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騎士団長の息子、ケビン③

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 母親経由で訪問の約束を取り付けたケビンは、車椅子でファニイの邸を訪れていた。
 婚約を解消したとはいえ彼等は幼馴染の間柄、幼い頃はよく互いの邸を行き来したものだ。

 それなのにファニイの邸の使用人は皆一様にケビンを冷たい目で見ている。
 それも当然だ。ルルナに傾倒したケビンは全くこの邸に寄らなくなったことを彼等は知っているし、ファニイがそれを嘆いていたことも知っている。

 仕える家のお嬢様を悲しませた男を好意的に見るわけもなく、それどころか「婚約解消しているのにノコノコ来やがって」と怒り心頭だ。冷たいどころか殺気立った視線でケビンを見る者すらもいた。

 だが、鈍感で脳筋なケビンは彼等の視線に気づかない。
 彼の頭の中はファニイを手籠めにすることで一杯だった。
 居心地悪そうにしているのはケビンの車椅子を押す従者だけだ。彼は渋い顔で「帰りたい……」と聞こえないように呟いていた。

 暗い顔をしたファニイの父親がケビンを出迎え、娘の部屋の前まで案内すると深くため息をついた。

「ケビン、訪ねて来てくれたのは嬉しいが……いくらファニイを説得しようとも再度婚約を結ぶことはない。それを頭に入れておいてほしい」

 今まで会いに来なかったくせに、とファニイの父親は無図目を蔑ろにしたケビンに非難じみたことを告げた。
 しかし脳筋のケビンには全くといっていいほど通じない。精々従者が嫌味に気づいて胃を痛くしているだけだ。

「分かっているよ、小父さん。今日はファニイと久しぶりに話をするだけだ」

 再婚約はない、と言われてもケビンは気にも留めない。
 そもそも彼はファニイと再度婚約を結ぶ気などない。

 ケビンの目的は。婚約などというまどろっこしいことをしていては砦に送られてしまう。

 妻帯者となり、ファニイの胎に子が宿ってしまえば尚いい。
 女子供に甘い父親がファニイや子供からケビンを引き離すような真似はしないだろうし、妻子を連れて砦に行けと言うとも思えない。

 傷と骨折のせいで体中が痛むし上手く動かせないがファニイ一人を押し倒すくらいは出来そうだ、とケビンは最低なことを考えつつファニイの部屋の扉をノックした。

「ファニイ、俺だ、ケビンだ。久しぶりだな」

 高揚する気持ちを隠しきれず、浮ついた声で元婚約者の名を呼ぶ。
 
 ずっと“貴方が好き、もっと自分のことを見てほしい”と訴え続けていたファニイのことだ、こうして優しく話しかけてやればすぐに靡くだろうとケビンは考えた。

 しかし、そんな屑極まりない考えは扉から帰ってきたファニイの声に打ち消された。

「……ケビン、何しにきたの?」

 どんよりとした暗い声。とてもじゃないが、嬉しそうだとは言えない声。
 元婚約者のそんな声など今まで聞いたこともないケビンはひどく驚いた。

「ファニイ……どうした? せっかく俺が会いにきたのに、嬉しくないのか?」

「……別に、嬉しくないわ。アンタとの婚約をずっと後悔しているくらいだもの。婚約なんてしてなければ……にもならなかったのよ」

「あんなこと? 何だ? 何があったんだ……?」

「言いたくないわ……。もう帰って……」

 ファニイの拒絶にケビンは驚くと同時にひどく胸が痛んだ。
 ケビンが会いに来る度、声をかける度に犬が尻尾を振るかのごとくに喜んでいたファニイに拒絶された。それは心に予想以上のダメージを与え、体から血の気が引く心地に襲われる。

