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母との会話

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「ヨーク公爵家の犬は発情期のようね? みっともなく王宮で騒ぐなんて、あちらの躾はどうなっているのかしら……」

 茶会を終えたであろう母に呼び出され、王妃専用の庭へと招かれた。
 招待を受けた時点で何を聞かれるかは分かっていたが、想像を超える辛辣さだ。
 婚約者以外に現を抜かしている彼を、発情した犬と称するのは言い得て妙だが。
 
「まあ……お母様のお耳にも入ってしまわれたのですね?」

「当然でしょう。わたくしの招待客は皆、に夢中だったそうよ。それはもう……事細かくその芸の様子を教えてくださったわ」

静かながらも迫力のある声でセレスタンを罵る。
折角の茶会を台無しにされたことにかなりお怒りのようだ。

「話を聞いた限りだと、犬はどこかの雌犬に現を抜かしているとか……。アンヌマリーという名の雌犬だそうね?」

 見物していた貴婦人達はそんな細かな部分まで聞いていたのか。
 いい耳をしている、流石は社交界の重鎮達。

「ええ、わたくしの宮にいる侍女です。その侍女がどうやらセレスタン様に泣きついたようで……」

「侍女如きが、王女の婚約者に泣きついたですって? いい度胸ね……」

 母が静かに怒る様を見て不思議と安堵した。
 ああ、やはりセレスタンの不貞行為は非常識なのだなと改めて思う。
 彼等があまりにも罪悪感なくやっていたものだから、その辺の感覚が麻痺しつつあった。

「ええ、どうやらかなり骨抜きのようで……。その侍女はわたくしに特別扱いされないことが不満で、それをセレスタン様に泣きついたようです」

「特別扱い? それはどういう意味?」
 
 私は母に、気に入った侍女にエメラルドのブローチを手渡していることを説明した。
 その侍女達を臣籍降下先に同伴させる予定であることも。

「あらあら……主人の婚約者に手を付けた卑しい者が、主人に気に入られようとするなんておかしいこと。随分とおめでたい頭の持ち主のようね?」

「ええ、わたくしがセレスタン様と夫婦になった後も、彼と関係を続けようとするほどめでたい思考の持ち主ですわ。ブローチを欲しがるということは、公爵家までついてくるということですもの」

「まあ! そんな不忠者が紛れていたなんてね? 早々に処分しておかなくちゃ……」

 優雅な手つきでカップをソーサーの上に戻し、母は背後に控える侍女に何かを耳打ちした。
 会話の内容は聞こえないが、きっとアンヌマリーを処分する旨の命令なのだろう。

 正直に言えば、アンヌマリーの処分は私が決めたかった。
 だが、王宮の侍女を管理するのは王妃の役目。いくら娘といえどもその領分に立ち入ることはよろしくない。

 これでアンヌマリーが私にとって大切な存在であれば、命がけで“待った”をかけただろう。
 だが彼女は単なる略奪女だ。大切な存在の反対に位置する人間に、情けをかける必要などない。

 ああ、ヒロインはここで退場か……。
 もっとゆっくり時間をかけて甚振ってやりたかったのに。
 あの馬鹿が、あんな馬鹿なことをしなければなぁ……。

 そんな複雑な心を母に悟られぬよう、ゆっくりとカップを傾け、中にある琥珀色の液体を飲み干す。
 爽やかな柑橘の風味が芳しく、美味しい。

「美味しいお茶ですね。柑橘の風味が爽やかで……」

「そうでしょう? 若い子が好む味だと思って、この日の為に取り寄せたのよ。……お茶の味どころではなかったけどね」

「まあ……お母様のお茶会を台無しにして申し訳ございません。そんな状態では令嬢方の練習になりませんでしたね……」

 デビュタント前の令嬢に王宮での茶会を経験させる、というのは代々我が国の王妃が担う催しの一つ。年若い令嬢が王妃に顔と名を覚えてもらえる絶好の機会の場でもある。

 そんな折角の交流の機会がセレスタンの愚行のせいで台無しになったのだ。
 きっと茶会での会話は彼と私のことで持ち切りだっただろう。
 そんな状態では交流どころではないと思う。

「いいえ、貴女のせいではないわ。悪いのはあの躾のなっていない犬よ。血統だけで選んでは駄目だということがよく分かったわ」

 もう母にとってセレスタンは犬と同等、いやもしかしたらそれ以下なのかもしれない。

「ええ、本当……優れていたのは血筋だけでしたね。ヨーク公爵家の令息、という理由でわたくしの婚約者に選ばれただけありますわ……」

「貴族間の均衡を保つ為とはいえ、アレは失敗ね。ヨーク公爵家もどういった躾をしているのかしら……」

 私の婚約者にセレスタンが選ばれた理由はただ一つ、彼がヨーク公爵家の人間だからだ。
 我が国には三つの公爵家が存在しており、それぞれの権力は拮抗している。

 王家としても三家の均衡を保つことに注力しており、特に王妃は三家の中から順繰りに輩出することが暗黙の了解だ。母も、そして王太子である兄の婚約者も三家の中から選ばれている。

 だがヨーク公爵家にしばらく女児が生まれていないせいで、彼の家から王妃を輩出してから百年以上経ってしまった。これでは他の二家ばかりが王家と縁繋ぎとなり、ヨーク公爵家の権威が落ちてしまいかねない。

 それを是正するため、フランチェスカが女公爵となりヨーク公爵家の子息を婿にとることが決まった。公爵家へ嫁入りではなく婿取りなのにも理由がある。それは王家の直轄の領地を一度手放すためだ。

