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apoptosis
54.Maybe
しおりを挟む六月も半ば。地上で落ちる雨の音も、地下の会議室には届かなかった。湿気を含む淀んだ空気も、最新鋭の設備によって換気され、梅雨どきそのものを感じさせる要素は、地下空間には一切入ってこない。
【彼岸花】本部のその地下会議室に、早見隊の面々は集合していた。傾斜型の会議室には、他にも複数の隊が集まり、それぞれが隊ごとに固まって座っている。五名以下の少数精鋭、十名前後の大人数、重火器を持ち込んでいる隊に、女性ばかりが集まっている隊と、その特色は様々だった。
「すごい人」
集まったその数に、思わずあんじゅは声が漏れる。他の隊が集う場に来たのはこれが初めてだった。
「多いですね」
「そうだな」
隣に座っていた京は、驚く様子もなく淡々としていた。ここにいる者は、吸血鬼を狩ることを生業としている者たちばかり。吸血鬼の立場からしたら、この空間に居るのは生きた心地がしないだろう。
「能力種のことを知っている人たちばかりなんですよね。知らない人たちを含めたら、隊員ってどれくらいいるんですか?」
「関東圏でこれだけの数だからな。地方の支部に行けば、隊員はもっといるだろ。これで『戦術班』が不足してるって言われてんだ。世界の吸血鬼の人数は、相当な数だろうな」
京の考察に、あんじゅも納得して頷く。【彼岸花】が人手不足で対応に追われているとなれば、吸血鬼の方が数としてはやや上回っているのだろう。現に、吸血鬼の起こす事件は年々増加傾向にあった。
「しかし、みんな呑気なもんだな」
周りの様子を見て京が呟く。肝心の会議事態はまだ始まっておらず、談笑する声がところどころで聞こえていた。
「そうですね。意外と和やかですよね」
張り詰めた空気など、微塵も感じない。傾斜型の部屋の構造もあってか、まるで大学の教室のように思えてくる。
「なあ霧峰、笑いとりに行ってみろ」
「え?」
京に言われた言葉にあんじゅは耳を疑う。
「ほら、壇上に出て、“みなさーん、今から絶対にウケる一発芸やりまーす”とか」
「や、やりませんよそんなこと!」
そんなことをした暁には、有名人になっているだろう。
「先輩命令だぞ。命令に忠実なのは、この仕事で大事なことだ」
「……柚村さん、わたしがストーカー扱いした件で怒ってますか?」
「俺がそんな小さな人間に見えるか?」
見えます。とあんじゅは危うく言いかけた。京はいつもと違って少し棘のある口調になっている。激怒、とまではいかなくとも機嫌を損ねている様子だった。
あんじゅは小さく肩をすくめると、隣に座っている上條真樹夫に視線を移す。真樹夫は、タブレット端末を持ち込んでなにやら作業をしていた。
「なにしてるんですか上條さん?」
不意打ちであんじゅが呼びかけたからか、真樹夫は飛び上がりそうなくらいに驚いて椅子から転げ落ちた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あっ……う、うん、大丈夫。へ、へいき……平気っ」
「すみません、急に話しかけて。驚かせたみたいで……」
「い、いや、大丈夫……な、なに? 用事?」
「いえ、あまり話したことなかったので……今は一応同じ『技術班』ですから……」
「あっ、うん……そっか……そう」
椅子に座り直した真樹夫は、パーマヘアをさらに自分でくしゃくしゃにし始めた。
「柴咲さんや、真田さんみたいに、スムーズにできてないかもしれないですけど、頑張ります」
「あっ……うん、わっ、えっと……わかった」
そこからは、会話がピタリと止んだ。接ぎ穂を見つけようにも、なにを訊くかを迷い、あんじゅは思案する。反面で、もしかしたら話しかけられるのが嫌なのかもしれない、そんな考えも浮かんできた。
「はーい、みなさーん。お喋りをやめてくださーい」
女性──先ほどあんじゅたちを呼びにきた、眼鏡をかけた彼女──が手を叩いて、談笑を中断させる。
「それでは、超不定期の定例報告会を……えっと、始めます。黒川副局長は用事で出てますし、柊局長は、指名手配中なので、今回は【彼岸花】上級役員の私、矢島が司会をしまーす」
傾斜型の会議室。その壇上に立った矢島は、席に着いた大勢の隊員に見下ろされる形になった。
「では、まず最初に、能力種の吸血鬼と接触して、討伐許可を得た新しい隊を紹介しまーす、早見隊のみなさーん、ご起立」
早見隊のメンバー全員が、言われた通りに立つ。
「多大なる犠牲を出しつつも、彼ら八名が新しく加わりました。これにより、はびこる厄介な吸血鬼たちを、もっともっと排除できるでしょう」
穏やかな物言いだったが、毒のある言葉だった。
「ちなみに、倒したのは誰ですか? この中だと、倒したのは綾塚氏かな?」
沙耶の方を見た矢島は含みのある笑みを浮かべる。どうやら矢島は、沙耶の実力を知っているようだ。
「矢島さん。いいですか?」
「はいはーい、なんですか? 早見氏」
「えっと、私たちその……能力種ってのは倒してないんですけれど」
「え?」
早見の言葉に周囲がざわつく。驚き、というよりは、疑念や小言のような言葉が混じっているのが聞き取れた。
「早見隊って能力種倒してないんです?」
「ええ。致命傷は与えたんですけど、その吸血鬼の灰は確認してないの」
「ちなみに致命傷を与えたのはどなたです?」
