Ambivalent

ユージーン

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Two of us

135. Buzz

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 まゆずみほたるは目を開けた。
 二度寝したい、という気持ちが芽生えたが、それを摘み取ると、すぐさま起き上がる。横になっていくら待っていても目覚めの好機は訪れないし、動きながら目を醒ますことが一番手っ取り早い。朝どれだけ覚醒できたかで一日が決まる。それが、ほたるが見つけた人生の法則だった。
 部屋の隅にある全身鏡の前に立つ。シルバーに染めた髪はひと暴れしたように寝癖がついていた。
「ふぁあ……ねむ……」
 呟き、眼鏡を掴むと洗面所へと向かう。うがいをすませてから、櫛で髪を整える。ふと見ると、根元が黒く伸びていた。
「そろそろ染め直さねえとな……」
 カラー剤を買わなければ。だけど外に出るのは、はばかられる。街中にある、監視カメラなどの映像媒体に記録されることだけは避けたかった。
 に買いに行ってもらおうか。そんなことを考えた瞬間、吹き出した。がヘアカラー剤など買おうものなら、店員に「え? あなたが使われるんですか?」なんて思われるに違いない。そのやりとりを脳内再生していたら、おかしくなった。
 ほたるは髪をポニーテルに束ねると眼鏡をかける。水中のようなぼやけた視界がマシになった。
 リビングに向かう途中で玄関をちらりと見た。
 靴の位置が昨日とずれているところを見ると、また朝の四時から走りにいったらしい。そして今は部屋でウェイトトレーニングをしているだろう。部屋からは気配を感じる。目覚めたばかりの繊細な身体をどこまで虐める気なのか。
「よくやるぜ、ほんと」
 ひとりごちると、冷蔵庫から適当に食材を取り出す。卵、ブロッコリー、ささみ、ひよこ豆。糖質と炭水化物を追い出して、タンパク質に支配された、なんてことをほたるは思った。爽やかさもへったくれもない食材だが、ほたる自身もそれなりに身体を鍛えてはいるため、抵抗はない。
 ヨーグルトと卵を取り出し、アガベシロップとカッテージチーズの残りを確認して扉を閉める。やっぱり買い出しはに行ってもらおう。
 ほたるはスクランブルエッグを作ると、フライパンから半分取り出して皿に盛りつけた。パソコンの電源を入れ、熱々の卵に手を出す前にヨーグルトをすくう。
 ネットニュースのトップ記事は【五十鈴景子、吸血鬼に襲われ同化】と書かれていた。誰かは知らないし、どうでもいい。ただ、事件の詳細を見てみると妙だった。捜査官を襲っておいて、お咎めなし。現場にこの女のファンでもいたのだろうか。
 記事の関連項目には、今までに吸血鬼化した著名人などのリンクが貼ってある。まるで見世物──動物園の案内看板のように。
「ふざけんな……」
 そう呟いて、ほたるは早々と朝食を終えた。片付けをしながら、もう一人分を並行して作る。
 作り終えて、ソファに体を投げ出すと、ガラステーブルに置いてある資料に目が移った。それは、顔写真付きの経歴書だった。
 手に取ったほたるは、滑らせるように目で読む。名前の欄には霧峰きりみねあんじゅ、と書かれてある。写真にはショートカットに切り揃えた髪と、整った大人のような顔立ちと無邪気な子どものような可愛らしさ──その中間の相貌。それでも美人というよりは、可愛い系のカテゴリに入るだろう。その可愛いらしい捜査官の瞳の奥には濁った闇のようなものを感じた。その原因がなんなのかは、あんじゅの経歴書の【十五歳の項目】を見れば察しがつく。の最後の生存者。
 ほたるは、あんじゅのことを知っていた。とはいえ、一度、間近で見たことあるだけだ。あのときのあんじゅは、酒の魔力に負けてぐったりしていた。そして、よりにもよってがわざわざその酔っ払いを家に送るためによこしやがった。一緒にいたあの男と歩いて帰らせればよかったのに。
 ほたるはあんじゅの経歴書を置くと、その下のもう一つの経歴書を手に取る。柚村ゆずむらきょう。野暮ったそうな表情だが、眼光は鋭い。ほたるの嫌いな、ハンターの目をしている。あの場に一緒にいたあの男は、京のことだった。
 その下の資料も適当に漁った。全部で七枚の履歴書の用紙があった。
 扉の開く音がした。ほたるが振り返ると、そこには筋肉質で坊主頭の男が立っていた。
「おはよ、カイエ」
「ああ、おはよう」
 男──美濃原みのはらカイエは汗だくのままやってきた。
「おまえ、先にシャワー浴びてからこいよ」
「朝食作ってからにしようと思ってた」
「シャワーが先だ。汗臭いんだよ」
 すでに出来上がっていた朝食に手をつけようとしていたカイエを、ほたるはたしなめる。
「一口だけ」
「殺すぞ」
「わかったよ」
 あっさりと白旗をあげたカイエを見送ると、ほたるはテレビをつけた。ほんのBGM代わりに。朝のニュース番組では、またの話。まったく、それ以外にネタはないのだろうか。
 まもなく、シャワーを浴び、着替え終えたカイエがやってきた。ほたるは先ほど作った朝食を机に置くと、自身もカイエの向かい側に座った。
「チーズとシロップが少ねえから」
「わかった」
「あとさ、ヘアカラー剤」
「俺用の……?」
「私のだよ、バカ! 頭シルバーに染める気かよ!」
 くだらないやりとりは、いつものことだった。口悪くツッコミを入れても、カイエは小さく笑ってくれる。ほたるはそれを見るのが好きだった。不器用な笑顔が安心感を与えてくれる。
 ほたるは机の経歴書をちらりと見る。
「なあ、カイエ」
「なんだ?」
「なんであのとき、わざわざ呼び出して、あいつら送らせたんだよ」
「なんの話してるんだ?」
「ガチで忘れてんのかお前……」
 ほたるは説明した。隊が合併したあとで飲みの会を行い、同僚二人を乗せた送迎の件を。
「それって、もう何週間も前の話だぞ。なんで今さら?」
「そこの……おまえの仲間の資料読んで、なんとなくだよ。悪いかよ」
 少し考えるようにして、カイエは言った。
「そうしたほうが、馴染めてるように見えると思ったから」
「はあ……?」
 その答えを聞いても、ほたるは腑に落ちない。タクシー代わりに送り迎えを快くした程度で好感度など変わらないだろうに。
「本当にそれが理由か?」
「それだけだよ。少しは距離を縮めて仲良くしとかないと、逆に目立つだろ」
 それはカイエの本心だったのかもしれないが、ほたるにとっては突き放されているように感じた。少しばかり心がひりつく感覚──苛立ちが芽生えた。
?」
「なにが言いたいんだよ」
 少しだけ、カイエの物言いは威圧的だった。それがほたるには気に食わず、心を乱した。
「言いたいことだ? 蓮澪とかいうど田舎の村のときも、この前のクソみてえなのときも、私になんの連絡もしねえでボロボロになって帰ってきやがって! 仕事だからって、そんなに私に助け求めるのが嫌なのかよ!?」
 思わず声を荒げてしまった。後悔の念が、すぐにほたるを襲ってきた。気まずさとどうしようもなさで、心が潰れてしまいそうだった。いつもこうだ。不安から声を荒げてしまう。
「嫌なわけないだろ。ただ、おまえを呼んで……になることだけは避けたいんだよ」
「んだよそれ……」
 やはり納得はしない。それならなおさら自分を呼べばいいはず。それとも気を遣っているのだろうか。肯定しようとするが、憂苦の念が耳打ちしてくる。やきもきした思いが自分を支配しようとするのが嫌になった。
 喉が渇きを訴えて、ほたるは水を飲む。
 人生の中で、心の底から安寧を感じた時期など、ほたるにはない。不安の霧が薄いときはあれど、晴れている日はなかった。カイエとこうしている今も、“屈託”という文字は完全に消えてはいなかった。一番のは、カイエがこの手をとって走り出してくれた、あの日、あの瞬間だけだった。
「私の、味方だよな?」
 ほたるは、気持ちをそのまま口にした。確認をとり、そして望んだ答えが返ってくることを押し付けてしまってる自分に、嫌気がさした。
「当たり前だろ」
 静かに力強く、カイエは答えた。それは、ほたるの望んだものと一致していた。
「そっか」
 嬉しくもあり、悲しくもある。こうして口にして訊かないと、安心できない自分に、ほたるは複雑な感情を抱く。自分はカイエの存在にいつまで頼ればいいのだろうか。そうならないために、あとどれくらいの時間が必要なのだろう。それに、罪悪感に苦しめられるのもうんざりだった。
 流行りのニュースが終わり、別の記事が流された。二人はテレビの方に向くが、すぐにお互いに向き直る。
『大沼義時氏の殺害の件について進展はなく、【彼岸花】と警察機関の合同で捜査を行っていましたが、今月いっぱいで【彼岸花】はこの事件から外れることが発表されました。今後は警察のみの捜査ということになり──』
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