王妃となったアンゼリカ

わらびもち

文字の大きさ
上 下
25 / 109

騎士団長の謝罪

しおりを挟む
「この度は愚息がご息女にとんだ無礼な真似を……! 深くお詫び申し上げます」

 アンゼリカが王宮でひと悶着をおこしている頃、グリフォン公爵邸には騎士団長夫妻が謝罪に訪れていた。

「……ふむ、頭をあげてください騎士団長殿。娘はのでこちらから賠償等を求めることはない。そちらのご子息の方が重傷だそうではないか?」

「……か弱き女性に危害を加えるなどと卑怯な真似をした報いにございます。お嬢様に傷一つないと聞いて安心しました」

 公爵邸の応接間で土下座をかます騎士団長を一瞥したグリフォン公爵は、隣に立つ騎士団長の妻に目をやった。

(夫人の方はそう思っていないようだな)

 騎士団長夫人の顔には息子に重傷を負わせたことへの恨みがありありと浮かんでいる。
 彼女は公爵と目が合うとハッとし、慌てて頭を下げた。

「……同じ男として言わせてもらうが、か弱き女性に危害を加えるなど言語道断だ。たまたま娘に武道の心得があったから無傷で済んだものの……一般的な令嬢であれば一生消えない傷を負っていたに違いない。そちらではどういった教育をしているのか?」

「仰る通りでございます……。父親としても情けない限りで……ん? 今、ご息女に“武道の心得がある”と仰いましたか……?」

「? そうだが? それがどうした?」

「愚息はご息女の護衛騎士に返り討ちにされたと聞いたのですが……」

「護衛騎士? 娘は護衛など連れておらん。むさ苦しい男を連れ歩くのを嫌うから、あやつは侍女しか連れていない。それに、儂はその侍女からアンゼリカがそちらの子息を無礼討ちしたとの報告を受けておる」

 息子に重傷を負わせたのはアンゼリカだったと聞いて騎士団長夫妻は驚愕のあまり絶句した。騎士を目指す息子は昔から鍛えており、体も大きい。常人よりも力強い騎士見習いを華奢な貴族令嬢が無傷で制圧したという事実が受け入れがたい。

「ご息女が倅を……? そんな馬鹿な……」

「信じがたいだろうが、事実だ。アンゼリカはそこらの騎士よりも格段に強い。剣は勿論のこと、ありとあらゆる武術も修めている。だから護衛を連れていなくとも儂は何も言わなかったのだが……どうもようだから、むしろ護衛をつけた方がいいかもしれぬ」

 、と呟き公爵は優雅に茶を一口飲んだ。
 ちなみに騎士団長夫妻は出されたお茶に一切口をつけていない。
 初手からとんでもない事実を聞かされたせいでとても飲食物に手をつけようという気になんてなれない。

 耳にした有り得ない事実を理解しようとするだけで精一杯だ。

「で、騎士団長殿はアンゼリカがご子息に重傷を負わせたと知ったうえでも御自分達が悪いと謝罪できますかな?」

 公爵の問いかけに騎士団長はハッと我に返り、大声で「勿論です!」と叫ぶ。

「それは結構なことだ……。これでもしこちらに謝罪や賠償を求めるようでしたら家ごと潰すところでしたよ」

 地を這うような低い声に夫妻は大袈裟なまでにビクッと体を揺らした。
 
 騎士団長は初めから謝罪をする気でいたのだが、夫人の方は違う。
 詳細はどうあれ、息子に重傷を負わせたグリフォン公爵家に苦情を申し出るつもりだった。当主である夫に止められはしたものの、母親として息子に危害を加えられて黙っているなんて出来やしない。

 だが、息子に危害を加えた相手がと知り夫人の怒りは消えうせた。騎士を目指す息子が華奢な令嬢に返り討ちに遭い、それに対して謝罪や賠償を要求したと世間に知られたら間違いなく笑い者になってしまう。

 おまけにグリフォン公爵の風格と威圧感に先ほどから声も出せない。
 こんな状態と、こんな状況下で文句が言えるほどの度胸が夫人にあるはずもなく、ただただ俯くことしか出来ない。

「謝罪を受け入れよう。我が娘に対する無礼も不問にしてやる。この件はこれで手打ちとしよう」

「……っ!! ありがとうございます! 公爵閣下のご恩情に深い感謝を」

 真っ直ぐな気質の騎士団長は息子の無礼を公爵に許されたことを純粋に喜んだ。
 夫人の方は眼前の魔王の如き恐ろしい男に許され、まるで命が助かったとばかりに涙を浮かべて安堵する。

