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受付嬢の場合

第弍章 災いの予兆

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 外に出ると、もう既に人垣が何重にも出来上がっているではないか。
 人の波を掻き分けて輪の中心に出ると、お爺さんが数人の無頼の徒に囲まれているのが見えた。
 冒険者かどうかは分からないけど、男には手下がいたらしい。

「ジジイ! 謝るんなら今の内だぜ? 今なら財布の中身全部で勘弁してやらぁ!」

「ほっほっほっほ、威勢が良いのは結構ぢゃが、負けた時に恥を掻いても知らぬぞ」

 白くて長いお髭を撫でつけながらほふほふ笑うお爺さんに男達は色めき立った。

「痛い目を見ねぇと分からねぇか!」

 無頼の一人が大剣を目の前に突きつけるけど、お爺さんは涼しい顔で無造作に素手で掴み取ってしまった。

「な、何だ、この……い、一体何をしやがった?」

 なんと大きな剣を向けていた男の方が怯えたような声を上げたではないか。

「動けないか? 情けないのう。近頃の若い者は腕力ばかりで技も何もあったものではない。そうは思わぬか?」

 お爺さんが手を離すと男は無様に尻餅をついた。

「やりやがったな!」

 数人の男が得物を抜いて一斉に斬りかかったけど、結果として倒れているのは無頼共の方であった。

「強ぇ……何者なんだ? このジジイ」

 怯む男達にお爺さんはさっきまで見せていなかった不敵な笑みを浮かべた。

「フン! テメェらヒヨッコ風情がおいらに勝てると思ってたのか?」

 え? 何でいきなりそんな伝法な口調に変わるの?
 私だけでなく周囲の人達もポカンとしてお爺さんを見詰めている。

「野郎! な、嘗めやがって!」

 一気に残りの男達が襲いかかるが、お爺さんはひょいひょいと軽やかに躱しつつ奴らを殴り倒していく。

「ば、馬鹿な……ありえねぇ」

「手加減をしたつもりだったが、今日日の若造にはこの槍のマトゥーザの拳固はちと痛かったようだな」

「や、槍のマトゥーザ? き、聞いたことねぇ」

 あの男が後ずさりしながらそう呟くのを聞いてお爺さんは唇の端を上げて嗤う。

「だろうな。おいらがスチューデリアのスラム街でぶいぶい云わせてた頃はテメェらなんぞ乳飲み児どころか親父殿の陰嚢ふぐりの中にもいなかったろうよ」

「抜かせ! ジジイが!」

 男が自慢のゴリアテとかいう戦斧を振り上げるが、その直後に重々しい音を立てて地面に落としてしまっていた。

「お、俺の腕が? ヒイイイイイッ!」

 なんと、斧の重さに耐えられなかったかのように男の腕が折れたのだ。

「さっき殴られた時、腕の骨がイカれたのに気付かなかったのか?」

 男はお爺さんに睨まれると、大切な武器も手下も置いて逃げ去っていった。
 やがて男の背中が見えなくなると、お爺さんの笑顔がニヒルなものから好々爺然としたものへと変じて私に振り返った。

「さて、さっきは大変ぢゃったのう。ま、あの男は二度とここへは顔を出せなくなったであろうから早く忘れることよ」

「あ、ありがとうございます」

 戸惑いながらもお礼を云うと、たまには若い頃を思い出して暴れるのも面白いわさ、と呵々大笑したものだった。

「おい、何の騒ぎだって……来ていたのか、爺さん?」

「おお、ちとクーアに話があってな。後、無頼の冒険者数名に警策(けいさく:坐禅において惰気・眠気を覚まさせる為に打つ板)をくれてやった。教育はきちんとしておけ」

 騒動で乱れた髪をオールバックに整えながらお爺さんはギルド長に笑いかける。
 対してギルド長は舌打ちをして顔をしかめていた。

「ああいった手合いの相手をさせる事で冒険者やギルド員の対人スキルを磨かせようと敢えて放置してたンだよ」

「さよか。しかし、あの無頼共が力無き者達に危害を加えていたら何とする?」

「その辺は心配いらねぇよ。ああいう困ったちゃんは一度ボッコボコにして、一般人に手ェ出したら草の根分けても探し出してぶっ殺してやると教育してある。それにな、何でもかんでも戒めていたら却ってフラストレーションが溜まって悪事をしでかすモンさね」

 その辺のバランスが難しいぜ、とギルド長は顰め面をして腕を組んだ。
 因みに冒険者ギルドには霊媒師もおり、抜き打ちで霊視をして、その冒険者がどこぞで無体を働いて恨みを買っていないか調べる事もしている。
 当然、その怨念も査定の内であり、当人は隠しているつもりでも、いきなり降格や時には除名処分を受けるなんてこともあり得るのだ。

「それがお主の教育方針と申すのなら愚僧からは何も云うまい。それより先にも申したがクーアに話がある。取り次いでくれ」

 お爺さんの要求にギルド長の顔は更に凄味を増した。

「今は昼飯を食いに出ているよ。それよりシャッテを嗾けたのは爺さんか? お陰で事あるごとにクーア君に引っ付いて仕事がしづれぇ、しづれぇ」

「善き事ではないか。女は恋をすれば美しゅうなる。生活にも張りが出て人生が楽しくなっておる事ぢゃろうよ」

「事務員の要が色ボケしているせいで、部下が当てられているって云ってンだよ!」

 確かに最近の事務長は仕事の効率こそ上がっているものの、気が付けば流行りのラブソングを口ずさんでいたり、珍妙な仕草をしているなぁと思えば恋愛指南関係の本を片手に立ち振る舞いを研究していたりと浮ついているのだ。
 つい三日前なんて、役人からの協力要請を受けて、さる貴族が違法に製造して女漁りに使っていた媚薬を摘発した際には、ちらちらと役人の様子を窺っては思い直したように勢いよく首を左右に振っていたものである。
 もし、彼らに隙があったとしたら事務長はどうしていたのやら……