早見はあんじゅを見た。倣うように、他のメンバーもあんじゅの方に視線を向けてくる。
「おや、彼女ですか? あなたお名前なんですかー?」
「えっと……霧峰あんじゅ。担当は──」
そこで、言葉が止まる。果たして、自分はどちらを言うべきだろうか。
「──『技術班』です」
ざわめきの声が先ほどよりも大きくなった。驚嘆の色が、会議室全体に伝染していく。ほとんど全員に注目されたあんじゅは、気恥ずかしくなり、思わず目を伏せる。
「マジで? 『技術班』で能力種を仕留めたの? すごっ」
「はい。あっ、仕留めきれてはないです」
「ああ、そうだったっけ」
担当については伏せるべきだったか、とあんじゅは今になって後悔し始めた。致命傷を与えたのは自分、それだけ言って次に進めばよかったのだが。
「出ました。霧峰あんじゅ……稲ノ宮旅館の最後の生き残り。当時中学生にして、猟銃で吸血鬼を仕留め、生還した少女。ん? マジで……あの人の……?」
一番下の前の席に座っていた人物(パソコンを所持しているので、おそらく『技術班』だろう)が言う。
「へー、すごいですねー。その事件なんとなく覚えてますよ……っと、話が逸れたね。霧峰氏、その吸血鬼の能力教えて」
あんじゅは、見た通りの広沢の能力をそのまま伝える。あの事件の時のクラスメイトだったことも、一応は伝えたが、そのことについては矢島は生返事で返してきた。
「りょーかいでーす。『血液摂取で反射神経が向上』する。ふーん、早見隊は他に出会った能力種は?」
沙耶が手を挙げた。沙耶は、先日の輸送車襲撃の際に接触した能力種について一通り説明した。
「……了解です。綾塚氏、能力種は仕留め損ねた、っと」
付け加えられた言葉は、やけに明瞭に、そして強調されて聞こえた。小馬鹿にした物言いなのは、あんじゅにもわかった。何気なく、あんじゅは沙耶の方を見てみる。沙耶はいつも通り涼しげな表情のままだった。
定例会で早見隊が注目を集めたのはこの時のみで、後は淡々と進められていった。遭遇した吸血鬼、討伐した吸血鬼、それらは全て能力種の類ばかりで、他の一般的な吸血鬼についての話題は、ほとんど出ることはなかった。
「んっと、以上ですかね。あとは──」
言いかけて、矢島は振動していた携帯を取り出す。少ないやりとりを終えて通話を終えると、大きなため息をついた。
「えっと、ショッピングモールに吸血鬼が現れました。数からしておそらく偶発的なものではなく、意図的な襲撃だと思います。とりあえず……美堂隊、早見隊で退治して来てください」
○
あんじゅは装備を整えると、ヘリポートの方へと向かった。プロペラを回しながら待機している輸送ヘリは、いつでも離陸できる状態になっている。銃を念のため持ってきたあんじゅだが、メインとして使うことはないだろう。現場に足を運び、通信や本部にいる真樹夫との中継が主な仕事になる。
タブレット端末の電源を入れ始めたところで、ライフルケースを担いだ美穂が隣に座ってきた。
「あのクソ眼鏡……っ!」
不機嫌そうな面持ちの美穂をあんじゅは怪訝そうに見た。
「どうかしたんですか? 上條さんですか?」
「違うわよ。あの矢島とかいう女よ。沙耶さんのこと見下して、鼻で笑うなんて」
笑っていただろうか。思い返すがあんじゅは矢島の表情までは覚えていなかった。
「上級役員なんて、戦闘に関しちゃトーシローのくせに学歴だけで偉そうに……!」
「鵠さん、落ち着いてください。怒ると狙撃にも影響出ますよ」
「あんたはあんたはで、褒められてよかったわね」
「あれは褒められたわけじゃないと思いますけど」
そんな言葉を交わしていると、他の隊員も次々と乗り込んできた。通路を挟んであんじゅたちの向かい側の方に、美堂隊の面々が座り込む。自然と区分けされた配置になったが、美堂隊の隊員一名があんじゅの横に腰掛けてきた。
「あーあ、会議なんて面倒くさいですわ。時間の無駄ですわあんなの」
隣に現れた空金渚を見て、あんじゅは目を丸くした。渚はスーツ姿から動きやすい服装に着替えている。装備は、重々しさを醸し出しているレーザーライフルだった。早見と同じ武器だ。
「ん? あなたは……ああ、例の新入りさんですの? よろしくお願いしますわね」
言って、渚は屈託のない笑顔を見せる。あんじゅとは定例会前に顔を合わせているはずだが、その認識は渚の頭からすっかり抜けているようだった。
「私は、空金渚。美堂隊の副隊長ですわ」
「えっ、と……霧峰あんじゅです」
「よろしくですわ、霧峰あんじゅ。ところで、これどこに行くんですの?」
「えっ。あの……ショッピングモールですけど、吸血鬼が現れたので」
「なるほど。わたくし定例会は寝てましたから、ほとんど覚えてないんですの」
そう言って、渚は名残りのように大きなあくびをする。
「なにしてんのよあんた」
「おや、鵠美穂。おバカさんこそ、ここでなにしてるんですの?」
「喧嘩売ってんなら買うわよ」
「あら、別に構いませんわよ? なんなら、戦いますか? まあ、どのジャンルだろうと私の圧勝でしょうけども」
「上等よ、降りろ」
「やめてください鵠さん。そろそろ離陸しますから」
あんじゅを挟んで、両者は睨み合いを始める。視線の対象が自分ではないにしろ、サンドイッチのように挟まれる居心地はいいものではない。
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