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何をか言わんや
しおりを挟む「ふぃ~、暇ぢゃ、暇ぢゃあ~~」
サギは相変わらず暇を持て余していた。
もう、どれくらい暇を持て余していたかも思い出せぬほど長いこと暇を持て余していた。
桔梗屋の家族も奉公人も来月のたぬき会を間近に控えてバタバタしているが、サギだけは何もすることがないのだ。
「なに、暮れの大掃除を四ヶ月ばかり前倒しでやってると思えば何のこたないさ」
「ほんにさ」
下女中は十人が総出でテキパキと障子紙を張り替えている。
桔梗屋ではかつてない盛大な催しに不行き届きのないよう念には念を入れて広間四間の畳と障子を新しく張り替えることにしたのだ。
三十畳が四間で障子は四十枚もある。
「ふぃ~、みんな大忙しぢゃのう」
サギは障子の張り替えなど手伝う気はさらさらないので、みなの働きぶりを尻目に広間の縁側を素通りした。
縁側の端っこまで辿り着くと、
「ああ、あたしゃ忙しいからの。サギと遊んどる暇なんぞないわな」
お花は縁側であられもなく片膝を立て、足の爪をやすりで磨くことに専念していた。
丁寧に磨いた後は爪紅を塗って桜色の爪に仕上げるのだ。
「それから、髪に卵の白身を塗って艶やかにするんだわな。それから、風呂に酒を入れるのも肌がツルツルになるそうだわな」
お花は覚え書きを確かめる。
髪や肌のお手入れ法はみな半玉の小梅から得た情報だ。
とにかく、お花はたぬき会で児雷也と逢うまでに美しさにさらに磨きを掛けねばと、日々、お手入れに余念がなかった。
「ふぃ~、お花も大忙しぢゃのう」
サギは裏庭へ目を向けた。
ニョキニョキ草がだいぶ伸びている。
「実之介は夕方まで手習い所から帰らんしのう」
実之介は秋の席書会までは、日々、居残り稽古なのだ。
「あああ、誰もわしと遊んでくれんのぢゃ」
サギは大きく吐息した。
日本橋には富羅鳥山のように遊び相手の猿すらいやしない。
「暇ぢゃ、暇ぢゃあ~~」
縁側の突き当たりを曲がって廊下へ歩いていくと、
台所の板間では、お枝とお栗が熟練の菓子職人四人と一緒にオヤツの支度をしていた。
お栗は母のお桐が千住へ行ったので昨夜から桔梗屋に泊まっている。
このところカスティラの耳を砂糖醤油にベタベタと浸して火鉢で炙ったオヤツがみなに好評なのだ。
「オヤツが出来るまで待つとするかのう」
サギは台所仕事など手伝う気もさらさらないので廊下から茶の間へ入った。
ポスン。
なにやら柔らかいものを蹴飛ばす。
「――ん?お枝の人形ぢゃな?」
菫色の天鵞絨のドレスを着た金髪碧眼の西洋人形が足元に寝転がっている。
お枝は贅沢なことに人形を十八体も持っているので、そんじょそこらにはない西洋人形でさえ扱いがぞんざいなのだ。
「まあ、これはわしのお父っさんがわざわざ長崎から取り寄せた人形なんだえ」
お葉が大事そうに西洋人形を膝の上にのせ、人形のボサボサの巻き毛を綺麗に撫で付けた。
「ふぅん?」
サギは座敷にペタンと座って、畳に両手を突いて首を伸ばし、つくづくと西洋人形を眺める。
「のう?噂には聞いとるんぢゃが異人というのはホントにこんな黄色い髪で空色の目ん玉をしておるのか?」
西洋人形は桔梗屋へ来てから初めて見たが、西洋人は見たことがなかった。
「おや、サギは異人をまだ見たことがないのかえ?ほれ、このすぐ近くに長崎屋というオランダ宿があってな、長崎から江戸へやってきた異人が泊まる宿なんだえ」
お葉は桔梗屋の後ろ側を手で示した。
長崎屋は同じ本石町にある。
毎年、弥生三月になると将軍様に謁見するために長崎から異人が江戸へ登り、長崎屋には二十日間も滞在することになっていた。
その時期になると長崎屋の周りには異人の姿を一目見んと野次馬がわんさかと押し寄せるのだ。
「なんぢゃあ、弥生三月とは、ずうっと先ぢゃのう」
サギは口を尖らせる。
半年も先にならねば異人は長崎屋へやって来ないとはガッカリだ。
「まあ、わし等はもう異人は幾度も見たわなあ」
お葉は異人など見たとて面白くもないという口振りだ。
「どうも異人というのは赤ら顔で鬼のようだし、鼻は高うて天狗のようだし、この人形のように可愛ゆらしい顔はしとらんのだえ」
将軍様に謁見する異人はお葉から見ると何歳だか分からぬが見た目には老けた年配の男ばかりなのだ。
「ほほお」
サギは錦庵のシメが鬼の一族だし、剣術は鬼の師匠に習ったので鬼に関しては珍しくもない。
「そうそう、これはわしのお父っさんが長崎で聞いた話だが――」
お葉はやにわに声を潜めた。
「西洋の国ではウィッチ(魔女)という女の妖怪がおってな、ウィッチ狩りとやらで役人に捕まって火炙りにされてしまうんだそうな。それも大昔でなく、ほんの五、六年前に聞いた話だえ」
「えへ~?まさかぢゃあ。ぢゃって、桃太郎が鬼退治に鬼ヶ島へ行ったのぢゃって五、六百年も大昔の話ぢゃぞ?」
サギは目を真ん丸に見張る。
西洋というのは華やかな都があって珍しい道具もあって進んだ国ではなかったのか。
「それが、いまだに妖怪退治ぢゃと?どこぞの未開の野蛮人ぢゃっ」
サギはのけぞってゲラゲラと笑う。
「ああ、わしのお父っさんも呆れて言うとったんだえ。そんな頭のイカれた連中と付き合うのは難儀だろうから鎖国した幕府は賢明だったとなあ」
お葉もつられてケラケラと笑った。
(そしたら、鬼のシメも西洋の国ぢゃ火炙りか?うひゃひゃっ)
サギは腹の皮が捩れるほど大笑いした。
まさか、本気でいまだ西洋では魔女狩りが行われているとは信じておらず、ただ、誰かが悪戯けで盛った出鱈目な噂くらいに思っていたのだ。
この江戸時代に西洋では実際に魔女狩りが行われているなどという馬鹿げた話を誰が本当だと信じられようか。
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