富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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上げ膳据え膳

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 サギがビックリ仰天してのけ反っている頃、大亀屋と同じ一角にある待合い茶屋の恵比寿では、

(ここは、こんな格好で来るところではないのう――)

 我蛇丸は格子の天井や座敷の欄間らんまの見事な飾り彫りやキラキラした銀襖ぎんぶすまや床の間の活け花を険しげな目で眺めていた。

 伯母のお虎に「おたいらに」と足を崩すように促されて胡座あぐらに座ったが、それでも仏像のように固まっていた。

 こういう時の我蛇丸はまったく見るからに田舎出の若者であった。

 我蛇丸を挟むように両側に座っている猫魔の美人姉妹、お虎とお三毛は芝居見物帰りのよそゆきで装っているのだ。

(蕎麦屋の調理場からすっ飛んで来たんぢゃから仕方ないが――)

 立派な座敷にそぐわない錦庵の印半纏しるしばんてんに黒の股引ももひきという粗末な身なりのためにどうも居心地が悪い。

 先日の猫魔との会合では仕立て下ろしの一張羅の着物で堂々としていられたのだ。

 我蛇丸は剣術と蕎麦打ちと卵焼きで鍛えたガッチリした肩幅ながら気持ちの上ではちぢこまっていた。

「我蛇丸ぅ。何をそうかしこまってるんだえ?」

「そうだよ。お前は猫魔の頭領なんだから。この芳町の一角は猫魔の庭も同然なんだ。自分ちのつもりで大きな顔しておいで」

 お虎とお三毛が叱咤するように言う。

「はあ」

 我蛇丸は曖昧に返事してさかずきの酒をチビリと舐めた。

 忍びの習いで酒は飲めないなどとは言い出せなかった。

 そこへ、

「お待たせ致しました」

 スッと襖が開いたと思うと、華やかな振り袖姿の若衆が現れ、しとやかにお辞儀をした。

「大黒屋の久弥ひさやでござります」

 久弥は床の間の前で畏まっている我蛇丸にねばっこい視線を向けてニッコリと妖艶に笑んだ。

(――大黒屋の久弥――?)

 さては、陰間か。

 我蛇丸は我知らず戦慄を覚えた。

 以前、小梅から自分の幼馴染みの大黒屋の久弥という陰間を呼んでやってくれと言われて「気が向きましたら」と適当に答えたが、勿論、気が向くつもりなどは毛頭なかった。

 それが、よもや顔を合わせることになろうとは。


 久弥は幼馴染みの小梅に打ち明けていたとおり前々から我蛇丸に片惚れしていた。

 陰間は客に待合い茶屋などに呼ばれると提灯ちょうちん持ちの男衆一人に付き添われて徒歩でやって来るので妓楼の遊女などと違って町を頻繁に出歩いている。

 それで、久弥のほうでは日本橋の通りで蕎麦の出前中の我蛇丸の姿をよく見掛け、蕎麦せいろ五十枚を楽々と肩に担いだ逞しい男っぷりにうっとりと見惚れていたのだ。


「ほほほ、何で陰間なんぞ呼んだかって顔だね?とっくにお見通しさ。あたし等の色香にピクリともしない我蛇丸の様子を見たら、ねえ?」

「ほんにさ。久弥は芳町で一番の流行りっ子だよ。急なのによく来れたね?先約があったろう?」

 お虎とお三毛は親しげな笑みを久弥と交わす。

「いえ、よう呼んでくれはりました。へえ、先約なんぞすっぽかして飛んでまいりましたんえ」

 久弥は京訛りのおっとりした口調で言うと優雅に振り袖の裾を滑らして座敷へ入ってきた。

 しなやかな立ち居振る舞いだ。

 だが、

(どうも蒟蒻こんにゃくのようぢゃな)

 我蛇丸の目には妙にクニャクニャして見えただけであった。

 たしかに久弥は芳町で一番の陰間だけあって顔立ちも言葉使いも立ち居振る舞いも申し分なく美しいのだか、自分が惹かれるようなところは芥子粒けしつぶほども見受けられない。

 陰間などと引き比べるのもおそれ多いが、児雷也のように美しく優雅ながらピシッと威厳ある高貴な佇まいというのは滅多に見られるものではないのだと我蛇丸は改めて思った。


「さっ、久弥も来たことだし、あたし等はこれで失礼しようかね」

「ああ、久弥、後は頼んだよ」

 お虎とお三毛はさっさと席を立った。

「えっ?」

 我蛇丸はまさか久弥と二人きりで座敷に残されるとは思いもしなかったのでビックリと目を見開く。

「へえ、お任せ下さりまし」

 久弥は心得たような笑みでお虎とお三毛を送り出した。


 我蛇丸と陰間の久弥の二人きりになった座敷はひっそりと静まり返った。


「ささ、我蛇丸さん、今宵は日頃の憂さも忘れて、ごゆるりと」

 久弥は粘っこい笑みを浮かべてにじり寄るように我蛇丸の傍らへ座った。

 膝がくっ付くほどに近い。

「――」

 我蛇丸は警戒するように身を固くした。

 怖かったのだ。

 この蒟蒻のようにクニャクニャした陰間が、むくつけき鬼よりも怖かった。

 誰にも知られたくない弱みを暴かれてしまうような恐れだ。

 その弱みとは何だかは自分でも定かではないのだが。


「――」

 仏像のように微動だにせず座っている我蛇丸に、

「もう、じれったいほど初心うぶなお方もあったもの」

 久弥は妖艶な流し目をくれながら我蛇丸の腕をムギュッとねった。

「てっ、何でわしの腕をねくるんぢゃっ?」

 我蛇丸は飛び上がるようにビックリと手を引っ込める。

 さらに、ムッと怒り目で久弥を睨んだ。

「まあ」

 久弥は我蛇丸の睨んだ目も可笑しいようにクスクスと笑う。

 十歳の頃から親元離れて十一歳からお座敷に出ている久弥はさすがに余裕綽々で我蛇丸など坊や扱いだ。

ちまたではこないな唄も流行ってはりまするえ?」

 久弥はおもむろに三味線を膝に抱えて爪弾きで唄い出した。

 ぺペン♪

「サー、ねりゃ紫、喰いつきゃ紅よ 色で仕上げた アリャこの身体~♪」

 火消しの連中がよく「エンヤラヤ サノヨーイサ」と唄っている唄だ。

「サー、君は小鼓 調べの糸よ めつ ゆるめつ アリャ音を出す~♪」

 朴念仁の我蛇丸でも唄にスケベな意味合いを含んでいることは察せられた。

 ぺペン、ペン♪

(むうん、茶屋遊びでは手拍子を打つべきなんぢゃろうか?)

(『エンヤラヤ サノヨーイサ』と合いの手を入れたりするのが粋人なんぢゃろうか?)

 あれやこれや考えたが我蛇丸は相変わらず仏像のように固まったまま手拍子も合いの手も何も出来なかった。
 
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