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カサンドラの後悔・終
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「そうか、自分の罪を認める器はないか。なら仕方ない、私はただの部外者だからね。君を断罪する資格もない」
「……だったら、わたくしを名ばかりの妻にするなんて言う資格もないんじゃないの?」
そうだ、わたくしはこの男には何もしていない。
だから名ばかりの妻などという辱めを受ける義務もないのだ。
たとえわたくしが誰かの人生を不幸にしていたとしても、この男には関係ないはず。
「いや? 私が君を名ばかりの妻にするのは断罪目的ではないよ。ただ君なら罪悪感が湧かないから利用するってだけだ。いくら恋人との関係を維持するためといっても、何の罪もない令嬢にこんな非道なことできないからね。だからわざわざ隣国から君を金で買ったんだよ。君のような他人の人生を壊してでも自分の欲を通す人間なら構わないと思ってね」
「なによ……それ……」
「だって、私は君の生家に莫大な金を支払ったんだよ? 諸々の家に支払う慰謝料と、レブンス商会に支払う慰謝料、そして君が始めた事業の赤字分……。総額すると結構な額だよ? 私が肩代わりすることで君の生家は爵位を返上せずに貴族のままでいられるんだ。ちょっとは感謝したらどうだい?」
「え……? ちょ、ちょっと待って……! 慰謝料は分かるんだけど……事業の赤字ってなんなの!?」
わたくしが始めた事業は前世の知識を活かしたもので、赤字になるはずがない。
悪役令嬢が前世の知識で始めた事業は全部ヒットするって相場が決まっているはずじゃない……!
「どれも到底実現不可能なものばかりで、しかも現場に丸投げ。だからかな、商品化している物なんてほぼないよ。それで赤字になるなっていう方が無理でしょう」
「う……うそ! うそよそんなの!」
確かにわたくしはアイデアだけ出して後は他の人に任せていた。
だって、その商品の詳しい仕組みなんて知らない。だからどう作るのかなんて分かるわけない。
それに経営の仕方だって知らないもの……!
でも、前世の小説とかではそうする悪役令嬢は多かったはずよ!
アイデアだけ出せば、後は有能な使用人が何とかしてくれるはずで……
「だって、君が商品化したい物って現実離れが過ぎるよ。『常に中が冷たい状態を保つ箱』とか『火も油も使わないのに部屋が明るくなる装置』とかどうやって実現するのさ? 魔法でもない限り無理だよ」
「あ………………」
そうか……この世界には魔法がないんだ。
『冷蔵庫』も『蛍光灯』も……電気に変わる物がなければ実現が難しい。
そういえば前世の小説では魔法がある世界が舞台、という状況で悪役令嬢達は事業を進めていた気がする……。
魔法がない世界でも彼女達には相応の知識があって、実現可能な物を選んでいたな……。
わたくしみたいに……知識も魔法もないのに、無茶をする真似なんてしなかった。
していたとすれば、それは……ざまぁされる頭の悪いヒロインだ。
あれ……ちょっと待って、今のわたくしって……悪役令嬢というよりまるでヒロインみたいじゃない?
複数の男に擦り寄って婚約を壊す。
醜聞で家を傾けさせる。
知識もないのに事業に手を出して借金塗れになる。
うそ……どれもこれも、頭の悪いヒロインのやることじゃない……!?
