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第弍拾肆章 闇夜の戦い
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「御苦労」
「これは宰相閣下!」
ある日の夕刻、姿を見せたカンツラーに兵達が敬礼をする。
カンツラーは畏まる彼らに労いつつ見張りに戻るよう指示した。
ブリッツ邸の斜向かいにある料理屋の二階を見張り所に借りて連日怪しげな者が姿を見せないか監視していたのである。
特に僧形の者には目を光らせていた。
「握り飯と煮染めを用意した。秋の夜は冷えるからな。酒も持って来たぞ。見張りに支障が出ない程度なら呑んでも構わない」
「お気遣い、痛み入ります。おい、宰相閣下からの心尽くしだ。有り難く頂くのだ」
カンツラーも母ゲルダやブリッツほどではないが料理が上手い事で有名であり、思いも掛けない差し入れに見張り役を仰せつかった兵達はこの役得に喜んだ。
見張り所の責任者であるアントンはカンツラーを上座へと案内しようとするが、それを固辞して手近の椅子に腰を下ろす。
「どうだな? 何か変わった事はないか?」
「はい、ブリッツ様の御屋敷近くで坊主が托鉢しているのはいつもの事ですが、これといって変事はありませぬ。連絡役が接触してくる気配もありませんな」
「そうか、今夜も気を引き締めて見張りを続けてくれ。ヤツらは必ず現れるはずだ」
「はっ!」
日が暮れると、カンツラーは兵達に休憩を取らせて自ら見張りを引き受けた。
初めこそアントン達は恐縮していたが、“休憩も仕事の内だ”と諭された事と空腹だったという事もあって有り難く食事を始めたのだ。
「連中も交代しているようだな。夕刻の者と顔が違う」
「善く分かりますね。流石、閣下です。私には暗がりに何者かが身を潜めている事くらいしか分かりませんでしたが……」
「それを見逃していないだけ大したものだ。私の場合は眼鏡に『望遠』と『暗視』の機能があるから顔の細部まで見る事が出来たのだよ。ちなみに写真も撮影している」
「なるほど、偵察部隊などは喉から手が出るほど欲しがりそうですな」
アントンは恐ろしく高性能な機能を持つ眼鏡に感心している。
「ああ、その事だがな。私の眼鏡ほど万能ではないが、既に『望遠』『暗視』『撮影』の機能を持ったゴーグルを偵察部隊で評価中だ。他にも用途に合わせて『熱源視覚化』及び『マーキング』の試験や『念話強化』の機能を持たせたゴーグルを装備させた通信兵の教育も始めている。実践に耐えうると判断がされれば各部隊にも配置する予定だ。有事には遠く離れた部隊同士の意思の疎通を伝令無しで行う事が出来るだろう」
「そ、それは戦争の概念が一気に変わりそうですな」
「安心しろ。戦争を起こさないように努めるのも私のような政治屋の仕事だよ。願わくば君達、兵士諸君には戦争を知らずに帝国の治安のみに心を砕く生涯を送って欲しいものだ。だが何にでも予想不可能の事は起こり得るからな。それに備えて出来る限り兵の犠牲が出ないようにするのも私達の役目と心得ている」
「閣下……」
母ゲルダを転生させて利用しようとしている雷神ヴェーク=ヴァールハイトの事もあってか、カンツラーは神の加護というものを宛てにはしていない。
むしろ神に抱いている感情は悪いと云っても良いだろう。
それ故にカンツラーは帝国ひいては帝国民を守る為に最善を尽くすのである。
もしかしたら定期的に魔界や悪霊が地上を襲っているのは天界の手引きなのではあるまいかと勘繰ってさえもいるのだ。
