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ユージーン

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at intervals

40.unexpected meeting

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「はい、お水」
「ありがとうございます……」
 【彼岸花】の医務室で目覚めたあんじゅは、早見玲奈からペットボトルを受け取る。流し込むように飲んだため、気管に入り咳き込んだ。
「あらあら、落ち着いて落ち着いて」
「ずびば……せ、ゴホッ! ゲホッ!」
「大丈夫?」
 あんじゅは、頷いて答える。
「しかしビックリしたわ。資料届けに来たら、まさかあんじゅちゃんの死体を見ることになろうとはね」
「あの、わたし生きてます」
 とはいうものの、あんじゅには倒れた記憶がない。瞼が重たくなるほど疲労していたのは記憶にある。パソコンに向かってキーボードを打ち、時々思考を使う。眠気を一時的に殺すためにコーヒーを飲もうと立ち上がったところで次のシーンに来た。医務室のベッドの上。まるでフィルムをバッサリとカットされた映画みたいに。
「あははは、ところでなにしてたの?」
「情報処理とサーバーの更新と、定時連絡書の記入と、各隊の報告書を読んで、スクリプトとマトリックス解析と、それから──」
「待って待って、ストップ、まさか、働いてるの・・・・・?」
 説明を受けて、早見の顔から朗らかな笑顔が消えた。
「ええ、一週間ほど」
 日数を聞いた早見は驚いて目を丸くした。
「一週間!? そんなに連勤してるの!? 私の隊とあんじゅちゃんの隊は、しばらく休んでもいいって通達されてたはずだけど」
「そうなんですけど……仕事は溜まりますから。私、『技術班』の仕事もある程度はできるので、上條さんが戻ってきた時のために、少しでも、と」
「……偉いけど、あんじゅちゃんみたいな人がいると上が調子乗るのよね」
 ため息をついた早見。すると、何かに気がついたように顔を上げた。
「あんじゅちゃん『戦術班』じゃないの? なんで『技術班』の仕事を?」
「それは、アカデミーの専攻は『技術班』でしたから。けど、その……銃の腕で『戦術班』に」
 それを聞かされて、早見はああ、と頷いた。
「なるほどねえ。強引に変えられたパターンか」早見は同情的な視線をあんじゅに向ける。
「よくある話ね。そういえば、柴咲さん、辞めたんだっけ?」
 あんじゅは、はい、と答えて視線を落とす。
 あの蓮澪村の事件の後で、梨々香は本当に辞めてしまった。辞表を出してそのまま。お店で支払いを終えるみたいに軽い感じだった。
 ヘリの中で梨々香が言ったことをあんじゅは、冗談だと思っていた。特にいつもと変わらないような物言いだったのめ。
「せっかくなんとか生き残れたのに、残念ね」
 寂しげに早見は言う。あの事件で生き残れた者同士の、特別な感情を抱いているのだろう。職場を去ったことは、永遠の別れではないにしろ、会う機会は減っていく。
「……はい、寂しくなります」
 梨々香が今もいれば、隊の雰囲気は多少とも違うはずだ。ムードメーカー的な存在が消え、なにより室積隊長と真田宗谷が逝去した。隊に空いた三つの穴を、無視することはできない。
「でも、柴咲さんの穴が空いたからってわざわざやる必要はないんじゃない? そりゃ仕事は溜まるけど、大目に見てもらえるわよ」
「いえ、ある程度の情報処理とかなら、私にもできますので。綾塚さんもそれで了解して、お願いされたので」
「沙耶ちゃんって、もしかして鬼?」
「……いえ、鬼までは」
 自信を持って否定はできなかった。
 梨々香がいなくなり、隊の『技術班』は上條真樹夫一人になってしまう。業務は全て真樹夫が受け持つことになるので、せめて負担を減らせれば、とあんじゅ自身も考えていた。
「そういえば、早見さんのところはどうしてるんですか?」
「私? 『技術班』いないから放置プレイ。他所の隊から借りるのは面倒だし、そこまでして仕事したくない」
 あんじゅが苦笑いで返していると、医務室のドアが開いた。やって来たのは、早見隊の人間──美農原カイエだ。あんじゅは思い返す。確か彼と最後に会ったのは、早見隊の告別式以来だっただろうか。
「どうも」カイエは一礼する。坊主に筋骨隆々きんこつりゅうりゅうな体格。それに服装がスーツなので、外国のマフィアのように見えてしまう。
「おっ、カイエ」