「おや、顔色が悪いようだね。今頃現実を知って後悔でもし始めたのかな? まあ今更遅いけどね。さてパティ、君に私から一つ贈り物をしよう」
呆然とするわたくしを無視し、夫がメイドの方に顔を向けた。
その声音はこちらに向けるものとは違う。驚くほど優しい。
「贈り物ですか……? 私は何もしておりませんのに、そのような物を頂くわけには……」
「いいや、君は私に彼女の存在を教えてくれたじゃないか? 名ばかりの妻にしても心が痛まないような悪女の存在を。流石に何の罪もない令嬢をその座に就けるのは良心が痛むからね」
本人を目の前にして言うことじゃない。
そう言いたいけど、もう声を出す気力もなくなってしまった。
自分の行いの酷さを自覚してしまい、恥ずかしさと後悔でどうにかなってしまいそう……。
「実はね、君の元婚約者の所在が分かったんだ。どうやらある労働所にいるみたいでね。それで君さえよければ私がここへ彼を連れてこようと思う。君の伴侶にするためにね」
「え!? 旦那様……よろしいのですか!?」
「もちろんだ。君は私の大切な従姉弟だし、私の恋人にもよく仕えてくれる。元婚約者のエドワード君には今度こそパティを大切にするようによく言い聞かせてから連れてくるよ」
「旦那様……! ありがとうございます……!」
「君には幸せになってほしいからね。あ、報告によるとエドワード君は大分外見がみすぼらしくなったようだけど、大丈夫かい?」
「勿論です! エドならばどんな姿でも……!」
歓喜で涙するメイドと微笑ましく彼女を見つめる夫をただぼんやりと眺めた。
夫は妻のわたくしを幸せにする気はないのに、ただの従姉弟を幸せにする気はあるのか……。
それからわたくしは別邸へと押し込まれた。
わたくしに許されたことはただ仕事をこなすことだけ。
来る日も来る日も書類を捌き、それを使用人に渡す。
ただそれだけの日常。
夫は一度もわたくしに会いにこない。
彼の姿は別邸の窓から偶に見かけるだけ。
一人の女性と共にいる、幸せそうな姿を……。
それとあのパティとかいうメイドが薄汚い男を連れて歩く姿も偶に見かける。
おそらくその男はエドワードなのだろう。草臥れているがなんとなく顔に面影がある。
一度彼と目が合うと思い切り睨まれてしまった。
ああ……わたくしは彼に恨まれているんだ。
そう自覚すると恐ろしくて別邸から出ようとも思えなくなった。
だってきっと彼だけじゃない。色んな人からわたくしは恨まれている。
わたくしは何処で間違ってしまったんだろう……。
おそらくきっと最初からだ。
この世界の常識を身に着けた元のカサンドラさえ消さなければこんなことにはならなかったのかもしれない。
ああ、邪魔者は彼女じゃなかったんだ……。
邪魔者は……この世界で唯一の異物である……わたくしの方だった。
後悔しても……もう遅いけど。
―――――――――――――――――――――――(了)
これにて完結です。
お読みいただきありがとうございました!
「……だったら、わたくしを名ばかりの妻にするなんて言う資格もないんじゃないの?」
そうだ、わたくしはこの男には何もしていない。
だから名ばかりの妻などという辱めを受ける義務もないのだ。
たとえわたくしが誰かの人生を不幸にしていたとしても、この男には関係ないはず。
「いや? 私が君を名ばかりの妻にするのは断罪目的ではないよ。ただ君なら罪悪感が湧かないから利用するってだけだ。いくら恋人との関係を維持するためといっても、何の罪もない令嬢にこんな非道なことできないからね。だからわざわざ隣国から君を金で買ったんだよ。君のような他人の人生を壊してでも自分の欲を通す人間なら構わないと思ってね」
「なによ……それ……」
「だって、私は君の生家に莫大な金を支払ったんだよ? 諸々の家に支払う慰謝料と、レブンス商会に支払う慰謝料、そして君が始めた事業の赤字分……。総額すると結構な額だよ? 私が肩代わりすることで君の生家は爵位を返上せずに貴族のままでいられるんだ。ちょっとは感謝したらどうだい?」
「え……? ちょ、ちょっと待って……! 慰謝料は分かるんだけど……事業の赤字ってなんなの!?」
わたくしが始めた事業は前世の知識を活かしたもので、赤字になるはずがない。
悪役令嬢が前世の知識で始めた事業は全部ヒットするって相場が決まっているはずじゃない……!
「どれも到底実現不可能なものばかりで、しかも現場に丸投げ。だからかな、商品化している物なんてほぼないよ。それで赤字になるなっていう方が無理でしょう」
「う……うそ! うそよそんなの!」
確かにわたくしはアイデアだけ出して後は他の人に任せていた。
だって、その商品の詳しい仕組みなんて知らない。だからどう作るのかなんて分かるわけない。
それに経営の仕方だって知らないもの……!
でも、前世の小説とかではそうする悪役令嬢は多かったはずよ!