天敵のいない人類はややもすれば人口を爆発的に増やし生活圏を広げる為に乱開発をして自然を破壊しているが、魔王に侵攻され、後に勇者と聖女により斃されると自然が蘇っている事が歴史書には記されている。特別に植樹などをしていないのにだ。
この“蘇る自然”というのがクセ者で、人類が文明を築く際に破壊する以前の自然という意味なのである。
そこでカンツラーは思い至る。
魔王の侵略とは名ばかりで、実際は天界によって人口と文明を調節をされているのではあるまいか。母が魔王にトドメを刺す事を天界により禁じられているのが何よりの証拠のように思えてならない、と。
人口の増加、文明のレベル、どちらか或いは双方がトリガーとなって魔界の扉が開くのではあるまいか、と。そして魔王との戦いの最中に覚醒した勇者と聖女の力が自然を蘇らせるのではと推測する。
事実、強大な厄災を打破するのに勇者と聖女の覚醒は不可欠であり、その影響により姿は人のソレとは大きく懸け離れてしまうが、それだけにその力は強大で魔王を封じ込めるほどだという。
そして歴史書や英雄譚は必ずこう締め括られるのだ。
“地上には緑が溢れたのだ”と。
例外は百年前と五十有余年前、『水の都』から出て行かない『塵塚』のセイラとゲルダ母娘を排除する為に魔界軍を送り込んできた事、ドラゴンの王が地上を侵攻してきた事だ。
百年前の事変は復活しかけた魔王が地上侵攻の足掛かりに『水の都』を攻めたのだが、相手が悪かったとしか云いようがない。
五十年前にしても勇者ではない父によりドラゴンの王を斃されている。
勇者もいたにはいたらしいのだが、仲間となった少女達を侍らせて暢気に面白おかしく旅を楽しんでいる内に魔界が『水の都』に泣きを入れてしまったり、勇者の権威を傘に遣りたい放題している内にドラゴンの王を斃されて面目を失っていたのだ。
勇者の覚醒どころか活躍の場も無く、気付いたら魔王もドラゴンの王も斃されてしまったからか、地上に侵略の爪痕が残されたまま自然は蘇らなかったのである。
余談であるが、死の寸前、皇帝ゼルドナルは自叙伝を発行するのだが、ドラゴンの王との戦いの項では、権威に酔い勇者にあるまじき行動ばかりで一つも役に立たなかった勇者への皮肉を込めて『第三者の冒険』と銘打っている。
さっぱりとした気性の持ち主であるゼルドナルが敢えてこのようなタイトルをつけるあたり余程腹に据えかねる人物であったのであろう。
やがて夜も更けてくると兵達の中には交代する者も出てくる。
彼らは料理屋の裏口から音を立てずに出て行った。
カンツラーは新たな兵達に酒を呑んで体を温めておけと云いつける。
「ところで閣下はお食事は摂らなくても大丈夫なのですか?」
「心配せずとも遠慮せず食せ。ここに来る途中で饅頭を購っている。腹が減ればそれを食う」
「は、はぁ…」
カンツラーの体質を知らないアントンはつい覇気の無い返事をしてしまう。
空を見ると雲のせいで星どころか月さえも見えなかった。
嫌な夜だ。こういう夜は闇に紛れて悪事を働くものが出てくるものである。
すると出て行ったはずの兵が戻って来たではないか。
「閣下! 大勢の足音が近づいてきております! 足の運びから手練れかと」
「来たか!」
カンツラーが銀縁眼鏡の『暗視』機能をオンにすると、黒装束に身を包んだ集団が早足でブリッツ邸の前に集結していた。
その中で巨体を持つ者が閉ざされた門の前で長い棒状の物を頭上に掲げている。
さて、何をする気かと思えば、小さな影が一跳びに棒の先端に跳び乗り、すぐさま門の奥へと消える。程なくしてブリッツ邸の門が開けられて一団は門の中へと入っていった。
