302 / 306
涙より早く乾くものはない
しおりを挟む「ああ、ジー様と坊主頭がいなくなっちまったねぇ。――サギ、余った餡ころ餅は桔梗屋へお土産に持って帰っとくれな。うちの者はみんな食べ飽きてるから」
熊蜂姐さんが惜しげもなくサラッと言う。
もはや金を出せば手に入る物に熊蜂姐さんが惜しい物など何もなかった。
なにしろ玄武一家は有り余るほどの金を持っている。
それというのも桔梗屋と結託して『金鳥』の金煙を密売していた玄武だが、荒稼ぎの分け前は五分五分でも桔梗屋では樹三郎と草之介が玄武の営む料理茶屋に蜜乃家の芸妓三人を呼んで豪遊し、金を湯水のように使いまくっていた。
それで玄武のほうでは表稼業が儲かるばかりで裏家業で稼いだ金は少しも使われずにそっくり寝かしてあるのだ。
餡ころ餅もご贔屓の旦那衆が小梅にくれたものなので蜜乃家の懐はまったく痛まない。
今晩の鯛の祝い膳にしても大亀屋に頼んだのだから、結局、同じ玄武の中で金が行ったり来たりしているだけである。
「うわぃっ、桔梗屋のみんなも羽衣屋の餡ころ餅が大好きなんぢゃっ」
サギはワクワクと山積みになった餡ころ餅の折り箱を数えた。
餡ころ餅六つ入りの折り箱が五十箱はあろうか。
「んふぅ、わしゃ、熊蜂姐さん、だぁい好きぢゃあ」
サギは熊蜂姐さんの肩にスリスリと頭を摺り寄せて甘えた。
「おやまあ、嬉しいことを言ってくれるね。ホントにサギは素直で可愛い子だねぇ」
熊蜂姐さんも満更ではない様子でサギの頭を撫で撫でする。
「――」
ふと、熊蜂姐さんは撫で撫でする手を止めて押し黙った。
目がウルウルしている。
「や、やだよ。亡くなったお玉を思い出しちまったぢゃないか。あの子だけだったんだよ。親思いの素直な優しい子はさ。お虎もお三毛も蜂蜜も自分勝手で生意気で親を馬鹿にして憎ったらしいのにさ」
熊蜂姐さんの透き通るように白い肌の鼻の頭がみるみる赤くなっていく。
「ぐすっ、ずずっ」
嘘泣きの小芝居の時とは大違いに体裁なく鼻まで啜っている。
「熊蜂姐さん、泣いたらイヤぢゃあ。ぐすんっ」
サギはすぐに貰い泣きして、懐から手拭いを引っ張り出した。
その弾みに懐から財布も飛び出し、首に紐を掛けたままの財布がブランと前へぶら下がった。
(――っ)
御手廻弓之者三人はハッとしてサギの財布の刺繍を凝視する。
(あ、あれは?)
(お鶴の方様が刺繍された守り袋とそっくりだ)
(若君様にもお鶴の方様が鳶の刺繍の守り袋を持たせていた)
当時、三人はお鶴の方が刺繍を刺しているところを幾度もこの目で見ていた。
そのうえ三人もそれぞれの名の鶏、鶉、鵙を刺繍した守り袋を今でも後生大事に肌身離さず持っている。
裁縫がなによりも好きなお鶴の方は若君のお守り役であった三人にもお揃いの刺繍の守り袋を縫ってやっていたのだ。
「――あの、それは?」
三人は(もしや、もしや)と期待に高鳴る胸を押さえ、サギの財布を差して訊ねた。
「ああ、これは、わしの母様のお手製の財布ぢゃよ」
サギはケロッと答えて、財布を前へ突き出して見せる。
「母様のお手製?」
「うん。でも、ほれ、もう刺繍の糸がほつれてボロボロなんぢゃ。富羅鳥へ帰ったら母様に新しいのをこしらえてもらうんぢゃ」
「新しいのを?では、お母上は富羅鳥においでで、お健やかなのでござりまするな?」
「うん。母様はいつも元気いっぱいぢゃよ。この頃は張り切って柿を突き落としておるぢゃろうの。母様は柿が大好きなんぢゃ。富羅鳥の柿は大きくて甘うて美味いんぢゃ」
サギは「ていっ、そりゃっ」と両手を突き上げ、柿を突き落とす真似をする。
「おおお――」
三人はお互いの笑み崩れた顔を見合わせた。
お鶴の方が富羅鳥の柿が大好物なことは三人もよく知っていた。
毎年、秋の遊山で国元の富羅鳥へ帰った際には柿をお土産にして江戸屋敷へ届けるとお鶴の方はそれは大喜びしたものであった。
「あ、そうぢゃ。お前さん方も富羅鳥の者ぢゃった。富羅鳥の柿が美味いことは知っとるんぢゃな。けどの、うちの小屋の前にある柿の木がどこよりも大きくて甘うて美味いんぢゃから」
サギはもう柿のことで頭がいっぱいだ。
ちなみに柿は縄文時代の遺跡からも柿の化石が発掘されたくらい大昔から日本にある果物なのだ。
「ああ」
「いやはや」
「まったく」
三人はお鶴の方の無事とサギがその御子であると確信し、安堵のあまり気抜けしたように力無く笑った。
ほどなくして、蜜乃家に二十人前の鯛の祝い膳が届いた。
「うわぃっ、鯛ぢゃっ、鯛ぢゃっ」
サギは餡ころ餅を六つも食べた後だが、ご馳走の鯛は別腹である。
「さ、今宵はお前さん方のお祝いだよ。たんと召し上がれ」
熊蜂姐さんが御手廻弓之者三人に酒を勧める。
目ざとい熊蜂姐さんは三人の表情を見て取って、このサギこそ富羅鳥のお殿様の忘れ形見だと三人がようやく気付いたことを察したようだ。
「くうぅ、美味いっ」
「我が人生最良の酒だ」
「鯛など最後に食べたのはいつだったか」
御手廻弓之者三人は嬉し涙で鯛の尾頭付きに塩気が増すばかりであった。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
出て行けと言って、本当に私が出ていくなんて思ってもいなかった??
新野乃花(大舟)
恋愛
ガランとセシリアは婚約関係にあったものの、ガランはセシリアに対して最初から冷遇的な態度をとり続けていた。ある日の事、ガランは自身の機嫌を損ねたからか、セシリアに対していなくなっても困らないといった言葉を発する。…それをきっかけにしてセシリアはガランの前から失踪してしまうこととなるのだが、ガランはその事をあまり気にしてはいなかった。しかし後に貴族会はセシリアの味方をすると表明、じわじわとガランの立場は苦しいものとなっていくこととなり…。
異世界でラム肉やってます
園島義船(ぷるっと企画)
ファンタジー
□異世界冒険ツッコミファンタジーノベル(らしいよ)
キャッチコピー「これは戦車と人間とヒツジとモンスターと君だけの物語」
気がついたら幼馴染の「ぷるん」と異世界にいた。
それはいい。まあ、いいだろう。
だがしかし、俺がヒツジであることは認められない!
おいおい、冗談きついぜ。どうしてヒツジなんだよ!
ラムだぜ、ラム肉だぜ!
ぷるんは普通の姿なのにどうして俺だけヒツジなんだよ!
「臭いからじゃない?」
「違うわ!!」
「おい―――! 表紙! 表紙、俺が隠れてる! 文字で見えない!」
「あっ、本当だ。残念だね」
「それだけで終わらせるなよ! 差別だ!」
「べつにいいじゃん。それに私だって頭身高いし、もうかなり昔の絵だしね。作者は美少女業界半分引退したんだからしょうがないよ」
「おい~~~!! だから作者とか普通に言うなよ! またこれか!? こんな感じなのか!?」
※だいたいこんな感じの小説です。
そんなこったで始まった異世界冒険ツッコミファンタジーノベル。
しかも異世界なのにゲームの設定も入っているし、どっちかにしろよ!
「うわー、さっそくツッコミ満載だね」
「ツッコミじゃねえよ!」
ツッコミだ!!
京の刃
篠崎流
歴史・時代
徳川三代政権頃の日本、天谷京という無名浪人者の放浪旅から始まり遭遇する様々な事件。 昔よくあった、いわゆる一話完結テレビドラマの娯楽チャンバラ時代劇物みたいなものです、単話+長編、全11話
もふもふで始めるVRMMO生活 ~寄り道しながらマイペースに楽しみます~
ゆるり
ファンタジー
☆第17回ファンタジー小説大賞で【癒し系ほっこり賞】を受賞しました!☆
ようやくこの日がやってきた。自由度が最高と噂されてたフルダイブ型VRMMOのサービス開始日だよ。
最初の種族選択でガチャをしたらびっくり。希少種のもふもふが当たったみたい。
この幸運に全力で乗っかって、マイペースにゲームを楽しもう!
……もぐもぐ。この世界、ご飯美味しすぎでは?
***
ゲーム生活をのんびり楽しむ話。
バトルもありますが、基本はスローライフ。
主人公は羽のあるうさぎになって、愛嬌を振りまきながら、あっちへこっちへフラフラと、異世界のようなゲーム世界を満喫します。
カクヨム様にて先行公開しております。
継母ができました。弟もできました。弟は父の子ではなくクズ国王の子らしいですが気にしないでください( ´_ゝ`)
てん
恋愛
タイトル詐欺になってしまっています。
転生・悪役令嬢・ざまぁ・婚約破棄すべてなしです。
起承転結すらありません。
普通ならシリアスになってしまうところですが、本作主人公エレン・テオドアールにかかればシリアスさんは長居できません。
☆顔文字が苦手な方には読みにくいと思います。
☆スマホで書いていて、作者が長文が読めないので変な改行があります。すみません。
☆若干無理やりの描写があります。
☆誤字脱字誤用などお見苦しい点もあると思いますがすみません。
☆投稿再開しましたが隔日亀更新です。生暖かい目で見守ってください。
~前世の知識を持つ少女、サーラの料理譚~
あおいろ
ファンタジー
その少女の名前はサーラ。前世の記憶を持っている。
今から百年近くも昔の事だ。家族の様に親しい使用人達や子供達との、楽しい日々と美味しい料理の思い出だった。
月日は遥か遠く流れて過ぎさり、ー
現代も果てない困難が待ち受けるものの、ー
彼らの思い出の続きは、人知れずに紡がれていく。
僕の兄は◯◯です。
山猫
BL
容姿端麗、才色兼備で周囲に愛される兄と、両親に出来損ない扱いされ、疫病除けだと存在を消された弟。
兄の監視役兼影のお守りとして両親に無理やり決定づけられた有名男子校でも、異性同性関係なく堕としていく兄を遠目から見守って(鼻ほじりながら)いた弟に、急な転機が。
「僕の弟を知らないか?」
「はい?」
これは王道BL街道を爆走中の兄を躱しつつ、時には巻き込まれ、時にはシリアス(?)になる弟の観察ストーリーである。
文章力ゼロの思いつきで更新しまくっているので、誤字脱字多し。広い心で閲覧推奨。
ちゃんとした小説を望まれる方は辞めた方が良いかも。
ちょっとした笑い、息抜きにBLを好む方向けです!
ーーーーーーーー✂︎
この作品は以前、エブリスタで連載していたものです。エブリスタの投稿システムに慣れることが出来ず、此方に移行しました。
今後、こちらで更新再開致しますのでエブリスタで見たことあるよ!って方は、今後ともよろしくお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる