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第拾参章 一夜明けて

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「今、何とおっしゃいましたか?」

「今日限りでお主の指南役を辞すると云ったのだ」

 物語は再び過去に戻る。
 突然ゲルダより告げられた稽古終了にカイム王子は狼狽した。
 見限られたり王家側に粗相があったのならまだしも、こちらに落ち度が無いというのに“今日で修行は終わりだ。二度と会う事はあるまい”と一方的に宣告されて納得出来ようはずがなかった。

「訳を、子細をお聞かせ下さい。いきなりそのような事を告げられて“畏まりました”と答えられる道理はありませぬ!」

「勿論、理由はあるし、今より聞かせるところである」

 ゲルダが語ったところによると、昨夜、刺客が現れたというではないか。
 撃退はしたものの敵は明らかに聖女ゲルダを名指しし、危険な怨霊や魔物が蔓延る『水の都』で待ち構えていたそうな。
 しかも刺客は養母である『塵塚』のセイラを始め、従者達にも侵入を悟らせなかったというのであるから恐るべき技量の持ち主である事は容易に推察出来た。

「ワシをゲルダと知っての襲撃だ。このまま指南を続けていれば、いずれはバオム王家に迷惑をかける事になるやも知れぬ。ならば縁の薄い今の内に離れるのが得策であると判断したまでの事。今よりお主の両親から許しを得て退去するつもりだ」

 師が恐ろしい刺客に狙われているのは理解出来た。
 だがカイム王子は師としてだけではなく特別な想いをゲルダに抱いてもいるのだ。
 このまま“はい、左様ですか”と別れる事など出来る訳が無い。

「し、失礼ながらゲルダ先生は我らバオム騎士を見縊っておいでだ。刺客共に遅れを取る者などおりません。仮にこのバオム王国にまで刺客が来ようとも先生を守り抜いてご覧にいれましょう」

「ワシより強い者がおらぬバオム騎士がどう守るというのだ。しかもワシ自身、刺客の一人に危うく袈裟懸けに斬られるところであったのだぞ。敵を一人斃すまでに死体の山が出来上がるのが目に浮かぶわえ。間尺に合わぬにも程があろう」

 それに貴様が騎士を名乗るには十年早い、と冷然に云われる始末であった。
 騎士からすれば侮辱以外の何物でもないが、他ならぬゲルダの言葉である。
 きっと誇張ではなく刺客に挑んだところで返り討ちに遭うのが関の山なのだろう。
 だからこそゲルダはバオム王国を巻き込む前に姿を消すつもりなのだ。
 ここで意地を張ったところで、ゲルダからすれば足手纏いをそばに置くに等しく逆に迷惑をかけるだけに違いない。

「私では力になれないという事ですか」

「理解が早くて助かる。敵はかなり巨大な組織であるとワシは睨んでおる。それはワシが不覚を取りかねぬ恐るべき武芸者を一度に四人も投入してきた事からも察せられよう。一騎当千の強者がひしめく敵が相手となれば武芸を尊ぶバオム王国といえども一溜まりもあるまい。無駄に命を捨てる事になろうさ」

 唇を噛み締めるカイム王子に対してゲルダはあくまで冷たい。
 その上で云うのだ。バオム王国では相手にすらならないと。

「敵は何者なのですか?」

「さてな。少なくともバオム王国内にはおるまいて。居れば今頃は母者の索敵に引っ掛かっておろう。従者や怨霊まで動員した捜索にも拘わらず何の音沙汰もないのはこの国に居ないか、或いは既に何年も前からとしてバオム王国に馴染んでおるかのどちらかであろうな。前者であれば仕方ないで済むが後者であったならば恐ろしい事ぞ。母者ですら敵と見破れぬ隠密が潜んでいる事を意味するのだからのぅ」

 戦争いくさにすらならんぞ――ゲルダはそう付け加えた。
 カイム王子は想像する。長年王国に潜んでいた間諜によって内情は筒抜けとなっており、しかも、いざ戦争になった場合にはバオム騎士団ですら敵わぬ武芸者達によって蹂躙されるのは想像に難くない。
 否、そもそも情報戦でこれ程の遅れを取っているのだ。
 ゲルダの云う通り戦争にすらならないだろう。
 幼いながらも最悪の事態を想定してカイム王子は胆を冷やす事となる。

「バオム王国の北東部にヒュアツィンテ侯爵がおったな?」

「え、ええ、我が国の中でも特に優れた外交官でもありますが、その侯爵が何か?」

 いきなりの話題変換に戸惑いながらカイムは首肯する。

「後で父王に奴の内偵を献策せい。近頃、輸入品の種類が増えてはいないかの? 近在の国々から賄賂を受け取って色々と便宜を図っておうようだぞ。更には指名手配を受けておる犯罪者を国外に逃がしたり、逆に他国から不法に労働者を受け入れてもいるらしいな。当然、少なくない謝礼を受け取っておるようだ。ワシが何を云いたいのか分かるな?」