「ほう、やるな。では、我らも出るぞ!」
「はっ! 皆の者、敵は閣下やゲルダ様に比肩しうる手練れもいるそうである! 決して油断するまいぞ!」
アントンの檄に兵士達は“応”と答えた。
同時にブリッツ邸から光の球がいくつも上がり周囲を照らす。
カンツラーが念話で屋敷内に居る従者に合図を送ったのだ。
「敵は突然の光に浮き足立っている。立て直す前に全員捕らえよ! 手に負えないと判断したなら斬り捨てても構わん!」
「ははっ!!」
庭に突入すると既に敵と『水の都』の従者達が戦闘を始めていた。
「死ね!」
黒装束の槍が従者の胸を貫くが、彼らは既に死亡している上に肉体は人形である。
些かの痛痒も見せずに敵を捕まえると手際良く捕縛していく。
「化け物が! 往生せいや!!」
『無駄です』
別の黒装束が槍を突き刺すがやはり従者には効き目が無い。
「ノウマク サンマンダ バザラダン カン!!」
『なっ?! ひいいいいいいいいいいいいっ?!』
しかし、更に別の男が従者に札のような物を貼り付けると、人形の体が燃え上がり、従者の魂が空へ吸い込まれるように消えていったではないか。
「各々方! 敵は人形に取り憑いた亡霊にござる!! 調伏は可能であるぞ!!」
「おお!! この世に執着する憐れな亡霊共に引導を渡してくれるわ!!」
敵も精鋭である。何と従者を強制的に成仏させる事が出来るようだ。
黒装束達が投げた札が従者達に貼りつくと一瞬にして燃え尽きてしまう。
「亡霊共! 不動明王の炎を畏れぬのであればかかって参れ!!」
『あわわわわわ……』
不動明王は大日如来の化身とも云われ、特に日本では「お不動さん」と親しまれて根強い信仰を得ている仏である。
魔を退散させ、人々の煩悩を断ち切る三鈷剣と悪を縛り上げる羂索を持つ姿の像は善く見掛けるだろう。
魔を滅ぼし、煩悩から抜けられぬ救いがたき衆生すら力尽くで救う為に目を見開いて下唇を噛むという恐ろしげな憤怒の顔をしている。
その不動明王の力の前では数百年もの時を怨念を抱えてきた怨霊といえども一溜まりもなく、瞬く間に降魔の炎に焼かれて数を減らしていった。
「助太刀するぞ!」
残り少なくなっていた従者に投げつけられた札の悉くをカンツラーは斬り捨てた。
怨念を浄化して成仏させるのであるから黒装束達の行為も救いとなっているのだが、徐々に荒御魂を浄化していくという『水の都』の意義に反している。
況してや浄化しているとはいえ降魔の炎に焼かれてはやはり苦しい。
魔王に殺された魂を救う手段としてカンツラーには受け入れ難いものであった。
『姫様!!』
「誰が姫だ! いや、それより後は任せてお前達は下がれ!!」
『はい!!』
カンツラーの背後に黒い円が浮かび上がり、従者達はその中へ逃げ込んでいく。
黒装束達を見ればカンツラー達の登場に動揺している者はいない。
国立自然公園で捕縛した半グレとは違う。どうやら転生武芸者達を操る寺院とやらのお出ましのようだ。
カンツラーは臍下丹田に気を込めて声を発する。
「ガイラント帝国宰相カンツラーである!! 神妙に縛に就けい!!」
「猪口才な。各々方、目的を遂げるまでの露払いをするぞ!!」
黒装束の一人が槍を構えて突進する。
カンツラーは伸び来る穂先を躱して穂先を千段巻ごと斬り飛ばした。
母ゲルダ直伝、槍や薙刀の先端を斬る秘剣『茎斬り』である。
基本的に槍は穂先以外は木や竹で出来ている為、茎に麻苧を隙間無く巻き更に漆で固めて補強されているものだ。
迂闊に穂先を斬ろうとすれば茎で刃を阻まれ、下手をすれば刃零れする事もある。
