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第弍部 魔女狩り騒動顛末記

第拾壱章 魔女の恋

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 三池月弥と魔女のユームの出会いから早六十年が過ぎた頃の話である。

 慈母豊穣会本部に珍客が訪れた時、教皇ミーケは素麺を茹でていた。
 お中元の贈り物の定番だが毎年嫌になるほど余るのが悩みの種である。
 例年、存じ寄りの孤児院や報謝宿に押し付けてしまうのだが、今年はある理由でそれでも間に合わず、仕方なく教皇は二日に一度は素麺を消費しているのだ。

「今年は新規の取り引き先が結構増えてな、古参の取り引き先は素麺が余って困る事を知っているから違う物にしてくれるンだが、新規の客はこっちの事情を知らないからなァ」

「無知は罪だよゥ。大口の取り引き先が毎年大量の素麺を持て余しているって事情を調べてないっていうのも如何なものかとアタシは思うけどねェ」

 辛めのツユに刻んだ茗荷と卸し生姜、小口切りにした浅葱あさつき、煎った白胡麻を薬味に入れてユームは素麺を一啜りして云った。
 初めて会った頃と比べて箸の使い方が大分サマになってきたな、とユームの箸捌きに感心しながらミーケもツユをたっぷり絡ませて素麺を啜る。
 適当に茹でたが、しっかりとコシがあって、それていて歯切れの良い絶妙な茹で加減だと自画自賛した。
 最高の茹で上がりの状態では壁に投げつけても下に落ちてこないというがミーケは生まれて此の方試した事は無い。
 正確には幼い頃に試そうとして母親にこっぴどく叱られた事で懲りたのだ。

『そう責めてやるな。慈母豊穣会うちと取り引き出来るようになって舞い上がっておるのだろうよ。初めの一年くらいは大目に見てやらねばな』

 慈母豊穣会の信仰対象である地母神クシモが刻んだ梅肉を混ぜたツユに素麺を浸しながら呆れるユームを宥める。
 豊穣を司る神にして魔界の王が一柱の食事としてはいささか質素に過ぎると思われるが、本人は気にしてはいない様子だ。
 自ら揚げた小海老、貝柱、玉葱、三つ葉の掻き揚げに抹茶塩を振りかけて美味しそうに齧る姿からは王の威厳は見て取れないが、幸せそうではある。

『転移魔法、冷却凍結魔法、収納魔法を駆使しての宅配業は当たりであったな。お陰で“内陸にある大国に新鮮な魚や肉を届けられる”と契約を持ち掛ける地方の漁港や牧場が急増して現場は嬉しい悲鳴を上げているとよ』

「商売はアイデアだよ。おまけに宗教法人は法人税がタダだからな。笑いが止まらねェやい。神様ってェのは本当にありがたいねェ」

 柏手かしわでを打つミーケにクシモは、“よせよ”と渋面を作った。
 慈母豊穣会は地母神クシモを崇拝する宗教団体と銘打ってはいるが実質的には様々な商売に手を広げる総合商社である。
 神々が目を光らせて文明の調整を行っているから携帯電話やテレビなどの電化製品を普及させる事は御法度であるが、それらを魔法に置き変えての商売は認められているので地球育ちのミーケにとってアイデアは事欠かない。
 これだけ成功を収めていれば当然敵も多いのだが、ミーケ本人の力量は勿論のこと、祀られているクシモが強大な地母神という事実から実際に攻撃される事は意外と少なかったりする。
 稀に無頼を雇っての嫌がらせや時には暗殺者を使っての直接攻撃を仕掛けてくる剛の者もいるがその悉くをミーケによって退けられている。
 闇に潜む暗殺者を『破ァ!』といとも容易く斃してしまう事から、一部からは『地球テラ生まれのTさん』と呼ばれ、畏れられているとかいないとか。
 ミーケとて地元の商業ギルドを蔑ろにしているワケではなく、きちんとアポイントメントを取った上で挨拶に出向き、提携を申し込んでいる。
 その幼い容姿から門前払いにされる事もあるが、それでも相手を貶めるような商売をした事はなく、上手く提携を結ぶ事に成功した場合には当然相手にも多大な利益を得られるようにしているので、慈母豊穣会は経済界でも注目度が上がっている。
 おまけに初めは門前払いされていた相手から後になって提携を申し込まれたとしても心良く受け入れている寛容さからミーケ本人の人気も高まっているのだ。

