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世界の終わりと屋上の魔女
2.異変
しおりを挟む透はなんとかクラスの全員分のノートを回収し終えた。だが、教室を出て歩き出したところで、あることに気づく。
「職員室……どこだったけな」
GW前から学校に来てないため、場所をすっかり忘れてしまった。結局、職員室に行きそうな教師を見つけて、後をつけることにする。
校舎を歩く透は、どこか落ち着きがなかった。学校が異質化した空間に思えた。校舎の景色に中途半端に見覚えがあるぶん、夢の現実の狭間の中に立っているような錯覚に陥る。早く帰りたい、そんな気持ちが徐々に強くなっていく。
透が角を曲がろうとしたときだった。誰かとぶつかった。その拍子に、両手で抱えていたノートが勢いよく床にぶちまけられる。
「わああっ! ご、ごめんなさいっ!」
女の子の慌てふためく声が、透の耳に入る。視界には制服を身にまとった女子生徒の姿が見えた。
「ひ、拾いますね! ほんとすみません!」
透とぶつかった女子生徒はまるで、高価な花瓶でも割ったかのようで、自分の行いがとんでもないものを招いたかのような慌てっぷりを見せた。
不意打ちに苛立った透だったが、女子生徒の予想外の反省っぷりに怒るに怒れなかった。
「ああ……悪い、俺も前見てなかった」
それだけ言うと、一緒に拾いにかかる。とはいえ、透が数冊回収するころには、ほとんどのノートが回収されて平積みにされていた。
「早っ」
「ああっ、大丈夫ですよ! わたしやりますから!」
うるさいくらい元気な女子生徒は、ページが開いたままの最後の一冊のを拾おうとした。まっさらな白い紙に、書かれた『退屈』の文字を見て、透は自分のだと確信した。
「あれ、これ新品じゃないですか?」
ほとんど何も書かれてないノートの一ページ目を見て、女子生徒は怪訝そうな表情を見せた。
「間違えてこっち提出しちゃったんですかね」
「それ俺のだ」
「え? だったら、書いた方を提出しないと二度手間ですよ」
女子生徒の気遣いに、透は適当に頷く。
「後で出すよ。えっと、ありがとうな」
「いえいえ! どうぞ……えっと──」
女子生徒は透の名前がわからなかったのか、ノートを見て答え合わせをした。
「橘くん、ですか。あれ……橘……たちばな……」
女子生徒は透の名前を確認すると、なにか言いたげに顔をじっと見つめてきた。
「なに?」
「もしかして、さっき怒られてましたか?」
数十分前の嫌な記憶をほじくり返してきた女子生徒に、透は眉をひそめた。
透の顔を見た女子生徒は、その表情に確信を得たようで頬が緩んでいた。
「やっぱり怒られたんですね! わかります、わかりますよ! なんか憂鬱そうな顔してますもん! 日本史の山岸先生って怒ると怖いすからねぇ。叱った相手に雑用押し付けますし。ああっ、大丈夫です! わたしも何回も大目玉くらってますから!」
まるで異国で同じ日本人に会ったかのように、女子生徒は嬉しそうに語る。叱られたことのある者同士だったことに親近感がわいたらしい。
だが、透としては少しも面白くないので、女子生徒のその笑顔に不快感を覚えた。ノートを拾ってくれたことはありがたいが、人の不幸を笑う女の子にしか映らない。
「ところて、授業そんなに『退屈』だったんですか?」
首を傾げて訊いてきた女子生徒。
会話をする気のない透は、女子生徒から顔をそらす。
「別にいいだろ、じゃあな」
大量のノートを再び抱えて、仕事を済ませることにする。職員室と書かれた表示が目の前に見えていた。
ああ、そうだ、一応お礼くらいは言っておこうか。
透は振り返るが、すでに彼女はどこかに行ってしまったようで、誰もいなかった。今さっきのやりとりは、まるで夢の中で起こったかのように思えた。
不意に、頭上からノイズが聞こえてきた。
『生徒、および先生方へ、緊急集会を開きますので体育館へ集合してください。繰り返します、緊急集会を開きますので、すべての生徒、及び職員は体育館の方へ集合してください』
落ち着き払った教師の声が校内に響く。扉を開ける音や足音がそこらで聞こえてきた。
緊急集会、となれば人の目を気にすることなくどさくさに紛れて帰れるだろうか。透はそんなことを思う。
透は両手でノートを支えながら、伸ばした人差し指をドアに引っ掛ける。少し開けたところで、足を使って開閉した。
中には数人の教師がいた。なにやら慌ただしそうにしている。若い女性教師が泣きじゃくっているのを、何人かでなだめているようだった。泣いている教師は腕を怪我しているようで、赤く染まった包帯が見えた。
教師の一人がやってきた透に気がついた。
「どうした?」
「すみません、日本史の山岸先生の机って……」
「ああ、そこだよ」
ついさっき女子生徒に教えられたため、教師の名前を思い出せた。授業が日本史なのはわかっていたが、透は教師の名前もすっかり忘れていた。
「早く体育館に行きなさい」
机にノートを置いたところで、厳しい口調で教師に言われる。
よく見ると、その教師も腕を怪我していた。
「あー……っと、なにかあったんですか?」
透は思わず訊ねる。
「大丈夫だ、いいから行きなさい」
そう言ってきた教師の顔は青ざめていた。息が荒く、目も少し充血している。今にもばたりと倒れそうに見えた。
「電話が繋がりません。どうなってるんだ」
「携帯もダメですね、クソっ」
別の教師の苛立つ声がする。それが伝染するように他の教師もどこかピリピリしていた。室内は焦燥に包まれていて、どこか空気が重い。
「渡辺先生は?」
「まだ暴れてます。手に負えないから縛りましたよ」
「いったいどうしたっていうんだか……」
これ以上ここにいる意味もないな。そう思い透は職員室を後にしようとした。ふと、視界の端に映ったものに目がいく。
そこには、真っ赤な血だまりができていた。
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