雪月花日月抄

若年寄

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第弍章 いざ、聖剣の元へ

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 私達はアリーシア様の導きで城の最下層へと続く螺旋階段を下りている。
 そこには秘術と共に大司教へ託された聖剣があり、それを使いこなす事ができて勇者の証とするとの事だった。
 私としては使い慣れた仕込み杖の方が戦い易いのだけど『楔』を打ち砕く為にも必要な物らしい。

「月夜、桜花、気をつけて」

 地下へと下りているという事で当然暗く、等間隔並んだ燭台とアリーシア様の持つカンテラだけが頼りだった。
 普段は月夜と桜花に目の代わりをして貰っているが闇の中では逆に私が彼女らの目になった。

「もうすぐ着きます」

 アリーシア様が振り返りながら云う。
 お共の人はいない。聖剣が安置されてからは最下層は聖神教の巫女であるアリーシア様と勇者以外の出入りを禁じられているのだそうだ。

「……?」

 私は奇妙な気配を前方に感じて歩みを止めた。

「ユキコ様? どうかなさいまして?」

 怪訝そうに訊いてくるアリーシア様を手で制して私は前方へと声をかけた。

「そこにいるのは誰です?」

「へ~ぇ、上手く隠れたつもりだったけど流石は勇者ってところですかねぇ?」

 軽薄そうな声と共に階段を上ってくる気配がする。

「あ、アランドラ? 何故、貴方がここにいるのです? ここは私と勇者以外は立ち入りが禁じられているはず」

「フフフ、異な事を仰る。私は貴女の弟にして敬虔な星神教徒ですよ?」

 弟と云う事はこの国の皇子と云うことになる。

「それでも聖剣がある限り貴方にここを訪れる権利はありません」

「おやおや、実の弟にこの仕打ち……私は異界からはるばるお越し頂いた勇者に一目お目にかかりたいと思っただけですよ」

 そう云ってアランドラ皇子は私達に近づいてくる。
 月夜が『云う』には、白いズボンを穿き、金銀の刺繍が施された豪奢な上着を着た長身の美丈夫で、腰にはサーベルを差しているそうな。クセのある銀色の髪の毛を短く刈り、顔立ちは精悍さと軽薄さが同居している不思議な表情を浮かべていると云う。垂れがちな目尻のせいで精悍さを欠き、真横一文字に結ばれた口元が凛々しさを醸し出しているとのこと。

「これはこれは勇者殿、お初に御目文字致します。私は聖都スチューデリアの皇子、アランドラと申します」

 慇懃無礼を絵に描いたような態度でアランドラ皇子が会釈したのを衣擦れの音で察した。

「お目にかかれて光栄です、皇子。何分、不調法者ゆえ至らぬところはご容赦願います。私は霞家当主にして霞流師範・霞雪子と申します。後ろに控えしは妹の月夜と桜花に御座います」

「なんのなんの中々どうして堂に入った挨拶、このアランドラ感服致しましたぞ」

 アランドラ皇子は止めるアリーシア様に構わず私の目の前にまで来る。

「ほう、これはこれは……」

 何が“これはこれは”なのかはよく解らないけど彼が私に興味を持った事は確か。

「この闇の中であってなお艶やかな黒い髪、それでいて雪を思わせる純白で滑らかな肌を持っている。異世界とはこのような美しい民族がいるのですね。なんとも羨ましい限りです」

 何とも珍妙な口調で、生まれて初めて黒と云う色を美しく思ったとおっしゃる皇子に何とも例えようもない気持ちになった。強いて云えば呆れたのかも知れない。
 やがて落ち着いたのか、気が済んだのか皇子は私に向かって歩を進めながら口を開いた。