 早見が軽く手を振ると、カイエはまた小さく頭を下げる。ベッドに座り込んでいたあんじゅを一瞥してから、カイエは報告を入れ始めた。
「血液輸送車がまた襲われました。吸血鬼を捕らえましたが、雇われただけで、詳しくは知らないと」
「また? 多くない?」
「そういえば、つい先日も襲撃されてましたね」
 思い返せば、ここ数日同じニュースを目にしていた。それぞれが時刻も場所も違う。ただ、血液輸送車襲撃という内容は変わらない。世間注目もそのニュースだ。
「あと、黒川副局長から。うちと、室積隊の残った人に通達があるらしいです。もし二つの隊の全員が揃ったなら明日、地下の第七会議室に来るようにと」
「りょーかい」
 早見がメモ帳を取り出したところで、机に置いていた彼女のスマートフォンが振動した。
「おやおや、ちょっと外すね」
 電話の向こうの相手に対応し始めた早見は、手で「ゴメン」のポーズを作ると、離れた場所で通話を始めた。
 残されたカイエとあんじゅは言葉を交わさず、黙ったまま。場を取り繕うような言葉を二人とも交わさないので、あんじゅは変に緊張してしまう。
 あんじゅはカイエのことをよく知らなかった。接点は、カイエもあんじゅと同じ【彼岸花】の新人捜査官という点のみ。そういえば、凛がカフェで言っていたのは彼だろうか。同じように入ってきた新人がいるが素っ気なくて、顔が怖いと。
 お互いの接点は、早見を通してなので、早見がいなくなれば会話の一つも飛ばないのは、ある意味当然といえた。それに、どことなくカイエには話しかけにくい雰囲気が出ていた。
「……体調は?」
「え?」
 カイエが言った言葉を一瞬、“隊長”と勘違いしたために、あんじゅは返すのが遅れる。すぐに自身の“体調”のことと理解したが。
「えっと、大丈夫です」
「そうですか」
 カイエは小さく頷く。
「寺本は、残念でした」
「……はい」
 俯き加減にそう答えた。あの事件からもう二週間が経過したが、あんじゅは何度かあの檻の中の出来事を夢に見てしまっていた。親友の最期の姿を。
「すまない」
「え?」
「助け出してたら、あんな死に方をせずにすんだ」
 どう返していいか、あんじゅにはわからなかった。
 早見たちが逃げだせたのは、カイエが檻の鍵をこじ開けて、脱出したからと聞いている。そのときに凛を探していれば助かったのかもしれない。けどそれは、もしもの域を出ない仮説だ。助けに行くことで、早見たちは全滅していたかもしれない。そうなれば、あんじゅたちも無事に帰ってこれてはいないだろう。
「いえ……仕方なかったと思います」
 それだけしか言えなかった。それで充分な気もした。凛のことを考えたら、どうして、という言葉は確かに浮かんでくる。けれど、そんな言葉を使う気にはなれない。結局自分も捕まった身で、救うこともできなかったのだから。
「……助けてくれて、ありがとうございます」
 そこで会話が終わり、そしてタイミングよく早見が戻ってきた。
「あんじゅちゃん、あがっていいわよ」
「え?」
「今の電話ね、沙耶ちゃんだったの。帰宅の許可はもらったわ、それと……働かせ過ぎてすまない、って」
 後半に沙耶の口真似をした早見。
「わかりました……どうしようかな」
 倒れた時に仮眠(強制的)をしたので疲れは抜けている。このまま真っ直ぐ家路を急ぐべきだろうか。
「なんなら、柚村君のお見舞いにでも行ったら?」
「でも、柚村さん明日退院ですから、今日行っても……」
「えー、一回行ったきりで、それから行ってないんでしょう? 退院前日は誰も来ないって思ってるから、サプライズよサプライズ!」
 早見は楽しそうに親指を立てる。
「けど、今から行っても時間的に遅いんじゃ……」
「大丈夫、カイエに送らせるから」
「俺の予定無視ですか」
「どうせ予定なんてないでしょカイエ。女の子とデートでもするの?」
「好き勝手言いますね、隊長」
 からかう早見に対して、カイエは肩をすくめる。
 まるで、親子みたい、とあんじゅは思った。二人のやりとりは、そんなことを考えてしまうような微笑ましい光景だった。
「それじゃあ、あんじゅちゃんの荷物取ってくるから、大人しく待っててね~」
 早見を見送ってから、あんじゅは京のことを考える。あんじゅが京に会いに病院に顔を見せたのは、一度きり。その時は、経細胞再生治療によって損傷した京の臓器が回復した直後だった。特に大事はなく、入院措置は経過を見るためと医者も言っていたので、あんじゅもそこまで様子を気にかけることはしなかった。
 京の退院予定日は明日だ。寂しいとまでは言わなくても、退屈はしているんじゃないだろうか。
 せめて、話し相手にでもなれればいいか。そんな軽い気持ちであんじゅは病院へと向かった。
 


