Ambivalent

ユージーン

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Two of us

138. one's pain

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 あんじゅは柱に隠れつつ様子をうかがった。視線の先では、三十代くらいの男女が寄り添っているのが見えた。日々の仕事が忙しい中で、たまたま重なった平日の休みに羽根を伸ばしにやってきたカップル、一見すればそんなふうに見える。同伴者の片方がをかかえているようには、とても見えなかった。
「本当に、女性のほうは吸血鬼なんですか?」
 あんじゅはグループ通話で京に連絡をとる。離れた場所では、京と相澤があんじゅと同じように柱の後ろのポジションについていた。
『俺から見たら怪しいんだよな』
「怪しい……?」
 通話越しの京の言葉は、どこか説得力を帯びていたが、あんじゅにはピンとこなかった。
『こういうときのユズの勘って当たるんだよ』
 割り込んでくる相澤の声。その口調からは、京との長い付き合いゆえの信頼が感じられる。
「勘って……それだけで自分の銃を渡したんですか?」
『実は俺さ、戦闘とか苦手なんだよね。最低限の動きはするけど、基本的にはがお似合いなんだよなあ。と、いうわけでユズ任したぞ』
「でも銃の譲渡って責任問題になるんじゃ……」
『…………大丈夫っしょ』
 返答に時間があったため、相澤は後先を考えてなかったのだろう。遠目からはこの先の言い訳に知恵を割いている彼の顔が見えた。
『京くんも他人の銃使うわけだしぃ、お互いが規則違反だよねぇ』
 無線と背後の両方から梨々香の声が届く。彼女はあんじゅの後ろのベンチに座り、施設内の監視カメラのログを見ていた。梨々香が一般人である以上、自体が違法行為なのだが、吸血鬼らしき人物の動向をチェックするためと、顔見知りということで目をつむっている。
『議論する気はねえよ。撃つ撃たないは別にして、感覚だけは取り戻しときたい』
 遠くから、京の手に収まった(相澤の)銃が見える。こうして仕事のモードへと切り替わった京を見ることがあんじゅには久しぶりだった。懐かしい重たい手ざわりを、彼はどう感じているのだろうか。
「あっ、と……」
 もう一人に連絡をとることをあんじゅは忘れていた。
「カイエくん、そっちの様子は?」
『特に異常は見当たらないですね』
 カイエから短い返事が返ってくる。
 監視をするならば多い人数の方が抜け目がなくていいだろう、そう判断してあんじゅはカイエにも電話で連絡をとった。メールと違って、すぐに連絡がついた。
『電話きたときはなにかと思いましたよ』
「今日は一人なんですか?」
 そう訊いたあんじゅの脳裏に先ほどカイエと一緒にいた女性が浮かんできた。気がかりにはなったが、作戦前に余計なことを言うことは避けた。
『早見さんと聞き込みやドローンの警備査察に来ました。今は隣の複合ビルにいます。新しい人も一緒に動いてます』
「え、本当ですか!?」
 あんじゅがそう言った直後に相澤が食いついた。
『美濃原くん、その子は女の子かな?』
『ええ。まだアカデミーの研修生ですけど、実力はかなりあるみたいですね』
『ちょいちょいちょい、知りたいのはそこじゃない。お互い男なんだから……わかるっしょ?』
『はあ……』
 カイエため息が聞こえてきた。あんじゅは対象の動きを再び監視する。特に異常はなかった。
『見た目はメガネかけてて地味です。ああ、でも……』
『でも、なんだ?』
『……自分の目で見たほうがいいと思います』
『おいおい、気になるところで終わらせんなよ』
 焦らされて先を知りたがる相澤にあんじゅは珍しく同意した。
『ちなみにぃ、の隊の中だと誰に似てるのぉ?』
 梨々香の質問に少しの間を置いてからカイエが答えた。
『うちの隊だと綾塚さんに似てますよ』
『マジかよ。仲良くなるのは無理そうだな』
『いつまで喋ってんだ』
 不機嫌そうな京の声が耳に届いた。途端に空気が張り詰める。
『勤務外だし俺の発言で振り回してるのは承知してるけど、少しは気を引き締めてくれ。特に霧峰と美濃原は、こっちにきてまだ半年も経ってないだろ』
「すみません」
 あんじゅが謝るとカイエも間もなく同じ言葉で謝罪した。
『美濃原、出入りに異常は?』
 カイエの方は他に仲間がいないかどうかチェックするために、対象から一番近い出入り口で待機してもらっている。
『異常はないです。ちょっと待ってもらえますか?』
 カイエはそう言って、一度グループ通話から抜けた。一分ほどして戻ってきたところで、報告が入った。あと十分ほどで、早見と未だ見ぬ新人がこちらに合流してくる流れになった。
 十分後には疑わしき一人のために、七人がやってくる。大げさすぎる、と口にせずとも誰もが思っていた。
『ところで、復帰早々にケチつけたくはないですけど、吸血鬼だと思う根拠に、直感以外の理由はないんですか?』
 腑に落ちない様子でカイエが言った。
『まあ、他にもある』
『例えば?』
『……挙動だな。二人はおそらく恋人だろうが、楽しそうにはしてない。むしろ人の目を恐れてるように見える。女の方は基本的にうつむいてるし、男の方も落ち着いてない。あとは雰囲気。周りを気にしたりおどおどしてるにしても、人間と吸血鬼とじゃ微妙に動きが違うんだよ』
『逆に堂々としていたら、人か吸血鬼かの区別はつかないと?』
『まあ、そうだな。で見てるから、それがねえ能力種ヤバい奴らは区別つかねえけど』

