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蓼食う虫も好き好き
しおりを挟む一方、
その昼八つ半。(午後三時頃)
桔梗屋では、
「まあ、美根様、久良様、ホントに良うござりました」
お桐が武家娘二人と対面して我が事のように喜んでいた。
今さっき、武家娘二人は手習い所から戻って、これから下女中五人とお桐と裏庭に面した座敷で針仕事を始めるところである。
お桐は武家娘二人が手習い所に行っている午前中に下女中からこれまでの経緯をすっかり聞かされていた。
久良が吉原にいたことは本人が自ら進んで話したので桔梗屋の奉公人も下女中もすでに知っている。
この時代は親の借金のために吉原の遊女に売られた娘は親孝行だと世間では褒められて感心されたほどなので隠すことでもなかった。
そもそも吉原の張見世におおっぴらに並んでいたのだから吉原遊びに来た者には顔を知られているのだ。
張見世というのは妓楼の表に面した格子の中に遊女がズラリと並んで座って、通りから客が格子越しに遊女を眺めて品定めするところである。
「久良様、さぞや、お辛い思いをなさったことでしょうね――」
お桐は初めて逢った久良が二十五歳にしては小柄で幼顔であどけない雰囲気なので、思わずホロリと袂で目元を押さえた。
「ええ、それはもう、辛うござりました――」
久良は吉原での辛い日々を話さずにはいられぬように口を開いた。
下女中五人は「待ってました」とばかりに針仕事の手を止めて、久良の言葉に耳をそばだてる。
みな吉原の話を聞きたくてウズウズしていたのだが、訊くに訊けずに我慢していたのだ。
(――吉原っ?)
お花は縁側に向けた刺繍台の手元を見つめたまま、背後の会話に眉をピクリとさせる。
「ほれ、餡ころ餅ぢゃ」
「わあい」
サギは裏庭に敷いた蓙の上でお枝とお栗のままごと遊びに付き合って泥饅頭をこしらえている。
餡ころ餅に見立てた泥饅頭をせっせと丸めながらも久良の話にはちゃんと聞き耳を立てている。
いつの間にやら奥様のお葉と乳母のおタネまで針仕事の座敷へ来ていた。
本当にみな物見高いのだ。
だが、
久良の語る吉原での辛さとは、みなが想像していたものとはちょっとばかり違っていた。
「ええ、なにが辛いって、わたくしが張見世に座って客待ちをしておりますと冷やかしの男衆が口さがないことを言ってからかうのでござります」
久良は悔しげに膝の上で縫いかけの雑巾を揉みながら話し出した。
あの吉原の張見世での罵詈雑言たるや、
「おい、見さっせ。あのちんくしゃの顔を」
「あんなちんくしゃを買う物好きがいたらお目に掛かりてえもんだ」
「どっおせ売れずに直に切見世へ落ちてくるだろうよ」
「違いねえや。だがよ、切見世のたった百文ぽっきりだって買う物好きはいねえだろうがなっ」
「ガハハハハハッ」
冷やかし連中というのは吉原の妓楼で遊ぶ金もない鬱憤ばらしなのか遊女をからかって喜ぶような不埒者ばかりであった。
(かあっ、腐れ外道めがっ)
サギは聞いただけでムカッ腹が立って、グシュッと泥饅頭を握り潰した。
いつか吉原へ行って張見世で遊女をからかう不埒者をこてんぱんに叩きのめしてやらねばと思った。
ともあれ、張見世でさんざん「ちんくしゃ」「百文でも買う物好きはいない」と馬鹿にされたためか久良にはまったく客が付かなかった。
「今にして思えば、あの男衆の悪口のおかげもあって客が付かずイヤな勤めをせずに済んだのでござりますから、かえって感謝をせねばならぬのやも知れません――」
久良はひとしきり話して気が済んだようにスッキリとした笑みを見せた。
張見世の中では死んだ魚のような目をして無表情でことさら不器量に見えたのであろうが、コロコロと笑う久良は小納戸の馬場馬三郎がずっと想い続けていたほどに可愛ゆらしい顔をしている。
「まあね、久良様はお武家様の育ちで男衆からそんな悪口は初めてだったかも知れないけどねえ」
「わし等、長屋の育ちなんか娘時分にゃ近所の男衆にさんざんからかわれたもんだよ」
「ああ、あたしゃ、へちゃむくれとか、鼻ぺちゃとか、おかちめんことかさ」
「わたしだって下駄の裏みたいな顔だって言われたよ」
「わしなんて人三化七って言われたからね」
「わしゃ、背丈があるから丸太ん棒って渾名を付けられてさ」
下女中は口々に自分が容姿をからかわれた時の悪口を披露したが、みな器量は人並みなのだ。
「あらまあ」
久良は目を丸くした。
どうやら男子が女子の容姿を面と向かって馬鹿にするのは長屋の庶民の間では至極ありふれたことなのだと初めて知った。
お城の奥女中で男子と接することがなかったばかりに世間でいう不埒者に属する男衆の程度の低さを知らなかったのだ。
武家では政略結婚が当たり前で武家娘は不器量と相場が決まっているためか武家の男子は女子の容姿をとやかく言ってはならぬと幼い頃から厳しく躾られているのである。
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