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世紀末のジャーナリスト

27.二人目のサマリア人

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 壁に叩きつけられた死者たちは、その勢いで頭が潰れていった。壁紙クロスがその腐った中身に汚されていく。
 まだバットの威力が落ちてないことに、透は安堵した。

「ごめん……メガネ拭いていいかな?」
「ちょ……後ろ任せてるんですけど」
「仕方ないでしょ、なんか飛び散った歯とか髪の毛がついてるんだから」

 瑠衣がメガネを素早く拭いている間に、透は目に映る死者を片っ端からバットで殺していく。廊下が狭いため、なかなかフルスイングできなかった。そのため、縦にバットを振って、死者の頭を潰していく。
 部屋から出て、ベランダの避難ハッチから下の階に降りる計画だ。何もなければ、一分経たずに降りれてるというのに、既に五分は死体たちと遊び続けている。

「拭き終わりましたか!?」
「ええ……うわっ、折れた!」

 瑠衣が武器にしていたワインオープナーが、とうとう耐えきれなくなり、役目を終えてしまった。
 前に背負い盾にしているバックパックに噛み付いた死者を瑠衣は蹴り飛ばす。

「ていうか、瑠衣さん、武器ないんですか!?」
「ナイフ入れるスペースももったいなくてさ……それなら──」瑠衣は花瓶を手に取り、死者の頭に叩きつけた。「──撮影道具入れる方がいいかなって!」

 カメラは持ったまま、瑠衣はビニール傘で死者を殴る。だが、致命的にはならず、のけぞらせることしかできなかった。舌打ちした瑠衣は傘を広げて、死者が近寄らないように壁として利用する。

 リビングに溢れていた死者を透はフルスイングでぶっ飛ばす。広い空間に出れたため、思い切り振りかぶって、数体を殴りつけた。飛ばされた死者に巻き込まれて、多くの死者がバランスを崩して倒れ込んだ。

「今だ!」

 死者の群れが一時的に開けたので、透は瑠衣を呼んだ。
 ベランダに出た透は、バットで手すり壁を壊す。壁は一撃で破壊され、隔てるものがなくなったのでそこから死者たちを外に殴り飛ばした。

「なんだか、ゴルフの打ちっ放しみたいね!」
「言ってる場合ですか! 早く避難ハッチ開けてください!」
「了解!」

 瑠衣がハッチを開ける間に透はルーティーンのように死者を殴り続けていた。既に手が痺れて痛い。おまけにバットの強化の威力が落ちている。

「透くん……」

 瑠衣の声がした。
 ハッチは開いているのにまだ降りてなかったのかと、透は舌打ちをした。だが、すぐに異変に気がついた。
 降りないんじゃない、

「そりゃ……下にもいるわよね……」

 瑠衣はハンディカメラを回していた。下の階の死者の群れが手を伸ばす様子を、瑠衣は絶望した顔で撮り続けている。

「クッソ……!」

 溜まった疲労とこびり付いた血油で、透は手を滑らせた。バットが外に落ちていき、甲高い音が下から聞こえた。

「ああ……マジかよ……」

 迫る死者たちの数を見て、透は苛立つ気持ちより諦めの念が強くなった。いくらすごい武器で応戦したところで、数の暴力に敵うわけがない。

「ごめん透くん、クレープ食べたかったよね」

 瑠衣はカメラを透の方に回しながら言う。こんなときにまで世紀末ジャーナリストを貫く瑠衣を見て、透は呆れてしまう。

「……瑠衣さんのクレープって、サラダクレープの方でしょ? 甘いスイーツの方じゃなくて」
「せーかい……まあ、もう作れなさそうね……」

 せめてもの抵抗に、瑠衣は傘を広げて死者を迎え討つ。
 透は瑠衣に倣って、ファイティングポーズだけでもとっておくことにした。

 せめて魔女がいてくれたらな。

 透がそう思った瞬間、死者たちの身体が膨張し始めた。
 反射的に透が顔を覆った直後に、破裂音が響き渡る。

「ぎゃああっ!?」

 瑠衣の口から、女性が出したとは思えない悲鳴が聞こえてきた。
 瑠衣がバリアのように広げていた透明なビニール傘に赤茶色の血がべっとりと付着する。瑠衣は傘のおかげで死者の残骸を受けずに済んだが、透はガードしていた顔以外の全身にドロドロとネバネバしたものを浴びていた。
 透の頭に死者が着けていた衣類が落ちてきた。視界を暗く塞ぐそれを取ると、ベランダの向こうに箒に乗った少女の姿が見えた。

「二人とも大丈夫ですか!?」

 箒に乗った真穂が杖を構えていた。真穂は杖を振ると、ベランダに集まっていた死者に魔法をかける。連鎖する爆弾のように死者は次々と破裂してぶちまけられていた。
 真穂は部屋の中の死者にも同じような魔法で攻撃した。白かった壁紙は一瞬で全面が赤黒い色に変わっていた。

「ま、真穂ちゃん……ありがとう!!」

 瑠衣は魔女の姿をカメラに収める。
 今日彼女が撮ったものは、とんでもないものばかり映されている映像として後世に語り継がれるだろう。透はそんなことを思いながら、肩に乗っかっていた皮膚の一部を取り払った。

「よくわかったな、おまえ」
「ええ、学校でマジックショーやってたんですけど、橘くんのバットの魔力消費が激しかったので、気になったんです。そうしたら──」
「わかった。とりあえず助かったよ、ありがとう」
「た、橘くんの口からお礼の言葉が聞けるとは……」
「なんだよ?」
「人は成長する生き物なんですね。おめでとうございます橘くん。よく言えました」

 感心する真穂に透は少しばかりイラッとした。そんな透と真穂の姿を瑠衣はカメラに収めていく。

「ところで、なにしてたんですか二人とも」
「調達だよ」
「怪しいですね……もしかしてイチャコラとか──」

 突然、真穂が落ちていった。

「おい!? 真穂!」

 透が下を覗きこむと、真穂は木に引っかかっていた。地上では真穂を見つけた数名の死者たちが手を伸ばそうとしている。

「真穂ちゃん、大丈夫!?」
「……すみません、マジックショーをやり過ぎで魔力切れてしまいました」

 真穂は言って笑う。その下では死人たちが口を開けて待っているので笑い事ではない。もし大木がなければどうなっていたことか。

「このバカ! ビビらせんな!」
「ごめん橘くん! 降りられないので助けてください! 下のあいつがわたしの箒踏んでるんです! 許せません!」
「杖に貯めた魔力は?」
「……今しがた全部解放しちゃいました。つまり、わたしは今や橘くんとスペックは変わらないです」

 木に引っかかったドヤ顔の真穂に呆れながら、透は下に降りてバットを拾った。そして、真穂に吸い寄せられて集まってきた死者たちを全員葬り去った。
 ちょうど、最後の一体を仕留めたときに、バットにかけられていた魔法も切れてしまった。
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