『そっちはしっかり見張っとけよ』
 京とカイエのやりとりが終わった直後、梨々香があんじゅに声をかけてた。
「京くん、めっちゃピリピリしてるねぇ」
「そうですね。話を脱線させないようにって思ったんですけど……」
「まあまあ、ドンマイ。京くんも時に厳しくってのは備えてるからさぁ。けど、やっぱり吸血鬼の接触は京くんじゃない方がいいと、梨々香は思うけど」
 半分ほど減ったタピオカティーを手に持った梨々香は、久しぶりに会った京の様子を気にかけている口調だった。
「今の京くんの場合、真っ先に警戒されそうだと思う。復帰早々で力入ってるだろうしぃ、威圧感ハンパないっていうか。前回はなにもできなかったみたいだから、その影響でいつもより険しい顔してる。ちょっと当たりが強いのもその影響だと思うな」
 梨々香はそう言って双眼鏡を渡してきた。受け取ったあんじゅは、京の方を見る。丸いレンズの中に収まった京の顔はたしかに荒く棘のある表情をしていた。思い返せば、先ほどのカイエとのやりとりの最後もどこか刺々しかった。
「休んでいた間の穴を埋めたいから、結果を求めて焦ってるんですかね?」
「入院してる間にいろいろ考えたんだと思うよぉ。あの事件を招いたのは自分なんだって、どこかで思ってるんじゃない?」
「けどあれは柚村さんのせいじゃ……」
「それでも、上から耳にタコができるほど言われただろうね。“なんで最初の時点で永遠宮千尋を殺さなかったのか”って」
 それは結果論では、とあんじゅは思った。あの事件を間接的に引き起こした原因のリストに柚村京の名前が載っていても、あんじゅはそこに横線を引いて彼の名前を削除するだろう。事件の責任追求できる一番近い人間に全てを押し付けているのだろうか。
 京が千尋にをとったところで、指をさしてくる連中は彼を褒め称えはしない。その後に発症する心の問題にも関心を示すことなく無頓着なまま、他人の課題として忘れていく。引き金を引く指が、以前よりも重くなってしまっても。
「一悶着ありそうですかね」
「三割ほどの確率でねぇ。梨々香の個人的な意見としてはぁ、今この場だとあんじゅちゃんが一番警戒されないだろうね」
 あんじゅは腕時計を確認した。そろそろ京が二人に接触を試みる時間になる。
「柚村さん、接触は私が行ってもいいですか?」
『どうした?』
「柚村さんが声をかけたら警戒されそうじゃないですか。女性の私なら相手も身構えないと思うんですが」
『それ何気に俺のこと人相悪いって言ってないか?』
「そ、そんなこと言ってないですよ!」
 冗談を混ぜつつも、京が直前のプラン変更に難色を示しているのは、電話越しから伝わってきた。
「吸血鬼に収容所行きを勧める交渉が大変なのは、先日経験しました。一生自由が奪われるかもしれませんし、場合によっては、空席をつくるために処されることもあるでしょう。私だって吸血鬼になっちゃったら、行くことをためらうでしょう。でも、人々を……大事な人を守るためだって説明すれば、上手くいくんじゃないかなって。だから、まだ銃は必要じゃないと思います。仮に女性の方が吸血鬼だとわかっても、それを使うかはイコールじゃないかと」
『近づきすぎるなよ』
「わかってます」
 ポケットにスマホをしまうと、あんじゅは対象の二人に接近した。二人は備え付けられたカウンターテーブルのそばに立っていた。近くで見ると京の言葉通り、どこか挙動に落ち着きがない。
 収容所に送らなければならないこと、それを説明したところで受け入れてもらえるかはわからない。脳裏に浮かんできたのは、先日の五十鈴景子の姿だった。彼女みたいな反応を見せてきたら、どうなるのだろうか。この人混みの中で吸血鬼が不安定な状態になったら。
 近づいていくと、女の方があんじゅに気がついた。彼女は、あんじゅの方をじっと見つめてきた。口は閉ざされており、牙の有無は確認できない。
「……?」
 男の方が唐突に訊ねてきた。なにを言っているかわからず、あんじゅは答えに詰まる。その様子を見た男は血相を変えて、女の手を引き立ち去ろうとした。