「まさかヒュアツィンテ侯爵がゲルダ先生を襲った刺客を引き入れていると?」

 表向きは清廉潔白であり、暮らし向きも質素を旨としていて贅沢といえば貴族としての体裁を取り繕うくらいで酒や色に惑う事はないという。
 また母レーヴェの実家であるシュヴェーレン家とは親類関係にあり、カイム王子も侯爵と何度も顔を合わせた事もあった。
 外交官であるからか、世界中の事情にも精通しており、彼から国外の話を聞くのが何よりの楽しみでもあったのだ。
 そのような男が裏で悪事に勤しんでいるとは信じたくない話であるが、ゲルダもまた証拠も無しに人を貶める人物ではないと信じているので反論の言葉を口にする事が出来ずにいた。

「可能性の話だ。だが国として家臣が怪しい動きをしておらぬか目を光らせるのも重要な事ぞ。臣を信じるのも主としての器量であるが、だからと云って丸っ切り信じきるのも如何なものであろうよ」

「承知しました。あまり気持ちの良い話ではありませんが、先生のお言葉は一々ごもっとも。早速、父上に進言致しまする」

「ワシの前世に家臣の非違を探索する『目付』という役職があった。それを組織する事も勧めておく。役職柄、腐敗しやすいので人選は厳しくするように」

「ゲルダ先生の助言、胆に銘じます」

 まだ幼いが利発な様子で答えたカイム王子にゲルダは満足げに頷いた。
 話は終わったと席を立つゲルダであったが、カイム王子に引き止められる。

「何だな? 話は終わったと思うが?」

「いえ、まだ敵の狙いがゲルダ先生のみとは断言出来ませぬ。敵は先生を聖女と呼んで攻撃してきたのですよね?」

「そうだな。ワシに聖女を名乗る気はさらさら無いが向こうはそう認識しておる」

「先生を聖女と呼ぶのは敵を除けば雷神ヴェーク=ヴァールハイト様と我らバオム王家、そして先生が起こした奇跡に触れた一部の人間のみです。況してやバオム王家は先生の意を慮って聖女ゲルダの名を喧伝してはおりませぬ。その名はバオム王国のみで完結しているのです。つまり…」

「こう云いたいのか? 敵の狙いはワシのみでなく、ワシを聖女と認識しておる雷神殿やバオム王家、場合によってはバオム王国そのものであると」

 或いは私かと――カイム王子は自分の胸に右手を当てた。
 確かに一理あるな、とゲルダは唸る。
 一度は敵の狙いはバオム王国かとも考えたが、態々『水の都』という住人以外の者からすれば危険地帯で待ち伏せをしていた事から、やはり狙いは自分かと思い直していた所であったのだ。
 一晩母や従者を交えて論じた結果、まずはバオム王国と距離を置いて敵の出方を見てみようとの結論を出したのである。
 しかしカイム王子を勇者にせんとする雷神の存在を失念していた。
 勇者もまた標的になり得たな、とゲルダはげんなりした顔になる。
 本当に面倒な神だ。いっその事、雷神を討った方がバオム王国の為になるのではないかという物騒な思考になりかけたものである。

「うむ、雷神殿はカイムを勇者にしようとしているきらいがあるからな。しかもワシを聖女に仕立てて貴様とつがいにしようと目論んでおる様子である」

「動物ではないのですから番はないでしょう。そもそもゲルダ先生は私と夫婦になるのはお嫌なのですか? 何度も告白していますが、子供の戯れ言といつも聞き流しておしまいになられています」

「事実、子供ではないか。確かに同年代の子供と比べれば利発であるし大人びておるがな。それでもワシからすれば幼い事に変わりはあるまいて」

 そう答えながら、やはり子供にするようにカイム王子の頭を撫でる。
 カイム王子はそれを不満に思いながらも質問を重ねた。

「或いは先生の前世の記憶が男性であるから私を受け入れられないのかとも考えましたが……」

「それは考え過ぎであるな。実を申せば前世のワシが前髪(元服前)であった頃は“女人にょにんの如し”と評判を取っておってのぅ。それで若様の目に留まり善く一夕いっせきを共にしたものよ。だからな、相手が男であろうと輿入れするのは吝かではないぞ」

「なんと?!」

 カイム王子も知るゲルダの前世の姿である仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうは老人ではあるが、善く善く見れば端整な目鼻立ちであり、ユーモアも解しているからか、酒場では中々の人気振りであるらしい。
 また心優しく、困っている者がいればさりげなく手助けをして礼も受け取らずに去っていくことから侍女達の間でも噂になっているという。
 しかし、だからと云って若君を虜にするほどの事であろうか。

「疑るか?」

「い、いえ…」

「顔に書いてあるわえ。どぅれ、ならばこれでどうだな?」

 ゲルダの全身が光り出すが、数秒もしない内に収まる。

「こ、これは?!」

 しかし現れたのはゲルダそのままの姿であった。
 否、善く見れば違う所が随所に見受けられる。
 肩で切り揃えられた髪は伸びてポニーテールにされており、裃姿となっていた。
 しかも小振りではあるが確かに存在していた乳房が無くなっていたのである。

「ふむ、こんなところであるか」

 暫く鏡の中の自分を見詰めていたゲルダ(?)であったが、ふと呆然としているカイム王子へ笑いかけたものだ。
 どうやら目の前にいるのは本当に若い、否、幼い頃の吾郎次郎であるらしい。
 歳の頃は十歳になるかならないかといった所か。
 恐らくはカイム王子の年齢に合わせた姿となったのだろう。

「どうだな? ワシも生まれた時から爺だった訳ではないと信じて貰えたかな?」

 カイム王子は答えない。否、答えられずにいた。
 幼い吾郎次郎の表情は妖艶な笑みを浮かべており、美しい顔立ちと相俟ってとても男子とは思えない。
 なるほど、これなら同性をも惹き付けてしまうのも頷ける話だ。
 カイム王子は思わず艶やかに濡れる唇を凝視して生唾を呑み込んでしまう。

「ま、お陰で同僚からは、若君を尻で誘惑した『蛍やっこ』などと不名誉な二つ名で呼ばれておったがな。事実、側用人へと出世のお声がかかったが断った。分不相応であったし、何より男としての意地があったからのぅ」

 莫迦であろう、と幼い吾郎次郎は先程まで見せていた妖艶さを吹き飛ばす様に呵々と笑ったものだ。

「い、いえ、先生らしいかと」

「そうか、ワシらしいか」

 幼い吾郎次郎はカラカラ笑いながらカイム王子の頭を乱暴に撫でた。

「おお、話がどこかに飛んでいってしもうたわい」

 カイム王子の頭を嵐が過ぎ去った草原のように散らかした後、はたと我に返り、話の軌道修正をした。

「今回は流石にワシも結論を出すのを急ぎすぎたか。何は扨置さておき弟子を守らねばならぬと焦っておったようだ」

「そうですとも。“敵を知り己を知らば百戦危うからず”とは先生の教えではありませぬか。ここはじっくりと腰を据えて敵の狙いを探るのが肝要と存じます」

「云うようになったではないか。ならば今暫くバオム王国で厄介になるとするかの」

「そうなさいませ。そうなさいませ」

 一先ずゲルダがバオム王国を去る事だけは避けられたのでカイム王子は安堵する。
 それと同時にやはりゲルダを一人の女性として見ていると再認識したのであった。

「そうこうしている内に稽古の時間が近づいてきたか。では参ろうかの」

「はい、お出まし願います」

 カイム王子は幼い吾郎次郎の手を取ってエスコートをする。
 普段のゲルダが相手ならそんな事はしないのであるが今日に限って何故かつい手を握ってしまったのだ。

「ん? もしやカイムも衆道に興味を持ったか? お望みであるなら今夜にでも指南をしてやっても良いぞ?」

「い、いえ、そういうつもりは?!」

 顔を真っ赤にしてしどろもどろになるカイム王子に幼い吾郎次郎は思わず吹き出してしまう。

「真に受けるな。これはという騎士と絆を深める事に有効であるから覚えておいて損は無いがのぅ。だが、お主にはまだ早かろうて」

「わ、悪い冗談です! 私はそちらの道を行くつもりは毛頭ありませぬ!」

「左様か。ま、今の儘では稽古になるまい。気を鎮めてからゆるりと参れ」

 幼い吾郎次郎はカイム王子の手を離すと一人ですたすたと行ってしまう。
 カイム王子は火照る全身を持て余しながら小さな背中を見送った。
 そして態々変身を解かずに稽古場に向かうゲルダの意図に気付く。

「去り際のゲルダ先生、い顔していたなぁ」

 恐らくは既に集結している騎士達に悪戯を仕掛けようとしているのだろう。
 師は来ず、代わりにいるのは彼女の面影を宿す幼い少年だ。
 戸惑う騎士達に幼い吾郎次郎はしれっとこう云うに違いない。

「申し訳ありません。ゲルダは急な病に臥せっております。故にの名代で私が参りました。私も修行の身ではありますが、今日は皆様と共に稽古を致したいと存じまする。何卒よしなにお願いします」

 稽古場のある方角から聞こえてくる大勢の絶叫から、予想が概ね当たった事を察してこめかみを押さえる。
 出会いから半年、ゲルダの事が解り始めてきたカイム王子であった。
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