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青天の霹靂
しおりを挟む「まあっ?たぬき会をっ?」
「この桔梗屋でっ?」
お葉も草之介も思わずタコ踊りをするかというほど驚いた。
来月に神田橋の田貫兼次の屋敷で催されるたぬき会であるが、急遽、会場を変更するので是非とも桔梗屋の広間を借りたいという申し出であった。
「どうして田貫様の屋敷でやらんのぢゃ?」
サギが八木に訊ねる。
「実は、反タヌキ派を名乗る一派がたぬき会の妨害を企んでおるという情報を秘密裏に入手したのでござる」
さすがに幕臣の中での諜報活動ならお庭番の出番のようだ。
「たぬき会の妨害ぢゃと?」
サギは(妨害って何をする気ぢゃろ?)と首を傾げた。
たぬき会は芸術をこよなく愛する老中の田貫兼次と身分に関係なく親交のある武士や町人が各々の自信作を持ち寄って作品を評価し合う品評会だ。
余興には両国で人気の屁放男と、浅草奥山で人気の児雷也が呼ばれている。
サギもお花も楽しみでワクワクのたぬき会なのだから妨害などさせる訳にはいかない。
「本来ならば、田貫様の家臣の者がこちらへお願いに上がるのが筋であるところをそれでは妨害を企む一派に嗅ぎ付かれる恐れがあるゆえ、それがしが代わりに参ったという次第にござりまする」
先代の弁十郎が健在だった頃には田貫兼次は桔梗屋を頻繁に訪れていたので屋敷に大一座の集まれる広間があることも知っているのだ。
「まあ、でも、たぬき会の会場になど、うちの広間は中庭に面した三十畳がほんの四つばかりあるだけで、せいぜい百人ほどしかお客様をお招きすることは――」
お葉はおろおろと困り顔した。
広大な敷地の大名屋敷と比べたら桔梗屋などウサギ小屋に毛が生えたようなものと気が引けてしまう。
「あいや、それで充分にござりまする。どうかお引き受け願わしゅう存じまする」
八木はバッと頭を下げる。
ここのところ将軍様がたぬき会に出品するにゃん影の水墨画を熱心に描いている姿を見知っているだけに八木としてもたぬき会を滞りなく開催させたいのだ。
「勿論、これほど光栄極まるお話をお断りするなど滅相もないこと。謹んでお受け致しとう存じまする」
草之介はお葉の返事も待たずに快諾した。
「うわぃ、桔梗屋でたぬき会ぢゃあっ」
サギはピョンと跳ねて万歳する。
桔梗屋で催されるのならたぬき会へ参加する予定のなかった実之介やお枝や小僧等も一緒に余興を見られるかも知れない。
いや、きっと、ざっくばらんな田貫兼次ならばみなに見せてくれるであろう。
「うわぃ、うわぃ」
サギはピョンピョンと跳ね廻った。
「では、当日までに幾度か打ち合わせに参りますゆえ、くれぐれも他言無用に――」
「ははぁっ、重々、心得ましてござります」
草之介とお葉は土蔵の中で恭しく行商人の姿の八木を見送った。
「――ふむぅぅ?」
八木は帰りしな桔梗屋の屋敷をしげしげと見渡していた。
「何を見とるんぢゃ?」
サギは日本橋のたもとまで八木を送るつもりで後にくっ付いてきた。
「あいや、前々から気になっておったのでござるがぁぁ、この屋敷の構造はやけに入り組んでおるなとぉぉぉ」
しつこく繰り返すが、桔梗屋の屋敷はHの字の形に五つの棟の組み合わせになっている。
広間を挟んで中庭が二つ、路地に沿った裏庭はやたらに細長く奥行きがある。
江戸の町は大店でも通りに面した間口は十間以上は取れぬ決まりなので鰻の寝床のように敷地が細長いのだ。
「あっ、そうぢゃ。桔梗屋はからくり屋敷かも知れんのぢゃっ」
サギはハタと思い出し、盗人騒ぎの時に捕り物から逃げた草之介が外壁を通り抜けて中庭まで出たことを八木に話して聞かせた。
「からくり屋敷ぃぃ?」
八木は草之介が通り抜けたらしき外壁を端から端まで叩いてみた。
「ふむぅぅ?どこにも通り抜けられる仕掛けなどないようにござるがぁぁ」
サギは八木が外壁を確かめている背後で細長い路地を行ったり来たりしていた。
「――うん?」
ハッとして足元を見下ろす。
路地には一直線にドブ板が並んでいる。
「どうも、あっちとこっちで足音が違うとる気がするんぢゃが?」
サギは八木にも聞かせるようにドブ板の上を行ったり来たりした。
「ううむ、ここのドブ板。もしやぁぁ?」
八木は屈み込んでドブ板を持ち上げた。
「――ああっ?」
なんと、
開けたドブ板の下は八木でもすっぽりと入れるほどの深さの空洞になっていた。
サギは這いつくばって中を覗いてみる。
「あっ、この穴の先は屋敷の縁の下ぢゃ。分かったぞ。草之介は縁の下から中庭へ出たんぢゃっ」
そうすると路地に走り込んだ草之介はこのドブ板の穴に入って、捕り物の小物等は盗人を挟み撃ちにせんとして路地で鉢合わせという寸法か。
「ううむ、ドブ板に見せ掛けた隠し扉とはぁぁ」
八木はパカパカと開け閉めしてみる。
ドブ板の隠し扉は両開きになっている。
本物のドブ板はその隠し扉の箇所を避けてコの字になっていて土の下に覆い隠されていた。
「他にも抜け穴があるんぢゃろうか?」
サギは俄然、張り切った。
お葉か草之介に聞けば手っ取り早いと分かっているが自分で見つけたいのだ。
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