王妃となったアンゼリカ

わらびもち

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王太子と側近

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「アンゼリカ嬢、王宮へ来たというのに私に挨拶がないとは無礼だぞ」

 勝手に扉を開けて入室してきたのは王太子のエドワードだった。
 背後に側近二人を従え、嘲るようにアンゼリカを見下ろしている。

「ごきげんよう、王太子殿下」
 
 反論することなく、アンゼリカは椅子から立ち上がり優美な礼を返した。
 その堂々たる姿に圧倒され、一瞬怯んでしまった王太子だが、すぐに気を持ち直し彼女に言い募る。

「まったく君は礼儀というものがなっていない。私の婚約者になったのだから、その辺を弁えてもらわないと困る」

 彼の偉そうな物言いにアンゼリカは表情一つ変えず、そのままゆっくりと首を傾げた。

「殿下の仰っている意味がわたくしには分かりかねます。? 礼儀を知らないのは貴方では?」

「なっ……なんだと!?」

 優美で淑やかな姿からは想像もできないほど不遜な物言いに王太子は怒鳴り声をあげる。
 見れば後ろの側近もアンゼリカを睨みつけていた。

「わたくしは貴方の婚約者にのですよ? であるわたくしが、何故貴方に礼を尽くさねばなりませんの?」

「なにを無礼な! 私は王太子だぞ!」

「だから? だから何だと言うのですか? 昨日陛下も交えて約束したはずですよ。わたくしの行動について一切の不敬を問わないと」

 強がりでもなく、相手を挑発するでもなく、ただ当たり前のように言うアンゼリカに王太子は唖然とした。
 身分も年も下のはずの少女とは思えぬほどの風格に圧倒される。

「無礼者! 王太子殿下に対して何て口の利き方を……!」

 唖然とする王太子にかわり側近の一人が彼の前に出てアンゼリカに怒鳴りつけ、腰に差した剣に手をかけた。
 だが、次の瞬間側近の体は宙を舞い、壁際に吹っ飛んだ。

「……………………え……?」

 何が起こったか分からない王太子は目を丸くして壁の方に目を遣った。
 そこには今しがた自分の前に立っていた側近が床に倒れ伏している。

「……野蛮ですこと。婦女子に向かって怒鳴りつけるなど、紳士のなさることではないわ」

 忌々し気にそう呟くアンゼリカの片手は反対側の肩辺りで止められており、それだけ見るとまるで彼女がその細腕で側近を引っぱたいたかのようだった。

 王太子がもう一人の側近に目を向けると、彼は顔を青くしてガタガタと震えている。

「お、お前……いったい何を……」

「無礼打ちです。どこの子息か知りませんが、わたくしに対する無礼は許しません」

 アンゼリカの女王然とした態度に王太子は完全に気圧された。
 まるで彼女がこの王城の主のような錯覚さえ感じたその時、先ほどの語学の教師が戻って来た。

「王太子殿下……? これは一体何事でしょうか」

 語学の教師は部屋にいる王太子に向かって胡乱な目を向けた。

「こ、この女が……私の側近を……!」

 目を見開いてそれだけ告げる王太子に教師は「はあ……」とどうでもいい返事をする。

「いえ、何があったかを尋ねているのではなく、どうして殿下がこちらにいらっしゃるかをお聞きしているのです。本日よりアンゼリカ様は寸暇も惜しまず王妃教育に勤しむことをご存じないのですか?」

 暗に「おめーのせいで王妃教育を受けなきゃならないのに、何邪魔してんだよ? 馬鹿か?」と告げる教師に王太子は顔を真っ赤に染めた。

「貴様、無礼だぞ! 私は私の婚約者に礼儀というものを教えているんだ!」

「……お言葉ですが、私共は陛下より“アンゼリカ様の行動に一切の不敬は問われない”とお聞きしております。それに女性がいる部屋で男が数名押し入るとはあまりにも不作法かと。こちらは陛下にご報告させていただきます」

「ち、父上に……? いや、待ってくれ、それは……」

 父親に言いつけられると不味いという自覚があるのか王太子は目に見えて焦りだす。教師はその様子に呆れ、ため息をついた。

「でしたら速やかにここから退出を。それとそちらに転がっております殿下の側近の方は医務室へと運びましょう」

 教師は外にいる衛兵に頼み、床に転がる王太子の側近を担架で運んでもらう。
 王太子ともう一人の側近は気まずそうに彼等に着き添った。

「はあ……騒がしくして申し訳ございません、アンゼリカ様」

「いえ、わたくしは大丈夫です」

「ですが大の男数人が部屋に押し入って怖かったのではありませんか? まったく礼儀知らずはどちらなのか……」

「少々驚きはしましたが、怖いとは思いませんので心配には及びませんわ」

 後光が差すほどの眩い笑みを浮かべるアンゼリカに教師は思わず見惚れた。
 状況は分かりかねるが、多分あの非常識な王太子が無礼な言動をとったのは間違いない。
 それにも関わらず一切動じないアンゼリカの泰然とした姿に教師は未来の王妃としての片鱗を見出した。

「その落ち着いたお姿、流石でございます。それでこちらがアンゼリカ様の礼儀作法を担当する教師なのですが……授業を始める前に部屋を替えましょうか」

 この部屋は先ほど王太子の側近が壁にぶつかったせいで家具等が床に散らばってしまった。
 こんな荒れた部屋ではとても授業など出来そうにもないと教師は部屋を替えることを提案する。

「そうですわね……。床に花瓶の破片なども飛び散っていますし、危ないですから部屋を替えて頂けると嬉しいです」

「はい、では申し訳ありませんがこちらへ……」

 別の部屋へと案内しようとした教師は、ふと部屋の惨状を眺めた。
 まるで誰かが暴れたような形跡が見られ、教師は改めてアンゼリカに向き直る。

「アンゼリカ様、お怪我はありませんか? すみません、まずそれを聞くべきでした……」

 あまりにもアンゼリカが堂々としていたせいか、彼女に怪我がないか聞くことを失念してしまった。
 だが、これだけ部屋が荒れているのだから彼女に何らかの危害が加えられたのではないかとハッと顔を青褪めさせる。

「いえ、わたくしも侍女も一切の危害は加えられていませんのでご心配には及びません」

「そうなのですか……!? それはよかったです」

 アンゼリカと彼女の侍女に危害がないことに教師は安堵した。
 しかしそれと同時に“ここまで部屋が荒れており、しかも側近があそこまで怪我をしているのに、どうして無傷でいられたのだろう?”と疑問が湧く。

「先生? どうかされましたか?」

「あ、いえ……何でもありません。それでは参りましょうか」

 疑問は湧いたものの、とりあえずアンゼリカに怪我がないのであればそれでよいと教師はその場を後にした。
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