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60 俺の姫プレイと不快感

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 <金曜日 19:25>

「ただいまー」

 誰もいない部屋だけど、つい癖で言ってしまう。
 帰宅してすぐ、着替えを取り、俺は風呂場へ向かった。
 脱いだ服を洗濯機へ放り込むと、また微かなニオイが辺りを漂う。

「んー……」

 すんすんと鼻を鳴らす。
 ほんのり……何となく、生臭いような……男なら身に覚えのあるニオイ。

(シコティッシュの捨て忘れ……じゃないよなぁ? 昨日は、してねーし)

 アイツは、放置すると怪物へと変化する。
 あの悪臭は、もはやテロと言っていい。
 自分の体内から出てくるくせに、ちょっとでもその存在を忘れようものなら、最大ダメージを与えてくる。

 キョロキョロとそれらしき物が落ちていないか探すが、見当たらない。
 ニオイも雲隠れしてしまった。

(…………とりあえず、風呂入るか)

 探すことを諦めて、俺は風呂を済ませる。
 そして夕飯を食べて、ゲームにログイン。

 この日も、俺は小さな違和感をそのままにして寝た。

 ***


 <土曜日 8:22>

 週末のルーティン。
 いつもの公園までひとっ走り。
 公園に到着すると、チーちゃんと雪森さんがいる。

「おはようございます~! あれ? 雪森さん、もしかして……その靴」
「おはようございます! 上月さん。実は……買っちゃいました」

 俺と同じジャージを着た雪森さんが、
 俺と同じ靴を履いて、目の前にいる。

 先日と同じように、少し照れた顔で、頬をぽりぽり搔いていた。

(なんか、ちょっと……)

 モヤッとしたものが湧き出てくる。
 自意識過剰かもしれないが、もしかして……真似されてるのか?
 でも、本当に気に入って、買ったのかもしれないしなぁ……。

 ゲーム内で既に『コウヅキ』というプレイヤーに、『俺』は真似コピーされている。

 またなのか? と灰色がかったモヤモヤが、胸の辺りでゆらりと揺れた。
 
「チーちゃん、よしよーし!」

 もふもふワンコを撫でて、この気持ちを吹き飛ばそう。
 わしゃわしゃと撫でていると、首筋をチリチリと焦がすような視線を感じた。
 俺はこっそりと雪森さんを盗み見る。

 ──熱を帯びた、獲物を狙う獰猛なオスの目。

 ゾクリと背中に緊張が走る。

(……この目は、見たことある)

 俺を犯そうとした奴と同じ目だ。
 体を這いずり回ったゴツゴツとした手と、生温かい息、ぬめった舌が蘇る。

 小さく震えそうな足に力を入れて、よいしょと俺は立ち上がった。
 悟られないように、ニコリと笑って、挨拶をする。

「今日はちょっと用事あるんで、そろそろ行きます。チーちゃん、またね」

 **

「はぁっ、はぁっ……はぁっ……」

 走って帰ってきた俺は、玄関の鍵をガチャンと閉めると、そのままズルズルとしゃがみ込んだ。

 首に纏わりつく不快感が取れない。
 ジャージの袖を伸ばして、首をゴシゴシと擦る。
 強くやりすぎたようで、ヒリヒリとした痛みが全体に広がった。

「……今週もトモヤの家に……泊まらせてもらおうかな」

 一人でいたくないと思った俺は、ポケットに入れていたスマホを取り出し、電話をかける。

『もしもし?』
「トモヤ、俺。なぁ……今日、そっち泊まっていい?」
『いいけど……どうしたの。何かあった?』

 俺の声色に元気がないと気付いたのか、トモヤが心配そうに声をかける。

「何かっつーか……うーん。こうモヤモヤするって言うか……分かんねぇ。とりあえず、そっち行ったときに話を聞いてもらっていい?」
『分かった。僕、そっちまで迎えに行こうか?』
「ふはっ! 心配しすぎ。大丈夫! あ。ちなみに今日のご予定は?」
『何もないよ。いつでもどうぞ』 
「じゃー……お言葉に甘えて。準備したらそっち行くわ」
『オッケー。手ぶらでいいからね。飲み物とかもいらないよ」
「へーい。じゃ、また後でな」