アイデアだけ出せば、後は有能な使用人が何とかしてくれるはずで……
「だって、君が商品化したい物って現実離れが過ぎるよ。『常に中が冷たい状態を保つ箱』とか『火も油も使わないのに部屋が明るくなる装置』とかどうやって実現するのさ? 魔法でもない限り無理だよ」
「あ………………」
そうか……この世界には魔法がないんだ。
『冷蔵庫』も『蛍光灯』も……電気に変わる物がなければ実現が難しい。
そういえば前世の小説では魔法がある世界が舞台、という状況で悪役令嬢達は事業を進めていた気がする……。
魔法がない世界でも彼女達には相応の知識があって、実現可能な物を選んでいたな……。
わたくしみたいに……知識も魔法もないのに、無茶をする真似なんてしなかった。
していたとすれば、それは……ざまぁされる頭の悪いヒロインだ。
あれ……ちょっと待って、今のわたくしって……悪役令嬢というよりまるでヒロインみたいじゃない?
複数の男に擦り寄って婚約を壊す。
醜聞で家を傾けさせる。
知識もないのに事業に手を出して借金塗れになる。
うそ……どれもこれも、頭の悪いヒロインのやることじゃない……!?
「おや、顔色が悪いようだね。今頃現実を知って後悔でもし始めたのかな? まあ今更遅いけどね。さてパティ、君に私から一つ贈り物をしよう」
呆然とするわたくしを無視し、夫がメイドの方に顔を向けた。
その声音はこちらに向けるものとは違う。驚くほど優しい。
「贈り物ですか……? 私は何もしておりませんのに、そのような物を頂くわけには……」
「いいや、君は私に彼女の存在を教えてくれたじゃないか? 名ばかりの妻にしても心が痛まないような悪女の存在を。流石に何の罪もない令嬢をその座に就けるのは良心が痛むからね」
本人を目の前にして言うことじゃない。
そう言いたいけど、もう声を出す気力もなくなってしまった。
自分の行いの酷さを自覚してしまい、恥ずかしさと後悔でどうにかなってしまいそう……。
「実はね、君の元婚約者の所在が分かったんだ。どうやらある労働所にいるみたいでね。それで君さえよければ私がここへ彼を連れてこようと思う。君の伴侶にするためにね」
「え!? 旦那様……よろしいのですか!?」
「もちろんだ。君は私の大切な従姉弟だし、私の恋人にもよく仕えてくれる。元婚約者のエドワード君には今度こそパティを大切にするようによく言い聞かせてから連れてくるよ」
「旦那様……! ありがとうございます……!」
「君には幸せになってほしいからね。あ、報告によるとエドワード君は大分外見がみすぼらしくなったようだけど、大丈夫かい?」
「勿論です! エドならばどんな姿でも……!」
歓喜で涙するメイドと微笑ましく彼女を見つめる夫をただぼんやりと眺めた。
夫は妻のわたくしを幸せにする気はないのに、ただの従姉弟を幸せにする気はあるのか……。
それからわたくしは別邸へと押し込まれた。
わたくしに許されたことはただ仕事をこなすことだけ。
来る日も来る日も書類を捌き、それを使用人に渡す。
ただそれだけの日常。
夫は一度もわたくしに会いにこない。
彼の姿は別邸の窓から偶に見かけるだけ。
一人の女性と共にいる、幸せそうな姿を……。
それとあのパティとかいうメイドが薄汚い男を連れて歩く姿も偶に見かける。
おそらくその男はエドワードなのだろう。草臥れているがなんとなく顔に面影がある。
一度彼と目が合うと思い切り睨まれてしまった。
ああ……わたくしは彼に恨まれているんだ。
そう自覚すると恐ろしくて別邸から出ようとも思えなくなった。
だってきっと彼だけじゃない。色んな人からわたくしは恨まれている。
わたくしは何処で間違ってしまったんだろう……。
おそらくきっと最初からだ。
この世界の常識を身に着けた元のカサンドラさえ消さなければこんなことにはならなかったのかもしれない。
ああ、邪魔者は彼女じゃなかったんだ……。
邪魔者は……この世界で唯一の異物である……わたくしの方だった。
後悔しても……もう遅いけど。
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