「あのヴェルフェゴールの元に送るなんて勿体無い……如何です? 今からでも無謀な戦いをやめて私の元に来ませんか?」

「仰る意味が解りません」

 実際は解り易すぎるくらい解るけど、そこはそれ、腹芸という事で。

「フフフ、皆まで云わせるとは野暮な人だ。貴女に是非、私の「そこまでになさい」」

 私の顎にそっと手を添えたアランドラ皇子の言葉を凛とした声が遮った。

「先ほどから黙って聞いていれば勇者、いえ、私の大切な友人に無礼な言動の数々……これ以上の無体は私が許しませんよ?」

 アリーシア様の言葉に私の顎から手を離し、おどけるような口調でアランドラ皇子が弁明した。

「いやですね、姉上。冗談ですよ、冗談。私は勇者殿の激励に来たのですよ」

「そうですか。冗談にしては度が過ぎていたように思いますが、勇者の激励をしたいと云う貴方の気持ちも解らなくもありません」

 アリーシア様は静かに、それでも逆らい難い声で続けた。

「では、激励も終わったようですし、貴方はもう上に戻りなさい。先程も申し上げましたが、ここは私と勇者以外は立ち入りを禁止されています」

 しかしアランドラ皇子はイヤに耳につく笑い声を上げて反論した。

「いいえ、戻れませぬな。これは父上からのご命令なのです。勇者が私達の未来を託すに値するか否かを見極めよ、とね」

「そ、そんな、いくら聖帝たる父上でもアポスドルファの神託を疑う事は許されぬはず」

 動揺するアリーシア様をからかうようにアランドラ皇子は続ける。

「ですが、神託を受けたのはあの大司教ただ一人でしょう? 彼女の言葉を疑いたくはありませんが、それが本物である証は何も無いではありませんか」

「それを証明する為に勇者に聖剣の儀を願うのではありませんか」

 このままでは二人の会話は進展するどころか、二人の間に溝を作りかねない。

「アリーシア様、落ち着いて下さい。皇子も皇族ですし儀式の立会人という形でなら面目も立つのではありませんか?」

「それはそうですが……」

「皇子も立ち会えれば異存は無いのですよね?」

「それはもう、勇者の証を認めることができるのならば私も口出しは致しませぬよ」

 私は皇子の云い方に奇妙な違和感を覚えた。
 どうも嫌味な口調の中に私達が勇者で無い事を心の底から望んでいるように感じられた気がした。

「解りました。星神教・スチューデリア巫女頭の名においてアランドラ=フォン=スチューデリアの立ち会いを認めます」

「寛大なご処置、感謝の極み」

 その言葉を最後に二人の会話は終わり、再び最下層へと歩み始めた。
 私はなるべく不自然にならないようアランドラ皇子と肩を並べて歩く。

「如何なされましたか?」

 私の接近に気付いた皇子は私にだけ聞こえるように訪ねて来た。私はアランドラ皇子の一分の隙も見せない歩みが気になって仕方が無かったのだ。
 先程、彼が見せた軽薄な態度からはとても想像ができない動きだった。それゆえ、つい観察・・をしてしまった事を皇子に気付かれたのだろう。

「正直、私の貴方に対する第一印象は最悪でした」

 私は開き直って胸の内を吐き出した。
 無論、アリーシア様や妹達には気付かれないように。

「手厳しいですな」

 そんな私の言葉にアランドラ皇子は怒るどころか、むしろ面白がるように答えた。

「でも先程の会話の中に感じた違和感や今の体の動きによってそれが間違っているような気がしてきたのです」

「違和感? 私は極自然に話したつもりでしたが?」

「私の勘違いかも知れませんが貴方の言葉に私達が勇者でない事を望んでいるように感じられたのです」

 私の言葉にアランドラ皇子は一瞬立ち止まったが、すぐに私の隣まで戻ってきた。

「図星でしたか」

「何故、解りました? 私の言葉に隠れた勇者という称号への嫉妬に気付かれましたかな?」

「韜晦は無用に願います。貴方はもっと威徳のあるお方です。何故あのような態度を取られているのかは存じませんけどね」

 アランドラ皇子は小さく溜め息を漏らした。

「敵いませぬな。見破ったついでに私の願いを聞いて頂けますかな?」

「私にできる事なら」

「ありがたい。何、簡単な事です。首尾よく勇者の証を得られたのなら、まず足の速い船を求めてカイゼントーヤに向かう事になるでしょう」

 私は頷く。
 航行技術においてカイゼントーヤの右に出る国はないと聞いていたので道理だと思う。

「途中にある運河にスエズンという大きな街があります。そこでアンカー亭という錨のマークのある宿屋で宿泊して頂きたいのです」

 私は多分、露骨に訝しむ顔をしていたらしくアランドラ皇子はこう云った。

「そ、そんな顔をしないで……大丈夫、そこは私の馴染みでしてね。コレを見せれば便宜を図ってくれるはずです」

 皇子は私に何かを握らせた。それは指からの感触で星の形をした滑らかな石である事が分かった。

「貴女達の旅のペースで構いません。ですが必ずスエズンのアンカー亭で宿を取ってください。それと願わくば私の本性はしばらく貴女の胸の奥にしまっておいてください。私からの願いはこの二つです」

 私はアランドラ皇子の様子に、何故か悪戯を仕掛けた幼かった頃の桜花の様子を重ね、なんとはなしに気づいた。

「子守は引き受けかねますわ」

「ハハハハ、私はこれでも一流派の免許皆伝ですよ」

 権謀術数渦巻く政治の世界に生きる人なら、せめて腹芸を使いましょうよ、皇子……

「何故、とお訊きしても?」

「理由は二つ。一つは強くなりたいから、としておきましょう。もう一つは貴女の行く末を見てみたいと思いましてね」

 前者は兎も角、後者は理解がし難い。

「行く末も何も、今回の仕事が終われば元の世界へと帰る身ですよ」

 『地獄代行人』として急に依頼を受け、突発的に道場を空ける事もある私は、道場の運営を月夜や四天王に任せる段取りを整えてはいる――整えてはいるが、今回は三姉妹揃っての留守であるから道場がどうなるのか見当もつかない。
 四天王は文武に優れた有能な人材だけど、主が不在の道場を如何に切り盛りするかは難題だと思う。彼らの人望と、我が土地屋敷を狙う親類縁者共の狡猾さを思えば、遅くても三ヶ月で決着をつけるべきだと計算している。それより遅くなれば、異世界から帰りました。土地屋敷は他人の物になってました――なんて事態になっているだろう事は容易に想像が付く。
 だから、私はヴェルフェゴールの暗殺(一軍の将を相手に正面切って戦うほど愚かではないつもりよ)を早急に済まし、その後、『楔』の破壊を効率良く行う為の段取りは星神教の総力を挙げてつけて貰うようアリーシア様に依頼している。

「そこまで話がついていましたか。しかもヴェルフェゴール打倒を前提にしているとは何とも頼もしい限りです」

 アランドラ皇子は感心半分、呆れ半分といった声色で云って快活に笑った。

「私としては、いつまでもこの世界に残って欲しいものですがユキコ殿にも事情がおありのようですからな。しかし、同行の意志は変わりませんよ。そうと分かれば、やはり少しでも長く貴女のおそばにいたいものですからね」

「私の近くにいても、愉しくはないと思いますが」

「それは貴女がご自分の美貌に気付かれていないからですよ。断言します。貴女と共に歩く事ができるだけで、この世の幸せを噛み締めること請け合いですよ。いや、周囲の男達から羨望、嫉妬の視線を浴びる事になるでしょうから、ある意味においては不幸かも知れませんね」

 いや、私の美醜云々の話ではないのですけどね。
 問題は私の気性にあるのだけど、今はあえて云う必要は無いだろう。

「それに皇子である貴方様にもしもの事があれば私の首が胴体と泣き別れに……なんて事態になりかねませんでしょう? 異世界に呼ばれた挙げ句に処刑されては泣くに泣けませんわ」

「ご安心を。私は序列で云えば三十六番目の子、男子ならば十六番目です。ましてや側室の子ですからね。帝位継承権など有って無いようなものです。それに旅立つ際には継承権の放棄を宣言してから決行するつもりですので、只の一介の剣士になるだけですよ。日頃からプレイボーイを気取っている私は城の中では厄介者扱いですから出て行く事を歓迎されても哀しまれることは無いはずです」