 公爵はその様子を一瞥し、騎士団長に向かってこう問いかけた。

「そういえば……騎士団長殿、子息を王太子殿下の側近から外したそうだな」

「え? は、はい……さようでございます」

 息子を側近から外すことはまだ王太子にしか告げていない。
 なのに、何故公爵はそれを知っているのだろうかと騎士団長は不思議に思った。

「王太子の側近などという華々しい職を辞するとは、勿体ないのでは? 重傷を負ったとはいえ、完治すれば再び剣を握れるかもしれないだろう?」

 公爵の問いかけに夫人は思わず顔を上げた。
 その傷を負わせたのはお前の娘だろうとでも言いたげな顔で。

「いいえ、愚息には王太子殿下のお傍に侍る資格も、剣を握る資格もありません。あやつは殿下に婚約者以外の女を近づけることを許しました。そういった不審人物を殿下に近づけさせないことが側近の役割でありますのに、あやつはそれを放棄した挙句に自分もその女を囲いおった。役割を放棄し、主君を危険に晒しかねない行動をとるような奴に側近の資格などない。それに理由はどうあれ婦女子相手に暴力を振るおうとしたことは騎士としても父親としても許せません。なので、愚息には二度と剣を握らせない。そう決めております」

 どこまでも真っすぐで純粋な気質の騎士団長は、理由はどうあれ息子が側近の役割を放棄したことと、婦女子相手に暴力を振るおうとしたことが許せなかった。

 本当ならば側近らしからぬ行動をとった時点で側近の任を辞退させたかったが、王太子がそれを拒否するので致しかたなく続けさせていた。だが、アンゼリカに危害を加えそうになったと聞き堪忍袋の緒が切れたのだ。

 義務を放棄した挙句に婦女子に暴行などという騎士道に反した行いをするなど、騎士としても父親としても許せなかった。たとえ返り討ちにあい、全身に重傷を負おうがその気持ちは揺るがない。むしろ当然の報いだと思っている。

「ほお……騎士団長殿は随分と真っすぐな気質をお持ちのようだ。よい、我が娘は

「は、はあ……? そうなのですか……?」

 褒められているのだろうが、言っている意味が分からず騎士団長は首を傾げた。
 反対に夫人の方は公爵が言わんとしていることが分かり、恐怖で体を小刻みに震わせた。

 “見逃してやる”

 そう言われているような気がしてならない。
 じゃあ、そうでない性格の持ち主ならばどうなっていただろうか……?
 答えは簡単だ、きっと家も自分達も潰されていたはず。
 グリフォン公爵家ならばそれくらい容易い。

 夫人は貴族らしからぬ純粋な夫の性格に初めて心から感謝した。
 そして今更ながら理解する。息子の行いは一歩間違えれば家を潰しかねないものだったのだと……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王命って何ですか?

まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。 貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。 現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。 人々の関心を集めないはずがない。 裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。 「私には婚約者がいました…。 彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。 そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。 ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」 裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。 だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。   彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。 次々に積み重ねられていく証言に次第に追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実を傍聴席の貴族達は息を飲んで見守る。 裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。 「王命って何ですか?」と。 ✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。

君のためだと言われても、少しも嬉しくありません

みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は……    暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

【完結】恋は、終わったのです

楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。 今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。 『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』 身長を追い越してしまった時からだろうか。  それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。 あるいは――あの子に出会った時からだろうか。 ――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。

十分我慢しました。もう好きに生きていいですよね。

りまり
恋愛
三人兄弟にの末っ子に生まれた私は何かと年子の姉と比べられた。 やれ、姉の方が美人で気立てもいいだとか 勉強ばかりでかわいげがないだとか、本当にうんざりです。 ここは辺境伯領に隣接する男爵家でいつ魔物に襲われるかわからないので男女ともに剣術は必需品で当たり前のように習ったのね姉は野蛮だと習わなかった。 蝶よ花よ育てられた姉と仕来りにのっとりきちんと習った私でもすべて姉が優先だ。 そんな生活もううんざりです 今回好機が訪れた兄に変わり討伐隊に参加した時に辺境伯に気に入られ、辺境伯で働くことを赦された。 これを機に私はあの家族の元を去るつもりです。

もう、愛はいりませんから

さくたろう
恋愛
 ローザリア王国公爵令嬢ルクレティア・フォルセティに、ある日突然、未来の記憶が蘇った。  王子リーヴァイの愛する人を殺害しようとした罪により投獄され、兄に差し出された毒を煽り死んだ記憶だ。それが未来の出来事だと確信したルクレティアは、そんな未来に怯えるが、その記憶のおかしさに気がつき、謎を探ることにする。そうしてやがて、ある人のひたむきな愛を知ることになる。

【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。

金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。 前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう? 私の願い通り滅びたのだろうか? 前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。 緩い世界観の緩いお話しです。 ご都合主義です。 *タイトル変更しました。すみません。

貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした

ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。 彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。 しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。 悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。 その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

処理中です...