 いや待て、可笑しいだろう、と疑問に思う向きは当然ながらあるだろう。
 収納魔法『セラー』は高位精霊と契約しなければ遣えないと前述したし、並の魔法遣いでは高位精霊との契約も儘ならないとも説明をしたではないか、という意見もあるであろうが、そこがミーケの恐ろしいところである。
 ミーケは弟子或いは信徒の中でも一定以上の魔力を保有し尚且つ信頼できる者達を厳選し、かつて自らが行ったように精霊を育成する手法を伝授したのだ。
 これなら高位精霊と直接契約するよりも難易度は随分と下がる上に、消費する魔力も桁違いに穏やかとなる。
 しかも一属性のみに絞る事で更に体への負担を減らす事ができ、早期の上達も期待出来るので優秀な魔法遣いを多数育成する事が可能となった。
 こうして水属性に特化した者が肉や魚介、野菜を冷蔵冷凍し、闇属性に特化した者が『セラー』で収納、光属性特化の魔法遣いが転移魔法を用いて世界各地に一瞬にして荷物を届けられるシステムが構築されたのである。
 その上、魔法で凍らせると機械でするよりも細胞組織が破壊されにくいというメリットがある事が分かってきたそうだ。
 更に顧客に喜ばせたのは魔法を解けば一瞬にして解凍されるので、食材を傷めることなく、すぐに調理が可能となる事である。
 この慈母豊穣会が開発した冷却輸送システムは高度な魔法技術が必要である為、彼らの専売特許となり莫大な利益を上げ、この財力が星神教やプネブマ教に対する抑止力となっていく。

「こないだ大賢者サマの一人がアタシのところに来て愚痴っていったよゥ。“アレ・・は邪道ゆえやめるよう諫言してくれまいか”ってね」

「邪道ねぇ。で、バアさんは何て答えたンだよ?」

 午後の仕事に備えてか、エナジードリンクをチビチビ飲みながら教皇が問うと、魔女は鼻を鳴らして半目になって答えた。

「決まってるさね。文句があるならミーケに直接お云いって尻を蹴飛ばしてやったさ。昔、ツキヤにコテンパンにノサれたからってビビり過ぎなんだよゥ。あんなんで善く大精霊と契約が出来たものさね。情けないったらありゃしないよゥ」

「誰かと思ったらハイエルフの宰相どのかい。何、もう五十年以上も前の事なのにまだビビってたのかよ? 初めてハイエルフの国に行った時の“ここは貴様のような穢らわしい雑種が来るところではない”ってぇ踏ん反り返ってた威勢の良さはどこに行ったンだよ」

『それはお前、云い放った瞬間、鼻に膝を叩き込まれ怯んだところに金的を蹴り上げられ、頭が下がったところに掌底で顎を打たれて顎関節を外され、トドメに口の中を蹴り抜かれて歯の殆どをへし折られたら誰であっても畏れるであろうよ』

「あれはハイエルフ王が悪い。“勇者アルウェンとその子供達のお披露目”と称して人を呼んでおいて迎えにあんなバータレを寄越されたら誰だってブチギレるわ」

 当時のアルウェンは、これでエルフの国への帰参は叶わないと嘆き、事実ハイエルフ王もミーケに恐怖を覚えたものだが、どうした訳か、同席していたドワーフの族長はミーケの気骨を大いに気に入ってしまい、血も繋がっていないにも拘わらず“それでこそ我が孫よ”と可愛がるようになったという。

 閑話休題それはさておき
 悪怯れた様子も無くケタケタ笑いながらミーケはユームと談笑を続ける。

「で、宰相どのは何が気に入らねぇンだよ?」

「気に入らないというか、危惧してるのさ。高位級精霊・・・・・をポコポコ生み出しているアンタにね。このままでは本来の高位精霊の権威が失墜するっ云ってるけど、要はそれがプネブマ教の権威の失墜に繋がり、最後は自分らの地位も危うくなると思ったんだろうさ」

「カッ、くっだらねェ。だったら精霊様の権威が落ちないよう動けば良いだけの話じゃねぇかよ。それもしねぇでバアさんに泣きつくたァな。本当に善く大精霊と契約できたもんだぜ」

 吐き捨てるように嗤うミーケにクシモは内心こう思う。
 ミーケを侮辱したのが宰相なら、卑屈になるまで彼のプライドをズタズタにしたのはミーケ、そなただよ、と。
 確かに傲慢な人格ではあったが、それでも王を支え、美しき王国を狙う外敵と戦う事なく折衝のみで守り抜いた傑物でもあったのだ。
 でなければ木の大精霊も彼の契約を許し、愛する事はしなかったであろう。
 それを理解するにはミーケは幼すぎた。
 いや、現在の七十五歳という年齢も半妖精で云えばまだまだ幼いのである。
 人間と同ペースで育てられた事と武道により同年代の妖精よりは大人びているが、本当の意味で大人になるにはまだ百年もの時間が必要だろう。
 咎めるのは簡単だが、生来の反骨心と幼さから素直には応じまい。
 況してや祖母と慕うユームの前で説教をされては面白くはないだろう。
 だが、このまま宰相への悪口を続けさせるのもミーケの情操に良い訳が無い。
 それはユームとしても感じているに違いない。
 彼女が乗ってくれる事を期待してクシモは話題の変換を試みた。