「兎に角だ。部下に示しがつかねぇから、ここいらでガツンと云ってやろうと思っていたところだったンだよ」

 するとお爺さんは意地悪そうにニヤリと嗤った。

「そうか、そうか。可哀想にのう……」

「あン? 誰が可哀想だって?」

「さて? 誰の事であろうかの?」

 ギルド長の三白眼や険のある声にもお爺さんは意に介さず、ずんずんとギルド事務所の中へと入っていってしまう。

「食事ならばそうは待たされまい。案内せい」

「おい! 善く見りゃ護衛がいねぇじゃねぇか? 一人で来たのか、爺さん? 暇なのか、爺さん? だから待ちゃあがれ!」

 ギルド長もお爺さんを追って中へ入っていった。

「護衛ってあのお爺さん、実は偉かったりする?」

 そこで私はお爺さんが無頼の冒険者に名乗った名前を思い出した。

「マトゥーザ……マトゥーザ……って! 大僧正様じゃない!」

 記憶の中にある法衣に身を包み慈愛の微笑みをもって衆生に手を振る大僧正様とお爺さんの顔が一致した瞬間であった。
 私は大僧正様への不躾な対応とおざなりな謝礼をお詫びすべく、慌てて事務所へと駆け込んだ。

 そう、慌てていたからだろう。
 それとも人垣に紛れていたせいであったのだろうか。
 ギルド長も含めてじっとこちらを観察する目に気付かなかったのは……
 その視線の主を察知する事が出来たのなら、きっとあの壮絶な戦いに巻き込まれずに済んだのかも知れない。
 私は兎も角、命より大事な弟だけは逃れられたはずだったのだ。








『今、確認した。五十年の年月としつきが過ぎていようとも見間違うはずがない。偉大なる御主おんあるじ様に報告せよ。"目標を補足した”と』

 それは異様な姿であった。
 首から下をボディラインがくっきりと出る黒いインナーで手首或いは足首まで覆い、絹らしき質感の白いガウンを羽織っている。
 そして何より顔を白い布で隠しているのも不気味であり、布の中央には大きく赤い文字が一つ書かれていたがどの国の言語にも当て嵌まらない文字である為、読む事は叶わない。
 仮にこの場にて、その字を見知る者がいたらこう答えるだろう。
 『火』であると。
 そして何より不可解なのは周囲にいる者達の誰もが、この異様な風体の若い女を不審に思っていない事であろう。

『小生は暫し偵察を続けよう。作戦の準備はそちらに任せても構わぬか?』

 更に不気味なのは誰もいない虚空に向かって話しかけている事だ。

『了解した。半日してもう一人の目標が現れなければそちらと合流しよう』

 しかも彼女の会話はちゃんと成立しているらしい。

「お姉さん、チョコバナナください」

『はい♪ 畏まりました♪』

 どうやら不審に思うどころか、商売が成り立っているようだ。
 顔を隠した女は焼きたてのクレープにたっぷりの生クリームとスライスしたバナナ、チョコレートのソースをトッピングすると慣れた手つきで包んで客に手渡す。

『チョコバナナ、お待たせしました♪』

 クレープを受け取った幼い子供が嬉しそうに立ち去ると、女は再び冒険者ギルドへと目を光らせるのであった。

『お待ち下され。御主様の願いは間も無く我ら『六道将りくどうしょう』の手で叶えてご覧に入れましょうぞ。御主様直属の配下にして頂いた恩に必ずや報いてみせますぞ』

『なあ、クレープが銅貨三枚で三個頼まれたら何枚銅貨を貰えば良いのかのう?』

 女が錆びた蝶番のように首ごと視線を向ければ、同じような姿をした大柄の女が両手の指を折りながらオロオロとしていた。
 そして彼女の顔を隠す布には『三面六臂』と書かれている。

『良いか。その場合は九枚だ』

『おお、九枚とは大金だわい。流石は『六道将』の最古参、頭脳明晰じゃのう』

 大柄な女は豪快に笑うと注文にあった三つのクレープをあっという間に作る。

『何故、三十種を超えるクレープのレシピは頭に入るのに計算が出来ぬのだ?』

「すみませーん! 友達が来たんでもう一個お願いします。マンゴーで」

『なん……四個……だと? ええと、三個で九枚だから四個だと……』

『い、いかん!』

『九より多い数がこの世にあるのか……うう……』

『お、落ち着け。勘定は小生がやるから貴様はクレープを作れ』

 『火』の女が後ろから抱きついて大柄な女を宥めにかかる。

『うむ、なら任せた。ワシは注文のクレープを作るとするわい!』

 豪快にガハガハ笑いながら屋台の調理スペースに向かう相方に女は既に隠れている顔を手で覆って溜め息をついた。

『怨みますぞ、御主様。九より先を数えようとすると発狂するような者を何故に『六道将』に……否、それは良いとして何故、小生と組ませて偵察任務をさせたのですか』

  先程まで任務に燃えていた女だったが、今は酒をかっくらって寝てしまいたい。
 それ故に見逃していたのだ。標的に関する情報を齎す存在がギルドの中に入っていったのを……








 と、兎に角、この様に冒険者ギルドに新たな敵が出現したのは確かだったのよ。
 これが後に『神々の清算』呼ばれる、忘れようにも忘れられない長い長い戦いの予兆だった。
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