 ここまでの覚悟をしていたとは思いも寄らなかった。
 ぷれいぼおいの意味は分からないけど、先程の軽薄な態度は、やはり、何か仔細あっての事らしい。彼がわざわざ人から白眼視されるように振る舞う理由は聞くだけ野暮だろう。
 私もこれ以上は反対の言葉を慎み、同行を許す気になっていた。

「いずれにせよ。まずは勇者である事を認められなければ、机上の空論、絵に描いた餅も良いところですけどね」

「そうですな。しかしながらアポスドルファの秘術で召喚された……即ち、選ばれた事を思えば勇者と認められる事はまず間違いないでしょうな」

 アランドラ皇子の言葉には妙に複雑な心境が混じっているようだった。

「でも……私は貴女達が勇者でない事を願わずにはいられない」

 皇子の最後の呟きはとても小さく私でさえ聞き逃すほどだった。
 だけど私にはその言葉の意味を問うことができなかった。

「さあ、ユキコ様。もう間もなく聖剣が納められて……」

 もうすぐ最下層に辿り着こうという時アリーシア様が振り返り、その瞬間、彼女は絶句した。
 そして、いきなり凄い勢いで私達に向かって駆け寄ってきたのだ。

「な、何をしているのですか、貴方は?!」

 アリーシア様は繋いでいる私とアランドラ皇子の手を引き剥がした。
 杖をついて階段を下りる私の様子に皇子は目の事を察し、手を取って導いてくれていたのだ。

「全く油断も隙もありません。ユキコ様も怖かったでしょう? でも一声かけて下されば、すぐにもお助け致しましたのに」

 アリーシア様は恐らくご自分の服の一部で私の手を拭きながらそう云った。

「ああ、ユキコ様の愛らしい御手が……なんと不浄な! 子供が出来たらどうなさるのです」

 私は思わず半歩後ろに下がった。何故、半歩なのかと云うと、未だに私の手はアリーシア様に掴まれているので半歩しか下がれなかったからだ。

「あ、あの……アランドラ皇子は階段に難儀している私に手を差し延べてくださっただけでして……」

「まあ! ユキコ様の弱みに付け入るなんて我が弟ながらなんと卑劣な! ああ、そういう事は早く仰ってくださいませ。それなら私が全力でエスコートしましたのに」

 こ、この人はそういう人だったのか?
 何か俗に云う骨肉の争いとは違う次元でアリーシア様はアランドラ皇子を毛嫌いしているような気がする。

(姉様、安心してください。皇子様は苦笑しているだけです)

 月夜、何故私が皇子の様子を気にしてるのが解るのかしら?
 それ以前に恐ろしく『言葉』に刺々しさを感じるのは何故?

(それは皇子様に手を取られた姉様は赤面しながらも、どこか幸せそうに微笑んでましたから)

 月夜の『言葉』に私は思わず腰が砕けそうになった。
 それがいけなかった。

「ああ、ユキコ様?! 足腰が立たなくなる程恐ろしかったのですね? でもご安心くださいませ! ここからは私が貴女を不浄の輩から護って差し上げますわ」

 気付いた時にはもう遅かった。
 私はひょいと持ち上げられ、アリーシア様に抱きかかえられていた。

「うわぁ、雪子姉様、メリケンやエゲレスの絵本に出てくるお姫様みたい♪」

「へ? ……へ?」

 桜花の言葉に私は間抜けな声しか出なかった。

「うふふふふふ……私、これでも星神式護身術・獅子王太陽拳の免許皆伝ですのよ」

「はい?」

 妙に鬼気迫るアリーシア様に私は固まる。

「うふふふふふ……ユキコ様の白雪の如き美しい柔肌は私が護りますわ」

「いや、その あひゃん?! ど、どこ触ってるんですか?!」

「また始まったか……ユキコ殿、実は姉上は清純な乙女に目が無いのですよ。こうなったら私でも止める事はできません」

 アランドラ皇子からの絶望的な言葉にアリーシア様が反論する。

「お黙りなさい! 純真無垢なユキコ様を不浄から護る事は星神教の巫女……いいえ、全人類が総力を結集して行うべき大偉業なのです!」

 いや、私は決して純真無垢ではないと思いますよ。
 自分でもかなり計算高い女と思っていますし、何より剣客として避けられぬ事とは云え、人を殺めていますから……

「それに不浄の塊である貴方に、乙女に目が無いなどという云い方で私が貶められる謂れはありません。私は純粋にユキコ様を愛しているだけです!!」

 今のは聞き違い……よね?

「あ、愛……してると聞こえたのですが?」

「ええ、私、聖都スチューデリア・第二皇女・アリーシア=ウル=スチューデリアはカスミ・ユキコを愛しています」

「ご、ご冗談を……それは同年代の娘達と比べたら胸が小さい事もない事はないですが、私は女ですよ?」

 身長こそ姉妹で一番高い、と云うより女として絶望的に高い背を持っていながら、私より頭二つ分ほど背が低い月夜に遥かに負け、やはり頭一つ分ほど背が低い桜花よりも劣っている胸の大きさが悩みの種の一つだけど正真正銘私は女だ。

「あら、私も女ですわよ? でもご安心くださいませ。星神教ではとかく宿命を重視しております。ですから宿命の導きに背かない限り同性結婚も認められておりますの」

 私の全身からサーッと血の気が引いた。

「アリーシア様、先程私の事を大切な友人を仰ってくださいませんでしたか? あのお言葉、凄く嬉しかったのですが……」

「ええ、大切に育んでいけば、友情もいつしか愛情に変わりましょう」

 私達、今日会ったばかりなんですけど……

「うふふふふふ……震えているのですか? 可愛い人ですね……大丈夫、貴女は私が必ず幸せにしてみせます」

 いや、幸せにすると云われましても……
 混乱しているうちにアリーシア様の顔が近づく気配を見せた。

「さあ、聖剣の儀の前に、永遠の愛の儀式を致しましょう。これで貴女の手を穢した不浄は浄化される事でしょう」

 ふ、不浄は貴女だ!

「初めて唇を捧げる人が女性なんて、イヤァァァァァァァァァァァっ!!」

 アリーシア様の腕の中で暴れるが、彼女の腕はガッツリ私を拘束していて満足に動けなかった。

「はうっ?!」

 だが、奇跡が起きた。思わず上に放り投げた赤樫の杖が落下してきてアリーシア様の脳天を直撃したのだ。
 私は一瞬、力の抜けた彼女の腕から抜け出すと、いつの間にか大きく開かれていた胸元を合わせて一息ついた。
 さらしを巻いていて良かったと心底思う。でなかったら私は殿方に乳房を見られる所だった。

「ふむ、確かに胸は小さいが、鎖骨に魅力と云うかエロスを感じるな」

 大きなお世話です!
 いや、云われてみれば、かつて吉原で花魁張っていたと云う母様の昔を知っている人の話だと、私の襟元から覗く鎖骨は母様譲りの素晴らしい色気を醸し出しているらしい。
 だけど、島田を結って見世に上がれば、すぐに引く手数多の売れっ子遊女になれるだろうと云われても、喜ぶべきなのかどうか悩むところだ。
 もっとも、私も母様から教わったお座敷遊びは好きだったけどね?
 母様が生きてた頃はよく門下生も交えて、一緒に三味線を弾いたり、舞を舞ったり、虎拳をしたり、時には和歌なども詠って遊んでは父様に怒られたものよ。
 怒られた理由? 私と母様が遊ぶ時は、決まって父様が所用で家を離れている日を狙って遊ぶからよ。
 仲間外れは非道いと云うけれど、父様を入れると負けた人にお酒を飲ませるなんて罰を与えるから、必ず最後は乱痴気騒ぎになって折角の御座興が台無しになるんですもの。あの場は母娘の愉しい触れ合いの場であって遊廓では無かったのだから。
 それはそうと我ながら素晴らしい自制だと思う。この人が皇子ではなかったら私はとっくに背負い投げを決めていただろう。