『ところでユームよ。本日は何用があって参ったのだ? 互いに多忙の身、世間話をしに来た訳ではあるまい?』

「ああ、そうでした、私とした事が。実は相談があって参ったのです」

「相談だァ? 珍しい事もあるもんだぜ。まあ、云ってみねェ」

 ミーケが聞く体勢になったので、クシモは安堵した。
 ユームは暫く両手の指を絡めつつ口籠もっていたが、ついに意を決して口を開く。

「本当は云うか云うまいか悩んでいたんだけどね。実はアタシにいい人・・・ができたんだよ」

『いい人と申したか? つまり恋人ができたと解釈して良いのか?』

 顔を赤く染めてユームは無言で頷いた。
 これは本物だ。ユームは本気でその相手に惚れているらしい。

『ほほう、それはそれは……サバトにて裸で踊り狂う事はあっても、決して誰とも体を合わせようとはしなかったあの万年処女おとめのユームがなぁ?』

「万年ではありません! いや、この世に生まれて五百年もの間、処女だった事は認めますが……って、ツキヤの前で変な事を云わせないで下さい!」

 クシモの揶揄いにユームは益々顔を紅潮させてしまう。

「ふぅん、それで相手は誰なんだよ」

 ミーケも興味を持ったのか、クシモの足を踏みつけながら問う。

「あ、相手は聖都スチューデリアの内務大臣のオアーゼ=ツァールトハイト公爵さまといってね。ご嫡男が生まれてから毎月その子の吉凶を占うように依頼されていたんだよ。で、毎月、彼が魔女の谷を訪れるようになって五年経つか経たない頃、いつしかオアーゼ様の来訪を心待ちにするようになっている自分に気付いたのさ」

『オアーゼ様と来たか』

「あ、あわわわわわわわ……」

 ニヤニヤ笑うクシモにユームはしどろもどろになる。
 話が進まぬとミーケは踏んでいた足を躙る事で黙らせた。

「そ、そう、確か三ヶ月前の約束の日、その日は朝から良い天気だった。占いでも一日晴れると出ていたけど、何故だか外しちまったのさ」

 そしてやって来た公爵はユームに笑い掛けて云うのだった。

「今月も我が子の占いを頼む。今日で五歳の誕生日を迎える息子の吉凶、聞かねば安心して祝う事が出来ぬ」

 金の髪をオールバックに撫で付け、きっちりと整えた金の髭を持つ美丈夫をユームは迎えると早速、占いを始める。
 可もなく不可もない結果であったが、オアーゼは満足げに微笑むと報酬の金貨が入った革袋を“息子の誕生日の祝儀”と称して普段よりも多く寄越したという。
 だが、いざ帰るとなった時、俄に掻き曇り大雨に見舞われたのだそうだ。

「ははぁん、その後の事は大体想像がついたぜ。雨の中を出て行こうとする公爵に“お待ちを。遣らずの雨で御座います”って引き止めたってところかい」

「そこまで時代掛かった云い方はしなかったよゥ。“通り雨だろうから、少し雨宿りをしておきなさいませ。すぐにやみましょう”くらいは云ったかねぇ」

「ふぅん、いつまで待ってもやまぬ雨、互いを憎からず思っている男と女が二人きり、気まずい沈黙、いつしか二人の影は重なってって、ダメだな。俺には脚本家の才能が無いらしいや、三文芝居にもなりゃしねぇわ」

 今のは聞かなかった事にしてくれ――ミーケは照れ隠しに頭を掻いた。

「流石にそこで一気に仲が深まったワケじゃないよゥ。切っ掛けにはなったけどね」

 どう立ち回ったのか、今は公爵の屋敷に招かれるまでになっているという。
 しかも嫡男に懐かれるまではまだ理解できるが、正室とも打ち解けており、時には公爵が公務で不在であっても女二人のお茶会をするまで仲良くなっているらしい。

「つまりアレか? 相談というよりは惚気に来たのか?」

「惚気というか報告というか、兎に角、知っておいて欲しかったんだよゥ」

 クシモとしては歓迎しても良い話だった。
 魔女の一族であるがゆえに幼い頃より迫害され、心無い男達から強姦されかけて以来、恋をすること自体を忌避するようになってしまっていたが、どうやらオアーゼとやらはその心の傷を癒やし恋心を抱かせる程に良い男らしい。
 既に妻子があり、貴族と魔女という身分の違いがネックだが、仮に側室になれずとも内縁の妻となる道もある。
 事実、そうやってパトロンを得ている魔女も少なくはない。
 聞けば正室とも上手くやっているらしいので、このまま幸せになって貰いたいものだと願わずにはおれない。
 ふと、いつの間にかミーケが黙っている事に気付く。
 見れば彼は腕を組み、天井を見上げ何やら思案している様子だった。

「ど、どうしたんだい? 急に黙ったりして」

 ユームも異変に気付いたのか、心配げに声をかける。
 するとミーケはユームの顔を覗き込むようにして云った。

「バアさんの幸せに水を差すようで、云うべきか迷ったンだけどよ……やっぱ云う事にするわ」

「な、なんだい?」

 ミーケは七呼吸の間を置いてから続けた。

「悪い事ァ云わねぇ。今後はもう二度とオアーゼ=ツァールトハイト公爵とは会うな。出来れば、これがお互いの為と思って魔女の谷に結界を張って公爵さまが近づけないようにするのが一番だと思うぜ」

 ミーケの上目遣いというより三白眼がユームの目を捉えて離す事は無かった。
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