富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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涙より早く乾くものはない

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「ああ、ジー様と坊主頭がいなくなっちまったねぇ。――サギ、余った餡ころ餅は桔梗屋へお土産に持って帰っとくれな。うちの者はみんな食べ飽きてるから」

 熊蜂くまんばち姐さんが惜しげもなくサラッと言う。

 もはや金を出せば手に入る物に熊蜂姐さんが惜しい物など何もなかった。

 なにしろ玄武一家は有り余るほどの金を持っている。

 それというのも桔梗屋と結託して『金鳥』の金煙を密売していた玄武だが、荒稼ぎの分け前は五分五分でも桔梗屋では樹三郎と草之介が玄武の営む料理茶屋に蜜乃家の芸妓げいしゃ三人を呼んで豪遊し、金を湯水のように使いまくっていた。

 それで玄武のほうでは表稼業が儲かるばかりで裏家業で稼いだ金は少しも使われずにそっくり寝かしてあるのだ。

 餡ころ餅もご贔屓の旦那衆が小梅にくれたものなので蜜乃家のふところはまったく痛まない。

 今晩の鯛の祝い膳にしても大亀屋に頼んだのだから、結局、同じ玄武の中で金が行ったり来たりしているだけである。


「うわぃっ、桔梗屋のみんなも羽衣屋の餡ころ餅が大好きなんぢゃっ」

 サギはワクワクと山積みになった餡ころ餅の折り箱を数えた。

 餡ころ餅六つ入りの折り箱が五十箱はあろうか。

「んふぅ、わしゃ、熊蜂姐さん、だぁい好きぢゃあ」

 サギは熊蜂姐さんの肩にスリスリと頭を摺り寄せて甘えた。

「おやまあ、嬉しいことを言ってくれるね。ホントにサギは素直で可愛い子だねぇ」

 熊蜂姐さんも満更ではない様子でサギの頭を撫で撫でする。

「――」

 ふと、熊蜂姐さんは撫で撫でする手を止めて押し黙った。

 目がウルウルしている。

「や、やだよ。亡くなったお玉を思い出しちまったぢゃないか。あの子だけだったんだよ。親思いの素直な優しい子はさ。お虎もお三毛も蜂蜜も自分勝手で生意気で親を馬鹿にして憎ったらしいのにさ」

 熊蜂姐さんの透き通るように白い肌の鼻の頭がみるみる赤くなっていく。

「ぐすっ、ずずっ」

 嘘泣きの小芝居の時とは大違いに体裁なく鼻まで啜っている。

「熊蜂姐さん、泣いたらイヤぢゃあ。ぐすんっ」

 サギはすぐに貰い泣きして、ふところから手拭いを引っ張り出した。

 その弾みに懐から財布も飛び出し、首に紐を掛けたままの財布がブランと前へぶら下がった。

(――っ)

 御手廻弓之者おてまわりゆみのもの三人はハッとしてサギの財布の刺繍を凝視する。

(あ、あれは?)

(お鶴の方様が刺繍された守り袋とそっくりだ)

(若君様にもお鶴の方様が鳶の刺繍の守り袋を持たせていた)

 当時、三人はお鶴の方が刺繍を刺しているところを幾度もこの目で見ていた。

 そのうえ三人もそれぞれの名のにわとりうずらもずを刺繍した守り袋を今でも後生大事に肌身離さず持っている。

 裁縫がなによりも好きなお鶴の方は若君のお守り役であった三人にもお揃いの刺繍の守り袋を縫ってやっていたのだ。

「――あの、それは?」

 三人は(もしや、もしや)と期待に高鳴る胸を押さえ、サギの財布を差して訊ねた。

「ああ、これは、わしの母様かかさまのお手製の財布ぢゃよ」

 サギはケロッと答えて、財布を前へ突き出して見せる。

母様かかさまのお手製?」

「うん。でも、ほれ、もう刺繍の糸がほつれてボロボロなんぢゃ。富羅鳥へ帰ったら母様かかさまに新しいのをこしらえてもらうんぢゃ」

「新しいのを?では、お母上は富羅鳥においでで、おすこやかなのでござりまするな?」

「うん。母様かかさまはいつも元気いっぱいぢゃよ。この頃は張り切って柿を突き落としておるぢゃろうの。母様は柿が大好きなんぢゃ。富羅鳥の柿は大きくて甘うて美味いんぢゃ」

 サギは「ていっ、そりゃっ」と両手を突き上げ、柿を突き落とす真似をする。

「おおお――」

 三人はお互いの笑み崩れた顔を見合わせた。

 お鶴の方が富羅鳥の柿が大好物なことは三人もよく知っていた。

 毎年、秋の遊山で国元の富羅鳥へ帰った際には柿をお土産にして江戸屋敷へ届けるとお鶴の方はそれは大喜びしたものであった。

「あ、そうぢゃ。お前さん方も富羅鳥の者ぢゃった。富羅鳥の柿が美味いことは知っとるんぢゃな。けどの、うちの小屋の前にある柿の木がどこよりも大きくて甘うて美味いんぢゃから」

 サギはもう柿のことで頭がいっぱいだ。

 ちなみに柿は縄文時代の遺跡からも柿の化石が発掘されたくらい大昔から日本にある果物なのだ。

「ああ」

「いやはや」

「まったく」

 三人はお鶴の方の無事とサギがその御子であると確信し、安堵のあまり気抜けしたように力無く笑った。


 ほどなくして、蜜乃家に二十人前の鯛の祝い膳が届いた。

「うわぃっ、鯛ぢゃっ、鯛ぢゃっ」

 サギは餡ころ餅を六つも食べた後だが、ご馳走の鯛は別腹である。


「さ、今宵はお前さん方のお祝いだよ。たんと召し上がれ」

 熊蜂姐さんが御手廻弓之者おてまわりゆみのもの三人に酒を勧める。

 目ざとい熊蜂姐さんは三人の表情を見て取って、このサギこそ富羅鳥のお殿様の忘れ形見だと三人がようやく気付いたことを察したようだ。


「くうぅ、美味いっ」

「我が人生最良の酒だ」

「鯛など最後に食べたのはいつだったか」

 御手廻弓之者おてまわりゆみのもの三人は嬉し涙で鯛の尾頭付きに塩気が増すばかりであった。
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