「ユキコ殿? 私の手を取って頂けるのは嬉しいのですが、少し力が入り過ぎてますよ?」

あら、自制は利いていなかったのか……背負い投げを仕掛けようとしている私がいた。

「あうっ?!」

 その時、私の右足首に衝撃が走り、異様な負荷がかかった。

「ま、まだですわ、ユキコ様……」

 どうやら頭を打ったアリーシア様はその衝撃で螺旋階段から足を踏み外したらしい。だけど寸でのところで私の脚を掴み、落下せずに済んだようである。

「ああ! アリーシア様、今お助けします!!」

 私はしゃがんで私の足首を掴むアリーシア様の手を掴んで引き上げようとする。

「ユキコ様……やはり私を愛してくれていたのですね?!」

 異様に興奮しているアリーシア様に私の腕の力が抜けかける。

「助かりたかったら、そういう戯言はやめてください」

「あら……ユキコ様って意外といけずさんですのね」

 彼女の拗ねたような声は非常に可愛らしかったのだけど、素直に可愛いと思えない自分が嫌だ。
 何が嫌って、折角、こちらを信頼して下さっているアリーシア様を、女色というだけで距離を置こうとしている浅ましい自分の心を見たからだ。
 私は更に力を込め、アリーシア様を引き上げる。伊達に剣術道場で師範をしてはいないと云いたいけど、彼女の体が驚くほど軽いので女の腕でも簡単に引き上げられた。

「あ、あとちょっと……アリーシア様、掴まって」

「はい」

 私が左手を差し出すと、彼女はソレを掴まずに私の胸倉を、と云うより胸を鷲掴みにした。
 掴めるのかですって? 失礼な! 
 これでも母様に胸が大きくなる按摩というものを毎日湯船の中でして貰っていたし、母様が鬼籍に入られてからは自分の手で続けていたから、お猪口よりは大きく育っているのよ。

「「キャアアアアアアアアアアアッ?!」」

 思わず胸を庇いながら上げた私の悲鳴と、落下していくアリーシア様の悲鳴が見事に一致した。

「あ……」

「私は死なない! この世にユキコ様がいる限り私は再び甦る!!」

 やたらと良く響くアリーシア様の優雅な(そして不気味な)笑い声が続いた後、肉の塊が潰れるような嫌な音と踏みつけられたヒキガエルの断末魔のような声がした。
 先程、もう間もなくと仰っていたけど、底に着くまでかなり間があったように感じてしまった私には、あの嫌な音と相俟って無惨な肉塊と化したアリーシア様しか想像出来ない。

「皇子……どうしましょう?」

「どうしましょうって、聖剣の儀をしなければならないのでしょう?」

 アランドラ皇子は事も無げに云って再び私の手を取るとゆっくり私を導いて下りていった。








「お待ちしていましたわ」

「……」

 私達が最下層に辿り着くと、聖剣が納められているという部屋の前でアリーシア様が何事もなかったように穏やかな口調で出迎えた。

「ユキコ様? どうかなさいまして?」

「いえ、なんでもありません」

 キョトンと訊ねるアリーシア様に私は肩にかかる疲労感を振り払うように答えた。
 ちなみに私と皇子はもう手を離している。もう先程のような暴走はごめんだわ。

「それでは、聖剣のもとへ導きます」

 アリーシア様の声と同時に巨大で重そうな扉の開くゴンゴンという軋みが広がった。

「こ、これは……」

 アリーシア様に導かれて入った部屋は、私が今まで感じた事のない清浄な空気に満ちていた。
 私もおせっかいな(でも大切な)友人に引っ張られて様々な神社仏閣に足を踏み入れたけど、ここまで澄んだ気配は感じた事はない。
 光を宿さぬこの目でも何故か広大と解るこの空間の中央に威圧感にも似た気配があった。

