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腐り果てた新世界

7. 崩壊の一年後

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 風に飛ばされてゆらゆら揺れていた新聞紙が、少年の足元に落ちてきた。少年はそれを拾い上げて、一面を見る

『世界的暴動 収まらず』

 西暦日付は、ちょうど一年前。そう、人類史が死者に蹂躙された年だ。おそらくこれがこの世界で発行された最後の新聞だろう。

 少年は新聞紙を放ると、乗り捨てられていた車に近づく。運転席、助手席、後部座席にはなにもない。トランクを開けると、クーラーボックスが見えたので、開けてみることにした。

「臭っ……」

 開いた瞬間に、腐敗した臭いが押し寄せてきた。中身の食品はボロボロになっていて、とてもじゃないが食べれる感じはしない。

「くそ……」

 少年はクーラーボックスを捨てる。
 そのとき、後ろから気配を感じた。

「……またかよ」

 振り返った少年は、自分の方に向かってくる人物にため息をつく。カラカラに干からびた皮膚を被ったそいつは顔の肉がほとんどなかった。なのに動いている。死んでいるのに、生きてるように動いている。

 少年は、手にしたバットを大きく振りかぶる。そして、思い切り殴りつけた。
 殴られた人物──死者はそのまま動かなくなった。

 少年は殴り飛ばした死者には目もくれずに、バットを見る。続いて頭上を覆うどんよりとした灰色の空を見上げてた。カラスが朽ち果てた電柱に止まっているのが見みえた。

「帰るか」

 少年は憂鬱そうに足を進める。今回の探索で得た物資はなし。だが、帰れば食料はあるから問題はない。

「なに食べようかな」

 パスタに、缶詰め、ラーメン、お菓子に、乾き物。とりあえず食べるものには困っていない。多少の贅沢もできるが、それをしたら後々で詰む。質素にコツコツと、それがこの死者の世界を生きる法則だ。


 少年が去った後で、カラスが地上に降りて彼が殴り殺した死者をついばんだ。





「……で? どういうことなのかちゃんと説明してくれ」

 少年は──たちばなとおるは椅子に腰掛けて、床に正座する東雲しののめ真穂まほを見下ろす。
 気まずそうに視線をそらす真穂のかたわらには空になったいくつかの容器が転がっていた。
 透の記憶の限りだと、この中には大量の食料が入っていた──そう、入っていた
 この世界ではお金よりも貴重なもの、生きるために必ず摂取しなければならない食べ物。それが消えてしまっても理由を寛容な心で咎めない、そんなわけにはいかない。

「なんで俺が必死にかき集めた一週間分の食料が、俺のいないわずか一時間の間に煙のように消えたんだ……なあ、東雲真穂さん?」
「えーっと……それは、デスネ……」

 落ち着きなくキョロキョロする東雲真穂は溶けかけた氷像みたいに、冷や汗をたらたらと顔に垂らしていた。

「食ったのか?」
「ちょ! そんなに食べれないですから! わたしフードファイターじゃないです!」
「正直に吐け」
「橘くんゲロフェチなんですか? さすがにキモい」
「そういう意味じゃねえよ! どこにやったか訊いてんだ!」
「冗談ですよ~。橘くんって本当にノリ悪いですね、一年も一緒にいるのに、マジメに返すなんて」
「しばくぞ」
 
 透が真穂と出会ったあの日から、そして死者たちによって世界が崩壊しておおよそ一年が経つ。
 以前のような平穏な日常は、もうどこにもない。死者──ゾンビたちは、世界規模でパンデミックを引き起こしていて、どの国の政府機関も崩壊したと聞いた。
 透が運良くここまで生き延びることができたのは、東雲真穂が魔法使い(本人は頑なに魔女だと主張しているが)だったからだ。信じられない力を振りかざすファンタジー全開な真穂の魔法のおかげで、透は他の生存者よりは死者たちに対応できている。

 ただ、それでなにも問題ない、というわけではない。
 この一年の間に透は真穂の人間性をいろいろと知ることができた。
 一言で表すなら、東雲真穂はだ。だから、備蓄していた食料が消えた理由も、なんとなく察しがついていた。

「で? 食料は?」
「話すと長くなりますよ? いいんですか?」
「短くまとめろよ」

 では、と言って真穂は深く息を吸い込むと──

「橘くんが物資調達に行って十分後に無線で連絡が入ったんです。助けを求める男の声で『飢え死にしそうな家族がいるから食べ物を恵んでくれっ!』って。そんでわたしは居場所を聞いて急いでビューンと駆けつけたんです!」
「おい……ちょっと待て」
「ちなみに、場所は近くの雑居ビルの中でした! そうして男の人を見つけて、助けようとしたんです! そうしたらいきなり! いきなりですよ!? 『バカめ! 引っかかったな!持ち物全部出しやがれ!』って言ったから『あっ! これもしかして騙された!? わたし罠にハマった!?』って思いながらも──『いや、さすがに困ります! 食べ物なくなったらわたしも死にます!』って、きちんと抗議しました! だけど相手は聞く耳持たなくてバールとかハンマーとか工具一式揃えてて、わたしを取り囲んだんです! まったく信じられませんよ! ちなみに人数は五人で内訳は男が三人で女が──」
「あああっ!! もういい!」

