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83 俺の姫プレイと早退

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 <金曜日 7:42>

「うー……だるー……」

 今日は平日。平日といえばお仕事。
 お仕事といえば書類。書類といえば総務に提出。

 俺の熱は朝になっても下がりきれていなかった。
 今朝の体温は37.6度。一般的な発熱と判断される数字の0.1度上。

 昨日ショッキングなことがあったばかりだし、二人には仕事を休んではどうかと言われたが、俺は首を横に振った。

 何のためにあのマンションに行ったと思ってるんだ。この書類を提出するためだ。
 むしろ、これを今日やらなかったら、俺は何のために昨日あそこに行ったのか……。

「うう……」

 精神的なストレスによる発熱のせいか、解熱剤が効かない。

 仕事に行くと言ってきかない俺に対して、じゃあせめて……とレンが職場まで送迎してくれることになった。
 以前、レンが迎えに来たときに利用した駐車場に車を止める。

「おい。大丈夫か?」
「……がんばる」

 通勤カバンの中に栄養ドリンクも突っ込んでおいた。効果があるかは知らない。
 車を降りた俺達は、会社のある方角へ歩き出す。

「……っていうか、レン。お前が会社の前まで来ると、あとあと面倒だから……もうここでいい」

 以前の手作りプレゼントの嵐を思い出し、俺は足を止め、レンにそう言う。
 手を振って追い払っていると、後ろから声をかけられた。

「あれぇ? 上月さんじゃないですかぁ~?」

 振り向くと、同じ部署の女子だった。
 俺に声をかけたはずなのに、目はレンを見ている。

(げぇ……最悪だ)

 俺はレンをジロッと睨む。
 会社まで送ってくれたのは非常にありがたいのだが、この後のことを考えると、ありがた迷惑の度合いが大きくなりそうだった。

「……送ってくれて、ありがと。もういいから」
「わかった。あとでまた連絡しろよ」

 レンはそう言って、駐車場のほうへと戻って行った。
 同じ部署の女子は残念そうな顔をしている。

 だるい身体を引きずって、俺は会社へ向かった。

 ***

 お昼休みのチャイムが鳴る。
 それと同時に俺は課長に呼ばれた。

「上月君。顔色が悪いですね。具合が悪いのでしょう? 今日はもう帰って下さい」

 のほほんとした課長が俺にそう告げる。
 俺は「……はい」と答えて、帰宅準備をした。


(あ。そしたら、レンに連絡しなきゃ……)

 帰りも迎えに来てくれるって言ってたけど、この時間でもアイツ大丈夫なのかな?
 自分の席に戻って、スマホでメッセージを送っていると、今朝一緒になった同じ部署の女子が、俺の元へやってきた。

「上月さぁ~ん。あれ? もう帰っちゃうんですか?」
「あ。うん……ちょっと、具合が悪くて」
「え~! 残念~! 上月さんと一緒にいたカッコイイ男性のこと、聞こうと思ってたのに~!」
「……あー……はは」

 だろうと思った。知ってます。はい。

 俺が帰宅準備をしているその隣で、その女子はレンの名前や彼女の有無、どんな女性がタイプなのかなど聞いてきた。
 それらは全て本人の許可が無ければ、答えられないと返事をすると、「いいじゃないですかケチ!」と言われてしまった。そう言われても無理なものは無理。
 それでもしつこく食い下がり、質問を続ける女子に辟易しながら、俺は会社を後にした。


(…………彼女か)

 そういえばトモヤには聞いたことあったけど、レンには聞いたこと無かったな。

 アイツ、彼女いるんだろうか?
 高身長のイケメンだし、いそうな気もする。
 もし、彼女がいるとしたら……今の状況はあまり、いや、かなり……よろしくないんじゃないか?
 
 もう二週間近く、アイツの家に居座ってる。
 その上、キスまで……。

(もしかして、俺はアイツに嫌なことさせてるんじゃ……?)

 それに万が一、レンが良くても彼女さんが嫌だろう。
 自分の付き合ってる相手が、男にキスしたとか。
 もしバレて浮気だと思われたら、最悪の場合……別れ話にまで発展しちゃうんじゃ?

 ……でも彼女がいるとするなら、あれは? 
 おでこにキスしたときに、アイツが言った言葉は何だったんだ?

「いてて……」

 頭が痛い。
 熱もまた上がったかもしれない。

 レンからの返信があり、朝送ってもらった駐車場前で待ち合わせ。
 俺はそこに到着すると、精算機の横に座り込んだ。

 車の往来もそこそこある道沿いの駐車場に座っているせいか、人が通る度にジロジロと見られていた。
 その視線に気づいてはいたが、立ち上がる元気がない。
 しばらくジッとしていると、目の前にペットボトルが差し出された。

「……?」

 顔を上げて、その差出人を見る。
 インテリ眼鏡の男の人だ。
 爽やかで仕事ができそうな雰囲気の人で、俺よりも年上な印象を受ける。
 銀色の縁のある眼鏡とパリッとしたグレーのスーツがよく似合っていた。

「キミ……大丈夫? これ、良かったらどうぞ」
「え……あ……ども」

 ありがとうございます、と俺が言う前に、インテリ眼鏡の人はペットボトルを押し付けて、去って行った。

(……世の中にはイケメンがいっぱいいるんだなぁ)

 インテリ眼鏡の人の後ろ姿が見えなくなるまで、そちらを眺める。
 俺の手元にあるペットボトルがずしりと重い。

(これどうしよう……)

 レンとの約束で、自分で買ったもの以外は家に持ち込めない。
 それに、知らない人の親切は……今の俺にはちょっと怖い。

 今の人も雪森みたいなヤツだったら、どうしよう。
 俺を『神』とか言ってる変なヤツだったら……どうしよう。
 いつの間にか俺の知らないところで、実は俺のこと知ってて、素知らぬふりして近づいたとかだったら……どうしよう。

 頭痛と熱のせいか、見知らぬ人の優しさすら疑っている自分が嫌になる。

「うー……日和ひよってんなぁ……」

 体育座りになって、顔をうずめる。
 レンが到着するまでの間、俺は動けなかった。

 ***


(さっきの子、大丈夫かな……)

 先ほどペットボトルを渡した男の子。
 一度は通り過ぎたけど、ぐったりした様子が気になって引き返し、飲み物を差し入れしてしまった。
 驚いて見上げてきた顔は、柴犬みたいで、ちょっと可愛かったな。

(見た目に反して、すごかったな……首のキスマーク)

 ぐったりして、頭をコテンと下げていたから、あのとき見えてしまった。
 襟元の隙間からのぞく紅い花、無数の情痕。 

(……まったく)

 つい、唇をペロリと舌なめずりをしてしまった。
 戻って、先ほどの彼を介抱してみるのもまた一興かな……と思案していると、ブーブーとポケットのスマホが震えた。
 画面を見ると、珍しい名前がそこに表示されている。
 もう何年も会話していない、あの子。

 嬉しくて、嬉しくて、つい口角が上がってしまう。
 俺はすぐに通話ボタンを押して、電話に出た。

「もしもし? 朋也トモヤ君? キミが、俺に連絡してくるなんて珍しいですねぇ。どうしたの? もしかして、俺に会いたくなった?」
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