「ふえ~ぇ、大きいねぇ……アリーシア様ぁ、あの石像は誰と誰の像なの?」

 桜花の感嘆混じりの間延びした質問にアリーシア様は誇らしげに答えた。

「あの仲睦まじく寄り添う男女の像こそ星神教の最高神であられる太陽神アポスドルファとその妻、月の女神アルテサクセスのお姿を表わした物なのです」

どうやら先程からの威圧感はその像から感じられるようだった。

「妻ぁ? 桜花には『お母さんと行水する男の子の図』に見えるけど……」

 そっと月夜が教えてくれた事によると、この空間は円柱状で床は大理石がふんだんに敷き詰められていて、周りは白亜の壁であると云う。かなり地下を降りてきたはずなのだけど、どういった仕組みなのか太陽の光が底まで届いているそうな。
 地下水を汲み上げたのか床には水路がいくつか走り、中央には大きな溜め池があって、その中に裸の少年を後ろから抱きしめている羽衣のような服を着た慈愛の笑みを湛えた女性の像が建っているそうだ。

「ええ、それも正解です。星神教に伝えられている神話では、まずこの世界で最初に太陽が生まれたとされています。その頃は太陽以外の存在はなく、孤独に耐えかねた彼は自分以外の存在を欲し、最初に作ったのが対となる存在、月なのです」

 その後も太陽は自らの体を材料に眷属たる星々を作り続け、気付いた時には妻である月よりも体が小さくなってしまう(つまり、この世界の月は見た目、太陽よりもかなり大きく見える)。仕方なしに太陽は月に母性を与えて、彼女を妻だけでなく、同時に母ともしたらしいけど、それはそれで寂しい人生に思える。
 確か古今東西の神話の中には人の歴史を元にした寓話が多分に含まれているらしいと聞いた事があるので、もしかしたら星神教の創始者か或いは過去の偉人に自分の母を妻にした人がいたのかも知れない。或いは単純にどのような存在にも母親が必要と云う教訓である可能性もある。

「そして二柱の像の足下に設えられた台座に突き立てたれた剣、これこそがアポスドルファから授けられた聖なる二対の剣、『サンシャイン』と『ムーンシャドウ』です」

 私は――私達はこの二振りの剣の存在感に圧倒されていた。
 月夜の説明では、『サンシャイン』は透明で真っ赤な両刃の剣で柄には金や紅い宝石のような物で装飾されたものだそうだ。
 そして『ムーンシャドウ』は真っ黒な片刃の剣で刀身は三日月のように反ってあり、柄は銀と蒼い宝石で控えめ且つ上品な装飾が施されていると云う。

「この二振りの剣を台座から引き抜く事ができれば勇者として認められたということになります」

 なるほど、解りやすい。
 岩の台座に突き立てられた剣を抜けば合格、勇者の資格が無ければ抜く事は叶わない。

「では、ユキコ様……始めてください」

 私は頷くと、月夜と桜花に導かれて台座に登り、『サンシャイン』と『ムーンシャドウ』を同時に掴んだ。

(南無八幡大菩薩)

 生前、父が信仰していた軍神に心の中で祈りながら力を込めて引き抜こうとした。

「そ、そんな……」

 いくら力を込めようとも揺らそうとしてみても剣は元から台座の一部であったかのようにピクリとも動かなかった。

「なんとユキコ殿は勇者ではなかったのか?」

 アランドラ様は驚愕というより、どこか喜びに近い声色で云う。

「あのような美しい女性を凄惨な戦いの旅へ向かわせる訳にはいかないからな」

「そんな……ユキコ様? 動きませんの?」

 アランドラ皇子の呟きはアリーシア様の言葉が重なった為、聞き取ることは叶わなかった。

「はい……私では全く動きません」

 私の声は自分でも解るくらい苦渋に満ちていた。

(姉様、今度は私……)

