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ユージーン

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Defamiliarization

131. 纏縛の絆

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 吸血鬼が公に晒されて、数年が経った頃に、どこかの著名人が言った。
『その人の全ては、吸血鬼に変われば明らかになる』
 間もなくして、主観的要素と客観的要素を混じらせたその言葉を、証明するような出来事が起こった。
 支持率が高かったある大国の指導者が吸血鬼に噛まれて変化した。人間ではなくなった指導者は、それでも国を率いて、国際社会への強い影響を見せつけた。
 だが、吸血鬼の被害に難色を示していた他国は、彼を受け入れれなかった。いずれ、その権力で吸血鬼に有利な法律を押し通すだろうと危惧されていた。そうなれば、人類の滅亡は免れない。人でなくなった彼を同じように見るべきか、人類の脅威として見るべきか。以前と同じようには見れなくなっていた。握手を交わせる距離に立てば、たちまち襲われてしまう。世界中に嘘偽りの硬い笑顔が映し出される。
 その指導者は、最終的に殺された。だが、どこの国も彼の頭に銃を突きつけて、引き金を引くことはしなかった。彼を殺したのは、同じ国の人間だった。となれば、彼を庇う者は極端に少なくなった。その指導者は皮肉なことに、肩を並べて立っていた側近たちに殺された。側近たちは吸血鬼に身内を殺されたり、変化させられた者も一定数いたが、人生を吸血鬼に踏み荒らされていない者が大半を締めた。元々その指導者に不満を抱いていた者たちだった。
 この出来事がきっかけで、ある言葉が生まれた。
『人は吸血鬼になったときに、自らの存在の価値を知ることになる』





 冬月千佳は上條真樹夫のクラスメイトだった。
 彼女を一言で表すなら「人気者」。それ以上に適切な言葉は浮かばなかった。男女共に好かれて、教師からの信頼も厚い。先輩や後輩、他校の生徒に至るまで、友人という存在がおり、冬月千佳を悪く言うものはいない。それは、容姿、性格、立ち振る舞い、センス、言葉遣い、コミュニケーション能力、ストイックさ、それらをおごることのない人間性が彼女の人気を証明していた。
 彼女は地元のアマチュアの劇団に所属していた。公演がある際は、クラスの全員が彼女がそれを観に行く。そんな行事も行われていた。
 唐突に、突然に──人気者に不幸が襲った。
 学校に来た千佳は突然クラスの人間を集めて口を開いた。稽古を終えた帰宅途中に、吸血鬼に襲われ、変化してしまったことを。自分が人間でなくなったこと、血を欲していること、今もそれを必死で抑えていることを。
 彼女がどうして自分から打ち明けたのかは、今となってはわからない。良心の呵責からか、アドバイスを求めてか、混乱して考えなしに口走ってしまったのか。
 ともかく、千佳はそう言った。次に来る言葉に怯えながら、俯いていた彼女を真樹夫は今も覚えている。「化け物」と罵られることをどこかで考えていたのだろう。
 彼女のそんな心配は杞憂に終わった。
 クラス全員が冬月千佳を人間と変わらないように受け入れる。それで一致した。
 吸血鬼に必要な血はクラス全員で分け与え、牙が発覚しようとすることは避け、みんなで彼女を人間と見ようとしていた。通報され、捕らわれる(あるいは殺される)ことのないように、全員で卒業式を迎えようと提案された。
 真樹夫はこの提案に賛成も否定もしなかった。この案を出したのが五十鈴いすず景子けいこだったから、特に反対する理由もなかっただけだ。
 吸血鬼である冬月千佳を人間と同じように扱う。それがクラスの中の暗黙の口外禁止のルールとなった。
 そうして、冬月千佳が吸血鬼化してから半年の月日が流れた。
 彼女は授業中に吸血衝動の発作に襲われるでもなく、クラスメイトのだけで乗り切っていた。腕を差し出す者もいれば、首筋から血を吸わせる者もいた。異様な光景も次第に慣れてしまい。それが当たり前だと思うようになった。
 思うようになった──あるいは、思うようにしていたのかもしれない。
 ある日の夜だった。真樹夫は冬月千佳を街中で見かけた。その隣には、真樹夫の親よりも歳を食っているであろう男性が並んで歩いており、千佳はその男性と腕を組んでいた。
 、頭で理解するのは早かった。
 多少なりショックは受けたものの、彼女の境遇を考えれば、自暴自棄になるのは仕方のないことだと思えた。吸血鬼に変わってから、冬月千佳は生きがいとも言えた演劇を辞めていたのだから。
 真樹夫の足は千佳の行く先に興味を示した。なぞるように二人の後をついて行った。二人はホテル街から離れた場所に進んでいて、真樹夫にはそれが不思議でならなかった。安易に結びつけるなら、派手なラブホテルが二人のゴールではないのだろうか、と思っていた。
 そして、人気のない場所に着いたとき、冬月千佳吸血鬼は人の皮を脱ぎ捨てた。
 彼女はその男性を襲って血を吸い始めた。首に食らいついたまま、そのまま倒して餌にする。一度口を離した冬月千佳は、恍惚の表情を浮かべていた。
 心から幸せそうな笑みを浮かべた彼女の姿は舞台に立っていたときと姿を重ねた。不気味で妖艶なその姿は遠くから見ていた真樹夫の脳裏に厭なほど焼きついた。
「ああっ、美味しい。すごく濃厚な味ぃ……。クラスのあいつらのじゃ全然足りないし、同じやつの血も飽きたし。やっぱり、やめれないよおっ……!」
 冬月千佳の透き通ったその声を、演技だと思いたかった。
 そうでなければ、自分たちが今までしてきたことは無駄になる。血液の摂取量が日常的に増えれば、遅かれ早かれそれだけの量を飲まなければ一日の正気を保てなくなるのだ。そうれば、クラスの僅かな血液だけでは冬月千佳は満足しなくなる。場合によっては最悪の結末を迎えることになってしまう。
 千佳は、襲った男性が吸血鬼化すると、すぐに処理した。衣類を捨てると、慣れた動作で灰を靴で擦る。上土に混ざった灰は一見するとわからない。
 食事を終えて帰ろうとした冬月千佳を、真樹夫は呼び止めた。
 なにも見なかったことにして家路に着けば、二度と彼女に向き合うことはできないだろう。若干ながら芽生えた正義感とやらが、真樹夫の声を借りて、冬月千佳の名前を呼んだ。
 彼女は驚いた様子で振り向いた。一瞬だけ動じていたものの、素振りをみせることなく、真樹夫に微笑んできた。
「あれ、上條くん。もしかして、見てたの? なら言ってくれればいいのに」
 学校のときと同じような口調で彼女は話しかけてきた。
「もう、こんなことしないほうがいい。僕は通報はしないから……自分で連絡して収容所に行って、じゃないときみは……」
 いずれ、クラスの誰かを襲うことになるだろう。
 それだけ言うと真樹夫は早々と切り上げた。長引かせる理由もない。
「わかったよ。上條くん、
 去り際の冬月千佳の言葉を信じたことを、真樹夫は次の日に後悔した。




 翌日。上條真樹夫はいつもと同じように、教室へと足を踏み入れた。
 一歩目から空気が違っていた。まるで、教室を間違えたかのように、踏み込んだ先の世界がいつもと違う場所のように思えた。
 やってきた真樹夫を、全員が一瞥する。目をそらすことなく睨みつけている者もいた。
 戸惑った真樹夫は、近くにいた人に訊ねてみた。昨日までは普通に話していた人物は、なにも言わずに真樹夫の傍を立ち去った。
 張り詰めた教室の中で、全員が真樹夫から距離を置いた。
 見て見ぬ振りを決め込むイジメとはまた違う。キモいの言葉で言いくるめるような、邪険に扱うような空気とも違う。流れているのは、親の仇と言わんばかりの敵意に似たものだった。
 沈んだ面持ちの冬月千佳の姿が見えた。女子と男子の数人が護衛のように彼女の傍に付き添っている。
「上條、あんたさ……なに考えてんの?」
 切り出してきたのは、リーダー格の女子生徒だった。
 理解ができずに真樹夫は何事かと訊き返した。空気がより一層冷え込むのを感じ取った。
「お前さ、人として最低だな」誰かが言った。
「人間のクズだよね、あり得ないんだけど」また誰かが言った。
「信じられねえよ。吸血鬼よりクソだな、お前」昨日まで普通に話していた人が言った。
 なにが起きたのかわからなかった。昔話で竜宮城に招かれた主人公のような気分になった。自分一人だけが、状況を呑み込めていない。
 その理由を真樹夫は訊いた。
 その直後から、せきを切ったように暴言が飛んだ。投擲された石のように、放たれた矢のように、言葉の暴力の嵐がいくつも自分に向けられてきた。あの瞬間は、一生分の言葉の暴力を受けたと言えるだろう。
 言葉の端々を掴みながら、真樹夫はこの事態が引き起こされた原因を形にしていく。やがて、答えにたどり着いた。
 自分が冬月千歌を脅迫した、と。
 当局──【彼岸花】に通報しない代わりに、彼女に性交渉を持ちかけた、と。
 答えを導き出したとき、やっと真樹夫は弁明した。嘘偽りだと、加えて彼女が密かに誰かを襲って血を吸っているということを。
 だけど遅かった、遅過ぎた弁明だった。火に油を注いだように全員が激昂する。嘘をつくな、の一点張り。物を投げつけてくる人もいた。
 クラスメイトは真樹夫の言葉より、人気者の吸血鬼の嘘を信じた。誰も事態の考察などしないし、もしかしたら、という考えをよぎらせた者もいない。
 人は正しいか間違いかで物事を判断しないのだと、痛感させられた。、その二択だと。
 嫌いな人間の正論より、好きな人の間違いを選ぶ。
 どれだけ危険性を叫んだところで、積み上げてきたものが圧倒的な差を生んだ。誰も真樹夫の言葉を聞きはしなかった。みんなが好きなのは、力を持っているのは、自分人間よりも冬月千佳吸血鬼だと思い知らされた。
 泣きじゃくる冬月千佳を見て、真樹夫は驚愕した。嘘偽りの雫が頬を滑る。クラスの女子がそれを拭う。それが彼女の演技だと疑う者は誰もいない。
 吸血鬼は涙を流し顔を覆う、その手の隙間から見えた唇は、微かな冷笑を浮かべていた。
 その瞬間、真樹夫の中でなにかが音を立てて崩れた。
「ふざけんなよ!! この──」
 禁忌タブーとされていた言葉。頭の片隅で思っていながらも、誰も言わなかった言葉を、真樹夫は言い放った。
 誰もが──冬月千佳ですら驚愕した表情へと変わり、クラスの空気は再び熱を下げた。
 状況は悪化した。クラスメイトからの言葉の刃は悪意を帯びて切りつけにきた。静かに深く、容赦なく。修復のできない、直しようのない冷淡な空気に真樹夫は包まれた。
「あんたが吸血鬼になればよかったのよ、上條」失望と侮蔑、そして憎悪の込められた言葉。
 五十鈴景子好きな人から言われたその言葉は、誰よりもなにより真樹夫の心をひどく傷つけた。
 仲間思い、団結力、絆。その日以降、上條真樹夫の日常を取り巻いていたは異質なものへと変わった。
 
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