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仁義を切る
しおりを挟む「ふぃ~」
サギが庭伝いに屋敷へ突っ走っていくと、広間では桔梗屋の家族が盆の白布を挟んで玄武の男衆と向かい合わせに座っていた。
草之介、お葉、お花、実之介、お枝の順である。
珍しく草之介が茶屋遊びもせず家にいるのは蜂蜜に近江屋のお座敷の先約があったからであろう。
桔梗屋の家族の背後には桔梗屋の奉公人が見物のために座っている。
広間は三十畳あって広いのだが、これほど大人数だといっぱいだ。
男衆の背後には竜胆と、見覚えのある奴もいた。
「およ?メバルもおったんぢゃ?」
「ちぇっ、最初っからいたぜ」
メバルは(今頃、気付いたか)と不満顔だ。
玄武一家の揃いの黒半纏を着ていたら美少年の竜胆でさえ男衆の中に紛れてしまったのだから地味なメバルに気付かなくても仕方ない。
「メバルは賭場では賑やかしなのさ」
竜胆が横から口を挟む。
「賑やかしって何ぞぢゃ?」
「客のふりをして、場を盛り上げる役目さ」
「ああ、メバルは当ててみなんせ~♪でもサクラの客をやっておったっけ」
サギは草鞋を脱ぎ飛ばし、縁側へ上がっていく。
「サギ、ここだわな」
お花が自分と実之介の間へ座るように促し、チラと向かい側へ目をやった。
「――」
博徒の男衆が無表情で座っている。
みな人相がすこぶる悪く、一人は頬に三日月のような傷痕まである。
「ひぃ」
お花は箱入り娘だけにゾッと身震いした。
「なあ?お竜姐さん?向かい側は竜胆とメバルがええわな」
むくつけき男衆が目に入るのはイヤなのだ。
(なんぢゃ?わしが蜜乃家で遊んでおるうちにすっかり仲良しなんぢゃの)
家族みな面喰いの桔梗屋の子供等は美女のお竜姐さんとも美少年の竜胆とも旧知のように打ち解けていた。
メバルは美少年とは言えないが快活で人好きのする性質だ。
本来ならば竜胆とメバルはまだ博徒のうちに数えられない使いっ走りなので盆の席にも着けぬところだが、
「ああ、それぢゃ、お言葉に甘えて竜胆とメバルはこちらにお座り」
お竜姐さんは特別に二人をツボ振りの自分の両側へ着かせた。
「それぢゃ、みな揃ったことでござんすし、先ほどお教えした仁義を切るところから始めましょうかえ?」
お竜姐さんがお葉に確かめると、
「ええ、たんと稽古しましたからの、いつでも」
お葉は自信たっぷりに了解した。
(――仁義を切る?稽古?みんな、わしのいない間に何を教わってたんぢゃ?)
サギは不可解そうにキョロキョロする。
「竜胆、お前がおやり」
お竜姐さんが竜胆に命じた。
「えっ?俺が仁義を切っていいの?やったぁっ」
竜胆は大喜びして立ち上がり、メバルは「ちぇっ、いいなあ」を口を尖らせる。
「うちからは草之介が」
お葉に促され、草之介は「ようし」と袖を捲り上げて立ち上がる。
竜胆と草之介の二人が向かい合って立った。
お互いに身体は相手に対して斜に構える。
やおら竜胆が着物の裾を膝まで捲り上げ、足をバッと広げ、前屈みになって手を膝の前あたりへ差し出し、口を開く。
「お控えなすって、お控えなすって」
草之介も足を広げ、「お控えなすって」と同じことを言って前屈みの体勢になった。
「さっそくお控え下すって有り難うござんす。ご一同さんにあげます言葉、前後、間違ったらご免なさい。手前、生国と発しやすれば江戸にござんす。江戸は江戸でも江戸の真ん真ん中、日本橋でござんす。手前、親分と発しやするは玄武一家、竜巻の亀五郎にござんす。手前、名を発しやするは失礼にござんす紫雲の竜胆と発しやす。昨今、駆け出しの使いっ走りにござんす。面ていお見知りおきのうえ、向後、万端よろしくお頼申しやす」
竜胆はスラスラと一息で言い切った。
「ほおお~っ」
サギは感心して唸る。
(これが仁義を切るというヤツかっ)
(初めて見たが、かっこええっ)
(わしも仁義を切ってみたいんぢゃっ)
そもそも忍びの者は面と向かって挨拶などしないのだが。
「なあ?しうんの竜胆の『しうん』って何だえ?」
お花がコソッと訊ねる。
「紫の雲のことぢゃ。仏様が乗って死者を迎えに来る目出度い雲ぢゃよ」
「ふぅん?目出度いのかえ?」
「目出度いんぢゃよ。極楽へ連れていくんぢゃからの」
サギは世間知らずではあるが富羅鳥山の古臭い書物で学んだことなら知っている。
それはさておき、
「申し遅れまして失礼さんにござんす」
草之介も手を差し出し、名乗り返した。
「手前、生国と発しやすは江戸日本橋でござんす。日本橋と言っても広うござんす。日本橋は本石町でござんす。手前、名を発しやするは桔梗屋草之介でござんす。面ていお見知りおきのうえ、よろしくお頼申しやす」
さすがに玄武の親分の娘である伝法な蜂蜜とねんごろなだけあって博徒の口調もなかなか上手いものだ。
「桔梗屋お葉でござんす。お頼申しやす」
「同じくお花でござんす。お頼申しやす」
「同じく実之介でござんす。お頼申しやす」
「おえだでござんす。おたのもうしやす」
お葉、お花、実之介、お枝までもが前屈みの体勢で手を差し出し、順々に名乗っていく。
(むむぅ、わしが蜜乃家でギョチョモクして遊んでおる間に桔梗屋はみんなでこんな稽古しておったんぢゃなっ)
サギは出遅れて自分だけ仁義を切れなかったのが口惜しかった。
そんなこんなで、いよいよ盆の開帳である。
バサッ。
いきなり男衆が揃いの黒半纏を脱ぎ、着流しの着物を脱ぎ、晒しの腹巻きに下帯だけの姿になった。
「ひゃっ、ど、どして脱ぐんだわな?」
お花はビックリとのけ反る。
男衆はみな思い思いの彫り物で色鮮やかではあるが、むさい男の半裸など見たくもない。
「ああ、そりゃ、博打打ちは身体のどこにもイカサマの種は隠していやせんって証しのために脱ぐのさ」
竜胆がケロッと説明する。
竜胆とメバルはまだ博徒ではないので、着物もちゃんと着たまま、ただ座っているだけだ。
「――いざっ」
お竜姐さんが片手を袖の中に入れるや、バッと片肌脱ぎになった。
胸には晒しを巻いているが行灯に照らされた白い肌が薄暗がりに浮かび上がるようだ。
やはり、背には昇り竜の彫り物である。
「ふぉほぉ~~っ」
桔梗屋の奉公人はお竜姐さんのゾクゾクするような色気に一斉に歓声を上げた。
「ふぁふぁふぁ~~」
まだ童の小僧四人も口をパクパクさせている。
桔梗屋にもお花のような美しい娘はいるが、いかんせん、あっけらかんと明るく色気には乏しいので、みな妖艶な美女を見るのは初めてなのだ。
「おっ、いよいよ、ツボ振りぢゃなっ」
色気はどうでもいいサギはワクワクと身を乗り出す。
すると、
「しかし、せっかくの丁半博打なのに、びた一文も賭けんのでは張り合いがないなぁ」
草之介が余計なことを言った。
「これっ、賭け事はご法度だえ」
お葉がキッと草之介を睨み付ける。
「まあ、そしたら、おあし以外のものを賭けたらいかがでござんしょ?」
お竜姐さんが提案した。
今晩、桔梗屋のみなはそれぞれ羽衣屋の餡ころ餅を六つ入り一箱ずつ持っているのだから、餡ころ餅を金銭代わりに賭けてはいかがだろうと言うのだ。
「そりゃあ名案だ。菓子を賭けるならご法度にはならんものな」
「そうだわなあ」
「うん。餡ころ餅を賭けるのがええわな」
「わしも」
「あたいも」
草之介、お葉、お花、実之介、お枝も喜んで賛成する。
「――え?え?え?」
サギは左右の桔梗屋の家族をキョロキョロと見やって、
「な、なんちゅう野放図の家族ぢゃあ」
思いっ切り渋面した。
とうに蜜乃家で餡ころ餅六つを食べてきたサギだが、土産の自分の餡ころ餅六つも寝しなに食べる気満々でいたのだ。
丁半博打に餡ころ餅を賭けるなど馬鹿者のすることではないか。
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