 ここ数代で領地の返還や爵位返上が相次いだせいで、王家所有の土地が増えつつある。
 基本的には代官に任せているものの、数が多いせいで目が行き届かない場所などは出てきてしまう。そういったところに横領が蔓延り、領民が苦しめられてしまうことは既に発生してしまっている。

 なので、再度領主を立てて土地を分配しようという案が出た。
 下手に既存の貴族に分配するよりは、王族の人間が治めるべきだという意見も多く、その結果フランチェスカが臣籍降下し女公爵となることが決まった。

「フランチェスカ、貴女はどうしたいかしら? この件が陛下のお耳に入れば間違いなく婚約は破棄されるわ。でもそうなるとヨーク公爵家の権威は失墜し、寄り子の貴族達も道連れになるでしょう。貴族社会は荒れるわね……」

「ええ、分かっております。ですが、セレスタン様との婚約を続けるつもりは毛頭ございません。あのような愚かで頼りない人間を抱えて広大な領地を管理できるほど器用ではありませんから。ようは婿?」

「あら、それはどういうことかしら?」

「此度の事で理解しました。。ようは彼の家から王女に婿を輩出した、という事実さえあればよいのです。何も血統にこだわる必要などこれっぽっちもないのだと、セレスタン様で痛いほど分かりましたわ」

 ヨーク公爵家の子息は嫡男と次男の二人だけ。なので必然的にセレスタン次男が婿に選ばれた。

 だが、ヨーク公爵家から婿を輩出したという事実さえあればよいのだ。
 別にセレスタンにこだわる必要はどこにもない。
 公爵家の血を引く親戚から養子を迎え、その子息を私の婿にすれば問題ない。

「ふふっ……賢いわ。それでこそわたくし自慢の娘よ。その案なら陛下も喜んで承諾するでしょうね」

「ええ、なのでお父様が外遊先からお戻りになりましたら、わたくしの口から直接進言します」

「分かったわ。陛下の帰国予定は3日後、その間にヨーク公爵家から何らかの接触があればいいのだけどね……」

「まともな頭をしていれば、謝罪の一つはしてくるはずでしょう。その時にこの案を話し、交渉を試みてはみますが……」

「そうね、まともな貴族なら貴女の案を受け入れるはずよ。でもプライドはズタズタでしょうね?」

「ふふ、受けてくれなければ困ります。あんな犬を寄こしてきたのはあちらなのですから……」

 お前の息子が駄目だから他の息子を用意しろ、と言外に伝えるようなものだ。
 ヨーク公爵のプライドはズタズタに切り裂かれるだろう。

 だがそんな愚かで恥知らずな息子を宛がってきた責任はとってもらわねば。

「では、貴女は表立ってヨーク公爵家の罪を問わないつもりね? たかだか公爵家の次男如きが王女である貴女を虚仮にしたのよ。毒杯を授けてもいいくらいだわ」

「家ごと潰すのでしたら、そうしてもよかったですわ。でも家の権威はそのまま保ってもらわねば困りますもの。彼の処分はヨーク公爵に任せます」

 まともな貴族家当主ならば、王宮で王女を虚仮にした息子をそのままではおかないだろう。
 蟄居させるにしろ、処分するにしろ何らかの処罰は与えるはずだ。

 ああ、残念だ。出来ればこの手で地獄に叩き落してやりたかったのに。
 断罪を他人の手に委ねなければならないなんて……。

 残念な気持ちを慰めるようにお茶請けの菓子を口に運ぶ。
 糖分が体を巡り、気持ちが落ち着いてきたところに母が「そういえば」と呟いた。

「今日のお茶会の参加者にテリア伯爵夫人がいたわね。彼女は確かヨーク公爵夫人の妹だったはずよ」

「まあ、ではテリア伯爵夫人の口からヨーク公爵夫人の耳に此度のことが伝えられているかもしれませんね?」

「おそらくそうでしょう。テリア伯爵夫人ったら、青い顔して気もそぞろだったもの。いかにも早く帰りたそうだったわ……」

 甥が王宮でとんでもない愚行を犯していることろを目撃したテリア伯爵夫人の心中はどのようなものだろうか。
 きっと動揺と混乱で一杯になったし、早く帰ってヨーク公爵家へ追求しに行きたかったはず。

 テリア伯爵夫人はおそらく今日中にヨーク公爵家へと話を伝えるだろう。
 なら早くて明日、遅くて明後日頃には公爵家からの遣いが王宮を訪れるはず。

(公爵が来るか、夫人が来るか……。いずれにしても、彼等は一体どんな反応をしてくるかしらね……?)

 自分達の息子が王宮で王女に詰め寄った。しかも王女以外の女と親しくしていることを匂わせて。

 不敬極まりない行いに対し、どのように謝罪し、どのように言い訳をするのか。
 そしてこの機会に尋ねたいこともある。

(彼等はわたくしに対する息子の態度を知っていたのかしらね……?)

 会いにきても手土産一つない。
 いつも無愛想で冷たい態度しかとらない。
 
 こんな無礼な態度を格上の王族にすること自体が有り得ない。
 知っていた見過ごしていたなら彼等も同罪だ。

 それに、どうしていつも王宮へ訪問する際
 そこが最大の謎だ。高位貴族の令息が従者を一人も連れずに出歩くなど有り得ない。

 いつも一人で来て一人で帰るから、私は彼が従者をつけているところを見たことがない。
 まあ、いないからこそアンヌマリーと浮気が可能なわけなのだが……。

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