 ○



「……え? 退院したんですか?」
 入院しているはずの京の個室の病室が空き部屋になっていたので、あんじゅは看護師に訊ねる。すると驚きの答えが返ってきた。
「えっ、あの、予定だと明日って……」
「そうなんだけど、薬臭くて嫌だって言って強引にね。まあ、完治はしてるから、私たちも止めなかったのよ」
 看護師は申し訳なさそうに答える。返された言葉を受け取り、あんじゅは肩を落とす。目的の人物がいなければ来た意味がない。
(どうしよう……いや、やることないし帰ろう)
 駐車場では、カイエが待ってくれている。このまま家まで送ってもらおうか。
 そんなことを思っていると、後ろから声をかけられた。
「すみません」
 あんじゅが振り返ると、花束を手にした女性が立っている。頭にはカウボーイハットを乗せていた。
「はい?」
「五〇五号室は、どこかわかるかい?」
 透き通るような声で、女性はそう聞いてきた。五〇五号室は確か京が入院していた病室だ。だが、京はすでに退院している。京の次の患者の見舞い人、ということをあんじゅは考えたが、病室は空き部屋のはず。
「五〇五なら……空き部屋になってますよ」
「……え?」
 あんじゅから聞かされた言葉に、カウボーイハットの女性は面食らった顔をする。彼女はしばらく上を向いて考える動作をすると、早足で五〇五号室まで駆け出す。そして、すぐに戻ってきた。
「どうやら、僕は運がなかったみたいだね」
「あの、お見舞いですか?」
「ああ、僕の大事な人に」
 自分のことを“僕”と呼ぶ女性を見て、あんじゅは怪訝な表情になる。もしかして男性なのかと思い、もう一度見据えるが、身体のラインや豊満な胸を見る限り、自分と同じ性別なのは間違いない。
「あの……すみません」
「なんだい?」
「柚村さんの知り合いですか?」
 あんじゅが問いかけると、女性は不敵な笑みを浮かべる。浮かべたまま、なにも答えない。
「きみは、【彼岸花】の捜査官?」
「え? はい、そうです」
「柚村京と同じ隊の人?」
「ええ……先輩にあたります」
「そっか」
 カウボーイハットの女性は、にっこりと笑顔を向けると独り言をぼそぼそと呟いた。いないのなら仕方ないか、久しぶりに会いたかったのに、と。
「なんとなくこの花を選んだことは、正解だったかな」
 そう言うと、はい、と言ってあんじゅに花束を手渡してきた。
「え? あ、あの……」
「あげる」
「……え? いや、え??」
 困ります、とあんじゅは言おうとしたが、その前に飄々ひょうひょうとした足取りで女性は去っていった。
「ええっ……」
 残されたあんじゅは、手渡された花束と女性が去った方向を交互に見る。結局、彼女が何者なのかわからず仕舞いのまま。
 京に届けるべきだろうか。あんじゅがそう考えていると、花束の中に、埋もれるようにメッセージカードが添えられているのが見えた。
 【贈り物だよ、千尋より】
 カードには、丸みを帯びた字体でそれだけ書かれていた。
「……千尋ちひろ?」

 帰ってから、あんじゅは女性が手渡してきた花を調べてみた。
 ゼラニウム。全般の花言葉は「尊敬」や「信頼」。
 そして、彼女が手渡した黄色のゼラニウムの花言葉は、「予期せぬ出逢い」
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