それ故に敢えて茎を斬り敵の戦意を削ぐという発想から編み出された秘剣だ。
「おのれ!!」
しかし相手の戦意は衰えてはおらず槍を回して下段から石突きが唸りをあげてカンツラーの顎を砕かんと迫ってくる。
だが槍を持ち変える僅かな隙を見逃さずカンツラーの峰打ちが肩を打った。
「うぅむ……」
骨を折った手応えはあった。
敵は肩口を押さえて片膝をついている。
「炎で焼きはしたが、我が従者を滅ぼさず成仏させた一点により命は助けてつかわす。折れた骨も綺麗に繋がろう。向後、再び槍を持てるよになるゆえ安心致せ」
「味な真似を!」
残った黒装束が槍を構える。
霊薬奪還が筒抜けとなり、兵に取り囲まれても戦意と秩序は保持されていた。
「お待ちなさい。ここは引き時ですよ」
一団の中にいる巨体が涼やかな声で仲間を制した。
頭巾で顔を隠してはいるが、異形に似合わぬ優しげな声には聞き覚えがある。
国立自然公園で会った地狐だ。
「しかし、このまま霊薬を奪還できねば…」
「兄様から念話が届きました。屋敷の中には霊薬の気配は無いそうです。しかもこうして包囲されているという事は…」
「罠か! 既に霊薬は帝国の手の内に、という事か!」
漸く黒装束達に動揺が走った。
カンツラーは腰を落として正眼に構える。
きっと敵は決死となって切り抜けようとするだろう。
「敵は死に物狂いで来るぞ! 構えよ!! 決して逃がすな!!」
「「「「「「「「応!!」」」」」」」」
カンツラーの檄に兵士達は気炎を吐いた。
何人かは黒装束との戦闘で手傷を負ってはいるようだが死者はいないようだ。
士気も衰えてはいない。意気軒昂と云っても良いだろう。
これなら易々と敵を逃がす事はあるまい。
「恐らく一番の手練れは宰相殿…私が抑えますゆえ各々で逃げて下さい」
「かたじけない。各々方! ここで捕まる訳にはいかぬ! 銃に頼りきった腰抜け兵士共を斬って囲いを抜けるぞ!!」
「舐めるな! 数十キロの装備を担いで進軍する我らの足腰を見縊るでない!!」
アントンの“それ!!”という号令を受けてガイラント兵が突撃をする。
銃剣を付けた小銃を腰だめに構えての突撃は云うだけあって堂に入っていた。
敵味方入り乱れての乱闘の中、カンツラーと地狐が対峙していた。
「神妙にしろ、と云っても聞くまいな」
「ええ、私も武を嗜む者としての矜持があります」
地狐は六角杖の先端を掴むと頭上で振り回し始める。
「ふふふ、秘技『地鳴り』……」
笑いながら地狐が振り回す六角杖は徐々に速度を上げていき、風を切る音も次第に大きくなっていく。その巨体から想像した通りの怪力をもって起こされる不気味な空気の鳴動はカンツラーの体をも振るわせてる。
まさに地鳴りの名に相応しい。
だがカンツラーにはここからどのような技に繋げるのか予想が出来なかった。
頭上で回転させて勢いをつけるまでは分かる。
しかし、如何に彼女が長身であろうと杖が長かろうとカンツラーに殴りかかるには間合いが遠すぎるのだ。囲まれているこの状況で投げるとも考えにくい。
確かに六尺(約180センチメートル)の鉄の塊を振り回す膂力は恐るべきものであるし、唸りをあげる風の音も不気味である。
だが、これでは只の虚仮威しではないか。
自然公園で半グレ共と戦った時は洗練された杖裁きを見せていたはずなのだ。
この場で一番の手練れと見抜いた彼女が今更この様な……
そこまで考えた瞬間、カンツラーの血の気が引いた。
首筋に冷たい感触が宿る。
「これが…狙い?」
ふと頭上の光球が消えて闇の世界と戻った。
カンツラーの首に当てられた小刀が引かれる。