「ねえ待って! この人かも……」
「どう見ても違うだろ! んだ、早く逃げよう!」
「ま、待ってください!」
 追いかけようとすると、腕を引っ張られていた女性がつまづいて転倒した。あんじゅはかがんで、女性の様子を確認する。
「大丈夫ですか?」
「やめろ来るな!! 彼女に触るな!!」
 男が突然声を張り上げた。周囲の人間が何事かと振り返る。
 男の異様な様子にあんじゅはその場で動けなくなった。女の方をちらりと見る。目が合った。口元に自然と目がいく。そこには、二本の牙が生えていた。京が言ったとおりの二本の牙が。
 驚いて目を見開く。と、同時にあんじゅは男に突き飛ばされた。
「あんじゅちゃん!」
 梨々香が駆け寄ってくる。
「大丈夫!? 怪我は!?」
「私は平気です、それより……」
 あの二人の行方を、と言いかけたところでやめた。対象の二人は逃げることなくその場に立ちすくんでいた。いや、
「動くな」
 柚村京が二人に銃を向けてるのが見えた。
 周囲の人々が、本格的に騒ぎ始める。
「はーい、みなさん大丈夫です。俺ら【彼岸花】の捜査官ですから。とりあえずこの場から離れてくださーい!」
 相澤が慣れたように周りの人に声をかける。軽はずみな口調にシリアスな色は一切含まれていない。テレビの下らないバラエティ番組の撮影、と言わんばかりの物言いに人々はそれほど慌てることなくその場から離れていった。
「あんたの連れ、吸血鬼だろ。収容所に連行する」
 京は銃を構え、女の方に狙いを定めていた。
「よせ! やめろ!」
 男がナイフを取り出した。守るように立ち塞がり、京に刃を向ける。動きは素人同然だが、危険なことに変わりはない。
「あんたの手には負えない。いいか、今は血を飲ませて面倒を見れても、そのうち欲が出て我慢できなくなって、いつか誰かを襲うことになる! そんなことさせたいのか!」
「クソ……なんで、捜査官が……。……?」
「もういいよ、諦めようよ。私……捕まるからさ」
 声を震わせて打ちひしがれている男を女の吸血鬼が説得する。
 そのとき、遠くから回転音が聞こえてきた。音が次第に大きくなり、五機のドローンが吸血鬼と男を囲むように旋回し始めた。同時に、周囲のオブジェになりきっていた銃器タレットが、本来の顔を見せ始めた。
『ナイフを捨てて。二人ともバラバラになりたいなら別ですけど』
 飛び交っている一機のドローンのスピーカーから女性の声が流れた。元々備え付けられている音声データのように、抑揚もほぼなく、淡々とした物言いだった。
 ドローンや銃器タレットの赤いレーザーサイトが女の吸血鬼と男に向けられる。その圧倒的な数は男に抵抗する気力さえ失わせ、女の吸血鬼を死の恐怖に陥れていることが見てわかった。
 男がナイフを捨てた。二人はその場に崩れこむと、最後の別れを惜しむかのように抱き合いながら泣いた。
『……気持ち悪い』
 一瞬、スピーカーから聞こえてきた声をあんじゅは空耳かなにかかと思った。二人に向けられていた無数のレーザーが一斉に消え去る。
 ナイフを拾って相澤に渡した京が、男の方に手錠をかける。あんじゅは女を男から引き離した。一瞬だけ京と目が合ったが、あんじゅは言葉を交わさなかった。
「ごめんなさい、手錠をかけさせていただきます」
 あんじゅの言葉に、吸血鬼の女性は頷く。
 両腕に輪をはめ、ひと段落した瞬間、女性の息が荒くなる。
 直感が「逃げるべき」だとあんじゅに警告した。だが、あんじゅはそれを無視し、言葉をかけることを選んだ。
「耐えてください! 人口血液が届くまで──」
 呼びかけは吸血鬼彼女には届かなかった。
 あんじゅは胸ぐらを掴まれ、怪力によって無理やり引き寄せられた。そして喉笛に狙いを定めた吸血鬼の、大きく開かれた口が見えた。




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