 月夜の『言葉』に素直に従い後ろに下がる。
 すぐに月夜が台座に登り、聖剣の儀を始める。

「ああ、ツキヨ様も……」

 アリーシア様の声にも苦渋が混ざっていた。
 もし次に試す桜花が勇者ではなかったら……そんな思いがこの場に満ちた。

「じゃあ、最後に桜花が行くね」

 桜花が剣を掴んだ瞬間、『サンシャイン』からなんとも暖かな気配が伝わってきた。

「おお! 『サンシャイン』がその名を示すように日輪の如き輝きを!!」

 アランドラ皇子の驚愕の声が響く。
 桜花こそ勇者の資格があるのかと誰もが思った時、意外な言葉が聞こえた。

「うぅ~ん……桜花も抜けないよぉ」

「何ですって?!」

 アリーシア様の悲痛な叫びが耳朶を打つ。

「うん、全然動かない。派手な方は凄い光ってるけど、それでもビクともしないよ?」

「それでは三人とも勇者ではない?」

 この胸に去来する絶望感と無力感に私は言葉を失った。

『フハハハハハハハハ!! 勇者の噂を聞き付け、はるばるアジトアルゾ大陸から馳せ参じたというのに、なんとも拍子抜けさせられたぞ!!』

「誰?!」

 私は太刀を佩くように杖を帯に挟んで周囲の気配を探る。

『これは申し遅れた。拙者は魔将軍ヴェルフェゴール閣下の側近が一人『豪腕のスタローグ』!! 『楔』を破壊する勇者の始末を命じられた男よ!!』

 地響きと共に台座が揺れ、まるで突然その場に現れたかのように巨大な気配が生まれた。

「なっ?! 台座の影から巨人が?! 古の魔族が使うとされる『影渡り』の秘術か!」

 アランドラ皇子が剣を抜く気配をみせながら叫んだ。

『グフフフフフ!! 影を媒介とし、影から影へと瞬時に移動する『影渡り』が秘術だと? この程度の術は魔族にとっては児戯よ! 秘術などと云ったら莫迦にされるわ!!』

 スタローグは全身からガチャガチャと金属がぶつかり合うような音を立てながら皇子を嘲笑う。

(姉様!)

「月夜? お願い。大まかでいいからスタローグの事を教えて!!」

 いつの間にか背後にいた月夜に説明を求める。

(巨大です。アランドラ皇子も相当背が高いですが、彼はその三倍はありそうですね。全身を黒い甲冑で包み、兜も面具が填められて隙間が少ないです)

 説明を聞きながらも私は襷がけをして戦闘の準備を始める。

(今のところは素手ですが、背中に巨大な棍棒を背負っているので、それを使った力技を使ってくるかもしれません)

「ありがとう!! 月夜は桜花を連れて下がっていて!!」

 私は唯一持ち歩いている防具『鬼鉢鉄』を額に巻く。『鬼』と書かれた金具の裏にはいくつか突起があり、それが眉間を圧迫する。
 私はそこに意識を集中させると、想像の中で月夜の説明によって生まれた空想のスタローグと目の前にいる本物のスタローグの気配を重ね合わせる。
 すると、脳裏にスタローグの容姿が朧気に浮かび、背負っているという棍棒を手にした様子が『視』えた。
 この映像が間違っていた事はほとんどない。精々が細かな表情くらいだ。

「待て!! お前の相手はこの私だ!!」

 私の声に脳裏に浮かんだスタローグが振り返る。大丈夫、今日も相手の動きが手に取るように解る。
 この能力ちからこそ、盲目である私が剣術道場の師範でいられる理由。
 私はこの能力を『心の眼』と名付けた。

『なんだ? 勇者になり損ねた女か!』

 小莫迦にした口調でスタローグが私を一瞥する。

「そう、私は勇者にはなれなかった。『楔』も私には砕けない……だが!」

 私は今まで閉じていた両の瞼を開く。
 そこには、いつも桜花に、「綺麗だから見せて」とせがまれている緑色に輝く瞳があるはずだ。

「魔将軍ヴェルフェゴール打倒を諦めたつもりはない!! 霞流剣術師範・霞雪子! 推して参る!!」

 私は腰を落とし、体を前に傾けつつスタローグに向かって駆けた。

「ユキコ殿?! 無茶だ、貴女の目は!」

 皇子の制止の声を無視して私は更に速度を上げたのだった。








 ついに私達とガルスデントとの戦いが始まった。
 しかも初戦にして相手はヴェルフェゴールの側近を名乗る実力者だ。
 果たして勇者となれなかった私に勝機はあるのか?
 魔族と呼ばれる者たちは如何なる術を操るのであろうか?
 それは次回の講釈にて。
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