「我ら、二人で一つなり」
地に倒れながら天狐の声を聞いたのだった。
「これは宰相閣下!」
ある日の夕刻、姿を見せたカンツラーに兵達が敬礼をする。
カンツラーは畏まる彼らに労いつつ見張りに戻るよう指示した。
ブリッツ邸の斜向かいにある料理屋の二階を見張り所に借りて連日怪しげな者が姿を見せないか監視していたのである。
特に僧形の者には目を光らせていた。
「握り飯と煮染めを用意した。秋の夜は冷えるからな。酒も持って来たぞ。見張りに支障が出ない程度なら呑んでも構わない」
「お気遣い、痛み入ります。おい、宰相閣下からの心尽くしだ。有り難く頂くのだ」
カンツラーも母ゲルダやブリッツほどではないが料理が上手い事で有名であり、思いも掛けない差し入れに見張り役を仰せつかった兵達はこの役得に喜んだ。
見張り所の責任者であるアントンはカンツラーを上座へと案内しようとするが、それを固辞して手近の椅子に腰を下ろす。
「どうだな? 何か変わった事はないか?」
「はい、ブリッツ様の御屋敷近くで坊主が托鉢しているのはいつもの事ですが、これといって変事はありませぬ。連絡役が接触してくる気配もありませんな」
「そうか、今夜も気を引き締めて見張りを続けてくれ。ヤツらは必ず現れるはずだ」
「はっ!」
日が暮れると、カンツラーは兵達に休憩を取らせて自ら見張りを引き受けた。
初めこそアントン達は恐縮していたが、“休憩も仕事の内だ”と諭された事と空腹だったという事もあって有り難く食事を始めたのだ。
「連中も交代しているようだな。夕刻の者と顔が違う」
「善く分かりますね。流石、閣下です。私には暗がりに何者かが身を潜めている事くらいしか分かりませんでしたが……」
「それを見逃していないだけ大したものだ。私の場合は眼鏡に『望遠』と『暗視』の機能があるから顔の細部まで見る事が出来たのだよ。ちなみに写真も撮影している」
「なるほど、偵察部隊などは喉から手が出るほど欲しがりそうですな」
アントンは恐ろしく高性能な機能を持つ眼鏡に感心している。
「ああ、その事だがな。私の眼鏡ほど万能ではないが、既に『望遠』『暗視』『撮影』の機能を持ったゴーグルを偵察部隊で評価中だ。他にも用途に合わせて『熱源視覚化』及び『マーキング』の試験や『念話強化』の機能を持たせたゴーグルを装備させた通信兵の教育も始めている。実践に耐えうると判断がされれば各部隊にも配置する予定だ。有事には遠く離れた部隊同士の意思の疎通を伝令無しで行う事が出来るだろう」
「そ、それは戦争の概念が一気に変わりそうですな」
「安心しろ。戦争を起こさないように努めるのも私のような政治屋の仕事だよ。願わくば君達、兵士諸君には戦争を知らずに帝国の治安のみに心を砕く生涯を送って欲しいものだ。だが何にでも予想不可能の事は起こり得るからな。それに備えて出来る限り兵の犠牲が出ないようにするのも私達の役目と心得ている」
「閣下……」
母ゲルダを転生させて利用しようとしている雷神ヴェーク=ヴァールハイトの事もあってか、カンツラーは神の加護というものを宛てにはしていない。
むしろ神に抱いている感情は悪いと云っても良いだろう。
それ故にカンツラーは帝国ひいては帝国民を守る為に最善を尽くすのである。
もしかしたら定期的に魔界や悪霊が地上を襲っているのは天界の手引きなのではあるまいかと勘繰ってさえもいるのだ。
天敵のいない人類はややもすれば人口を爆発的に増やし生活圏を広げる為に乱開発をして自然を破壊しているが、魔王に侵攻され、後に勇者と聖女により斃されると自然が蘇っている事が歴史書には記されている。特別に植樹などをしていないのにだ。