 透は手をあげて真穂の話を切り上げた。長ったらしい実況に加えて、賞でも狙ってるかのような手の込んだ演技をこれ以上聞かされたくはない。

「おまえ相変わらず要約が下手くそだな!」
「どこ切り取っていいのか、わからなくて」

 真穂は笑う。笑いながらも残り少ない食料の一つであるクッキーに手を伸ばそうとしたため、透は真穂の手を軽く叩いた。

「ひ、一つくらいいいじゃないですか」
「話は終わってねえぞ」
「むう……」

 不満そうに睨む真穂だが、不満の度合いでいったら透の方も負けてはいない。

「悪党どもに襲われそうになって、仕方なく食料取られたってんなら最初からそう言えよ。別にそんなんだったら怒りはしねえよ」
「はあ……橘くん、わたしそんなこと一言も言ってないですよ?」
「は? じゃあ、なんで?」
「わたしは魔女ですよ。杖を一振りするだけで、ゾンビがグロテスクのグッチャグチャにできます。そんなわたしが、世紀末のチンピラザコどもに負けるわけないでしょう」
「まあ、それはたしかに……」
 
 真穂の魔法を、透はこの一年で何度も見ている。人体に使ってはいけないくらいエグいのをいくつも。攻撃性も威力も充分にある魔法ばかりだし、身を守る魔法についてもお世話になっている。並大抵の悪党では、真穂には勝てないだろう。
 ならどうして食料を渡すことになったのか。それを考えた透は、すぐに結論に行き着いた。

「実は、そのグループの中に妊婦がいたんです」
「妊婦……ね」
「はい。もうすぐ赤ちゃんが産まれるらしくて」

 真穂の語り口は、近所で起こったことを話す無邪気な子どもそのものだった。

「世界が崩壊してしまっても、この場所で新しい命は芽生えるんです。残酷な世界になっても、命は続いていく。それに感動して、それで──」
「それで?」
「食料五日分を無償であげてきました! ついでに箒でひとっ飛びしてベビーベッドとオムツとミルクも探して提供してきましたよ!」
「おまえな……!」

 ベッドの運搬以外はだいたい予想通りだった。
 透は胃の痛みを感じ始めた。真穂のは、悩みのタネだった。生きるか死ぬか、明日の命すら保証のないというのに、度が過ぎた献身で赤の他人を救っている。真穂はこの世界で生き残っている人類の中で、一番の聖人バカだろう。

「またやりやがったのか、このお人好し魔法使い!」
「ちょっと! 魔法使いって呼ぶのやめてください! わたしは魔女! 橘くんと違って大人の女なんですよ!」
「違いなんか知るか。つーか、なにが大人の女だ。おまえ、俺と同い年タメだろ!」
「ぐ、ぐうの音も出ない事実を突きつけるのやめてください! なんも反論できないじゃないですか!」

 わめき散らす真穂を無視して、透は金属バットを持つと、出発する準備を始めた。

「え? なんでバット? 罰としてそれでわたしを殴る気ですか? マジで?」
「そこまでバイオレンスじゃねえよ。おまえが見返りなしにあげた食料を取り返しに行く。場所教えろ」
「ご飯はまた見つければいいじゃないですか。わたし、空飛べますから、広範囲で見つけれますし」
「見つからなかったら?」
「え? えっ……と……」
「餓死寸前で飛べるのか?」
「うっ……」

 透の言葉に真穂は黙りこくる。それが思った以上に効いたのか、真穂の明るい表情は消えて、大きな影を落としていた。
 少し言い過ぎただろうか、と透が思っていると、扉の開く音がした。振り返ると、一人の死者が部屋の中に入ってきた。後ろにも腐った死体が数人ほど待機している。

「は……?」

 透は目を疑った。なぜなら、死者はこの場所にはからだ。
 いつも土地の魔力を利用して、真穂は部屋全体に結界を張り巡らせてくれる。死者や他の人間が入ってこられないように。そのおかげで、透はこの一年を難なく乗り越えることができたのだ。

「真穂……結界は?」
「あっ……」
「食料を渡す以外になにしてた?」
「えーっと、この建物……三階がレンタルショップだったので……」

 真穂が言うより先に、机に山積みになっているDVDのパッケージを見て透は察する。

「おまえまた海外ドラマ観てサボってたのか」
「十分! 十分だけ待ってください! 急いで結界を張りますから!」
「早くしろ、クッキー没収するぞ」
「それだけは勘弁してくださいよ!」

 透は侵入してきたゾンビに金属バットの渾身の一撃を叩き込む。頭部が凹み、歩く死体は完全に沈黙した。

「だいぶ威力落ちてきたな……」

 透は二体目も同じように仕留める。もはやこの作業にも慣れた。毎日の歯磨きと同じだ。続くゾンビたちを、透は次々と殴り飛ばしていく。

「あっ、終わったらついでに三階の海外ドラマコーナーから『ブレイキング・デッド』のサードシーズン持ってきてくれますか?」
「やっぱりクッキー没収な」
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