「そんな冷たい事を言わないでくれ……! ファニイ、とりあえず話をしよう! ここを開けてくれ!」

 どうしてこちらが縋らなければならないのか。そのことに若干怒りを覚えたものの、何としても直接ファニイと会わねばならないとケビンは必死に扉を叩いた。

「……嫌。今更何よ、アンタはあの男爵令嬢のお尻でも追いかけていればいいじゃない……」

「ルルナとのことを怒っているのか? 彼女とはただの友達だ。俺が愛しているのはファニイ、お前だけだ!」

 ファニイのことなどこれっぽっちも愛していないくせに、ケビンは嘘に塗れた薄っぺらな愛の言葉を叫んだ。
 心なしか従者の顔に侮蔑の表情が浮かんでいる。

「……もっと早くその言葉を聞きたかった。ミラージュ様が王太子殿下の婚約者だった頃にそう言ってくれていたなら、私だってあの男爵令嬢に嫌がらせなんてしなかったのよ……」

「は? 何を言っている? 嫌がらせって……お前がルルナのドレスを破ったことや階段から突き落としたことか? でもあれはミラージュ……いや、サラマンドラ嬢に指示されてやったことだろう?」

 ケビンは“ミラージュ”と言いかけて隣にいる従者に睨みつけられたことにより“サラマンドラ嬢”と言い直した。

「違うわ……私が自分の意志でやったことよ。ミラージュ様は指示なんてしていない……。婚約者に近づくあの尻軽が許せなかったし、消えて欲しかったからやったのよ……!」

「何だと!? じゃあ、お前はミ……サラマンドラ嬢に濡れ衣を着せたのか? お前……何て卑怯な真似を! そのせいで殿下はサラマンドラ嬢を公衆の面前で断罪したんだぞ!?」

 愛しいルルナに非道な真似をしたとして、王太子はミラージュをあろうことか夜会の場で断罪した。
 大勢がいる場所ならば、いかに筆頭公爵家といえどもその権力は使えないだろうという安直な理由で。

 沢山の貴族がいる場でいきなり濡れ衣を着せられ、反論も空しく晒し物になったことでミラージュはひどく恥をかかされた。それも心を壊す要因の一つとなったのは間違いない。

 その茶番のような舞台にはファニイも役者の一人となった。
 彼女は皆の前で涙ながらに「ミラージュ様に命令されて仕方なく……」と王太子に訴えたのだ。
 友人だと思っていたファニイに濡れ衣を着せられたミラージュの心がどれだけ傷ついたかは想像に難くない。

「お前がそんなことをしたせいでサラマンドラ嬢は心を壊し、婚約はなくなってしまった。そのせいで殿下はあんな我儘で傲慢な女と婚約を結ぶ羽目になったんだぞ!?」

 自分はファニイとやり直すためにここに来た。だから彼女を責めるなんてしてはいけない。

 頭では分かっていても心がそうはいかない。
 ミラージュが心を壊したことにより、王太子はアンゼリカを新たな婚約者として迎えた。
 そのアンゼリカのせいで自分はこんな重傷を負い、砦に行かされる羽目になったのだ。それについて苦言を呈さずにはいられない。

「仕方ないじゃない! ムカつくんだもん、あの男爵令嬢も……ミラージュ様も! 殿下やアンタに手を出す男爵令嬢をさっさと始末してほしかったのに、ミラージュ様は何にもしなかったのよ! いい子ぶってさ……ほんっと腹立つわ!」

 大人しいと思っていた幼馴染の醜い本音にケビンは扉の前で唖然としてしまった。

「ルルナを始末だと……? お前……自分が何を言っているか分かっているのか!?」

「分かっているわよ。いえ、のよ……。嘘をついて他人に罪を擦り付けたらどうなるか……身をもって知ったわよ!」

 ファニイの悲痛な叫びにケビンは困惑した。
 分からされた、とは一体誰に……?

……狂っているわ。真相を知りたいからって……普通あそこまでする? おかげでペラペラと話したくないことまで全て話してしまったわよ……。男爵令嬢に嫌がらせをしたことも、その罪を全てミラージュ様に擦り付けたこともね」

「あの女? あの女って誰だ?」

「……王太子殿下の新しい婚約者、アンゼリカ・グリフォン公爵令嬢よ」

「またあの女か! ファニイ、あの女に何をされた!?」

「だから言いたくないってば! もう帰って!」

 ヒステリックの叫びだしたファニイに一瞬怯んだケビンだが、当初の目的も果たさぬうちに帰れないと気を取り直した。

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