この“蘇る自然”というのがクセ者で、人類が文明を築く際に破壊する以前の自然という意味なのである。
そこでカンツラーは思い至る。
魔王の侵略とは名ばかりで、実際は天界によって人口と文明を調節をされているのではあるまいか。母が魔王にトドメを刺す事を天界により禁じられているのが何よりの証拠のように思えてならない、と。
人口の増加、文明のレベル、どちらか或いは双方がトリガーとなって魔界の扉が開くのではあるまいか、と。そして魔王との戦いの最中に覚醒した勇者と聖女の力が自然を蘇らせるのではと推測する。
事実、強大な厄災を打破するのに勇者と聖女の覚醒は不可欠であり、その影響により姿は人のソレとは大きく懸け離れてしまうが、それだけにその力は強大で魔王を封じ込めるほどだという。
そして歴史書や英雄譚は必ずこう締め括られるのだ。
“地上には緑が溢れたのだ”と。
例外は百年前と五十有余年前、『水の都』から出て行かない『塵塚』のセイラとゲルダ母娘を排除する為に魔界軍を送り込んできた事、ドラゴンの王が地上を侵攻してきた事だ。
百年前の事変は復活しかけた魔王が地上侵攻の足掛かりに『水の都』を攻めたのだが、相手が悪かったとしか云いようがない。
五十年前にしても勇者ではない父によりドラゴンの王を斃されている。
勇者もいたにはいたらしいのだが、仲間となった少女達を侍らせて暢気に面白おかしく旅を楽しんでいる内に魔界が『水の都』に泣きを入れてしまったり、勇者の権威を傘に遣りたい放題している内にドラゴンの王を斃されて面目を失っていたのだ。
勇者の覚醒どころか活躍の場も無く、気付いたら魔王もドラゴンの王も斃されてしまったからか、地上に侵略の爪痕が残されたまま自然は蘇らなかったのである。
余談であるが、死の寸前、皇帝ゼルドナルは自叙伝を発行するのだが、ドラゴンの王との戦いの項では、権威に酔い勇者にあるまじき行動ばかりで一つも役に立たなかった勇者への皮肉を込めて『第三者の冒険』と銘打っている。
さっぱりとした気性の持ち主であるゼルドナルが敢えてこのようなタイトルをつけるあたり余程腹に据えかねる人物であったのであろう。
やがて夜も更けてくると兵達の中には交代する者も出てくる。
彼らは料理屋の裏口から音を立てずに出て行った。
カンツラーは新たな兵達に酒を呑んで体を温めておけと云いつける。
「ところで閣下はお食事は摂らなくても大丈夫なのですか?」
「心配せずとも遠慮せず食せ。ここに来る途中で饅頭を購っている。腹が減ればそれを食う」
「は、はぁ…」
カンツラーの体質を知らないアントンはつい覇気の無い返事をしてしまう。
空を見ると雲のせいで星どころか月さえも見えなかった。
嫌な夜だ。こういう夜は闇に紛れて悪事を働くものが出てくるものである。
すると出て行ったはずの兵が戻って来たではないか。
「閣下! 大勢の足音が近づいてきております! 足の運びから手練れかと」
「来たか!」
カンツラーが銀縁眼鏡の『暗視』機能をオンにすると、黒装束に身を包んだ集団が早足でブリッツ邸の前に集結していた。
その中で巨体を持つ者が閉ざされた門の前で長い棒状の物を頭上に掲げている。
さて、何をする気かと思えば、小さな影が一跳びに棒の先端に跳び乗り、すぐさま門の奥へと消える。程なくしてブリッツ邸の門が開けられて一団は門の中へと入っていった。
「ほう、やるな。では、我らも出るぞ!」
「はっ! 皆の者、敵は閣下やゲルダ様に比肩しうる手練れもいるそうである! 決して油断するまいぞ!」
