに追加
7,557
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら
みおな
恋愛
子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。
公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。
クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。
クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。
「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」
「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」
「ファンティーヌが」
「ファンティーヌが」
だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。
「私のことはお気になさらず」
もう、愛はいりませんから
さくたろう
恋愛
ローザリア王国公爵令嬢ルクレティア・フォルセティに、ある日突然、未来の記憶が蘇った。
王子リーヴァイの愛する人を殺害しようとした罪により投獄され、兄に差し出された毒を煽り死んだ記憶だ。それが未来の出来事だと確信したルクレティアは、そんな未来に怯えるが、その記憶のおかしさに気がつき、謎を探ることにする。そうしてやがて、ある人のひたむきな愛を知ることになる。
本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~
なか
恋愛
私は本日、貴方と離婚します。
愛するのは、終わりだ。
◇◇◇
アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。
初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。
しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。
それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。
この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。
レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。
全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。
彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……
この物語は、彼女の決意から三年が経ち。
離婚する日から始まっていく
戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。
◇◇◇
設定は甘めです。
読んでくださると嬉しいです。
【完結済み】婚約破棄致しましょう
木嶋うめ香
恋愛
生徒会室で、いつものように仕事をしていた私は、婚約者であるフィリップ殿下に「私は運命の相手を見つけたのだ」と一人の令嬢を紹介されました。
運命の相手ですか、それでは邪魔者は不要ですね。
殿下、婚約破棄致しましょう。
第16回恋愛小説大賞 奨励賞頂きました。
応援して下さった皆様ありがとうございます。
リクエスト頂いたお話の更新はもうしばらくお待ち下さいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる