富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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相対の事はこちゃ知らぬ

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 一方、

 ここは、お桐が春画の活き手本を勤めている芳町の待合い茶屋の二階。

「お桐さん、色付けまで付き合わせて済まなかったね。色はどうしても明るいうちに塗らんとならんので」

 絵師の紫檀したん先生がヤマタノオロチの被り物の周りにバラバラと散らばった絵の具を拾い集めながら言った。

「いいえ、けど、洋風画というのは多色刷りとは違って紫檀先生が色まで塗るんですね」

 お桐はもう帰るばかりに身支度を整えていて絵の具の片付けを手伝っている。

 使いに出たカリンの帰りを待っているうちにすっかり日も暮れてしまった。

 そこへ、

「ごっめぇん。遅くなっちゃった」

 カリンが大きな風呂敷包みを背負しょって、ゼイゼイと息を切らして戻ってきた。

「お桐さん、千住へ行って今月の名倉さんの治療代と宿屋の支払いもしてきたよ。あと、これ、樺平かばへいさんの単衣ひとえ。もう着物もあわせを着るから持って帰ってくれって頼まれたんだ」

 風呂敷包みをよっこらせと下ろす。

「まあ、樺平ときたら、こんな重たい荷物をカリンさんに言付けるなんて。いつもカリンさんがわたしの代わりに千住の名倉医院まで行って下さって大変なご面倒をお掛けしているのに」

 お桐は申し訳なさげに頭を下げる。

「もぉう、そんなこといいっていつも言ってんのに。あたしゃ、好きで千住へ行ってるだけなんだから」

 カリンは照れた顔の前でパタパタと両手を振る。

「ああ、カリンはね、好きで行ってるんだよ。お桐さんがここへ来ない時だって、しょっちゅう、見舞いだ何だって樺平さんのところへ」

 紫檀先生がニヤニヤしながら口を挟んだ。

「――え?まあ、樺平とカリンさんが?」

 お桐はいつの間にか弟の樺平とカリンがそんな仲になっていたとはつゆ知らず、目を丸くした。

 樺平はごくつぶしのろくでもない男だが、スラリと背が高く、顔立ちだけは姉のお桐に似て美男なのだ。

 足の怪我が治ってからの弟の身の振り方がずっと心配の種だったが、カリンのような如才じょさいない娘が一緒になってくれたら心強い。

 それに博徒とはいえ勢力のある玄武一家の末端にでも加えてもらったほうが樺平のためにもいいのかも知れない。

「――カリンさん、樺平のこと、よろしくお願い致します」

 お桐は改まってお辞儀する。

「こ、こちらこそっ」

 カリンも慌ててペコリとした。


「失礼致します」

 お桐は廊下に誰もいないかキョロキョロと気にしつつ部屋を出ていく。

 これから桔梗屋に寄って昨日から預けている娘のお栗を引き取って小松川へ帰るのだから急がねばと路地を抜ける足を速めた。

 あまり遅くなってお栗が眠ってしまったらぶって田舎道を歩かなければならなくなる。

 桔梗屋の奥様は優しいので泊まっていくようにと言われるだろうが、それを当てにしてわざと遅くなったみたいに思われるのはイヤだった。

 まさか、下女中の親切で今夜から桔梗屋の裏長屋の一軒を借りて母子三人で住まうことが出来るとは、まったく想像もしていないお桐であった。


「へええ、これが洋風画?すごいね。まるで生きてるみたい。お桐さんの顔そのものだよ」

 カリンはキャンバスを見て歓声を上げた。

 お桐の姿を描いた部分だけが色付けしてある。

 美人といえば決まりきって同じ顔の春画とは異なり、洋風画は写実的で誰が見てもお桐の顔にそっくりだ。

「そうだろう?ヤマタノオロチの色付けはちょっと面倒だが、来月のたぬき会にはなんとか仕上がりそうだ。ふうふう、ズルルッ」

 紫檀先生は暢気に出前で取った饂飩うどんを啜っている。

 なんという運命の悪戯いたずらか、人気絵師の歌川紫檀は田貫兼次たぬき かねつぐが主宰するたぬき会の一員なのである。

 紫檀先生に「春画の題材を洋風画で描いてみてくれまいか」と依頼したのは田貫であったのだ。

「今年のたぬき会ではこの洋風画で金賞を狙うぞっ」

 紫檀先生は自信満々だ。

 当のお桐は自分が活き手本になった春画など恥じ入って決して見やしないので、今回の洋風画もどんな仕上がりかまったく知りもしない。

「けどさ、あたしみたいな博徒の娘のすれっからしのあばずれがさ、あのつつましやかなお桐さんの義理の妹になるなんて可笑しいよねぇ?」

 カリンは一人でケタケタと笑う。


 ぺペン♪
 ペン♪

つねりゃ紫、喰いつきゃ紅よ~♪」

 開けっ放しの窓から風に乗って唄が聞こえてくる。

「隣の恵比寿の二階からだな。さっきから同じ唄ばっかり。こっちゃ耳にタコだ」

 紫檀先生はうるさそうに耳をほじくった。

「待合い茶屋で唄ってるだけなんて酔狂だね。どんな客だろ?」

 カリンは窓から顔を出して隣の二階を覗こうとしたが障子の明かりしか見えなかった。


 その待合い茶屋と裏長屋を挟んだ狭い路地を蜜乃家の女中、おピンが急ぎ足で通っていく。

 おピンは料理茶屋の大亀屋に鯛の祝い膳の出前を頼んできたところだ。

「ちょいと、大亀屋では『小梅とジー様はどこへ行った?』って大騒ぎですよ。早くお座敷に戻っておくんなさいよっ」

 蜜乃家の裏庭へ入るなり、おピンはガラガラ声を張り上げる。

「あっ、いっけない」

 小梅はサギとギョチョモクして遊んでいるどころじゃなかったのだ。

 だいたい旦那衆はお座敷では二切り(約四時間)は遊んでいるのでまだまだお開きには当分の間がある。

「そりゃ、やっべー。早う戻らんとやっべーぢゃろ」

 サギは早く早くと小梅を急き立てた。

「やっべーぢゃあ」

 「やっべー」を覚えたばかりなので乱用している。


「ジー様、大亀屋のお座敷に戻るよ」

「ほれ、児雷也」

 小梅と坊主頭がぼんやりしている児雷也を引っ立てて大亀屋へ戻っていった。
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