アントンの檄に兵士達は“応”と答えた。
同時にブリッツ邸から光の球がいくつも上がり周囲を照らす。
カンツラーが念話で屋敷内に居る従者に合図を送ったのだ。
「敵は突然の光に浮き足立っている。立て直す前に全員捕らえよ! 手に負えないと判断したなら斬り捨てても構わん!」
「ははっ!!」
庭に突入すると既に敵と『水の都』の従者達が戦闘を始めていた。
「死ね!」
黒装束の槍が従者の胸を貫くが、彼らは既に死亡している上に肉体は人形である。
些かの痛痒も見せずに敵を捕まえると手際良く捕縛していく。
「化け物が! 往生せいや!!」
『無駄です』
別の黒装束が槍を突き刺すがやはり従者には効き目が無い。
「ノウマク サンマンダ バザラダン カン!!」
『なっ?! ひいいいいいいいいいいいいっ?!』
しかし、更に別の男が従者に札のような物を貼り付けると、人形の体が燃え上がり、従者の魂が空へ吸い込まれるように消えていったではないか。
「各々方! 敵は人形に取り憑いた亡霊にござる!! 調伏は可能であるぞ!!」
「おお!! この世に執着する憐れな亡霊共に引導を渡してくれるわ!!」
敵も精鋭である。何と従者を強制的に成仏させる事が出来るようだ。
黒装束達が投げた札が従者達に貼りつくと一瞬にして燃え尽きてしまう。
「亡霊共! 不動明王の炎を畏れぬのであればかかって参れ!!」
『あわわわわわ……』
不動明王は大日如来の化身とも云われ、特に日本では「お不動さん」と親しまれて根強い信仰を得ている仏である。
魔を退散させ、人々の煩悩を断ち切る三鈷剣と悪を縛り上げる羂索を持つ姿の像は善く見掛けるだろう。
魔を滅ぼし、煩悩から抜けられぬ救いがたき衆生すら力尽くで救う為に目を見開いて下唇を噛むという恐ろしげな憤怒の顔をしている。
その不動明王の力の前では数百年もの時を怨念を抱えてきた怨霊といえども一溜まりもなく、瞬く間に降魔の炎に焼かれて数を減らしていった。
「助太刀するぞ!」
残り少なくなっていた従者に投げつけられた札の悉くをカンツラーは斬り捨てた。
怨念を浄化して成仏させるのであるから黒装束達の行為も救いとなっているのだが、徐々に荒御魂を浄化していくという『水の都』の意義に反している。
況してや浄化しているとはいえ降魔の炎に焼かれてはやはり苦しい。
魔王に殺された魂を救う手段としてカンツラーには受け入れ難いものであった。
『姫様!!』
「誰が姫だ! いや、それより後は任せてお前達は下がれ!!」
『はい!!』
カンツラーの背後に黒い円が浮かび上がり、従者達はその中へ逃げ込んでいく。
黒装束達を見ればカンツラー達の登場に動揺している者はいない。
国立自然公園で捕縛した半グレとは違う。どうやら転生武芸者達を操る寺院とやらのお出ましのようだ。
カンツラーは臍下丹田に気を込めて声を発する。
「ガイラント帝国宰相カンツラーである!! 神妙に縛に就けい!!」
「猪口才な。各々方、目的を遂げるまでの露払いをするぞ!!」
黒装束の一人が槍を構えて突進する。
カンツラーは伸び来る穂先を躱して穂先を千段巻ごと斬り飛ばした。
母ゲルダ直伝、槍や薙刀の先端を斬る秘剣『茎斬り』である。
基本的に槍は穂先以外は木や竹で出来ている為、茎に麻苧を隙間無く巻き更に漆で固めて補強されているものだ。
迂闊に穂先を斬ろうとすれば茎で刃を阻まれ、下手をすれば刃零れする事もある。
それ故に敢えて茎を斬り敵の戦意を削ぐという発想から編み出された秘剣だ。
「おのれ!!」
しかし相手の戦意は衰えてはおらず槍を回して下段から石突きが唸りをあげてカンツラーの顎を砕かんと迫ってくる。
