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39.残痕

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「どういうことだよ!」
「理由を説明しろ!」
「必死にここまで来たのよ! 避難できないってそんなのないわ!」

 集まっていた人たちが一斉に沙織に向かって抗議し始めた。怒号や金切り声に近い訴えが、屋上に拡がっていく。

「ちょっと! 静かにして! 理由は話すから!」

 負けないように声を張り上げた沙織。迷彩服を着ていた白人の男やヘリのパイロットたちも、人々をなだめるのに必死になっていた。

「あのゾンビ連中が島に流れ着いたの。そいつらのせいでトラブルが発生したみたいで、ゴタゴタしてるからしばらくは避難できない! わたしたちもすぐに応援に行かないといけないから、ヘリには誰も乗せられない!」

 理由を説明して、少しでも事態を理解してもらおうと試みる沙織を、透は遠くから見ていた。
 隠すよりは、誠実な対応をして理解を得ようとしていることは、透にはよく伝わった。身内だからこそ、沙織の人柄を知っている透だからこそ、その思いは伝わる。

 だが、他人である人々には、届くはずもない。

 今度は島の安全性を問う声が大きくなり、一気に矛先ほこさきが変わる。
 馬鹿正直に説明するんじゃなかった、と言わんばかりに沙織が頭を抱え始めた。

「沙織さん困ってますね」
「助けようなんて思うなよ。事情も詳しく知らん俺らじゃ余計にこじらせるだけだ」
「うっ……」

 一歩踏み出したところで、真穂は止まった。そして透の側に戻ってくる。

「けど、なにかできることないですかね?」
「俺に訊くな。困ってるからって毎回人助けしてたらキリねえだろ」
「そうですけど……」

 学校があったときの真穂は、どのように過ごしていたのだろうかと透は気になった。喜んで自腹で焼きそばパンを買ってきそうな性格を、いいように利用されてたのだろうか。

「そもそも島にどうやって来るんですか?」
「どっかの客船がゾンビだらけになって沈没したり、飛行機が海に墜落したりじゃね?」

 死者の寿命に制限はない。腕がもげようが、血が出まくろうが、頭にダメージを与える、もしくは首を切り落とすか、弾丸を頭に撃ち込まなきゃ死なないのだ。基本的に銃が禁止されてる国のため弾丸による処理は数えるほどしか見たことない。頭に打撃をくらわせて沈黙させるのがほとんどだろう。
 外傷もないまま海に放り出された死者たちは、溺れ死ぬことなく、いろんな島に流れ着くはずだ。

「真穂、とりあえず箒出せ」
「どうかしましたか?」
「あいつら、ヘリが去ったら真っ先にこっちに来る。そうなる前に逃げるぞ」
「わかりました」

 空飛ぶ箒に乗った二人組に、珍しく野次馬連中が群がってくることはなかったが、ヘリが去れば、ここに待機してる人たちはそれを思い出すはずだ。そうなれば、死人を相手にするより厄介なことになる。それを考えて、透は早々とここから立ち去ることを提案したのだ。
 いつものように、真穂は魔方陣から箒を召喚した。

「やけに聞き分けいいな」
「どういう意味ですか?」
「いや、おまえなら残ってる連中を全員助けるとか言いそうだし」
「さすがに無理です、この箒は二人までしか乗れませんし。それに彼らに配られてた物資は、二週間以上はあります。わたしだって、人助けの線引きはちゃんとしてるんですよ、橘くん」
「それ聞いて安心したよ」

 真穂がまたがり、透が後ろに座る。
 飛び立とうとしたその瞬間、悲鳴が聞こえた。

「なにしてるの!?」

 続く沙織の声は怒りと驚愕の感情を孕んでいた。
 透と真穂は思わず、ヘリの方を見た。

「息子たちを連れてけ! じゃなきゃこいつを殺す!」
「ふざけないで! 気は確かなの!?」

 集まっていた人たちが、何かに距離を置き始めたのが見えた。周りの人々に囲まれるように、男の姿が見えた。その男は捕まえた女性にナイフを突きつけている。
 沙織は他の人たちよりも前に立ち、怒りに満ちた表情になっている。その後ろでは先程の白人の──おそらく米兵らしき男がライフルを構えているのが見えた。

「ナイフを捨てなさい! 今すぐに!」
「息子たちをヘリに乗せろ!」

 男の近くでは、彼の子どもらしき人物が三人固まって立っていた。幼いその目に父親の凶行を焼き付けながら、怯えている。

「あなた父親でしょ……やってることわかってるの!? 子どもの目の前でこんなこと……!」
「俺は持病がある! 薬はもう切らしたから、遅かれ早かれ死ぬんだよ! あんたたちが次に来る時までに生きちゃいねえ! だから、俺はどうだっていい! 子どもたちを早く乗せろ!」

 男は興奮した様子で、女性の首にナイフを当てがう。勢い余ってから、女性の首からは血が滴り落ちていた。
 沙織は後ろに立つ白人男性に英語で声をかけた。透が聞き取れたのはGUNという単語だけだった。おそらく、下ろすように言ったのだろう。だが、白人男性は首を横に振って、沙織に英語で答えた。その直後、沙織はますます複雑な面持ちになった。

「落ち着いて、次に来るときには避難させてあげるから」
「次っていつだよ!? 保証はあんのか!?」
「……あなたのやってることは、子どもたちのためになってない! よく考えて!」
「黙れ! この子たちを助けるためなら、俺はなんだってする! それが家族ってもんだろ!!」

 突如、小さな衝撃波が男を襲い、持っていたナイフが弾き飛ばされた。
 杖を向けた真穂が険しい表情で男を睨む。

「その人を放してください」
「っ……!」

 武器を無くした男は、それでも女性を人質にするのをやめなかった。真穂はなにも言わずに杖を振った。
 すると男の身体が硬直して、後ろに倒れこんだ。

 誰もが目の前で起きたことに呆然として、立ち尽くす。

「ありがとう真穂ちゃん」
「いえ、このくらいお手の物です」

 沙織に礼を言われて、真穂は笑顔で答える。

「ところで、なにしたの?」
「動きを封じました。十分程度で起き上がれますよ」

 真穂はそう言うと、男の方を振り返った。倒れこんだ男を見下ろすように透が立っている。

「橘くん?」

 そばに立つ透の姿を疑問に思ってると、不意に透が男の胸ぐらを掴んだのな見えた。真穂が声をかける間もまく、透は凶行を犯した父親の顔を殴った。

「な……なにしてんですか!?」

 真穂が声をあげたものの、透は再び男の顔を殴る。

「やめてください橘くん! もう終わりましたから!」

 真穂の言葉を透は無視して、男を殴った。周りからは悲鳴が聞こえ、子どもたちは殴られる父親の姿を見て泣き始めた。

「やめなさい!」

 腕を掴まれた透は、一度だけ振り返って叔母の顔を見る。

……でもやめなさい、透……!」

 透は再び男に向き直ると、片手で胸ぐらを掴んだ。

「薬の容器あんだろ、どこだよ?」
「な、なにを……?」
「いいから早く言えよ!」

 恫喝するような透に、動けない男は怯えながら場所を教えた。ポケットをまさぐった透は空の容器を見つけると、立ち上がった。

 真穂は透に近づくと、憤りの声をあげた。

「どうして、あんなことしたんですか?」

 透はなにも答えない。透の血に汚れた拳やその瞳は、どこか心悲うらがなしさを宿していた。

「最低です! いくらなんでも──」
「真穂、箒飛ばせ」
「……え?」
「この辺の病院、片っ端から見てく」

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