 通話を切って立ち上がり、よしっと気合いを入れた。
 汗を流すために、風呂場へ行く。
 シャワーの水が、首に当たるとピリピリ染みた。

 デイバッグに必要なものを詰めたら、すぐに家を出る。
 早くトモヤの元へ行きたかった。

 ***

 <土曜日 10:41>


 ピンポーン、と呼び鈴を鳴らす。

「いらっしゃい」

 トモヤが玄関のドアを開け、俺を出迎えてくれた。
 優しい笑顔にホッとする。
 シャワーを浴びても取れなかった不快感が、ようやく消えた気がした。

 トモヤがコーヒーを淹れて持ってくる。
 コトリとマグカップをテーブルに置くと、「それで?」と口を開いた。

「早速だけど、何があったのか聞いていい?」
「……うん」

 本当に小さなことだと前置きして、俺はここ何度か感じた違和感をトモヤに話した。

「タバコ……? 部屋の中でニオイがしたの?」
「一瞬だけな。俺は吸わないから、お隣さんかなぁと思ったんだけど」
「他には? タバコだけ? 香水だとか、何か気付いたことある?」
「えっと……」

 言いづらい。
 ザーメン臭とか言いづらい。どうしよう。
 それまでトモヤの顔を見ていた俺の目が、キョロキョロと泳いで、部屋の片隅へと移動する。

「……うん。何となく……分かった」
「えっ!? なにが!?」
「あとは? それだけじゃないから、ここに来たんでしょ?」
「うぐ。さすがトモヤ様……」

 俺のこと、よく分かってらっしゃる。

「前にトモヤとゲームデートした時あったじゃん。あの時にさ、公園で出会いがあったって言ったじゃんか」
「……ああ。ワンちゃんだっけ?」
「その飼い主の人なんだけどさ……」

 俺と同じ服を着てくるようになったこと、今日は靴も同じだったこと。
 あと、俺を見る目がなんとなく怖かったことを伝えた。

「た……ただの、自意識過剰なだけ、かもしれないんだけど……さ。はは……」

 トモヤの顔を正面から見れない。
 俺は俯いて、自分の足を見ながら喋った。

(大丈夫だよ。気のせいだよって、言ってくれないかな)

 ソワソワと落ち着かない俺は、お腹の辺りの服をギュッと掴む。

「そうだねぇ……チヒロの言う通り、もしかしたら、本当に気に入っただけ……かもしれないね」
「そ、そうだよな。俺の気のせいだよな?」

 トモヤの反応を見る限り、そんなに警戒する必要も……ない?
 やっぱりそうか、良かった。
 アバターレイプ未遂があった後だし、ちょっと俺が過剰に反応しちゃっただけかな。
 俺は小さく「ほっ」と息を吐いて、テーブルに顔を突っ伏した。

「チヒロ、その首どうしたの? 真っ赤だけど」
「これは、えっと、擦りすぎちゃって」
「クリームは塗った?」
「……持ってないので、塗ってないデス」

 仕方ないなぁとトモヤが洗面所へ行き、クリームを取ってくる。

「塗ってあげるから、首こっち向けて」
「……はい」

 なめらかな指先が、俺の首筋を撫でる。
 うううううう……くすぐったい。 
 俺は口を一文字にして耐えた。
 これ、前にレンのとこでもやったヤツだ……!

「はい。おしまい」
「ありが、とう」

 ポンポンと背中を叩かれ、俺は涙目になりながら、お礼を言った。

「ねぇ……チヒロ。僕ちょっと買い物してくるから、その間、この前の氷竜討伐動画でも見てる?」
「買い物なら、俺も一緒に行こうか?」
「すぐそこだし、大丈夫」
「じゃあ、見てる!」

 トモヤはパソコンを立ち上げると、一番大きなモニターに動画を表示させた。
 俺はゲーミングチェアに座り、マウスを操作する。
「行ってくる」と言うトモヤに「いてらー」と声をかけて、俺は動画に集中した。


 ガチャン──と、玄関の鍵をしっかりかける。

 トモヤはマンションの階段を下りながら、ポケットに入れていたスマホを取り出した。
 メッセージを打つ親指をピタリと止め、通話ボタンに切り替える。
 プルルル……と何度も、向こう側の電話を揺らした。

『……もしもし』

 尾てい骨直下型の低い声が響く。
 少し不機嫌そうなのは、寝起きなのだろうか?
 そんなことはお構いなしに、トモヤは話しかける。

「レン。僕、トモヤだけど。ちょっと、チヒロの事で話したいことがあるんだ。今、時間取れるかな?」

 硬い声色。
 疑問形のはずなのに『イエス』以外の言葉は聞かないと、その声色が言っている。

『──どうした。何かあったんだな?』
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