だが槍を持ち変える僅かな隙を見逃さずカンツラーの峰打ちが肩を打った。
「うぅむ……」
骨を折った手応えはあった。
敵は肩口を押さえて片膝をついている。
「炎で焼きはしたが、我が従者を滅ぼさず成仏させた一点により命は助けてつかわす。折れた骨も綺麗に繋がろう。向後、再び槍を持てるよになるゆえ安心致せ」
「味な真似を!」
残った黒装束が槍を構える。
霊薬奪還が筒抜けとなり、兵に取り囲まれても戦意と秩序は保持されていた。
「お待ちなさい。ここは引き時ですよ」
一団の中にいる巨体が涼やかな声で仲間を制した。
頭巾で顔を隠してはいるが、異形に似合わぬ優しげな声には聞き覚えがある。
国立自然公園で会った地狐だ。
「しかし、このまま霊薬を奪還できねば…」
「兄様から念話が届きました。屋敷の中には霊薬の気配は無いそうです。しかもこうして包囲されているという事は…」
「罠か! 既に霊薬は帝国の手の内に、という事か!」
漸く黒装束達に動揺が走った。
カンツラーは腰を落として正眼に構える。
きっと敵は決死となって切り抜けようとするだろう。
「敵は死に物狂いで来るぞ! 構えよ!! 決して逃がすな!!」
「「「「「「「「応!!」」」」」」」」
カンツラーの檄に兵士達は気炎を吐いた。
何人かは黒装束との戦闘で手傷を負ってはいるようだが死者はいないようだ。
士気も衰えてはいない。意気軒昂と云っても良いだろう。
これなら易々と敵を逃がす事はあるまい。
「恐らく一番の手練れは宰相殿…私が抑えますゆえ各々で逃げて下さい」
「かたじけない。各々方! ここで捕まる訳にはいかぬ! 銃に頼りきった腰抜け兵士共を斬って囲いを抜けるぞ!!」
「舐めるな! 数十キロの装備を担いで進軍する我らの足腰を見縊るでない!!」
アントンの“それ!!”という号令を受けてガイラント兵が突撃をする。
銃剣を付けた小銃を腰だめに構えての突撃は云うだけあって堂に入っていた。
敵味方入り乱れての乱闘の中、カンツラーと地狐が対峙していた。
「神妙にしろ、と云っても聞くまいな」
「ええ、私も武を嗜む者としての矜持があります」
地狐は六角杖の先端を掴むと頭上で振り回し始める。
「ふふふ、秘技『地鳴り』……」
笑いながら地狐が振り回す六角杖は徐々に速度を上げていき、風を切る音も次第に大きくなっていく。その巨体から想像した通りの怪力をもって起こされる不気味な空気の鳴動はカンツラーの体をも振るわせてる。
まさに地鳴りの名に相応しい。
だがカンツラーにはここからどのような技に繋げるのか予想が出来なかった。
頭上で回転させて勢いをつけるまでは分かる。
しかし、如何に彼女が長身であろうと杖が長かろうとカンツラーに殴りかかるには間合いが遠すぎるのだ。囲まれているこの状況で投げるとも考えにくい。
確かに六尺(約180センチメートル)の鉄の塊を振り回す膂力は恐るべきものであるし、唸りをあげる風の音も不気味である。
だが、これでは只の虚仮威しではないか。
自然公園で半グレ共と戦った時は洗練された杖裁きを見せていたはずなのだ。
この場で一番の手練れと見抜いた彼女が今更この様な……
そこまで考えた瞬間、カンツラーの血の気が引いた。
首筋に冷たい感触が宿る。
「これが…狙い?」
ふと頭上の光球が消えて闇の世界と戻った。
カンツラーの首に当てられた小刀が引かれる。
「我ら、二人で一つなり」
地に倒れながら天狐の声を聞いたのだった。
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